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| 神道の「惟神の道」とは神さながらの生き方を言います。 ある程度 煩悩を解消しないことにはより上質な自分には立脚できない、と自覚しているため、「惟神への道」と題して拙い道程を綴りたいと思っています。 |
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| TBSラジオ「ONE-J」でちょっと会話に出て来た常磐線JR日立駅、ここいらの田舎では唯一の現代的な建築物で、気になっていた。日の出前を撮ってみるか、茨城県の内陸部の神社にも脚を伸ばしてみるか、と。明日の終日、ミラーレス カメラの細かな設定の見直しをやり、Go。 遠出の前には交通トラブルについて一筮、46【地風升】||九三。爻辭「虛邑(キョユウ)に升(ノボ)る」。背後に何か順境ならざるものが伴っていたり下方に升るといった卦だが、九三は外卦【坤】で前途に何の妨げもない、などの判断が言われる。交通事故はなさそうだが、結果はここの最後に。 笠間稲荷神社には参拝に上がる旨を事前に御祭神にご挨拶。 < JR常磐線 日立駅 > 9/ 2(火)、6/19 の東國三社(鹿島神宮・香取神宮・息栖神社)巡りに続く長旅。早めに 2:40 に家を出、4:00 JR日立駅に到着。周辺を歩いてみると、夜中でも蒸すのに、ホームレスの人…。 駅舎、幸いホームを跨いで東西に延びる2階のロビーは24時間オープン。撮影、日の出前に水平線に広がる曙光の赤味と雲の面白さが肝心で、弁天島(いわき市久之浜町)にも日参。 日の出の直前と夕暮れの直後は太陽光が大気中を斜めに長い距離を通過するので、散乱しにくい波長の長い赤色が残る。時に夏場は水蒸気で波長の短い青が散乱されるので、赤味が強く出、紫も。雲の方は天気が荒れた後が面白い。 で、日立駅、割と赤味の強い曙光に遭遇。ピークはせいぜい10分、2階のロビーを三脚を担いで歩き回る。ホームの改札口のところで真横から迫り出した展望デッキを撮ったが、壁面のガラス越しでガラスが汚れていてダメ。ここのガラスはブルーが入っていることに気付く。ここは面白い気象に出くわせば広告並みの写真が撮れる。 この曙光に、日の出時間 5:09 の前からお祭りのようにこの小高い日立駅に若者などが集まって来た。皆こんな朝早くから海の様子を確認しているもの?
ここまでは撮影の旅。あとの撮影は設定したカメラの写りを確認のためで、猛暑と疲労でただ撮るだけに。写真は Instagram をご覧ください。 < 大甕神社 > 泉神社(日立市)に立ち寄るつもりだったら、カーナビがすっ飛ばして、目的地として先に入力していた大甕神社(オオミカ-、日立市)に出てしまう。 前回の昨年 12/ 4、二度目に泉神社に上がった時には規制線のロープに足を引っ掛けて転倒して高いカメラを地面にぶつけ…。この時に察した通り、やはり泉神社とは相性が悪いらしい。
大甕神社の主祭神の武葉槌命(タケハツチ-)が御した地元の「まつろわぬ神」甕星香香背男(ミカボシカガセオ)。「地主神」としてここに祀られているこの神の頑強な抵抗に閉口した鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)の主祭神の武甕槌神(タケミカヅチ-)が相撲で(?)負かした諏訪大社の主祭神の建御名方神(タケミナカタ-、大國主神の御子)。この神が諏訪地方に進出した時に降伏させたのが地元の洩矢神、という関係。甕星香香背男とは地元の神同士。長野県岡谷市にこの神をお祀りする洩矢神社がある。 この祠もどういう経緯があって御魂分けしてお連れしたものか、昔はそういうブームがあったのか、面倒なくやれたものなのか…どちらの神社でも全ての境内社にご挨拶するようにしていて思う。依り代が失われて扉が開いたまま放置されていたり、廃止された祠はそれ以上に無数にある。 帰途、常陸太田市の道路脇に見付けて立ち寄った「田んぼの中のポツンと神社」の村社 別雷神社(ワケイカヅチ-)を見て回って新ためて思った。 また、ここのシンボルの一つだが無頓着だった拝殿の懸魚(ゲギョ)の「笑龍」も確認。辰年の去年は注目された。修復したのに、幾つも蜘蛛の巣が。 < 笠間稲荷神社 > カーナビ任せで南へ、ここから初めての道で、JR水戸駅に出てしまい、北へ西へ折れて、笠間稲荷神社(笠間市)。7:45 着。 日本三大稲荷の一。主祭神は宇迦之御魂神(ウカノミタマ-)。有料駐車場の置き箱に 500 円玉を入れると、境内の広い駐車場がガラ空きという具合。 笠間市のシンボルだろう明神造の大鳥居、扁額の前に電線が10本近く通っていて、東京電力やNTTはちょっと無粋。 北へ、仲見世の通りを抜け、二の鳥居、右手に年季の入った興味深い東門を潜り、その奥に「聖徳殿」で、聖徳太子をお祀りしているお社にご挨拶は初めてかも知れない。横から回廊を潜って、立派な楼門に戻って見学。 楼門は随身の人形が立派なもので、拝殿に向かって右の上座は左大臣の奇磐間戸神(クシイワマドノカミ)、左は右大臣の豊磐間戸神(トヨイワマドノカミ)。網入りガラスで覆われ、PLフィルターを回しても反射して撮れない。楼門の裏には向かい合って左右に神馬像で、こちらはガラスもない。 拝殿には、小銭を投げる人がいるためだろう、6箱 並ぶ賽銭箱の背後には板まで立ててあって、祭壇がほぼ見えない。
御神籤は易の卦を元に作ったものなので、自分の課題にないことについては無視で構わない。 その前には日陰棚がしてあって、朝早くから暑さ対策というか、涼を感じられるということで、チューブで頭上から水を噴霧。このあとの筑波山神社でも拝殿からケーブルカーの駅へ行く方の通りの頭上に。業界で呼び掛けがあるようだ。 尚、いわき市内の金刀比羅神社や澤村神社に「胡桃下稲荷神社」の祠があって、笠間稲荷神社の別称だったことに気が付いた。授与所の神子さんにそのことを質すと境内の隅に囲いがされている古い胡桃の木を言うのであっちからこっちから撮影したが、べつにその木が名称の由来というわけではなかった(笑)。 肝心の稲荷神社だが、既にものが二重に見え出すぐらい寝不足の気あり、頭がこうだと、拝殿の前に立っても、御祭神との咸応酬酢などは全く…。 一般に、神社が御祭神を誰々としていても、果たして降臨 or お宿りされる御神靈はその通りなんだろうか…。靈能者によると、神様は替わっている場合あり、妖魔のような存在が居座っていることも、と。なので、こちらは、社殿でのご挨拶では御祭神の名称を口にするのではなくて、「御祭神に申し上げます」にしている。
神道の方から、靈能の世界の方から、広く情報を集め、眺めると、神道には人の世ならではの虚しい常識が沢山ある。
移動の自由のある現代人の氏神がどこの神社に当たるかも靈能に昏い神社本庁は便宜的なことを述べるだけ。土地神も不明なので、相性の好い御神靈や神社をよく確認した上で、氏神神社 or 崇敬神社として自宅の神棚にお祀りして、そこと会話するのが一番 良いのではとこちらは思っている。 それには、神社を巡拝して、何かそこに親近感を覚えることが神社なり御神靈とのご縁ではないか、と。神社はただ数ばかり巡拝しても仕方がない。 神社とご縁を結びたいならば、欲得の人々の群がることのない、小さなお社や簡素な祠が好いのでは。キリスト教世界を眺めても、聖母マリアなどが降臨する場所は決まって素朴な僻地、語り掛ける相手は純良な人。靈能者もだが、目立って女性が多い、ふっくらした人。 < 常陸国出雲大社 > 更に西へ、常陸国出雲大社(笠間市)9:00 着。 ここもお初。1992 年に島根県の出雲大社より分霊を得てご鎮座。どういう経緯やら、今では宗教法人も別。田舎の集落に出来た新興宗教の施設といった感じで、何もかも立派。企業のオーナーさんでもお建てになったやら。 国宝指定された本家の本殿を模した向拝(= 階段部分の屋根)が造形的に面白い大社造の本殿の見学については裏手に回り込める様子なし。
これらの神社では大國主神 = 大己貴命(オオナムチ-)= 大黒天と少彦名命(スクナヒコナ-)がセットで主祭神になっていることが多く、大國主神の御子とされる事代主命(コトシロヌシ-)= 恵比寿も揃ってめでたい縁起物のように御祭神として並ぶ。常陸国出雲大社でも少彦名命を祀る薬神神社あり。 ただ、この分類で、住吉神社の主祭神の住吉三神は伊邪那岐神の御子として天照大御神よりも早く生まれていて出雲系。大國主神は須佐之男命[素戔嗚尊]の六 or 七世の孫…解り難い。 こちらは、物理的な反応も伴ってご縁を感じるのは天照系。無人の尼子稲荷神社(いわき市平長橋町)ほか、3.11の時には応神天皇(15)= 誉田別尊(ホンダワケ-)をお祀りする楢葉八幡神社(広野町)のお札が襖の上に貼ってあった祖母の部屋だけは津波の流出を免れた上に、本当に無くせない貴重な物だけがその部屋の畳の下に潜り込んで助かったという「奇跡」というものを初めて経験した。このご縁は本物なのか、確信を得たい、と。 < 筑波山大社 > まだ 10:00 かそんなものなので、筑波山神社(つくば市)まで行ってみるか、と。南へ。大分 走って県道42号線に入ると、かなりの勾配に、ガードレールがなくて側溝、狭い九十九折りが続き、終いに両側からボウボウの草が食み出して、カーブでは危うく衝突という道。ギアをローでせいぜい時速20 km。 で、そこそこ上ると見通しも好くない複雑な五叉路があって、道を間違えて、山を半分 降りては引き返し、どん詰まりの女体山の弁慶茶屋の駐車場に行き着いたり。茨城県の道路行政はダメ。カーナビもこの道で好いのか怪しくて、方位磁石は車内だとエンジンの方に針が向く。11:30 頃かな、何とか筑波山神社に到着。海抜としたら 300 mもない。
一度 来てみたかった神社、山。筑波山神社の御神体は男体山・女体山で、それぞれ伊邪那美神[伊弉冉神]・伊邪那岐神[伊弉諾神]に重ねる。日本神話の造化三神(天之御中主神(アメノミナカヌシ-)・高御産巣日神(タカミムスビ-)・神産巣日神(カミムスビ-))など別天津神(コトアマツガミ)→ 國之常立神(クニノトコタチ-)に始まる神世七代の最後に現れる神産み・國産みの大神。 天地創造、天之御中主神という創造主…歴史の頭から「旧約聖書」のコピーで、記紀やそれ以前の編纂事業にユダヤ人かその知識のある者が参加していたことは間違いない。
朝日稲荷神社・稲荷社は参集殿と拝殿を繋ぐ渡り廊下の下を潜った参集殿の裏にあり、両側に真っ赤な幟が並ぶ小道を少し上る。前者は通称「出世稲荷」。御祭神が太田命(オオタ-)・大宮能売命(オオミヤノメ-)。稲荷社の方が宇迦之御魂神(ウカノミタマ-)。周囲に点在する筑波山七稲荷」の一つだそう。 境内社には一通りご挨拶したが、摂社はまた別のようで、稲村神社(天照大御神)・安座常神社(素盞鳴尊)・小原木神社(月読尊)・渡神社(蛭子命)とあり、場所が不明。 そして、境内の西手にあるケーブルカーの宮脇駅まで上ってみて、それぞれ奥宮のある男体山・女体山にも行くかとも思ったが、炎天下1時間は歩くようで、引き返す。サンダルのまま。女体山の方はさっき道を間違えて着いた時に登るんだった。細かい散策は次の機会に。 拝殿から一段 下りて、拝殿に向かって左に厳島神社があり、ブルーのシートを被って工事中。 更に一段下に随神門。拝殿に向かって右の上座に豊木入日子命(トヨキイリヒコ-)、左に倭健命(ヤマトタケル-)の像。 この反対側に大杉の御神木の紫峰木。「紫峰」とは筑波山のこと。幹周8mで、ずっしりとして見事で、枝ぶりも纏まっていた。 この向かって左脇に「筑波山義挙碑」があったようだが、見逃す。碑は境内にたくさんあるが、文字が読み難いか読めない。 更に下りたところに御神橋。普段は通り抜けできず、正月など年に4回だけ。 建築物の多くは県 or 市の文化財に指定されているので、修繕などに補助金が出る。 正午近くになり、猛暑で汗だく。ただ造形物を撮るだけ。帰宅して寝たい衝動に。ドライバーには木陰で一睡できるスペースが必要だ。 幕末の尊王攘夷運動で幕府が勅許を得ずに列強と開港を約束した横浜港の即時閉鎖を訴えた天狗党の乱(1864)で、若い藤田 小四郎が挙兵した場所。この神社だったのかな。藤田は既に亡くなっていた第九代水戸藩主 徳川 斉昭[烈公]の子の徳川 慶喜を藩主に据える目的もあった、と今回 知った。 「さく梅は 風にはかなく ちるとても にほひは君が 袖にうつして」(藤田 小四郎)
文頭に出発前に一筮して、46【地風升】九三を得たことを書いた。【地風升】は何か憂いを伴った発展・前進を意味し、九三は障害なくスイスイ前進すると判断本などにあるが、こちらが数限りなく確認して来た限り、そんなイメージではない。飽くまで【地風升】の象の中で捉えること。 この占ではトラブルに遭ったけれど、前に進めた、ということになる。筑波山の道路も道に迷いも酷かったけれど、何とか辿り着けた。 この卦・爻では、本仮屋 ユイカさんは昨年 所属事務所を変えるか、の占があり、往々にしてこんな感じになる。 筑波山、常磐自動車道だと2時間チョイで帰れるので、次回は細々 散策を。 < 御岩神社 > ここも三度目。筑波山神社の授与所で、御岩神社(茨城県日立市)にも年内に参拝するとゴールドの龍の飾り付けと特別な台紙が貰える御朱印が置いてあったので、帰り道、内陸を走ることにして寄ってみた。すると、これはデザインを変えて毎年やっていた。辰年の去年の方がブルーのデザインで好かった。 御岩神社の拝殿の向かって右隣にある稲荷総社。お狐さんが沢山 並んだ趣のある祠があったが、仮殿になっていて、工事中。夏場は大きな行事の間をぬった工事のシーズン? 尼子稲荷神社(いわき市平長橋町)、茶釜稲荷神社(茨城県大洗町)とここは何かご縁を感じている。
帰途、国道6号線を いわき市に入る辺り、前方に真っ黒な雨雲。すると、物凄い雷雨になり、そちこち落雷、ワイパー フル回転でも殆ど前が見えない、横風でハンドルが取られる、バイパスのような道路を降りようと前に車が割り込む、路肩に停車しようものなら追突確実…パニック映画さながら。カーナビの降り場所のメッセージも耳に入らず、見えず、2ヵ所スルーして国道を降りた。 猛暑、寝足りずで往路から二重に見え出す、315 km の8割方 初めての一般道路で、筑波山の道路がああで、最後にこれでグッタリ、17:40 帰宅。その後、2日も寝ていたような。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 8/ 9、日本テレビ「シューイチ」の軽井沢ロケ。熊野皇大神社(長野県)で本仮屋 ユイカさんが「清々しい気持ちに」云々。 現代の神道は “清浄の中に御神靈はお宿りになる筈” になってしまっている。神職は宮司も祝詞・儀式・作法・装束・空間の清浄等を整えることで御神靈をお迎えするばかりの仲執り持ちで、神社側のお世話係。そうした形式が靈力を招く、などとする。こちらは神社は靈能があってのことだろう、と。 神職は、國學院大学神道文化学部(東京都)・皇學館大学神道学科(三重県)を卒業すれば神社神道の神社に奉職でき、御神靈を直接 感じ取れなくてもいいことになってしまった。これでは正直に言って易を司る神妙な摂理より易示を得て橋渡しを行う我々 易学徒に及ばない。 古代〜中世の神職や巫女は、神降ろしや神託を通じて御神靈の意志を直接 聞き取り、人や土地に伝える役割を持っていた。
場としての神社や伝統としての神道と靈能の主体とは分離してしまった。その意味で神社は堕落した。 終いに、民俗学の基礎を築いた折口 信夫 氏だと、マレビト(= 異界より降り来る靈的神的存在)を前提としながらも、神は “かたち” と “ことば” に宿るという見方を提唱して、「形の正しさが神を招く条件である」とまで言う。古代の「言靈」を今日 再興した人。 先日 亡くなった鎌田 東二 氏の御神靈への向き合い方は雰囲気的。音楽好きで、石笛や法螺貝を用いた儀礼を通して「心を鎮める」経験を言い、人間の身体的感覚や場の雰囲気を介して靈的意味を実感することに注目。「形式が靈的実感を呼び起こす装置である」と言う。そんな面もあるが、この人は世に雰囲気的スピリチュアルの空気を醸し出した犯人。 '60年代を引き擦った左翼の硬い集会が歌声喫茶に流れるクダラナさに重なって、どうでもいい。
神社は、福島のゆりはな さん(=「ゆりはな」から改名)のような御神靈ともやり取りできる本物の靈能者をたまにでもお迎えして、高級靈の声を拝聴したり氏子の求めに応えるのがその最も基本的な本務ではないのか、少しでも神社本来の昔の姿に、とこちらは思っている。 福島のゆりはな さんは故・宜保 愛子さんを遥かに凌ぐ数々の靈能をお持ちだが、3年前から商売っ気の強い(株)山口敏太郎タートルカンパニーの専属になってしまって、料金が大きく上がり、連絡が執れない。折角 福島市在住の方なのに地元での活動がなく、残念でならない。
九二を陰変すると【坤爲地】で、現状は白紙。 これは説得したら動きそうだ。この卦で物ごとが成就するのはまず九二に陰陽 相応じる六五の時。その爻辭「田に禽(エモノ)有り。言を執る(= 声明して討伐する)に利(ヨロ)し。長子[九二]は師を帥(ヒキ)ゐる。弟子[六三・六四](テイシ)は尸(シカバネ)を輿(ノ)す。貞(カタ)くすれば凶」。 |
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| こちら、毎日ノラ状態の猫と付き合うのに無造作でいるから、人からも話し掛けられやすいのやら。先日、北茨城市の山深い森の中に鎮座する花園神社の例大祭の撮影をやっていたら、同じく写真を撮っていて話し掛けられた高齢の男性が神社仏閣などの古い木造建築物の「白木洗い」をやる職人さん。水戸市のサンクリーン菅野商会(携帯:090-5518-3480)。 神社に戻る御神輿の行列に付いて歩きながら話を伺うなどすると、木造建築物の維持は(黒)カビによる腐食の問題から始まり、塗装を剥がして、柱の奥まで腐食防止の薬剤を何度も擦り込むなどの「白木洗い」をやり、その上で、漆塗り、塗装をやって仕上げる。新築と見間違えるほどキレイになる。こちら、ここの社務所も割と最近 建てたものと思っていたら、屋根瓦は苔だらけ。 調べると、(株)ダスキンでも同様のサービスをやっている。
それで、この白木洗いの職人さんは、見かねて、社務所については材料費・交通費込み一日8千円でおやりになった、と。実質ボランティア。福島県南相馬市の出身で、こういう森の精霊が憩うような神社には善良な人が集まる。 それで、こちら、宮司の神永 知明さんは例大祭の何かににご多忙なので、この人里のない山奥にスイーツのお店「Wald」をオープンさせた清楚な奥様をちょっと捉まえて、行政から財政支援を受けるためのやり方をお話しし… 併し、神社さん自らはやれないだろうなと、本日は北茨城市役所の生涯学習課に財政支援の具体的な手続きや課題を確認すると、話がトントンと進んで、霞ヶ関から補助金・助成金を得られるどんな途があるか無いか茨城県に調査を掛け合ってくれるようお願いを。担当者が宮司と知り合いで、結果を伝えてくれることに。 こういう活動の時、少し押しを出すと、どこぞの営業と思われて拒否感を貰うのには閉口する。全て活動は無償。 日立市の築百年の武道館[共楽館]の修繕では文化財保護の名目で文化庁から助成を得ている、と先の職人さんから聴いている。 ただ、神社仏閣の場合、国か自治体による文化財の指定が要件になる、といったハードルがある。そこは、名目と地元の国会議員の働き次第、といった面があるが、後半の存在がいない。
この卦は小(スコ)しく畜(トド)めると云うけれど、畜める意が強い。26【山天大畜】||||(← 左を上に)の方は畜(チク)す意味合いが大。 ただ、この卦・爻の爻辞の解釈には古来、六四による静止の部分について真逆の説があって、理屈はこちらの方が通っているようにも思うので、結果に注目。過去占を眺めてもどちらとも言えないところがあって、それは、この占だと状況の推移で観ても好く、すると、次は卦極の上九なので、どちらとも解し得る。 なので、暫く待てば何か途が開けるかも知れない。希望は棄てません。 尚、広野町にあった実家の裏の鹿嶋神社の石の鳥居が3.11の後に再建されたが、調べると、国 → 福島県文化財課 → NPO「民族芸能を継承するふくしまの会」のルートで「地域の『きずな』を結ぶ文化芸能支援事業」から助成金を得ていた。町役場がお手伝いを。このルートもあったか。 |
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| 温かくなって、5月1日がこちらの年度始めのような気がして、ご縁を感じている尼子稲荷神社(いわき市平長橋町)にまたご挨拶に。 初めて松ヶ岡公園の北側の九十九折りの階段を上り、公園を横切って上がった。 無人の尼子稲荷神社、参拝者に出食わしたことがない。 いつものように、一礼して明神鳥居を潜り、鈴を取り外した拝殿の前で造化三神への三礼三拍手から始めてご挨拶…。この三神を天御祖神・天之御中主神・天照大御神などに変えてみると、何か違和感。 昨年 11/25 初めてこちらに上がってこのようになり、元旦に上がった時には物理的に神通を得、その後も何度か思い立って来ているが、この間は特に変わったことは得なかった。 何故なのか、と。神通と思ったのは偶然のよる思い過ごしなのか…手を合わせたまま考えて、最初に上がった時には、参拝とは自分のための願いごとをするのではなく、要は世のため、日本・世界の安寧のために稲荷神に御神威を振るって頂くのだ、と全身で意気を吹き込むと、その時、得も言われぬ幸福感に包まれた。 で、この時の感覚を思い巡らしたその瞬間、拝殿の左側から「ギー」と音、元旦の時と同じように。風らしい風もないし、そのあとずっと居ても何の音もしない。且つ、この間髪を置かずのタイミング。 狭い境内を逍遥し、拝殿を見上げて、残りの人生は世のためなのか誰かのために生きるものなんだな、と誓うように思ったら、その瞬間、今度は頭のすぐ上でウグイスが思い切り鳴く。「そうだぞ」と言うように。また離れたところで鳴く、更に遠くで鳴く。
偶然の思い過ごしなんかじゃない、御神靈は目の前におわす。 そして、形式や行儀よく参拝することよりも、清く心が光った瞬間に御神靈は応える。心の純度に応じて。 こちらの心はお見通し。本当は何よりも自分のことをお願いしたい気持ちも御神靈はお見通しだろう。 少し火照った気持ちで家路に着く。
未だ靈的覚醒のない、偶然による思い過ごしなのか、それとも、という問い。
伏卦は 63【水火旣濟】|||(← 左を上に)で、これは之卦的。 あとは磨くばかり。何をどうしたら靈能は伸びるのか、心当たりの人に当たってみたい。真剣に求めるところには出会いあり。 |
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| 神道の代表的な祝詞の「大祓詞(オオハライノコトバ)」は、仏教の「般若心経」が大宇宙の摂理を説いたのとは違って、古史古伝の本命「ホツマツタヱ」で言うならば、縄文時代中期にこの国を建設した祖先たちから続く皇統の史実と子々孫々が罪・咎の穢れを祓ふ道を10世紀初頭の頃になって中臣 氏が纏めたもの。この国を建設し、支えて来て今は神域に座すだろう一人々々の祖先たちへの鎮魂・慰靈の詞であり、奏上する際には古今東西 同じ、神々を讃える詞と言えるだろう。文字量は般若心経の約3倍の 900 字。 これも神職はマントラのように一定のリズムで繰り返し熱心に詠唱するのだが、宮司はそれにどういう効果があるものと理解して奏上しているのか疑問にあり、今後インタビューを。
大祓詞は中身の言葉がそちこち曖昧で来たが、神社の社伝の謎が解ける「ホツマツタヱ」の研究が永き状況を大きく変えた。 従って、今後、正確に意味が為すよう、御神威を維持したまま現代に相応しく、奏上体の全文を改めることが望ましい。 神社参拝がそうだが、御神靈への言葉を口にする場合、詠唱する者がその意味が分からないで、あちらに通じるのか、と。言葉というものは、意味が解って使って、他者に伝わるワケで、(表意)文字や言葉が固有に持つ言靈も同じではないのか。 御祭神も、歴史上の習合や単純同一視などで実に様々な神格を持つ「稲荷神」のようにご正体が掴めない場合、どちらからの御分靈なのかも分からないとなると、どういう神と向き合っているのか判らない。 また、新設された神社への御魂分けだと、祝詞の奏上により神の御魂なのか御神威が依り代などに移って移動、とする。御守り・御神札などの護符や神宮大麻だと、祭壇で祝詞を上げて御神威が込められた、とする。 つまり、神道は声や文字によって御神威が乗り移る、そう皆が信じることで成立する。且つ、それらを執り行った神職の力量は問われない。審神者も存在自体が稀。こちらはこの辺りにも疑問を持っている。御神威の実在は疑わないが。 靈能と言える靈能のないこちらは遠回りもし、試行錯誤して掴むしかなく、未だこの程度に留まる。 大祓詞の解釈には、初心者にはこの動画が解りやすいか、早口だが。 歴史的に何のことやらだった部分に特に焦点を当てたものだと、この動画が秀逸(前半・後半)。 以下の問いの条件としては、●私の場合、●大祓詞の内容を理解し、奏上の際もなるべく言葉の意味を自覚するものとして。
【天澤履】は礼道を教える卦。九四は臣の位で、九五の厳しき君に仕ふること虎の尾を履(フ)むが如きで、故に驚惧敬慎で執り行えば、危ふきを免れ、かようにして吉。高天原に神留る御神靈に向き合う神職の姿こそ好く重なる。我々の姿勢も準じる。 伏卦 61【風澤中孚】||||(← 左を上に。以下 同じ)は外卦も【巽 = 倒兌】で、奏上に対して応じる形。 こちらはこの占示で祝詞の奏上がどのように大事かということを教えられた気がする。 占題からして、靈性の向上を得ない筈がない。 この卦・爻では、川口 春奈ちゃんについてのちょっと不吉に思える占がある。
今度はお相手のある占。
六五はその太陽の最も勢いの好い位地で、天上の御神域に当たる。或いは、定卦主で、【離】の “明智” の主爻であり、天照大御神ほかの國津神の神々を重ねても良く(= 上九は天津神)、遍く我々の大地を照らす、御神威を得る、大祓詞を奏上することにより、と。 爻辞には全 384 爻中 四度しか登場しない(他に3【水雷屯】六四、14【火天大有】上九、19【地澤臨】九二)「(往けば)吉にして利しからざる无し」の最上級の判断辞を掲げる。 内・外が応じる形ではないが、この問いに対しての示され方として非常に面白い。励まされる。 | |||||||||||||||||||||||||||||
| #易占 #易占い #大祓詞 #六月晦大祓 #神道 #神通 #ホツマツタヱ |
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| < 記 紀 > 蘇我 馬子は史上 唯一天皇(= 崇峻天皇)を殺害して中央の権力を握り、聖徳太子の御子の山背大兄王を斑鳩宮に襲撃して一族ごと自害に追い込むなどやり放題。祖父は高麗(-コマ)、その父は韓子(-カラコ)で朝鮮の血がチラつく。 で、その子の蝦夷は中大兄皇子らに追い詰められて乙巳の変(645)で自害する時、飛鳥板蓋宮の朝廷の書庫を死なば諸ともと焼き払った。これで、「天皇記」が煙に、「国記」が行方不明になって、この国の永い政治の足取りだけではなく、文化文明の史実も分からなくなった。それらの古史古伝は漢字だけでなく、古代文字でも書かれていただろう。 この愚行がなければ、今日の邪馬台国論争はなかっただろうし、以後の倭の五王との間の3世紀後半〜5世紀初頭の大変革期が「空白の四世紀」になることもなかっただろう。 その後、日本は唐の隆盛に対抗して中央集権的な律令国家を整備することになり、専制君主の天武天皇は律令の整備や藤原京の造営を進めながら、外来の漢字と仏教を押し立てた。ここでヲシテ(ホツマ文字)は完全に消されたか…。 そして、奈良時代。元明天皇が平城京を建設し(710)、欽明天皇の時代に纏められた「帝紀」「旧辞」等を下敷きにして「古事記」・「日本書紀」が纏められた。どちらも漢文。
※ 本を読みながら事実関係を整理中。 < ホツマツタヱ >
1〜28章が神代で、大物主のクシミカタマ[櫛甕魂命、斎名:ワニヒコ]の編纂により紀元前7世紀頃に成立。29〜40章が神武天皇の即位から始まる人代で、第10代 崇神天皇の時代に活躍したオオタタネコの編纂により西暦 126 年に景行天皇に献上。記紀よりも約 600 年古い。どちらの編纂者もソサノヲ[素盞嗚命、斎名:ハナキネ]の系譜の右大臣(= 大物主)。 先ず、日本列島には漢字以前に独自の文字が存在していた、ということ。大東亜戦争で亡くなった日本兵が決まって日記を携帯していて作戦があちらにばれたように記録好きで、古来モノ作りに長けた日本民族に文字がなかったならば、おかしい。 しかも、「ホツマツタヱ」は和歌と同じ五七調で、神々の名などの音の実にゆかしく美しき。 以下、アマテル[天照大御神、斎名:ワカヒト]が説明するに、天地の創造主はアメノミヲヤ[天御祖神]で、宇宙よりも巨大な存在で、天上界のタカマノハラ[高天原]の中心に鎮座する。その意思によって全ての生物は地球に降ろされている、という思想。 生命の根源はタマ[魂]であり、全ての生命体はタマを研鑽するために降ろされ、生命を終えるとタマは天上に戻り、転生を繰り返す、と輪廻転生を認めることに驚く。 地上を球形として数字まで示していることにも驚く。地球一周の長さなど近い存在ほど数字が正確。 タカマノハラの星々の外にあるのがあの世のトコシナエで、我々の目には見えることの難しい久遠の世界、とする。 地上に最初に現れた人がアメノミナカヌシ[天之御中主神]。 朝廷の指導者、古代の天皇をアマカミ[天神]と言い、初代のクニトコタチ[国之常立神]が建国の父であり、=アメノミナカヌシのようであり、国の名をトコヨクニ[常世國]と言う。 その8人の皇子の天元八神(ヱ・ヒ・タ・メ・ト・ホ・カ・ミ)を地上の八方に降ろし、それぞれのクニ[州]を治めさせる。そのタノミコトを東北地方に降ろし、そこで日高見國を建国したハコクニの子のキノトコタチが初代のタカミムスビ[高御産巣日神]で、アマカミの後見役となり、世襲。「タカミムスビ」と言えば7代目のタカキネ[タカギ]を指すことが殆ど。トノミコトを富士山麓に派遣し、その子孫がアマカミ(天七代がアマカミ、天照大御神がヒカミ、天忍穂耳命がヒツギ、3〜5代がアマキミ、神武天皇がアマスヘラギ)。 三位一体はアメノミヲヤ[天御祖神]、アメノミナカヌシ[天之御中主神]= クニノトコタチ[國之常立神]、アマテル[天照大御神]と考えられていた。 建国の理念は「トのヲシテ」という卜の教ゑであり、クニトコタチが記した文書。「國の目的は、整えて平和にすること」「上に立つ者は世のため人のために尽くす」が根本に据えられる。これは後に三種の神器の一つの瓊(タマ)で象徴され、現在の天皇陛下の大御心「常に国民と共にある」に繋がる。 雛祭りや七五三などの風習が縄文時代からあったことも記されている。 この国の出発が如何に麗しいものであったかをここに知る。2025 年の年が明けて「ホツマツタヱ」が自分の前に現れたことに機縁を感じる。 何よりも、初源の神々を除いて神々は実在の人物であり、天上界と関わるけれども、神代の出来事は天上界ではなく日本列島の上で起こったとして、高天原は天上界から地上にも通じる、としている点が記紀と大きく異なる。 神々があくまで人として示されている点でこちらには目から鱗。験というものに向き合っている今、神も元は人間とは思うけれども、別次元の別種の存在という前提に立って御守りや御神札を頂いていて、3.11の津波の時に御神札の下に神によるとしか思えない奇跡を得た…あれは靈験の直線上にあるのだと気付いた。靈験を、自分の魂を、どう磨くべきなのか、との思いを新たに。
時代が下り、アマテルは男神。富士山の南麓ハラミの宮で生誕。妃が12人で、正室は瀬織津姫(セオリツ-)。妃たちとの間に御子が8人。政権を握っており、各地のハタレの動乱を鎮圧し、「大祓詞」はこのハタレの動乱を鎮圧する顛末が内容となっている。 アマテルの孫のニニキネ[邇邇藝命・瓊瓊杵尊]は天孫降臨などなく、伊勢のアマテルの元で育ち、筑波や富士山や各地を治め、妻はコノハナサクヤヒメ[木花咲耶姫]。 神武天皇の父神のウガヤフキアワセズ[鵜葺草葺不合、斎名:カモヒト]による王朝は日向で1代限りだったとする。この王朝を中心に書いた王朝「ウエツフミ」では74代、「竹内文献」では72代 続いたとする。 アマテル → オシホミミ → ニニキネ → ヒコホオデミ → ウガヤフキアエズ → コヒホホデミ[神武天皇]。アマテルはウガヤフキアエズの頃まで存命。 神武天皇で王朝が替わるというのは、ニニキネ(= 関東を統治)の代で兄のクシタマホノアカリ[櫛玉火明命](= 関西を統治)と分かれていた皇統が統一された点が大きい。暦の数え方が変わり、丁度アマテルが崩御した。 人代となって、卑弥呼とはヤマトモモソ。第7代 孝霊天皇の皇女で、巫女の性格あり。「日本書紀」の倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトトヒモモソヒメ-)[倭迹迹姫命]、「古事記」の夜麻登登母母曾毘賣命。邪馬台国は奈良県桜井市の纒向遺跡(マキムク-)で、ヤマトモモソの墓は纒向遺跡内の箸墓古墳。世継ぎの臺與(トヨ)は崇神天皇の皇女の豊鍬入姫命(トヨスキイリヒメ-)。「臺」は臺灣の台、「壹」は壱岐の壱で、大学受験では壹與(イヨ)と覚えた記憶。日本史だけはせっせと勉強。 時代を神代に戻して、白山神社の主祭神で縁結びの神とされている菊理媛神(ククリヒメ-)は黄泉の国を去ってお取り込み中の伊邪那岐神と伊邪那美神を仲直りさせたことだけ「日本書紀」に書かれている謎の神だが、伊邪那岐神の姉だと云う。 「ホツマツタヱ」はこうした現代語訳になる。こちらは内容に詳しい。 「ホツマツタヱ」は各地の旧家・神社から写本が発見され、現在 確認されているものでは 1775 年作成の「春日山紀」の写本が最古。滋賀県の修験者の和仁估 容聰こと井保 勇之進が多数の寺社縁起を元にして創作したのではないか、近世以降の語彙などが散見されるため、ということと、現在これより遡れないので、偽書となっているようだ。 この半世紀 研究を進めて来た「現代用語の基礎知識」元編集長の松本 善之助 氏や研究家の池田 満 氏などによれば、「ホツマツタヱ」は記紀の原典と考えられ、今後 古代史を書き換えることになるだろう、と。 1996 年、島根県雲南市の加茂岩倉遺跡から発見された39個の銅鐸は「ホツマツタヱ」に西暦37年に埋められたとする詳細な記録の通りだった。
< ホツマツタヱを調べる理由 > さて、何故こちらが「ホツマツタヱ」をここで整理したいかと言えば、ここには日本の神話に出て来る神々が実在の人物として且つ記紀よりも遥かに詳細に書かれており、神々との神通を太くしたいと、神社の御祭神たちの何がどうなのかを確認したいことが第一。易でもそこが曖昧だと、神々に関わる占で占的を定めるのに困るし、占示を信じ切れない。 そして、その昔、惟神の道(= 神さながらの生き方)はどうで、流入した古代ユダヤ教・キリスト教との関わりはどうだったのかの辺りを確認したい。
それが「ホツマツタヱ」では、ここまでに書いてしまっているが、「大物主」とはアカデミズムが「欠史八代」とする最後の第9代 開化天皇まで続いた朝廷を護る将軍と右大臣の役職だ、と記されている。初代がオオナムチ(大己貴、斎名:クシキネ)で、あとに何人も続く。オオナムチはソサノヲの御子、と。 そして、「國譲り」で、オオナムチはアマテルが派遣したタケミカヅチ[武甕槌神]の軍勢に対して平和的に降伏し、出雲はオシホミミの兄のアメノホヒ[天穂日命]に任せ、ソサノヲより受け継いだ草薙剣を皇軍に差し出したことで大物主を降ろされ、津軽に左遷された、と。 なので、「ホツマツタヱ」に「大國主神」は出て来ないし、「大國主」とはオオナムチの御子で初代 事代主のクシヒコの別名、と。 御祭神を大國主神とはせずに大己貴命としている神社も割とあるので、千年ぐらい続く神社では昔はそこは割と認識されていたのかも知れない。 従って、神社の御祭神が大國主神となっている場合、オオナムチ、クシヒコ、或いは「古事記」等に素盞嗚命の5・6世の孫として大國主が出て来てこれは「ホツマツタヱ」の後半の編纂者のクシミカタマのことなので、以上、この何れかということになるだろう。
ソサノヲの系統では世襲が見られる。 その他、「ホツマツタヱ」には大勢の人間関係が登場するが、こちらの目的は史実の追求ではないので、神社で目新しい御祭神に見付けたら、そこで勉強しよう。 ところで、こちらの実家のあった広野町では町役場が瀬織津姫を鹿島神社の武甕槌神・経津主神と夫婦と小っ恥ずかしいことを書いており、「命」を「カミ」と読んだり。担当者に言っているのに。 というわけで、こちらが通っている花園神社(北茨城市)他では大物主神を、古い温泉神社(いわき市湯本)や大國魂神社(いわき市平)では事代主神を御祭神の一柱にしており、ここで神通を得ない理由はこのためかと思うことにもなる。 逆に、神通を得ている稲荷神社では “稲荷神” にご挨拶した時に、 ●ユダヤ教のヤハウェなど西洋の創造主やキリスト、 ●「ホツマツタヱ」では豊受大神から伊邪那美神を経た御玄孫とされる女神の宇迦之御魂神(ウカノミタマ-)。伏見稲荷大社(京都市伏見区)では稲荷三神として、猿田彦神)、天宇受賣命(アメノウズメノー)と同一視される大宮売神(オオミヤノメノ-)も。 ●天之御中主神の御子神の天元八神「ヱ」の御孫神の保食神[ウケモチ](= 以後、世襲)、 ●ハタレ討伐戦で8代目ウケモチのカダマロが鎮圧したキクミチ(= 妖狐・靈狐)がウケモチを守護するようになった御饌津神(ミケツカミ)、 ●仏教との混合によるルーツの知れないインドの荼枳尼天(ダキニ-)、 ●犬神との同一視、 その他、どなたが反応されているやら判らない。どちらのお社からの御魂分けなのかも分からず、拝礼上そういう混合した存在のまま神格化で良いのか、と。 < 勿来の関 >
勿来とは「来る勿れ」で、粗暴な蝦夷の者が来る勿れの意味なんだろうと思っていたら、そもそも間違いだった。 「ホツマツタヱ」では、ここは関東地方に当たる秀真(ホツマ)と東北地方に当たる日高見の堺。アマカミがアマテルから体の弱いオシホミミ[天忍穂耳命]に政権が移り、紀元前 1225 頃に琵琶湖の東岸の多賀からに日高見の都のケタツボ(= クニトコタチの建国の出発点、タカミムスビの本拠地、遷都で多賀の国府 タガノコフ に改称)に再び遷都を決め、岩戸隠れで活躍し春日大社(奈良県奈良市)に祀られるアメノコヤネ[天児屋命]が三種の神器を持って勅使としてやって来るのをあとに香取神宮(千葉県香取市)の主祭神となる伯父のフツヌシ[経津主神]が勿来の海沿いの丘で待っていて、初対面して盃を交わす場所と描かれている。この浜の名を聞かれたフツヌシが言った「名こそもがな(= 名があるのだろうか)」が勿来の由来、と。二人は今の宮城県の多賀城へ。帰路も勿来まで共にした。 勿来の関の一連の石碑や施設の説明には多分そんなことは書かれていない。確認して来よう。 こちら、先日、この浜に鳥居があると気が付いて撮影に行ってみようと思い立ったのは先に「ホツマツタヱ」があったからか。「そこにお前さんの疑問の解決の道があるよ」と。勿来の関にはその内 寄ってみようぐらいで、勿来には関心を持ったことがなかった。 現在の茨城県に当たる常陸國が古代には政務の中心だったことがあり、不思議が点在する、と認知する以前から、兎に角「茨城県」「神社」に関心が向いていて、友人には熱弁。 次から次にどこぞより導かれている実感あり。
編纂者はこの歴史の殆どを自分で経験をしているわけではないし、インターネットもカメラもない古代のことで、当たり前と言えば当たり前。 それと、「困」の字は木が囗の囲いで囲まれた形で、外に伸び出られない。記紀が天上界とする高天原のことに「ホツマツタヱ」が触れていないことに重なるよう。 爻辞を見れば、「ホツマツタヱ」内容の正誤が明確になるのは実にゆっくり。それに従って、ゆかしいとも言えた古代史の神話性が消えるだろうね。
それに関連して言うと、江戸時代中期の国学者の新井 白石は、高天原は常陸國にあった、と唱えている。茨城県南端の鹿嶋市に鎮座する鹿島神宮は古代には伊勢の神宮と並ぶ社格であり、現在その東2 km には「高天原」の地名もある。 アマテルは、ハタレの動乱や出雲の平定のあと、この地を政都とするために武甕槌神と経津主神を使わして平定。これに頑として抵抗したのが、土地神なのかどこぞの天からやって来たのか、先月 上がらせて頂いた大甕神社(オオミカ-、茨城県日立市)に祀られる甕星香香背男(ミカボシカガセオ)。 高天原は今は宮崎県高千穂地方が有力らしいが、その理由は先ず、記紀に東国の記述が極めて少ないことに被る。「古事記」は天地開闢以来の歴史を綴りながら、「欠史八代」と言われるほど第9代 開化天皇以前の記述が薄い。古代文明が広がっていた筈の富士山も当時の一大都市だった津軽の三内丸山遺跡(青森市)も出て来ない。中部以西のみ。それは何より蘇我 蝦夷のせい。それらによる不都合を補うかのように天上界が出て来る。 次に、「記紀」が高天原と地下の「黄泉の国」の中間にあると記す地上世界の「葦原中國(アシハラノナカツクニ)」、即ち、政都が全土 → 出雲・常陸 → 日向 → 熊野と変遷しているが、記紀の都合からすれば高天原は更に変遷しやすそうだ。 兎に角、記紀の史実の欠落を言えば「ホツマツタヱ」どころではない。記紀とアカデミズムの洗脳を卒業する時が来たぞ、と。 以上、大体こんなところかな、取り敢えず。 次に、神社興しの活動の方を。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 元日の午後、神社の情報を纏めたリストを見ながら、尼子稲荷神社(いわき市平長橋町)に先ず上がろう、と。昨年 11/25、初めて神通を得た神社。12/ 4 茨城県の神社詣ででも茶釜稲荷神社(大洗町)で奇妙な現象あり。 < 二度目の尼子稲荷神社で > 正月飾りがしてあり、境内の内にも外にも誰もおらず。人払いの状態。 拝殿の前で古式で造化三神の一柱々々に三礼、三拍手して神域の結界を開き、ご挨拶し、御祭神の稲荷神の御神威が大きく振い給ふよう意を込めると、拝殿の向かって右側面の方から拝殿が軋んで「ギー」と。ピンと来て、更に祈りに意を込めると、一際 大きく「ギー」と鳴り、場違いの響き。 個人的な祈願を交えた参拝を終え、一礼すると音は治まったが、すぐ背後の明神鳥居を出て一礼すると、今度は鳥居がやはり右側から「ギー」と。茶釜稲荷神社でも向かって右の空間で不思議な現象。常に向かって右(東)…参道がある。茶釜稲荷神社も東から参道が続く。そして、前回も鳥居まで下がった時に得も言われぬ御神氣と幸福感に一帯が包まれた。 続いて、強い西風が一時 吹いたが「ギー」の音はしない。暫く社殿を撮影していても、周囲の草木がカサカサ揺れる音だけ。よく言う、急な風や晴れ間が神通の印かについては何とも。 賽銭箱が置かれておらず、どこに収めようかと扉が太い角材の貫でボルト止めされている拝殿に触れようとしたら、今度は内部の近くで「カラン」?「コツン」?と音。ネズミ? 何か宜しくない空気感は全くなくて、写真(↓)の佇まいだが、拝殿に鈴が下げてあったら、「ギー」ではなく、鈴が鳴っただろうか…。
ご挨拶をした神社は 210 社ほどあり、方々 何度も上がらせて頂いているが、書いた通り “反応” を得たのは稲荷神社ばかり。しかも、拝礼の作法・中身を変えてからこれが続いている。 “儀式” をないがしろに出来ない、ということ。 今回で確信できた。暫くしてまた上がって、 “反応” を確認してみたい。
ただ、拝殿の横木の木鼻の獅子の彫刻(→)や、背後の本殿の切妻の懸魚(ゲギョ)などはしっかりした細工。当初から無人らしいが、それなりのお社として建てられている。お社の幅は立地スペースいっぱいで、本殿の後ろに回り込むことが出来ない、草木が生い茂ってよく観察できない。 建設されて半世紀は経っているか。創建などの情報はネットでも見当たらない。 < ごった返す大國魂神社で > 延喜式内社七社の筆頭、大國魂神社は大変な人の出。朝の動画では長い石段の下から行列…午後には社務所の辺りほか大きな人溜まり。石段下の向かって右手にはキッチン カーが数台。駐車場に入ろうと車の列が 100m。何とか東北第2の人口の いわきし市、その有名なお社で、浜通り地方の総鎮守。 落ち着いたことをする気になれない。拝殿でご挨拶し、人のいない本殿の横に回ってしばし祝詞を拝聴。
ここで、そこに誰ぞおわすと意識すると、気持ちがスルッと入ることに気が付いた。好きな女性を意識してしまうのと同じく「稲荷神」を意識している。 成る程、粒子物理学の二重スリット実験の「観測による波動関数の収縮」から察する通り、人が神を「意識する」ことでそこに神か神使が宿る。人間のDNA内には光の素粒子バイオ フォトンが存在していることが分かり、人の意識にも波動としての性質があることが化学実験で証明されている。先ずそれが飛ぶのかな。そのエネルギーは不明で、光子は質量ゼロ。 他方、御神靈の方はブラック ホールなど強重力の影響も受けない質量ゼロのグラビトン[重力子](未発見)のような素粒子として存在しているのか、平時は波動として(時・空間も超えて?)遍在し、人意を受けると直線で瞬間移動し、大体 決まった位置に粒状化する(1/13 記:大乗仏教の龍樹[ナーガールジュナ]の「空の理論」の「空」は「一切皆空で、固定した実態がない」と云い、これは素粒子のあり方に通じないだろうか)。 人が意識した瞬間に双方の間で移動があり、シンクロする。同じ周波数を持つ波動同士が共振現象を起こすことも分かっている。母とはこれがあった。立腹して1年以上も疎遠にしていて、電話が来るなと思ったら来るし、意識がビタっとあった。だから、母が亡くなっても共振があるだろう、と。それにはありありと生前の母を想起すること。 物事の順序はあるけれど、過去・現在・未来が同時にある5次元(= 空間3次元 + 未来・過去方向の超光速時間2次元)がイメージできない。光速の先にある。 長くなったが、神通にはそこに御祭神の存在を意識する、が第一のポイント。 そして、御祭神がどんな存在かを弁える。先の尼子稲荷神社に初めて上がって神通を得た時、こちらはここの御祭神は稲荷神というぐらいで、総本宮の伏見稲荷大社(京都市伏見区)が掲げる女神の宇迦之御魂神(ウカノミタマ-)の御神名も知らないなど、御祭神に無頓着だった。お稲荷さまはご縁がないものとずっと思って、形だけご挨拶していたわけで。神通による験を易の御神明と同じような摂理と捉えて好いものかはこれからの確認テーマだが、専門の易でも “易神さま” 即ち易を司る神妙な摂理とはどのようなものか、こちらは画を描くことが出来ない。併し、明直な御神明を得ている。 日本の神々はユダヤ教の唯一神の創造主ヤハウェ、キリスト教のゴッド、キリスト…とのよく見えない習合がある。4世紀後半の応神天皇の治世に大挙してやって来たユダヤ系と思われる弓月君、その子孫の秦 氏がこれに深く関わっている。受胎告知、馬小屋で生誕、超人伝説…後年「日本書紀」でキリストの姿に重ねて聖徳太子を描かせたり。第10代 崇神天皇はダビデ王、第11代 の垂仁天皇はソロモン王の姿と瓜二つという指摘もある。秦 氏は藤原 氏の権勢下、外来の新興勢力の仏教よりも神道の中にその足跡を残すようになり、伏見稲荷大社を創建したのも秦 氏。調べると、三百年以上も表舞台にあった。 そこで、例えば、稲荷神社の御神体という何らかの依り代を前に、通称の「稲荷神」という存在、象徴に一心に祈れば、キリストなり神々の一端なりに通じる、ということなのか。稲荷神の系譜。 神通には向き合う神はどういう存在かを意識する、が第二のポイント。
< 白山神社で裏山に登る >
少し離れた場所にある社務所に伺ってみようと。併し、道路に看板があるのに、見付けられない…。 鳥居のずっと手前には高いポールに日の丸が旗めいていた。 鳥居は、歴史的に新しい明神鳥居が神明鳥居がよりも内側に置かれるのは珍しいかも知れない。詳しくないが、どうだろう。建設も明神の方が新しい。 この神社でも人に出会ったことがない。拝殿で新年のご挨拶をして、御祭神の御神威が逞しくなるよう願う。ただ、今までも特に何か感じたり引き合うような感覚はない。本宮である加賀國一ノ宮の白山比v神社(シラヤマヒメ-)の主祭神の白山比v神[菊理媛神(ククリヒメ-)]の存在に何も詳しくない。 市内の鹿島町にある白山神社とも無縁かも。墓地を抜けた一段高い奥まった場所にあり、陽気を感じない。夜間に行くならば肝試し。 境内の南端に読めない石碑を見付け、その脇に獣道とも言えない草の分け目があって、背後の山上の方へ人が登った形跡あり。 何かあるかもと登ってみると、積もった枯れ草と山砂にツルツル滑る。45度以上を転がり落ちて、木々に突き刺されたくない。木の枝を掴んでも滑ると、痛めている左腕に激痛。
更に上に登れるようでもあり、恐々づづら折りに登ってみると、今度は「三峰神社」とある割と新しい祠あり。神通にお社の大きさは関係ないが、神社があることさえ知られていないでは人の息吹が吹き込まれない。 適当に登ってすぐ、山頂。何もない。 下りるのが大変で、滑る、道が分からない…最後は灌木を掻き分けて一番下の地面まで下りてしまった。 ヤバいと思った時の反射神経がなくなった、バランス感覚が鈍くなった。山登りはやめ。 帰途、家からそう遠くない村社の八剱神社(ヤツルギ-)に初めてお寄りして、境内社にもご挨拶。 特に感じるものはない。社務所は店じまいするところ。八剱神社の御祭神は日本武尊とのこと。
卦は、内卦【巽】で、こちら低身して上へ上へと伸びようとする。外卦【坤】は “神” で、節度を弁えた柔順さあり、それを受け止める。という形。 そうして、九二は同じ中(チュウ)の六五と陰陽 相応じて「孚」あり。ここに神通あり。願ったり。 爻辞は、「禴」で体裁ばかりに拘ることなく、「孚」があれば、そんなに頑張って祈らなくても大丈夫、という辺りか。 また、卦は「南征して吉」。南の方に信じられる人を見付けなさい、と。これは或る祈願に対してのお答え。 併し、ただ神に祈るだけでは先は開けない。行動がセット。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| #易占 #易占い #稲荷神社 #尼子稲荷神社 #白山神社 #元日 |
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| 先月、木曽の御嶽山信仰の御嶽山神社(オンタケサン-、いわき市平)「御嶽教磐城心明教會」に伺った時に、ご高齢の宮司に今度 護摩焚きをやりますのでとお誘いを頂いた。 修験道など神仏習合の習いは今日も続いていると言っても、神社で密教の仏事の護摩焚き…いわき市を含む浜通りをネットで調べても御護摩をやられているのは他に東北有数の靈山の閼伽嶽薬師常福寺(いわき市赤井)ぐらいしか見当たらない(今年の元旦に参拝)。このお社の活動については殆ど情報がなく、御嶽教は文化庁の分類では神社神道でなく教派神道になっていることもあるので、 “異文化” に接する好い機会と 12/21 見学に上がらせて頂いた。
11時、若い禰宜の太鼓の打ち鳴らしで祈祷祭が始まった。以下、こちらには意外、驚きの連続。 閼伽嶽のようにてっきり修験者が来られて執り行うものと思っていたら、先程の宮司が大祭用の立派な装束姿で現れ、護摩壇の前に座られた。 御嶽教の独特の文言が続く祝詞奏上では、耳を澄ましていると、先日 上がった大甕神社(オオミカ-、茨城県日立市)が御祭神とする建葉槌命(タケハヅチ-)に続いて天津甕星(アマツミカボシ)が出て来た。祝詞の通りだと、古伝で星の神というのは天津甕星に限らないよう。 続いて、宮司が衣装替えをされ、縄の襷掛けをし、護摩焚きに入る。 祝詞を唱えながらインド・ネパール由来のような仏具を使って中の水を弾き、鈴を鳴らし、途中から「オン・アビラ・ウンケン・ソワカ」のようなサンスクリットの読経になって、ほぼお寺の法事に参加しているよう。ここの御祭神は御嶽大神とする国之常立神・大己貴命(オオナムチ-)[大国主神]・少彦名命(スクナヒコナ-)の筈で、ここをどう解決すれば好いのやら…。 宮司はいよいよ気合いが入り、祭壇中央の御幣の前に立ち膝し、力強く九字を切る。九字は元を辿ればキリストの十字架だろう。 そして、参殿した参拝者ほかが願掛けを書いた百本ほどの細い護摩木(100 円)を護摩壇で燃やし始め、宮司が不思議な呪文で気合いを入れる度に護摩壇の炎が急に大きくなる現象あり。 しかも、護摩壇のすぐ上には千羽鶴のように紙垂の大きな房がぶら下げられていて、炎の先端(= 最も温度が高い)が丁度 達しているので燃え上がる筈で、危険だなと見ていたが、不思議に焦げもしない。耐火スプレーでも掛けていたとしか思えない。 宮司は炎の上に次々 新年の御神札を束ごと翳し、次に、高齢者が多半数の20人ほどの参拝者が護摩壇を時計周りに一周し、煙を手で集めて頭に被る。この御護摩は祈祷だが、浄霊だと炎や煙には排除される邪靈や魔物も入る筈なので、近付くのは危険。特別に宮司に何か依頼されたのか、初老の女性が30秒も護摩壇の前に留まったり。 そうして、祈祷祭は終わり、宮司の簡単なお話があるが、来年は二黒土星だから何々と今度は九星気学の話をされた。
神仏習合…教祖・教典・教義がない神道の進化には概念の定義や言語化がキチンとある仏教の存在が大いに役立ったと思うが、御護摩と神道との(歴史的)関係についてはまだ不勉強。 また、こちらは、護摩焚きの間、感覚の変化は特になかった。いつものように「これは何なんだ」と集中したので、眉間の第6チャクラが疼いたぐらい。 日をあらためて、宮司に色々とお話を窺いに上がりたい。他のメディアとも組んで、ここぞと思う宮司の動画を撮らせて頂きたい、と。
古来、神社のお社で会うから「社会」、会うお社だから「会社」だったのが、GHQ[連合国軍最高司令官総司令部]による徹底した国家神道廃止政策で、全国津々浦々、地域の集会の場は公民館に移り、日常、神社から人々が去った。 いわき市ではJR常磐線いわき駅のすぐ北側の磐城平城脇の祠でさえ廃社で、草で覆われたまま石段も見えない。立鉾鹿島神社では神主が不在になって、お世話をする兼務社が15社も。 自転車旅行でスペイン北部の Castrojeriz やミャンマー中部の Pindaya の集落が視界に入った時「ここは地球か」と錯覚を覚えたように、西へ、山深い道を曲がると遠く森の中に真っ赤な楼門が現れる理想郷のような花園神社(北茨城市)。集落もない山中で、木造の建築物はそちこち傷んで、鈴緒の先は切れ落ちて、ここは維持だけでも大変だぞと。全国の神職の9割ほどは兼業。もっともっと人々が集まるようにするには…色々アイディアを探していて、お菓子の袋一つ持って氏子さんたちだけでなく気楽に集まる「茶話会」からかな、こちらが起爆剤をやってあれこれ持ち掛けて…と、まずは情報交換、年が開けてから神永 知明さん(宮司)と諸々じっくりお話をすることに。 知恵を蓄えて、御嶽山神社にも。 神々から幸せを頂くよりも、神々を幸せにするぐらいの気持ちですよ。 神社ソムリエ[佐々木 優太]君が宮崎県を訪ねる旅で高千穂神社(宮崎県高千穂町)に宮司の後藤 俊彦さん(79、神社本庁「長老」)を再び訪ねた。YouTube を拝見していて、モヤモヤ考えていることが気持ちの点で整った気がする。 神社は、宮司だと全国で2万人ほどしかおらず、幾つも兼務社を抱え、大きいお社を除けば神職の殆どが兼業で、財政難、至る所 廃神社(同然)。地域の氏子さんたちの意見もそれぞれ。 こちらは、ご縁のあった神社から、神社と御祭神を元気にしたい。戦前のように町村の神社にも人々を取り戻して、神社を我々が日本人であることを確認できる場所に出来たら、と。 それには何をどうするか一つ一つ掘り下げて…。
御師(オシ)とは神社と参詣者とを様々に繋ぐ存在。明治新政府は神仏分離を行ったが、神職としての御師を廃止してしまい、御師は出羽三山の宿坊のように宿屋経営や他業に転じ、神社を財政面ならず支えて来た役割が喪失した。 尚、宗教団体への公金支出にはGHQによる日本弱体化政策である日本国憲法第20条「政教分離原則」、第89条の「公金の支出又は利用の制限」の見直しが必要になると言われることがあるが、行政による献金や助成は合憲。 即ち、国・都道府県の助成金・補助金調べ、地域行政に対する支援名目の作り方、市町村長対策、12月までの所管部署による予算化、議会議長らへの根回し…。 他方、民営の方は我々の職能次第。
至って明確な御神明。きつい困難があってもやれるだろう。もっと衆知を集める、と。 |
| #神道 #神社で護摩焚き #御嶽山神社 #御嶽教磐城心明教會 #いわき市 |
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| 12/ 4、神社廻り、結局 遠出に。 朝5時過ぎに家を出て、再び勿来海岸(いわき市)へ。前回ミラーレスのセンサーに汚れが付着していて写り込み、撮り直しをと思ったが、天気予報の曇りが後ろにズレて、土手雲…。 < 勿来海岸の鳥居・二つ岩(いわき市勿来) >
再び御岩神社(茨城県日立市)のご神体の御岩山に登って、前回 1/ 8 には存在を知らなかった山頂南西にひっそりとある露天の御嶽神社(オンタケー)の古い祠(= 修験道の修行場)にご挨拶して何事かあるか確認するかと思ったが、本日はそれで帰宅になりそうなので、未踏の神社を廻れるだけ廻るかと、車を南へ走らせる。 尚、空気の澄んだ山谷をスタスタ歩くことは一つの瞑想で、思考を止めて歩くとアイディアが降りて来るし、幸福感もあるので、他人を全く気にせずに歩ける山谷を探したい、近場に。 < 泉神社(茨城県日立市) >
この神社の由来云々はその時に書いた。 最悪。まだ閉まっている授与所に「撮影禁止」の貼り紙があって、よく確認しようと規制線のロープを跨いだら、足を引っ掛けて転倒。EOS R5 に取り付けていた重い RF85mm F1.2 L USM を地面にぶつけて高価なPLフィルターと接続リングなどを破損。EOS R5 はケージを取り付けていて今回もほぼ助かった。 境内社にも全て丁寧にご挨拶したけれど、ほぼ無人の境内にあれするなこれするなの規制をうるさく感じてしまったり、「泉流木」なんてものを新たに拵えて10年後には「撫でると開運」…とか思ったり、穢れが出来るとこうなるか。もうここに上がることはないかな(笑)。
< 大甕神社(オオミカ-、茨城県日立市) > 2 km も来て大甕神社(オオミカ-)。やっと来られた。国道6号線沿いに鎮座していて、昔、新宿区から実家の広野町まで二度 自転車で走った時には傍を通った筈で、何となく辺りの記憶あり。 社伝では皇紀元年(紀元前 660 年)の創祀。併し、この神社は延喜式神名帳(927)に記載されていない。拝殿の扁額には「式外 大甕神社」とわざわざ書いており、これは当時 存在はしていましたよ、と。
拝殿の社号標や大鳥居の扁額などには「大甕倭文神宮(オオミカシズ-)」とあり、「大甕」は地名、「倭文」は建葉槌命(タケハヅチ-)のことで、この神社では「武葉槌命(タケハツチ-)と書き・読む。「甕」は卜占に通じる。「神宮」を名乗っていたのはいつの頃やら。 葦原中國(アシハラノナカツクニ、= 政都の理想の地)とするホツマ(= 関東地方)の平定において太陽を象る(?)天照大御神が武甕槌神(タケミカヅチ-、= 常陸國一之宮の鹿島神宮の主祭神)と経津主神(フツヌシ-、= 下総國一之宮の香取神宮の主祭神)を遣わし、国津神や草木石までをも平定したが、星神の天津甕星(アマツミカボシ)[天香香背男(アメノカガセオ)]だけはこれに服従しなかった。続いて武甕槌神から遣わされた女神(?)の倭文神・武葉槌命が天津甕星を懐柔してその靈力を「宿魂石」に封じた。 ということで、武葉槌命は天照大御神を天岩戸から誘い出すために文布を織ったという嫋やかなイメージの織物の神、機織の神であるのに、ネットでは最強の神の扱い。 因みに、常陸國二之宮の靜神社(茨城県那珂市)の主祭神も武葉槌命。 この二柱を共にお祀りしている神社は全国でも大甕神社だけとのことで、主神:武葉槌命、地主神:天津甕星。 映画「君の名は。」のスピンオフ小説「君の名は。Another Side:Earthbound」で主人公の女の子の両親が出会う宮水神社のモデルがこの神社ということで、ちょっと romantic なイメージが出来ているのか、平日の10時でもカップルや女性の姿が絶えない。こちらもこの神社は半分 物見遊山。
拝殿でご挨拶。天津甕星の靈力を封じ込めたとする大きな磐座「宿魂石」や御神輿殿を左手に見、境内社にご挨拶をしながら、新しい燈籠が並んで穏やかにカーブする上品な参道を逆に、大鳥居などのある北側へ。 参道の途中、珍しい鶏の東天紅鶏の小屋があり、何匹か外に放し飼いに。古事記の「天岩戸」の場面に登場する長鳴鶏の一種。長鳴鶏は天照大御神を天岩戸から誘い出すために設けた鳥で、鳥居の由来。 易には 61【風澤中孚】||||(← 左を上に)上九の爻辞「翰音(カンノン = 鶏の鳴き声)天に登る」として長鳴鶏の存在が出て来る(外に動物は、隼、禽、鴻、雉、龍、虎、豹、馬、牛、羊、鹿、狐、鼫鼠(セキソ)、亀、魚、鮒(フナ)、豚魚。現代の身近な犬・猫は出て来ない)。古代ユダヤ教の何かにが神道の骨格を成しているのと同様に、古事記に書かれる歴代天皇の行状等と卦の順番がキチンと対応関係にある、という研究家の鋭い指摘がある。
この磐座は一枚岩で、御岩山の上半分と同じ5億年前のカンブリア紀の地層とのこと。 甕星香香背男社は崇敬者の要望で20年ほど前に新たに建てたとのこと。本殿と同様の大きさ。扁額の甕星香香背男社の「星」の字だけを篆書体にし、社紋の五芒星のラインをあしらっている。 宿魂石に封じ込まれたのは靈「力」だけなのか、ここに天津甕星の靈が宿れるのか、という疑問あり。 そして、日本の七夕はこの男女の天津神の物語に仏教の節句や道教の天の川伝説が混合したもののよう。7/ 7 には天津甕星を主役にした祭典「甕星祭」が行われ、本殿からこの社まで奉納された行灯・電飾の明かりで照らされ、天の川のような雰囲気に。この日は甕星神楽の奉納もある。今年は是非、駐車場を確保して。 この正面の下の空間はそうしたイベントに使われるよう。 奇観の「境界石」は悪縁を切って開運招福を祈念するというもの。「波留部由良由良止波留部 布留部由良由良止布留部(ハルベユラユラトハルベ フルベユラユラトハフルベ)」の呪文を唱えながら石の穴を潜り、願い事を書いた祈願札[縁切札](初穂料:500 円)を境界石に貼り付ける。 この呪文は大学受験で暗記した「七支刀」の石上神宮(奈良県天理市)で鎮魂行法を行う際に奏上される「十種神宝祝詞」、その中に書かれる「布瑠の言」「ひふみ祓詞」で、死者蘇生の言霊だそう。 元は、安井金比羅宮(京都市東区)の有名な「縁切り縁結び碑」か。ここは極めて効果が強いとか。 この西側に靜三體龍神社の祠が遷座されていたが、情報がなくて見逃した。 宿魂石の頂きに木造の祠の本殿、主神の武葉槌命をお祀りする。武葉槌命が甕星香香背男を尻に敷いている形。南の大甕山上の古宮の地にあったものを、水戸藩第二代藩主の徳川 光圀[義公]の命により 1695 年こちらへ遷座している。こちらでもご挨拶。 本殿の向かって左手前には、しめ縄が巻かれた、転げ落ちそうで落ちない「神籠石(シンロウセキ)」。これも重しのような。 本殿の正面から拝殿の向かって左横に延びるのがもう一つのルートで、大きな石を鎖を掴んで登る鎖場もある。本日はおバカにもうっかり素足にスリッパを履いたまま来てしまったが、何とか。 新しい社務所は瓦葺きで鉄筋二階建ての荘厳な儀式殿の一階にあって、建物の大きさ・立派さに眼をやる。ご祈祷・お祓いなどはこちらの二階で行うようだ。昭和30年代、先代の宮司が反対したものの、境内の真ん中に国道を通すことになり、その保証金や土地の売却代金が原資なのやら。 社務所では朝日 正敬さん(禰宜)にご挨拶。花園神社(北茨城市)の神永 知明さん(宮司)と同じく、以前は鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)に奉職されて、お知り合い同士(こちら・こちら)。 その隣に昨年 竣工した白木造の「神門」。屋根が一際 大きく、下から見ると、鳥が大きく羽を広げたようなデザインにした、と。二階の空間には何があるやら。扁額には「敬神」と書かれる。 北側の端に、明神型・石造りの大鳥居。扁額には「大甕倭文神宮」。 鳥居と楼門と拝殿と、それぞれの扁額には何を書くかは区々のようだ。
国道6号線の横断歩道を西に渡ったところに国道に面して久慈浜稲荷神社。何故か神明鳥居。 南へ緩やかな上りの参道を歩いたところに「祖靈社」。御神体の場所が石の囲いの中なのか背後の土盛りなのか分からなかったが、祖靈殿も整備されていた。代々の氏子さんたちを祖靈としてお祭りしており、成る程、そういうコミュニティー維持の方法があったか。 更に、南にはこの神社の古宮跡を記した石碑があるよう。 < 酒列磯前神社(サカツライソサキ-、茨城県ひたちなか市) > 日立市周りの気になっている神社を廻るかと、更に南へ、カーナビ頼りに原子力関係の施設が集まる東海村を抜け、一昨年・昨年と来ていた国営ひたち海浜公園(ひたちなか市)と太平洋の間の浜街道を走って、高台へ上り進み、この神社へ。思った通り好く整備されて気持ちの好い場所で、平日、参拝者が絶えない。土地の気持ち好さは曇天・雨天でも陽気があるかどうか。
主祭神:少彦名命(スクナヒコナ-)、配祀神:大名持命[大己貴命(オオナムチ-)・大国主神]。記紀に揃って登場する神々で、少彦名命は高御産巣日神(タカミムスビ-)か神産巣日神(カミムスビ-)の御子神という高位の天津神だが、常に国津神の総大将の大己貴命の補佐役の扱いになっている。 社殿周りは個人的興味としては特に印象ないが、向かって左手奥に酒列鎮霊社というお社があり、日露戦争からの戦没者をお祭りするためのものだった。 巫女さんが対応する社務所では、月替わりの書き置きの御朱印は印刷したハガキ大の紙、日付も入れないペラが 500 円…。
< 大洗磯前神社(茨城県大洗町) > ここは見どころが多い。 鳥居…社殿の前に3基 並び、「日本文徳天皇実録」に海の岩場にここの御祭神になる大己貴命・少彦名命が降臨したと書いてある「神磯の鳥居」、石段の下に写真(↓)の高さ10mの「二ノ鳥居」、石段の上にまた鳥居。石段の上は神明型で、他は明神型。この南側にある道路を跨いだ「一ノ鳥居」も明神型で、高さ16.5m。 一昨年、実家のあった広野町の北隣の楢葉町の海沿いの北野天満宮では道路を跨いで高さ17.2mの木造・朱色の明神鳥居を作った。また地震で倒れたら、交通の妨げになるばかり。調べたら、2000 年に竣工した熊野本宮大社(和歌山県)の旧社地の大鳥居が33.9mで高さ日本一。 多くの神社では後に造られるようになった明神鳥居が一番外の一ノ鳥居になっている場合が多い。明神鳥居は永井 豪の漫画「グレンダイザー」のマスクに被る。こちらは天照大御神系に多い simple な神明鳥居が好きで、古くて小ぶりのもの。 神磯の鳥居は夏場に車中泊して日の出を撮るか。
ところで、2基の大鳥居の扁額には社名の脇に「二品親王熾仁書」と添えられている。有栖川宮 熾仁 親王…戊辰戦争では東征大総督・会津征討大総督、西南戦争では鹿児島県逆徒征討総督に担がれて、新政府軍の旗頭の印象が強い。三条 実美と共に徳川潰しの公家で、旧徳川御三家の水戸藩のお膝元でこれか…と思ったら、熾仁 親王は明治になって第九代藩主の徳川 斉昭[烈公]の娘で慶喜の妹君むを最初の妃として迎えていた。孝明天皇の皇妹の和宮親子内親王が大老 井伊 直弼らの公武合体策で第14代将軍の徳川 家茂に嫁ぐ前、婚約していたのが熾仁 親王。 「また、品(ホン)」は江戸時代まで続いた親王・内親王の位階。諸氏の位階のように正・従に分けない。熾仁 親王は初代陸軍参謀総長として日清戦争中に薨去し、鳥居は昭和の戦後に建てられているが、敬意を表して品位を添えたか。 社殿までの石段は90段。一旦 下りてみて、スタスタ上ったが、一ノ鳥居を潜った南側から車で上がれる。
併し、ここの一番の見どころは本殿の屋根。定期的な葺き替えが必要なので殆どが銅板葺きか瓦葺きに変わる中、古来の茅葺きで、且つ、曲線に作り上げる流造(ナガレヅクリ)になっている。しかも、下部の構造物に対して屋根が非常に大きくて不安定に映る独特の形状。上からの写真では本殿は拝殿とは別棟になっていた。 いわき市でも、以前、出羽神社の本殿がこの形の屋根だった。茨城県では國王神社(坂東市)の社殿が拝殿から本殿までこの造りで棟続きになっているよう。 境内では茅葺きの神棚も頒布されていた。
ここは境内社が多い。二ノ鳥居の向かって右手後には小幡城主をお祭りした清良神社。大洗磯前神社の社殿の左後に大杉神社・水神社・八幡宮、右後に大神宮・靜神社・水天宮の祠が並んで。御嶽神社・烏帽子厳社は見逃した。 軍艦那珂忠魂碑
軽巡洋艦 那珂の艦内神社は大洗磯前神社か。基準排水量5千t級の軽巡洋艦は装甲が薄くて全長は 150 mあり、海戦では最も撃沈されやすい。 福島県の地名が付いた艦船だと、軽巡洋艦 阿武隈。阿武隈山地ではなく、阿武隈川から名付けられた。調べたら、那珂の一世代前。艦内神社は白河市にある鹿嶋神社。共に 1944 年に南洋で撃沈された。因みに、戦艦大和の艦内神社は大和神社(オオヤマト-、奈良県天理市)。 併し、いずれも武運虚しく、大勢の命ごと海に没し、死して後世に日本人の “魂” を残した。戦後リベラルが特攻を全否定し、「戦争を美化するな」と吠える。勿論、方針・戦略のミスは多々あって、ために陸軍だとガダルカナル、インパール、沖縄…で多くの無駄な犠牲を生んだし、それは当然 厳しく批判されるべきだが、祖国を命を賭して守ろうとした精神をなぜ貶める? そもそも軍人は敢闘精神を叩き込まれ、抗命は軍法ではなく恥のレベルで許されず、バカな「国体護持」= 自分には見事に甘いAB型の昭和天皇の地位保全、そのための時間稼ぎが国家の至上命令で、しかも、強敵相手の仕事。敢闘の責任は大将であっても軍人に帰せられるものではない。そもそも、この戦争を仕掛けたのは、スーパー リベラルのコミンテルンではないか。政治勢力であることを楽しむリベラルは今 日本政府に「核兵器禁止条約に」署名しろと言うが、独裁政権で核を持つ中・露・朝に敵意を向けられ、この3ヵ国とも国際情勢悪化の原因を成しているのに、彼らは現実的な解決のスベを示さず、あるべき理想だけをさえずる。それこれ無駄死に万歳だ。この連中には今時の愚かな政府の批判勢力として以外に価値はない。 「那珂」と言えば、こちらは明治時代に東洋史学を立ち上げた那珂 通世 氏を思い出す。中国史の研究者で、代表作「支那通史」。続いて、邪馬台国論争で機内説を説いた内藤 湖南(京大)vs. 北九州説を主張した白鳥 庫吉(東大)…3世紀末の「魏志倭人伝」は日本語の音だけをとって卑しい漢字を当て嵌めていて、邪馬台国 = 大和国。「旧唐書」に倭国には阿蘇山ありと書いているので、そこから東へ「神武東征」。 二宮金次郎(座)像
この最近 作られた像(→)も座って読書…。それこそ根拠のない二宮金次郎像を増やすもの。そもそも、今の子供たちは農政家・思想家「二宮 金次郎」の名前も知らないだろう。日本破壊に突き進む左翼教育による道徳排除。 二宮 尊徳にこんな言あり「経済なき道徳は戯言であり、道徳なき経済は犯罪である」。 因みに、二宮 尊徳の一番弟子は福島県の相馬中村藩でのちに上席家老になった人で、尊徳の娘婿。 < 茶釜稲荷神社(茨城県大洗町) >
順番だと車を置いて最初に上がったのがこちらで、「與利幾神社」の案内板を見て、扉が明け放たれて向こうの空間が見える無人の社殿にご挨拶。 その北隣に同じような社殿があり、本日5社目のお稲荷さま、茶釜稲荷神社、ここで怪現象。ひっそりと一ノ鳥居の外にも誰もおらず、境内は石囲いされていて、三礼三拍手一礼でご挨拶をし、右手前の「大甕磯神社・茶釜稲荷神社・櫛形山神社」と書かれた石碑を撮影して、確かカメラのスイッチを切ってカメラを持ち替えようとした瞬間、シャッター音。 シャッターはずっと初期設定の「電子先幕」にしており、スイッチが入った状態で何かの拍子にシャッター ボタンを押してしまうことはあっても、スイッチを切ってシャッターが切れたようなことは初めて。新品で買ったこのカメラでは6千枚近く撮っている。 で、撮れていたのが下の写真(↓)。設定していたシャッター スピード的に流し撮りになるのは分かるけれど、3社の社名が彫られた石碑を写す前に、何か気になって覗いた社殿向かって右側の空間を中心に回っている。レンズを意図的に向けてはいない。 この現象にどういう意味があるかを易に質すと、45【澤地萃】||(← 左を上に。以下 同じ)九五。上六の神々が萃(アツ)まる、か。お稲荷さんにこそこちらの意を萃めろ、か。 更に、この占示の意味を質すと、59【風水渙】|||上九。爻辞「其の血[恤(ウレイ)]を渙(チ)らす」、ハハンと思い当たること無きにしも非ず。 ここの参拝で気付いたことは、ここまではずっと中空に向かって神々に御神威を振るって頂くよう意を注いでいたのが、ここには殺風景な拝殿におキツネさんの小さな置物があって、目に留まった瞬間どなたか宿っているように感じられたこと。即ち、例えが適当か微妙だが、空腹時には不味いご飯でも美味しく感じる…この相対的な落差に幸福感の本質があって、空腹なほど限りなく絶対に近く幸福を感じることは勿論、ここには神通のスベなり、何事か深いものが潜む。まだよく整理が着いていない。 同時に、グルグル写真にも石燈籠の足元におキツネさんが写っているが、こういう時にはそれに意味を見出すべきなのかも知れないこと。 さて、グルグル写真が撮れた真意は如何。
そして、神社参拝とはこうして天照大御神とそこに祀られる御祭神に対してその御神威を大いに振るって頂こうと行うもの。 仏教だと、光・エネルギーを象る大日如来にはこれに対になって真理を見つめる眼である仏眼仏母(ブツゲンブツモ)があって、仏眼仏母が大日如来を認識することで現象世界が成立する、という考え方があるらしい。 素粒子は、普段は波動としてどこかに存在し、人間に観察された途端に実体化する粒子物理学の二重スリット実験の「観測による波動関数の収縮」がこれらの言説を強く後押しすることになった。今では高分子を使ってもこの現象が観測され、ウイルスではどうかという実験が行われるという。夜が明けて来たかな。 龍樹[ナーガールジュナ]の「空の理論」の「空」とは「一切皆空で。固定した実態がない」こと。まさに素粒子のあり方ではないか。 福島県と比べたら、茨城県には興味深い神社が多数あることに気付いた。 ここで本日はUターン。 < 村松大神宮(茨城県東海村) > 天照皇大神宮。茨城一之宮。最上位「神宮」に次ぐ「大神宮」の社格のお社に上がったのは初めてかな。 700 年頃に創建され、徳川 光圀が伊勢の内宮より御分霊を奉遷。ここは太平洋に近い森の中で、西隣の村松虚空蔵尊よりも少し奥まって配置。海に近いが、社殿は南向き。 神明鳥居がドンとなかなか大きい。本殿は勿論 伊勢の神宮を模した神明造だが、茅葺きだったのを 1974 年に銅版にした、とのこと。 境内社が実に多くて、一つ一つに鳥居が立ち、向かって左手から廻ると、社名が不明な祠も。ここまで境内社を見掛けたら、造化三神に対して三礼三拍手、御祭神に対して氏名・生年月日・住所、参拝の経緯を述べ、天照大御神や御神威の御神威が大いに振るって頂くよう意識しながら強く祈念、一礼としているが、大神宮 本殿の東側にも鳥居を並んでいるのを見て、こちらにはご挨拶できなかった。 大神宮、特に実感できる感覚はなし。
晴嵐神社
すぐ北側に「水戸八景 村松晴嵐」とあり、人名ではなかった。西に「東海十二景 細浦青畝」も。 境内から少し東に林の中を歩いたら、村松海岸から数百mあるが、南側の国営ひたち海浜公園と同じ砂場が続く。 御朱印は初穂料 300 円で、墨で日付を入れて頂き、500 円を納める。 社務所には境内の監視カメラのモニターが12ほどかな、並んでいた。 なで犬 安産祈願・子孫繁栄・健康成長…何かこの石像に奇跡でもあってこう言い始めたのならば理解するが…。 日陰でカメラの色温度を少し下げたが、青味が強いまま。 徳川 光圀の「義公 お腰掛けの石」を拝見し忘れた。 2 km ほど北に豊受皇大神宮あり、往路、気付くのが遅れてすぐ脇を通り過ぎた。 < 神峰神社(カミネ-、茨城県日立市) >
創建は本日 上がらせて頂いた神社の中では最も新しい室町時代で、転々と遷座。伊邪那岐神・伊邪那美神と天照大御神の御子神の熊野櫲樟日命(クマヌノクスヒ-)をお祀りする。 境内は上がって右手に戦前から置かれているらしい一体のライオンの石像の他は特徴とてなく、境内社は最初の石段を上がって左手の愛宕神社の祠は分かったが、稲荷神社の他7社もあったようで、どこに? 近くの日立市かみね公園に隣接した里宮と、遠方の神峰山の山頂(= 一番最初に社殿があった場所)に奥宮[山宮]がある、と。奥宮は興味深く、御岩神社の近くの「奥日立きららの里」の登山口から徒歩35分だそう。
こちら、稲荷神社では、先月、尼子稲荷神社(いわき市平長橋町)でこういう神懸かりの体験をした。稲荷神(社)にはご縁を否定できない。
定卦主の中正で、やはり中正の六二と正応。象傳「(九三・六四は)終に之に勝つこと莫し、吉とは、願ふ所を得る也」と云うのだから、気付きやら、何かしら段階を経ながら宜しきご縁を頂けそうだ。 この占に関わるかは判らないが、爻辞の「三歲まで孕まず」は、これからではなく、これまでを指している可能性あり。 稲荷神は帰化氏族の秦 氏がもたらした神で、「稲荷」とはイエス=キリストを表す「INRI」に当て字をしたとされる。 こちらは子供時代に少し寂しい家庭環境だったからか普遍的な存在を求める気持ちが強くなり、中学生の頃には浪江町の十日市で買ったキリスト貼り付けのデザインの小さな十字架のネックレスをキーホールダーに替えて、ベッドの枕元に大切に置いていた。取り分けキリスト教に関心が向いたことはなかったが、外国の他民族の宗教という感じは持っていない。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| #易占 #神社 #参拝 #茨城県 #日立市 #ひたちなか市 #大甕神社 |
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| まだまだ全然 勉強が足りない。思って来たこと、気付いたことなど。追々、加筆・修正ご容赦下さい。 < 拝礼の作法 > やはり、三礼・三拍手・一礼。 「古事記」の古きより礼・柏手の「三」という数は始源神の造化三神の三柱に対するものとされ、高天原に初めて現れた天之御中主神(アメノミナカヌシ-)・高御産巣日神(タカミムスビ-)・神産巣日神(カミムスビ-)を象っている。消滅した神ではない。この三拍手の呼び掛けがあって初めて御神靈の領域と通じる。神世七代の初めの国之常立神(クニノトコタチ-)は天之御中主神と同一か。 仏教用語が好きではないが、成仏しているだろう母親に語り掛ける時も、ありありと母親を思い浮かべて、三度 呼ぶ。 結婚式で酌み交わす三三九度の杯、正月の門松の三本の竹の束…「三」は重要な数字で、キリスト教では三位一体が言われる。不二阿祖山太神宮(山梨県富士吉田市)他の三柱鳥居(ミハシラ-)もあとに書くキリスト教ネストリウス派(= 後の景教[アッシリア東方教会])による三位一体を表している。易でも太極・陰・陽より天地が開闢したと捉える。「二」には何か欠落があるとずっと感じて来た。
USAが化学繊維を売り込むために所有を禁止にした大麻は未だに法改正しない。 この柏手が好い例で、古来、神道では神を仏教の神の化身とするわ、神社では御祭神自体が変わるわで、神社神道系でも参拝形式のレベルでこうしなければならない決まりはない。古来の高い良識に基づいて、こうあるべきですよね、のお約束があるばかり。 神道は、神々をお祀りするけれど、これと決まった教祖・教典・教義がなく、宗教とは言い難い。仏教のように「神教」ではない。万物に神が宿ると捉える、自然との調和、宗教的対立がない、そうしたただずまい。ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の一神教や仏教を見たら違いが判る。ユダヤ人がユダヤ教にしがみ付くように、争いが絶えず定住もおぼつかない民族ほど一神教に拘る。 神道は東アジア共通に祖先信仰から自然発生したには違いなく、自然(ジネン)の万物に神々が宿るとする自然観は勿論 分かるが、自然崇拝を「原点とする」神社本庁なりの考えは後付けの解釈に感じる。「八百万の神々」とは、信念体系の数だけ「神」は実態としてはその通りだと思うが、キリスト教ネストリウス派や仏教・儒教・道教などの流入と同化・影響がそのように言わざるを得なくなったとも言える。
そして、ヤハウェの一神教はこの島国に入ると、大陸の絶えざる民族侵略などない落ち着いた土地の風土の前に頼るべき絶対神の存在意義は洗い落とされ、人々の信仰心はその様式ばかりを受け入れて神道化してしまい、「浄明正直」の道として現在に至っている。 度会 延佳 翁の「神道は日用の間にあり」の如く、國學の本居 宣長 翁の「人の行ふべきかぎりをば 行ふが人の道」の如く、この国の人々の生まれもっての謙虚さ・敬虔さと神主・氏子さんたちの自らの日々の奉仕がこの稀有なたたずまいを成している。御神札・御守りなどのささやかな授与品と各種の御祈願・御祈祷のお世話ぐらいで、神社は利益追求をやらない。神主さんたちの日常の多くは境内の清掃維持に費やされている。実に尊い。 我々はいつでも鳥居を潜って、気持ちをリセットさせて頂くことが出来る。何か効果的に神主さんたちの支えになれないか、こちらは真剣に考えている。 そもそも、古来、村々のまつりごとの中心にあった神社が祭祀のお役目ばかりに細ってしまったのは何故か。 GHQは進んで命も投げ出す日本男児の勇猛果敢の源泉は国家神道にあると見定めて、これを早速 解体すると共に、世界に類を見ないコチコチの「政教分離」原則を第20条として憲法に打ち込み(USA自体がキリスト教を国教にしている)、且つ、人々を物理的に神社から切り離そうと、全国の集落に公民館を作らせた。 神社を昔の姿の、人々の集いの場、「神人和楽」の場にどうやって戻すか、人的支えをどう作れるか、先ずは神主さんたちの声を積極的に集めてみたい。
そもそも、神社参拝とは何のためにやるのか。 我が身の祈願をするためではなく、日本、更には世界の一人々々の安寧・平和のために、高天原を統治する天照大御神ほかの神々に大いに御神威を振るって頂きたいと願う。そうして神々を実在化し、讃え、気を吹き込む。「大祓詞」ほかの祝詞が賛美だ。ユダヤ教徒が創造主ヤハウェに対して述べるヘブライ語の「ハレルヤ」は「ヤハウェを褒め称えよ」の意味。「讃美歌」の通り。そして、神道では自然万物への感謝が参拝の目的に加わる。神宮は天皇が天照大御神に祈る場所。 勿論、菅原 道真の怨霊を鎮めるような神社は例外の一つ。 仏教の現世利益の考え方が浸透して、神道の「御神徳」には家内安全・厄除け・交通安全・縁結び・安産・商売繁盛…が並ぶけれど、いきなり神前に立ってそれらを求める時、図々しさを感じないだろうか。こちらはこの記事で述べたような白々しいものがよぎる。 身内の病の平癒を祈願をしても、人が亡くなる時は亡くなる。死とは魂が肉体を去るだけのことと、今に全国民が認識するようになる。 また、仏教だと概念の言語化・定義を非常に大事にしていて、難解だけれども人に伝え拡めることが出来るが、神道はそこがユルいし、哲学の成長が窺えない。 上座部仏教だと、生きている間の「死・老・病・死」他のあらゆる苦(= 希求しているのに得られない、拒絶したいのに強制付与される)から脱却するという悟りを目指す(諦めを極めた解脱者を阿羅漢と言う)。 大乗仏教だと、空海などの言う肉体のままで「即身成仏」の「仏になる」という悟りを目指す(= 悟っていない庶民を阿羅漢の位に導くことを出来る人を仏陀と言う)。それで、中観派の空[無自性]の思想や瑜伽行派[唯識派]の唯識、阿毘達磨倶舎論ぐらいは腑に落とすまでやる。 何を求めますか?
神前では、会釈の小揖(ショウユウ)をして、鈴を鳴らし、お賽銭を納める。鈴とお賽銭は、その神社が決めていないならば、どちらが先でも。 鈴は、紐の鈴緒を横に振るよりも、少し持ち上げて引くと鳴る仕組みになっている筈。 お賽銭は初穂料等と同じく神社の維持のためで、感謝の気持ちで。年金生活になったような方は無理になさらなくて構わない。裕福な方は、玉串料にして、お幾らでも。 立礼の磐折(ケイセツ)は角度で分けると、小揖(会釈)< 深揖(45度)< 拝(直角)と神社本庁あたりが決めている。 これで言うと、こちらがやっている三礼三拍手一礼は(一小揖・)三深揖・三拍手・一深揖。神職は深揖のところは拝。こちらも最後の一深揖は一呼吸の拝であるべきと思うけれど、腰痛だし、これに拘るよりも、神々との関わりそのもののことが遥かに大切。 小揖は、拝殿の前に立つ時の他、外界との境である鳥居を潜る時と、出る時に、日本人だと自然に首を垂れるもの。こちらも長い参道の先の鳥居を潜って上がるとは限らないので、境内には出入りする時に小揖。 礼には座礼の平伏(ヘイフク)もあって、磐折共々、浅い(45度)・深い(60度)。深揖も45度で、行う時間の長さと使う場合が違うというだけ。 柏手は、右掌を指の1関節分だけ(実際には、音を響かせるために2関節分)、真っ直ぐ、下にずらす。左利きの人も同じ。 で、ここが肝心だと、この「右手をずらすという行為は神に声が届くか届かないかの重要なポイントで、神域の結界を開く」という信頼の置ける靈能者もいる。祈願なりをする時も、ずらしたまま結界を開いたままにする。兎に角、あちらと通じなければ参拝は無意味。 教科書的には、右手を下げるのは、神に対して一歩 下がるという考え方だとか、左手を「陽 = 靈」、右手を「陰 = 身体」として、靈を主体とする神道の考え方に由来している、とか、あと付けの理由のよう。 柏手はあまり大きな音を立てない。品の問題。 礼と柏手の数は、それぞれの神社や、一般者と神職の別、平時と祭礼などでかなり異なる。それぞれ決めた人や経緯がある。 出雲大社(島根県出雲市)の有名な「二拝四拍手一拝」の「四」は四季や四方や格式の高さを意味する、と。伊勢の神宮では神職が祭祀で「八度拝八開手」を行い、この「八」は八方に対して礼をするという意味だそう。
こちらはまだ馴染んでいない神社では毎回このご挨拶。初めて上がった神社では、境内の摂社・末社にもご挨拶。お見知り置きを頂ければ幸いです、ぐらいに。神通にはこの「馴染んだ感じ」がまず不可欠で、何か光明感を伴っていることが更に大事。 祈願をしたい時もあるけれど、それは何度か上がって、その神社と何となく馴染んでから。そこに宿る方も多くは元は人間。 そして、ご縁の有無では、その神社を大切に思う気持ちが芽生えることが大事だと思っている。 尚、参道は、一般道路の場合と同じ、左側通行がお約束。伊勢の神宮の内宮は向かって左側に社殿があるために右側通行で、騒がしくないように社殿に遠いところを歩きましょう、と。参道の真ん中は神々の通り道、と。 細かい配慮を書くと切りがない。 また、こちらは境内を反時計回りにお巡りするのが常。右の視界が利くのか、時計回りだと、境内の隅に置かれる祠を見逃しそうに感じるというだけのこと。 以上、拝礼の作法について、竹田 恒泰さん(明治天皇の玄孫)は、祈願の後にまた二拝二拍手一拝をやるなど、聞き慣れないことを述べていて興味深い。 好く晴れた新嘗祭の 11/23、大きな飯野八幡宮(いわき市平)では社務所に伺っては巫女さんに5社ある筈の境内社の場所を確認。 その近くの延喜式内社の子鍬倉神社(コクワクラ-、いわき市平)でも初めて境内社が全4社あると確認して、ご挨拶した。銀杏の落ち葉の絨毯が美しい。 参拝する時には、前日、その神社の方を向いて、参拝する旨を伝えておく、という人もいる。日本人らしい行き届いたマナー。 こちらはそう遠出をしないので、これまで上がって御祭神にご挨拶をした神社は数えてみると、いわき市を中心に、境内社を含めて年内に 200 社を超える程度。 「神社ソムリエ」を名乗る佐々木 優太 君は全国1万数千社に上がった、と自称。毎日5社でも、年 1,825 社。徐々に遠方の神社になるので、仕事でこれ中心の生活でもないと出来ることではない。昔、伊勢の神宮に行かなくちゃならないと思い立って今に至るほど、何か役割を持った人材かも。 近場にご縁のある神社がある筈なので、そちらを大切に。
先日 上がった花園神社(北茨城市)の宮司の神永 知明さん(以前は鹿島神宮に権禰宜として奉職)は社家の方か、神永神社(宮崎県?)にアワビ信仰があってアワビを御祭神にしており、食べてはいけないということになっていたが、子供の頃に間違えて齧った時、手に持っていた花火が爆発して手を縫った、とお話されている。 神々に仕える身のこうした部分は極めて厳しい。半世紀前まで当地に実在した紫龍仙道人[渡辺 壽眞 氏]は、神界での儀式で何か手違いをやったためにこの下界に降ろされた謫仙(タクセン)であることを大山祇神(オオヤマツミ-)の代命である師仙の龍玉天玄真君からのちに聞かされている。晩年、全国を巡って不成仏靈を昇天させ、それを終えると、今のいわき駅頭で倒れて帰天された。 こちらは神永さんのお顔を拝見していて、何か特別な方である気がする。要、一筮。 昔、こちらは猫を飼うようになって愛猫に不妊手術を強いられて涙を落とした日にペナルティーとして金輪際 動物は食べないと決めた。革製品も買わない、と。ずっと肉食に疑問を持ちながら肉を食べないと食事をした気にならないほどで、どうなることかと思ったが、こんな程度はどうということなくて、今では全く食べたいと思わない。乳製品は元より苦手で、魚介類の食にも罪悪感を感じるようになって来た。 また、この時「一生」を誓うと、看護師が戴帽式に臨む時のような何とも聖々たる気分に初めて浸った。人生に線が引かれた。神学者のルドルフ=オットー[GER]が著書「聖なるもの」に書く「ヌミノーゼ」。 殺生の釣りはやらない。行政による猪のライフル駆除(ウリ坊も射殺)には猛反対で、森に餌を撒けと、町議会でも強く訴えた。1匹 殺せば町より2万円の報酬を得る利権連中がどうだろうが、一歩も退かない。 今では動物の殺生を強く忌避する何者かが内側に住み付いて、人々の無感覚に怒りが吹き出して来る。人の邪気にも敏感に反応する。
静かに靈感が育って来たこちらの背後には何時からか神道関係(+ 腐敗仏教嫌い)のどなたかいらっしゃるようだ。 靈には亡くなった愛猫たちにもしょっちゅう肩の辺りを軽く引っ掻かれて困るが、「忘れないでね」という気持ちなんだろう。 神主は神との仲執り持ちと言われるが、易者はまさに神との仲執り持ち。占示という御神明の「験」を得る。易占修行は靈學に通じる。飲食が自然に神職同様になったのも自然の成り行きにしか思えない。徐々にマシな人間になって来た(笑)。
以上、偉そうに書いたけれど、現実にはこれまで参拝時に神々と繋がったという感覚を得たことがなかった。易では現実の問題を貫く御神明 = 験の手応えを日頃 得ていながら、神々との波長の一致はまた異質のよう。よく聴く、急に強い風が吹いたから、晴れ間が射したから神が反応…そこだけ陽光が照らしたというならばまだしも、内に神通の実感がないだろう。 それが、以上の拝礼を心によく留め置いて神社巡りをすると…。 < 御嶽山神社 >
12/21 こちらで護摩焚きをやるのでどうですか、とお話くださった。護摩焚きは密教の仏事で、ここは神仏混合とのことだが、神社でもおやりになると今回 認識。小規模の神社では更に珍しいかも知れない。そして、これだけ神社巡りをしながら消極的な姿勢の多い宮司からそんなお声を頂くのは初めてで、オヤっと。 ここは木曽の御嶽山信仰の「御嶽教磐城心明教會」で、修験道の蔵王権現を祀った御嶽神社(ミタケ-)とは別系統。国之常立神・大己貴命(オオナムチ-)[大国主神]・少彦名命(スクナヒコナ-)を御嶽大神としてお祀りし、13ある教派神道の一つ、と。大本庁・御嶽山大和本宮(オンタケサン-、奈良市)が教団本部。 年明けに登りながら知らずに見逃した御岩山(茨城県日立市)山頂の御神体の石柱の 200 m西にある露天の祭壇の祠が御嶽神社(= 長野県王滝村から御分靈。山伏の修行場)だったことに気付くが、この神社を宗祠とする木曽御嶽本教などはまた別系統らしい。年内にまた登ろうかと、丁度 YouTube を観ていたところ。 また、こちらの社殿はお寺に多い瓦屋根。神社の多くは銅板屋根。 御祭神が同じでも、神社によって宿る神々も神使もそれぞれの振るい方も異なる。どなたが宿ってなさるか普通人には判らない。小さな祠でも、子供の頃からお世話をして手を合わせて来た祠は、その人だけにかも知れないが、靈光が煌々と輝いていることを産土神の古伝は伝える。近場にも貴重な出会いがある筈だと、こちらはこちらから扉を開けに回っている。 < 神前での初めての神通 >
裏から入り、明神鳥居を潜り、拝殿の前に立ち、造化三神を一柱々々 口にしながら三礼、三拍手で神域の結界を開けたまま、天照大御神と御祭神の御神威よ大いに振るい給えと全身で意を注ぎ、結界を閉じて一礼して鳥居まで下がった時、「清々しい」という言葉ではとても尽くせない深々しい高貴な御神氣が参道のある東の木々の間の空間からか一帯を占めて、得も言われぬ神々しい至福の感覚にフワーッと包まれた。今しがた、初めて上がったお社で。元々 御神氣漂う境内や神前でそれを感じた、ということではない。晴々とした空間でこれが生じた。 参拝とは、神々から御利益を頂こうというためのものではない。神々に御神威を振るって頂こうと、こちらから神界の扉を開いて、意気を注ぐものだ。これにて確信。 今その思い付く条件としては、 ●何より、神通を求めている。神通があるものかを知りたかった。気持ちがガラッと前向きに変わだろうから。 ●村社のような地域のお世話が行き届いて大切にされていて、且つ、神々にのみ無心になれるヒッソリと参拝できる神社。 ●この時は昼夜逆転の生活で、眠気が始まる時間。意識が少し薄らぐ時、弱いトランス状態。覚醒が必須の易占の場合とは逆。 ●儀式というものの重要性。 また、自身の祈願のことで言うと、そこの神々が御神威を振るい給ふようただそのことのみに努めることがその成就に繋がるかも知れない、と。鎌倉時代の武家法「御成敗式目」に「神は人の敬(ウヤマヒ)に依りて威を増し 人は神の徳に依りて運を添ふ」とある。 お稲荷さまは五穀豊穣を司る神だが、現世利益の部分が大きいものと、ご縁がないものと思っていた。 稲荷神社を創祀したのは帰化氏族の秦 氏。「稲荷」とは彼らが信ずるイエス=キリストを表す「INRI」に当て字をしたものと考えられ、稲荷神社の鳥居の赤はキリストの流した血を表す、とされる。古代ユダヤ教の唯一神ヤハウェ(= キリスト教のゴッド、イスラム教のアッラー)は万民が五穀豊穣を願うところの稲荷神にその姿を変えた。室町時代になって稲荷神は素盞嗚命(スサノオ-)の御子の女神とされる宇迦之御魂神(ウカノミタマ-、「ホツマツタヱ」では豊受大神の御玄孫)と同一視されるようになり、秦 氏が創建して全国最多の分社を有する伏見稲荷大社(京都市伏見区)の主祭神に。この前まで人間だった明治天皇や日露戦争の軍神を神としてお祀りする神社よりは遥かに神道の本流。高天原や天津神・国津神などの多くもこの世の存在との習合だろうけれども。 思えば、この至福の普遍の感覚は、子供の頃なのか生まれる前か、しばしば感じていたことに気付く。こちら、神道を含めて既存の宗教には全く興味がなくて、厄年などまるで無視だったのが、実家のすぐ裏の無人の鹿嶋神社の佇まいに馴染むものを感じて散歩の時に手を合わせるようになり、3.11での御神札による摩訶不思議な経験で認識が変わった。亡くなった愛猫の靈聴も経験した。 終極に自分が何を求めているのかさえ掴めないままでも、渇望してずっと手探りをやっていると、ポツポツと気付くことあり、ポツポツと手段を得、バラバラに経験して来たことが繋がってゆき、密かに導かれ、徐々に進むべき先が見えて来る。そのためには「この人は」と感じる先達に教えを請うことだろうと、当たり前のことに気が付く。 三昧・見神の大天才と言われたヒンドゥー教の聖・ラーマクリシュナは瞑想で釈迦牟尼ともキリストともマホメットとも靈的に繋がり、神々を賛愛する悦びで寝食を忘れて恍惚のトランスに浸っていた。瞑想等で神通を得る方法の一つ「バクティ」。直覚の道。靈能者が修行に依らず釈迦牟尼などと繋がりを得るものの何かにの “気付き” を得るかはまた別、ということが解るが、今、漸くこの感覚と方向性が仄みえた。こちらは大好きな女性と気持ちを一つに肉体的に交わる以上の至福というのは想像できなかったが、神々との至福の酬酢は質というか次元が違うようで、未だ認識も出来ない先のあり様が遥かに続いていることも何となく分かって来た。聖・ラーマクリシュナは遥か彼方の至福に浴していたよう。曰く「至福酔い」。 延暦寺(滋賀県)・金峯山寺(奈良県)の修験による千日回峰行は「悟りを得るためではなく、悟りに近づくために課す」と言い、それは腹が減るほど食べ物のありがたさが分かるのと同じ。同時に、感覚に鋭敏になる。「仏と一つになる」神秘体験があるとすれば、別の行の瞑想によると言う。釈迦牟尼の行程。 こちらは、肉体修行のヨーガ「ラージャ」は、実感的な方法だとは思うけれど、深く入る瞑想が出来ず、苦行なしではクンダリーニ覚醒も得られないものと。実社会での無私の奉仕・慈悲による「カルマ」は性に合わないところもあったりして神通を得るにはまどろっこしく思え。知識的理解によるアプローチの「ギャーナ」しかないかなと思ってコツコツ来たが、図らずも「バクティ」の道も仄かに見えた。何事もコツが掴めると高速回転するタチなので、何でも探り、死ぬまで懸命に求めて、達するところまで達したい。 すると、現在こちらが御奉祀するべきは、有名どころでは、古い順に、天御祖神、天之御中主神[國之常立神]、少彦名命、武甕槌神(タケミカヅチ-)、天照大御神、宇迦之御魂神。以上、天津神。
卦極で最終到達点を意味するが、あくまでこの問いに対する示され方で、単にあちらと通じた、ということで好いだろう。 この感覚は間違いない。この作法の中身で凡そ間違いないのでは。 一心に神靈界と波長を合わせて繋がって、御祭神なりの御神威を振るわせる。 大きな気付きを得た。彌榮。
神道は、3.11の後、日本古来の神様系の靈能者の言っていることなどを頭に置きながら、気の向くまま本を読むなどして考えて来た。 で、一度、國學院大学神道文化学部と皇學館大学(旧・官立大学)神道学科の先生方による概論や研究成果に取り組んでみよう、と書籍類を購入。薄葉紙で包まれた新品同様の4巻2万円の「神道研究」が 4,500 円(税・送料込み)で入手できたのはご縁かな。 神社巡りなどの写真は Instagram にアップ、作業中。 動画は編集に手が回らず。 12/ 4、日の出前に家を出て、車で茨城県中部の大洗町まで気になっている神社に参拝。泉神社、大甕神社(オオミカ-)、酒列磯前神社(サカツライソサキ-)、大洗磯前神社、村松大神宮、神峰神社ほか。 茨城県は、福島県と比べると、大きな神社、造形的に惹かれる神社が目白押し。 ハード スケジュール。パソコン生活なのが、遠目の長時間運転で途中で視力がおかしくなり、集中して疲れた。ユルユル別に記事にします。大洗町の茶釜稲荷神社では撮影で “怪現象” 。 これはと思う宮司さんと神道周りの本質的な話から色々 学習させて頂く予定。神社ソムリエ[佐々木 優太]君とも繋がりたい。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| #易占 #神社 #参拝 #拝礼 #柏手 #尼子稲荷神社 #神社本庁 |
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| その時の自分の感情的なイメージやハッキリした思いが占示に表れたとしか思えないことがよくある。宜しい方向でも宜しくない方向でも。 その占示は果たして問いに応じていると言えるか…。 例えば、失恋や近親者が亡くなった時などは占示が目立って悲観的な方に荒れるし、このことは「黄小娥の易入門」にも書かれている。現れ方としてはこの薄い状態だと思えば好いかも知れない。感情は占示に影響する。 つまり、その占示は問いに応じておらず、出直すに如かず。或いは、急ぐ時は公正な問筮だけ易者に頼むか。こちらでは 1,000 円で承っております。
自分の氏神神社がどちらか、無頓着な人も多いのでは。氏神とは血縁的な繋がりの一族の祖先神・守護神。ところが、生まれた土地で一生を送ることが多かった江戸時代以前と違って、現代人はそれなりに引っ越しをするので、何とその都度、氏神神社は変わることになってしまった。神社本庁(宗教法人)の見解? 神社の御祭神はそれぞれで、その御祭神は天照皇大神宮の下にあるとは限らない。ただの故人を神様扱いして祀った神社もある。 その上、氏神神社については都道府県の神社庁に問い合わせれば示してくれるが、行政区域に右倣えで、もう「氏神」なるものは雲散霧消してしまった、と考えるしかなくなった。 実際、神社さんもその区域外の方にもお構いなしに御神札や御守りを頒布している。 結局、靈的なご縁のある自分の守り神をハッキリする必要があり、それを氏神とすれば好いのではないかな。だから、それを易に質すならば、地域の神社とその主祭神くらいは調べ上げた上で、一社ごとに取り行うことになる。 判断としては、
他、彖辭や爻辞が氏神神社特定のヒントになる。「大川を渉る」の辞はたくさん出て来るので、判断材料としてどうかな。
自分はどんな性質の神にご縁があるのか、も同様に調べれば好い。 また、崇敬神社としたい神社との相性の良し悪しも判断できる。 いずれも何度も執筮することではないので、気持ちの居住まいを正して。
国産みに続く神産みにおいて、伊邪那岐神が火神の火之夜芸速男神(カグツチ)の首を切り落とした際、十束剣「天之尾羽張」の根元についた血が岩に飛び散って生まれた三神の一柱。下界に降され、国津神の主宰神の大国主神との出雲の国譲りの神話あり、香取神宮(千葉県)の主祭神である経津主神(フツヌシ-)と共に関東・東北を平定するなど、日本建国に関わる大神。また、「甕」の字は卜占に通じるという。 「古事記」に「建御雷神」とも記され、すると、親しむべきは雷の神、剣の神になる。 爻辞を採るならば、外卦【巽】の “風” が内卦【坎】の “(水)害” を取り除く御神徳が特に期待できるかも知れない。 だから、この占だと、武甕槌神について少しは知識がないとこの判断には辿り付かない。 3.11の前、広野町の実家のすぐ裏にあって、初めて神社というものに慣れ親しんだのが太平洋を臨む無人の鹿嶋神社だった。 両親が残した いわき市の新居の神棚には遠縁の立鉾鹿島神社(いわき市平)の御神札が挙げられていた。神社庁の区分だと氏神は佐麻久嶺神社になる筈。 仮設住宅を出て住んだアパートとも今の新居とも目の前の鹿島街道は延喜式内磐城七社の鹿嶋神社に面していることから命名されている。奈良時代の創建だが、今では無人で、立鉾鹿島神社の兼務社になっており、脇を通る際、気持ちが惹かれて仕方がない。 成る程、人生にご縁が付いて回っていることに気付いた。 この卦・爻では、こんな占例がある。
< 産土神 > 他方、その土地を守護する産土神という存在というか考え方がある。鎮守様。その土地で生まれる者を生まれる前から死んだ後までも守護する神ということで、中世には一族が拡散しがちの都市部で発達。キリスト教の地域や国の守護天使の考え方と似ている。 産土神は地縁による神だが、既に中世には血縁による氏神と混同されるようになっていて、現代では家庭の神棚の説明書きに氏神神社(産土神社)と記しているところさえ少ない。しかも、氏神は引っ越しと共に変わるという地縁の神に衣替えした上に行政区域に倣えの始末なので、現代人はご縁のある神をどのように定めて好いのか判らなくなった。 氏神も産土神も人々の想像の産物。 なので、思うに、人と神とは、粒子物理学の二重スリット実験が暗示するように、人の意思が神を振るわせる、存在たらしめる、という関係のようで、靈縁こそが大事なのだから、このレベルで自分の守護神はどなたなのかを突き止めて、お祀りするのが正解なのではないかな、と。 これは易のような卜占でしか確かめようがない。神主の方々にも習熟して頂きたい、と思っている。 | |||||||||||||||||||||
| #易占 #易占い #氏神神社 #崇敬神社 #産土神 #鹿嶋神社 #武甕槌 |
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| いわき市(かつては全国で最も広い市)と周辺の主だった神社や興味深い祠を方々 見て回っている、以前からのところ、初めてのところ。何か感じ取れるものがあるかな、と。疑問は調べる、神主さんに聞く、易で多角的に確認する。 そして、神社ごとに、新たに個人的な祈願で「御神助をお願いするべきか」筮を執ってみる。勿論、仏教の現世利益的なお願いではなくて、努力を前提とした「祓い給え 清め給え 守り給え 幸(サキハ)え給え」の障害除去による通泰。 以下の神社は一例。 ●先ず、御神助・靈験をお受けしたく「神社巡拝をやるべきか」と易に質すと、63【水火旣濟】|||(← 左を上に。以下 同じ)の九五を得る。 全爻皆正の主爻。且つ、爻辞は、(東隣の)大きな神社に参拝して大金で御神札を頂くようなことよりも、(西隣の)小さな神社で心を込めて手を合わせて福を受けることだよ、と方向性が示される。 以前に いわき市の近所の佐麻久嶺神社(延喜式内社)を氏神神社とするべきなのかを質した占でもこの卦・爻。その通り。
日本にはこのような神社が全国くまなくある、ということ。 ●広野町の実家があった裏手の今も崇敬神社として手を合わせている無人の鹿嶋神社に得たのは 14【火天大有】|||||九二。 爻辞「大車 以て載す」、大任を載せるのであり、文句なし。この卦・爻は 1/384 の確率なのに、同様の占題で度々 得る。 社の大きさと御神徳には関係がない。寧ろ、小さな社の方が思いが通る。これは以前から実感しており、間違いない。心静かに手を合わせれば、祠にも神棚にも御神靈は降りて来る。靈験もそのようにお受け出来るだろう。 ●親の代で神棚に御神札を頂いていた東方に位置する立鉾鹿島神社(延喜式内社)には 27【山雷頥】||初九。 「爾[初九](ナンジ)の靈龜を舍(ス)て、我[上九? 六四?]を觀て頥(オトガイ)を朶(タ)る(= 顎を垂れて食物を求める)」の通り。何を目移りしているのか、と。今のままでも良いわけだ。 ●東方に位置する大きい大國魂神社(延喜式内社、浜通り地方の総鎮守)の占示には、グズグズするな、と。そうしてもう一筮 執ると、成るには成るが、時間が掛かる、と。現実の様を示される。 天津神・國津神など大神を主祭神とする大きい神社では何かスッキリとしない占示になる。 ●西方に位置して日頃 最も賑わいのある湯本の温泉神社(延喜式内社)には 18【山風蠱】|||九二を得る。 この祈願に関わる具体的な障害を除こうというのならばここだ、と解る。納得。 ●西方に位置する湯本の大きい金刀比羅神社には 33【天山遯】||||上九を得て、ここからは「嘉(ヨ)く遯(ノガ)る」で、何かこちらには馴染まないのかな、と。 その御真意を確認するのに追筮を執ると 13【天火同人】|||||上九。 遠方での協力ごとには宜しい。なるほど、近場のご縁のある神社の方にお話せよ、ということらしい。 アカデミック的に言えば、日本民族の永い信念体系が成すものとして、神と神使、産土神[鎮守]や氏神の通り、御神助の仕組み、一つには縦・横の “分業体制” があるらしいということ(カトリック教会や正教会の世界では土地神として守護聖人があるが、こういう役割分担の考察については不詳)。 また、こちらはこういう確認のための追筮による占示が初筮のそれに矛盾することはまずない。沢山 筮を執り、且つ、疑問は承知できるまで確認をしていると、色々 見えて来る。 ●西方に位置する鹿嶋神社(延喜式内社)は、立鉾鹿島神社の兼務社になっていて、いわき市の大動脈の鹿島通りの名前になっている神社なのに参拝者を見掛けず、地域の支えを欠いている状態だが、54【雷澤歸妹】|||の齟齬ありで、初九は爻辞「跛(アシナエ)にして能く履(フ)む。征けば吉」の通り、御神徳は健在。 ほかの幾つかの神社でも同じで、やはり、人の手が全く入らなくなってしまうと御神靈の灯火は去る。 鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)を総本社とし、武甕槌神(タケミカヅチノカミ)をお祀りする鹿嶋神社はこちらには崇敬神社。 ●西方に位置する森の奥の廃神社に近い、自殺・殺人の現場なのか立地の沼に卒塔婆が何本も刺してある上荒川弁財天神社には 34【雷天大壯】||||上六を得る。 大成卦【大兌】で、首がない。爻辞「遂ぐること能はずとは、不詳なれば也(= 対処方法を詳しく弁えていないから)」で、ここには弁天さまはいないので祈願は叶いませんよ、とキレイに示される。 ただ、肉体的な違和感はない。こちらは いわき市久ノ浜の旧国道6号線の波立トンネルの出入り口(北側)に近づくと、いきなり頭痛・強い吐き気がする。北からは急なS字の右カーブの直後にトンネルで、南からはトンネルを出たら急な左カーブで、曲がり切れずに正面衝突や出入り口への衝突で死亡事故が絶えない場所。何人も死人を出してから、国交省はカーブを緩める工事をした。
TBSラジオ「地方創生プログラム ONE-J」の 3/24 群馬県庁32階の特設スタジオ tsulunos からの出張生放送の観覧の足で、寄りたいと思って。ここまで来たなら、上毛三社の妙義神社、赤城神社にも。ただ、榛名神社なら前橋市の更に向こう数十 km の山腹にあり、いわき市から車で往復 600 km は…。
六二の裏は9【風天小畜】|||||の畜止。途中で車の故障なり睡魔なり、何か出て来る。 遠出の前には一筮 執る。 行ったこともない栃木県・群馬県の夜道を突っ走る…何か違和感あり、出掛けるのをやめた。 昔は地球の裏側も東南アジアの広大なジャングルも何とかなるで全国地図だけ持ってよく自転車旅行したもんだが、すっかりダメ人間になり候。 | |||||||||||||||||
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| 占示の妙味と判断の一例。どちらの神社を氏神神社として、御札をお受けしたら良いか。社務所のある近場の神社を考えており、以下はたまたま延喜式神名帳(927)に記載された磐城七社。 (A)立鉾鹿島神社 御祭神は御本社の鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)と同じ武神の最右翼、武甕槌神(タケミカヅチノカミ)。この神が東北平定のためにこの地を訪れ、塩干山に登って鉾を立て東北を眺望した、というのが社名の由来。源 頼義が前九年の役(1051)の際に建立。のちに当地に移転。 東国の開祖と諸産業の守護神で、常陸帯の謂れにより縁結び・安産の神。「鹿島立ち」から交通安全・旅行安全の信仰も。魍魎を退治した威徳により、厄払い・方除け・病気平癒の神。 うちの遠縁で、親は3.11で いわき市のここに移ってからは毎年 神棚の御札を受けていた。 JR常磐線の北側の広大な田んぼの中にポツンと木々に埋もれた岩山から成る境内の不思議な佇まい。新居からは最も遠い。 広野町にあった海沿いの実家の裏の無人の社も鹿嶋神社で、こちらは氏神神社にさせて頂いていた。
が、色々あり過ぎて、この寒さでやる気も退いて、この卦極の豫楽に耽けっていることも否定できず、虫だらけのアパートは容易に整理が着かず、新居は半外飼いだったネコ3匹がそれはやり放題でもう半泣き。神棚のある和室も散らかしたまま。 そこで、ピンと来た。この占示はこの整理・清掃をトットと進めなさい、と。さすれば、引き続いてこの神社を氏神神社とし、ここの御札を神棚に祀っても禍はない、と。 ここに長居をするつもりはないけれど、取り敢えずキレイにせねば。 この伏卦 35【火地晉】||(← 左を上に。以下 同じ)は今で言うパリピの状態など、盛運にある様。こちらは怠惰になっているばかりだけれど。
(B)大國魂神社 創建年は未詳だが いわき市最古の神社と云われ、延喜式内磐城七社の筆頭。浜通り地方の総鎮守の位置付け。 御祭神は縁結びの神の大己貴命(オオナムチノミコト)[大國主神]・少彦名命(スクナヒコナノミコト、大國主神の奇魂)のペア、その親族の事代主神(コトシロヌシノカミ)[恵比寿様]、須世理比売命(スセリビメノミコト)。 大國主神は大黒天[シヴァ神の異名のマハーカーラ]との習合から、ここは「いわきの大黒様」と言われる。外来もの大好き日本民族、仏教公伝による本地垂迹説で大黒天を本地とし、大國主神を仏の仮の姿の扱いにした上、今も「大黒様」の卑近な扱いにしたまま。 また、大國主神の和魂ということになっている大物主は開化天皇までの将軍の役職だろうが、復古神道では易の八卦を作った古代支那の伏羲(フッキ)ということになっていて、これは親近感があるという我が矛盾。 御利益は国土平安・産業発展、縁結び・商売繁盛・厄除け・子授け・家内安全。
兎に角、家屋の片付け・清掃を進めなさいよ、と。爻辞の「次且」とは、いよいよそれを夬しそうなのに夬しない。そこを改めれば、課題についての悔いはなくなるのに、と。 伏卦は【需】(マ)つの卦で、來卦。腰を上げる上六はいつなんだ、と占示は突き付ける。 これらの占示を得て、それではと、家屋の整理・清掃をすると目下の或る課題が開けるのか、と一筮すると、4【山水蒙】||六五。 これは陰陽 相応ずる九二の賢者に教えを受ける側の童蒙で、御神靈なりの教えに素直に耳を傾け、先が開ける様を云う。 六五を陽変すると 59【風水渙】|||で、膿みの渙散であり、新たなる船出。これは來卦で良いのやら。中(チュウ)は逆向きになるのではないのか、と。 これをやんなさい、と。重々 分かっていることで、気持ちの切り替えを得た。
(C)佐麻久嶺神社 広い住宅街の北東の外れの小さな森の中にあって、新居に最も近い神社。最近まで存在を知らなかった。古来、この辺りの集落の神社と言った感じ。樹齢 1,200 年余の市内最古だという御神木の大杉あり。東側の参道の石段は危険を感じるぐらい急な傾斜。 御祭神は須佐之男命(スサノオノミコト)の子の五十猛命(イソタケルノミコト)。原初的な農神であり、野山に種子を蒔いたことから「事始めの神様」と云う。御利益は特にこれとは謳っていない。伺った時には拝殿で御祈祷が行われていた。 靈園を持っている神社は珍しいと思う。
主爻の九五を得て、この爻辞は東隣に牛を殺すような盛大な祭は西隣の倹約して真心を凝らした祭に福を受ける点で及ばない、と。上の二つの神社はここよりも東に位置していて、大國魂神社はここよりも明らかに大きな設え。3占目でこういう占示を得た、と。 氏神神社としてはここが最も前向きな占示のよう。 以上の3社以外にも、「○○神社を氏神神社とするべきか」 と質した場合、決して後ろ向きな趣意の占示は降りない。但し、魔物などに乗っ取られていない、明るい、御神威の感じられる神社の場合。
そこで、神道とは罪・穢を祓い給え清め給え、さすれば我(ら)が心掛けの道が開けよう、と御神靈に祈り求める道(罪は自分で責任を取りなさいよ、と思うけれど、カルマに関わる問題か)。氏神に求めるのは家内安全・交通安全ほか卑近な事柄だろう。 それならば、大國魂神社・立鉾鹿島神社に得た占示は当を得ている。 現状、4【山水蒙】六五の通り、何かの導きとご縁に素直にお任せするのが正解かも知れない。大物主神を主祭神とする湯本の金刀比羅神社(= 大物主は開化天皇までの将軍の役職で、六代目が金刀比羅)を含めて、何度も伺ってみよう。易の経験を通じて神験の実在に何の疑いも持たないこちら、何ごとか得る筈。 |
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| ●御朱印集めをやるつもりはないけれど、台所の厳しい神社を薄く広く支える頒布物、今の御朱印ブームは結構なこと。神社スタンプは収益にならない。この いわき市だと参拝者も増えている様子あり。 御朱印帳に筆書きをして頂く場合、スタンプとの2色の場合が多く、筆も2色とか何の工夫もない神社だとつまらない。
イラストなりがプリントしてある和紙にスタンプと筆書きならば良いけれど、神社や日によってオール プリントの日付けなしの場合も。これだと参拝記念の意味がない、記念写真で済む。 2/ 1、参拝して頂いてみた湯本の温泉神社(延喜式内社)と摂社の常磐城稲荷神社の書き置きの御朱印は21.0×14.8cm あって、このサイズが収まる御朱印帳は「大判」でも見掛けない。「神社ソムリエ」佐々木 優太 君は一つ一つ御朱印のフチをハサミで切って貼っていた。メーカーか神社本庁・全国神社総代会でサイズを検討してくだされ。 先月 伺った茨城県日立市の御岩神社は厳気の張りも素晴らしく、非常に興味深いところで、ここの祭事ごとの御朱印には収集欲を唆られる。今年、同じ靈山の筑波山神社にも参拝すると、二社 合わせた「常陸国霊山御朱印」に金の龍のシールを頂ける。 ただ、御朱印のようなものはあとで見るのに日付け順に整理したいけれど、変形や見開きの書き置きばかりで、特に御朱印集めはやりません、なのだ。順番のシール貼りなどどうせ続かない。 「紙朱印」には、参拝したという客観性がない。ネット販売は見掛けないけれど、日付け抜きのものが門前の自販機で売られていたり、特に限定ものがネット売買されている。身分証明書を提示して、氏名を書いて貰うようにしたら、面倒かな。
日本三大金刀比羅宮の一つで、「いわきのこんぴらさま」。湯本の仮設住宅を廻っている時に、こんなところがあったか、と。平日は勧請元の香川県琴平町の総本宮に負けない立派な拝殿の前を独占して拝礼できる。 御祭神は復古神道で “易神さま” ということになっている大物主神(= 開化天皇までの将軍の役職)。 御朱印ほかの今どきのアニメチックなイラストもどうかな。64卦や吉・凶ほか易の道具を都合よく弄り回して現在に至る おみくじ同様の流れ。 小さな集落の二荒(フタラ-)神社に久し振りに行ったら、鳥居のシメ縄が、稲藁ではなく、黄色いストローのようなビニール製でビックリ。日本こそ米の国で、大國主神に始まる国作りの通り、古来 五穀豊穣を祈念するシンボルが「稲」でしょうに。紙垂は硬いプラスチックだった。戦後にアメ公によって石油利権のために麻がナイロンに変えられ、稲藁も消えるか…。 「作り手が少なくなったから」…神棚の御札や神社大麻もグズグズになっても納得しますか? 宗教関係なく助成金が使える筈。 神社の課題については取り敢えず。 ●古代のユダヤ教はこの島国に入ると創造主ヤハウェの一神教の厳格さを失って、雰囲気先行のような「b人和樂」のように堕した。今どきは柔和・穏やかであれば「いいね!」が集まる。
祈祷・祈願の類は、他力本願ではなく、真剣に努力しています、力をお貸し下さい、でないとダメよ。祝詞もそのような文言でないと。 そもそも、それ以前、朝廷は8世紀初めに纏められた「記紀」に突然 登場する八百万の神々を奉る…どうなの? 実は遠路シルクロードをやって来たユダヤ教・キリスト教の創造主ヤハウェ = ゴッドや古代イスラエルのダビデ王・ソロモン王たちのことやも知れぬ八百万の神々…。靈學の域でないとお祀りしている神々が何者かさえ判らずのまま…界隈の怠慢。 インド発祥、支那経由で老荘思想くさくなったけれど、それでも「空の思想」を説いている「般若心経」一つ、仏教世界の設えに遠く及ばない。 インドはB型がA型に並んで多く、内的事実をどこまでも追求する気質・能力が散見される。無邪気な子供のように非情に稚気に溢れ、皆に愛された、と伝わる悟りの大天才、聖・ラーマクリシュナは多分B型。 「(神道の作法等に)絶対的なルールはなくても、モラルはある」とか、仕事として神社回りをやっている業界人の佐々木 君とこちらでは神道の概念も向き合い方も相当 違う。歴史的にも神道は単純にイメージ出来るものではない。 皇道の方でも、近親者たちの証言・発言と易の判断からして、廃仏毀釈もやった明治天皇は睦仁親王に成りすました大室 寅之祐(= 北朝の末裔)であることに間違いないが、このタブー、彼なら明治天皇の玄孫の竹田 恒泰 氏と同じく自身の立場や界隈への忖度が最優先だろう、と言った具合。 天尊降臨の宮崎県高千穂から東へ東へ、奈良県橿原に宮処をお開きになり、神武天皇が即位された紀元前 660 年2月11日から男子の血統が繋がった「万世一系」…御伽話。東南アジア〜極東には祖霊信仰しかない。 キリスト教ならば、イエスの再生にしても医学的可能性が言えるから、知的な人もそれなりに信奉が可能。 ご都合・忖度でやたらと隠したがり曖昧を放置する日本人体質。肝心なことはスッキリさせた上で、扱いを整えませんか。日本解体をやるわけではなくて。
初級・参級はオンライン受験のみ。 各級とも公式テキストから 100 %出題と言うけれど、一体 何冊あるの? 本仮屋 ユイカ さん、片桐 千晶 さんも受けられる。日曜日だけれど、時間的には「地方創生プログラム ONE-J」のあと。 併し、これ、神道の本質的な課題には特に寄与する感じはしない。 ●「神社ソムリエ」を名乗る佐々木 優太 君、伊勢の正式名称「神宮」は「神宮」と言う神社は1社もなくて、計 125 社を纏めて「神宮」と。神宮の公式WEBにもそんなようにある。 ただ、125 社は広く4市2郡に分布するそうで、普通「(伊勢)神宮」と言えば正宮の皇大神宮[内宮]・豊受大神宮[外宮]を指すと思うけれど、どうなの? 境内に摂社・末社がある神社はそうだ。例えば、度々 上がっている「(四倉)諏訪神社」には狭い敷地に境内社が5社あり、「(四倉)諏訪神社」と言えば、参道正面のあの社殿。 と疑問に思って伊勢の神宮に問い合わせると、125 社を纏めて「神宮」だけれども、広義的にというか、一般には内宮・外宮を指してそのように言われることがありますね、と認識のところで終わり、あちらでもそこは承知。ここは特別で、内宮・外宮の別がなかったら、ここは「神宮」なりの名称だったかも知れない。 鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)だと、境内社は境内社。
こちらは子供の頃から「普遍的なものを追求したい、掴みたい」思いで人生をやって来たようなもので、易に巡り合って傾倒、靈學の世界へ。ここに来て神社巡りに頭が向いているのは必然か、と思って一筮。今日的な社会問題ばかりに消費されていられない。 こちら個人や、お仲間連れの場合もどうか、の質し。
この六三は、五陰爻の混沌迷妄の者たちの中にあって、爻辞「碩(オオ)いなる果(コノミ)」の上九、即ち、最も宜しき賢き存在なりと陰陽 相応じており、これに拾い上げられ、教導を得る者。 【艮】は “神社・仏閣” の象で、六三を陽変した 52【艮爲山】||(← 左を上に。以下 同じ)は “神社また神社” 。【艮】は更に “神職・僧侶・山伏・隠者” ・ “楼観のある門” ・ “神棚・墓” であり、【艮爲山】はこうしたものを巡り歩く様。 よく卦を得た。靈的なステージが上がったとか何とか、このところよく閃きあり、何か回り出している。震災・原発爆発に遭おうが、親が亡くなろうが、こうして鬼の態なれば、そんなこともあるでしょう。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| #易占 #易占い #占い #神社 #御朱印 #神社検定 #巡礼 |
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| 三連休の最終日 1/ 8(月)、南隣の茨城県に脚を伸ばして、日立市の御岩神社・御岩山(オイワ-)、泉神社へ。車の運転再開で、無性に南へ行きたくなっている。 是非について卦を立てると、25【天雷无妄】||||(← 左を上に。以下 同じ)六二。何か宜しき結果などを期待せずに無心に務めよ、と。爻辭「往く攸(トコロ)有るに利し」。六二の裏に 10【天澤履】|||||で、【乾】の “神・仏” の後ろを心しながら履(フ)む。 朝6時、数cmの積雪あり、車のフロント ガラスの氷雪を溶かすことから。 国道6号線を行ったが、常磐自動車道だと日立市に来て高〜い高架橋があり、その下の谷間を西へ延びる県道36号線に入り、凄いカーブ続き、所々 土砂崩れで一通になっている道路を緩やかに上る。 途中、そこだけ道路を左右に分けるようにして真ん中に立つ「本山の一本杉」があり、有名な心靈スポットとか。 御岩神社は早朝から警官がそちこちで駐車場の交通整理をやっていて、茨城県を代表するに近い大きな社だった。集落の佇まいにも歴史の味がある。 < 御岩神社(日立市) > 宇宙飛行士のエドガー=ミッチェル氏が、アポロ14号(1971)で宇宙から地球を眺めると1ヵ所だけ非常に光っている場所があり、その緯度・経度を計測すると、日本のこの御岩神社のある場所だった、と来日して参拝し、語っている。 また、宇宙飛行士の向井 千秋さんが、スペースシャトル(1994 or 1998)で宇宙から地球を眺めたら日本に光の柱が立っていて、帰還後にその場所を調べたら、日立市の山の中だった(新聞記事)、と。 以上の第一次資料は不詳だが、まさに「日立」。調べると、日立の名の由来には水戸藩第2代藩主の徳川 光圀や後醍醐天皇に纏わる説があって、有力な由来の方の光圀が「旭日の立ち昇る光景の偉大なるは領内無二」と言った場所は神峰神社でも神峰山の山頂にある神峰神社の奥宮であり、御岩山の東方 僅か2 km。 で、紫龍仙道人の言われるところだと、その光の柱の先に広がるのが日本上空にあるという高天原(1/23 記:光の柱が宮崎県高千穂町の、槵觸神社(クシフル-)の裏にある天孫降臨の神々が高天原を遥拝したと云う丘や、天岩戸神社の裏にある天岩戸(撮影禁止)・天安河原辺りから立つならば分かる)。 誰が言い出したか、ここは「日本最強の靈場」とか。その通り、靈魂も集まる。 南へ鳥居をくぐり、すぐ左手に祓戸神社で、本来はここでお祓い。次、やや高所に境内社の愛宕神社。
参道は左右を高い杉に囲まれて木漏れ日も入らず、その先も8時半でも薄暗くて、所々 白く石燈籠が続く。苔生した石碑や墓石が沢山 並び集められていたり、如何にも一帯に靈気 漂う。 あとで下山するまで冷え込んで、休憩所には業務用の温風機が回っていた。 写真はキチンとしたものを撮るならば、もっと温かくて、人の少ない季節に。
天之御中主神も大日如来も創造主のことだろうから、習合はおかしくはない。北イスラエル王国のユダヤの失われた10支族の末裔たちが北から南から辿り着き、3〜4世紀に中央アジアから古代イスラエル系の弓月君 率いる秦 氏(ネストリウス派キリスト教に改宗)もやって来て、ヤマト王権を築き、古神道とユダヤの文化が混ざり合う。古神道のルーツも列島オリジナルなのかも不詳。 各氏の史料研究からすると、記紀以前の古神道は一神教のようであり、その神はユダヤ教・キリスト教の創造主ヤハウェ = ゴッドである可能性を否定できない。神道の「罪・穢を祓い給え清め給え」はユダヤ教・キリスト教のまさにそれ。伊勢の豊受大神宮[外宮]の豊受大御神は秦 氏由来の稲荷神社の稲荷神であり、大分県の宇佐 氏に始まって応神天皇を祀っている八幡神社の八幡神も、日本古来だろう天之御中主神も、同じ根源神、大元神[大元靈神]。仏教の大日如来も。即ち、同一の大摂理を示す。 続いて、この隣に神仏習合の斎神社回向殿。天井いっぱいに今年の干支の龍の画あり。御祭神は天之御中主神ほか。 そもそもこの地では祭祀遺跡が幾つも発見されて縄文晩期から信仰の地だったようで、山岳信仰と共に古神道の神仏混淆で続いて来たが(仏教の宗派が不明)、江戸時代に、水戸藩初代藩主の徳川 頼房が修験道(神仏習合)の出羽三山をここに勧請して(具体的には何を分靈?)水戸藩の国峰に定め、次の光圀が大日如来を本地にしてしまって(主仏従神。初めて知った)、「御岩大権現」に名称を改めた、と。境内には21の寺社仏閣が置かれ、門前には宿坊が並んでいる風景だったらし。 徳川幕府は仏教を民衆の管理、政権安定、キリスト教排除に利用している。 で、幕末に尊皇攘夷の旗頭となった第9代藩主の「烈公」斉昭が敬神廃仏の方針で神仏分離を行ってここを唯一神道に改め、僧侶・修験の神社奉仕を禁じ、明治時代の廃仏毀釈で仏教由来の大日堂、観音堂、大仁王門等を壊した、と。 元旦の早朝に行って来た いわき市の閼伽嶽薬師常福寺(平安初期の開山、戦前は真言宗別格本山)も「柴燈大護摩供」で火渡りを執り行うなど、珍しく修験道の靈場としても続いている。
こういうものは物理エネルギーではなくて、謂わばイメージなので、気のせいと言えばそんなところもあるけれど、実感が湧くようになって来た。 帰りに同じ場所に左の掌を置いてみたが、今度はパッとしなかった。 信頼できる靈能者のはやぶさ ゆか さんは除霊するのに靈を連れて帰る場合、右掌の真ん中から吸い込む、と言っている。 この第三の眼を開くには、眉間の少し上(インドの女性がビンディーを付ける位置)に指を置いて、眼を閉じて、そこを裏側から凝視するようにすると開眼できるとか言う。ただ、開眼したとする実感が判らない。 こちらはそんなことなしに、そのポイントがハッキリ分かるので、集中してそこで気を練って硬くして前方に長く伸ばして、机の上に立てた消しゴムを倒せるかやってみたり(擦り抜けてダメ)。 靈聴したり、普通には説明ならない不思議な経験をするようになったのは、明らかに3.11が境目。それまでは、幽体離脱を除いて、そういう不思議には全く無縁だった。
御岩神社の拝殿。御祭神は伊弉諾尊・伊弉冉尊に至る神世七代の最初の神である国之常立神(クニノトコタチノカミ)、大國主神、大山祇神(オオヤマツミノカミ)など26柱、一山で総祭神 188 柱。こちらが訪ねた神社では最多。 御岩神社の裏に御岩山。常陸國最古の靈山で、古称は「賀毗禮(ガビレ)之高峰」。ここからは修験道などの修行の場のような。 下からは山林で山容が見えず、 “裏山” だろうと、予定になかったが、手には三脚、ジーパンで表参道から登拝してみたら、海抜 530 mの高見で、神社の本殿から南東方向に約 300 mの上り。登山着にリュック姿の人が半数で、あれれ、と。僅かな積雪で滑るポイントあり、往復2時間。何人も追い抜いたので、これでも早い方。山道には木の根の階段が続いて、上になるほど奇岩怪石と急な傾斜で登り難くて、手を使う場面はなかったが、小学生低学年だと登り切るのは難しいかも。 途中「これよりカンブリア紀 日本最古の地層 五億年前」の立て札あり。 日本列島は約5億年前に形成され、その時代の痕跡が全国で唯一 残っているのがここ日立市一帯の多賀山地だそうで、有機物の石化でも5億年…表参道の脇を流れる沢にはそんな小石がゴロゴロ。
御祭神は、天照大御神、邇邇藝命(ニニギ-)、立速日男命(タチハヤヒオ-)。 ここは改名した御岩大権現と共に水戸藩の祈願所で、代々の藩主が参拝した、と。徳川 光圀は 250 年も掛かって完成する「大日本史」の編纂を始めるに当たり、ここで「筆初めの儀」を執り行い、特にこの社を信仰した、とのこと。 「常陸國風土記」(721)の久慈郡に大体こうある。 賀毗禮之高峯に立速日男命(=「記紀」に書かれていない。「常陸國風土記」には立速男命とある。鹿島神宮の主祭神の武甕槌神と関係ありか)という天津神が松沢の松の木に降り立ったが、この神の祟りは厳しくて、村人が松の木に向かって大小便をしようものならその者に災いや病をもたらした。村人は苦しんで有り様を天皇に申し上げると、天皇は片岡の大連(= 中臣 鎌足の一族)を派遣。片岡の大連はこの神を敬い祀らせて、「どうかこの不浄な地を避けて、高い山の清浄な境に鎮まりたまえ」と申し上げると、立速日男命はお聞き入れになり、賀毗禮の峰にお登りになられた、と。 山登り…こちらが趣味にしている自転車ツーリング、と言っても、2005 年のスペイン北西部ガリシア地方〜ポルトガル縦断から止まったままなことに愕然とするが、退屈な場所はサッサと走り過ぎれば好いし、爽快な場所はノンビリ楽しめば好いし。長距離移動にもなる。 他方、登山は延々 歩く、下りも。下りは脚に来るし、登った道をまた下ったり。海外でパンクや疲労で自転車を押して海抜 1,500 m 山登りとか何度もやっているけれど、見晴らしの好いポイントは高地に限らない。気分直しや思索にちょっとした山登りは好いし、YouTube のも好きで観ているけれど、こちらはそれなりの登山は退屈な時間が長過ぎて趣味にする気にならない。 都道府県の最高峰を制覇するみたいな have to になりがちな分野には切りがないから興味がなくて、クリアすると負担から解放されるばかりで。趣味は日常から want to なものに。
東側の奥のやや下がった所に御岩神社の御神体の石柱とお宮。厳かで、古いお墓のような、靈意を感じないわけにはゆかない。そう思わせるから「パワーがある」けれど、眼を閉じたらどうなのか、と。落ち着いてイメージングしたらその方向に何か得るものやら。 石柱の向かって左には上に尖った古い岩があり、ここ気になる。断層の押し合いで盛り上がった突端の一つらしい。 ここのことではこんな動画も。 光の柱の光源は…100 km 以上上空の軌道から視認できるならばかなりの太さが必要なので、一山全体から放たれていたというならば、そこは分かる。或いは、上空では光束が拡がる? ここから隣の高鈴山の南西の方へ尾根の獣道を 200 mも歩いたところにやはり露天の御嶽神社(オンタケー)の古い祠があり、ここを見落としたのは失敗。そちらへとやや下りると「この先岩場 立入禁止」の看板があって引き返したが、道脇の崖のことだったらし。 ここは長野県木曽郡王滝村にある御嶽神社(= やはり国之常立神ほかをお祀りする)の分社となっている(1/23 記:先に追記した槵觸神社の裏にある遥拝所を思わせる作り・佇まいで、修験道の祭祀場にもなっているよう)。御神体の祠の前には「御岩山」と彫られた大昔の石燈籠らしきものあり。 下山は、賀毗禮神宮の少し上の分岐点から裏参道を降りる。こちらの方が登るには楽で、短いが、擦れ違う人 殆どなし。そちこちに祠、御幣、石碑等あり。祠の薩都神社中宮(サト-、立速日男命のみをお祀り)あり、「中宮」? 右下には徳川以前にこの地を支配していた佐竹 氏の寂れた墓所も。 山を下りると、御岩神社の拝殿の横にある小さな稲荷総社が眼に留まって拝礼。 既に参拝客が大勢で、授与所(≒ 売店)は混雑。 おみくじは「凶」を減らしたり無くしたり弄くり回しているだろうから無用。易占に及かず(こちらで書いた)。 御守りなどの頒布物[授与品]も、祭壇に上げて魂入れの御祈祷は行うけれども、神主に験力がなければ形だけだろう。 ただ、キチンと作られた御札については非常に不思議な経験があり、また今度。
「日本帝國ガ総国力ヲ挙ゲテ新東亜建設ノ大偉業ニ着手シ暴戻ナル蒋政権撃滅戰ニ遠征シタル皇軍ノ為メ我等ノ愛馬ハ昭和十三年六月廿二日及廿四日ニ招集セラレタリ招集セラレタル愛馬ハ多ク第二 ノ敵首都漢口攻略戰ニ参加シタルモノト想像セラルゝニヨリ特ニ題字ハ関右馬允氏ノ斡旋ニヨリ中支派遣軍最高司令官山田閣下ノ揮毫ヲ乞ヒ茲ニ従軍愛馬ノ忠勇ヲ永久ニ記念シ以て労苦ヲ慰メントス 昭和十四年六月二十三日 帰って来ないだろう愛馬を送り出す人たちの心情…。こちらは畜産食肉業者のメンタルが解らない。 因みに、この人はのちに陸軍大将に進み、最後の関東軍総司令官・満州国駐箚特命全権大使を務めた。 支那事件には60年近く前に亡くなった母方の祖父も従軍。 いわき市には松ヶ岡公園そばの性源寺にひっそりと「報國恩 出征軍馬忠魂碑 昭和十五年四月建之 陸軍中将高木義人書」がある。 こういう石碑こそ少しでも陽の目を見るように。 温かくなったらまた来よう。山門は朝6時に開く。ここは御神氣靈能を覚える機会があるかも知れない。
< 泉神社(日立市) > 日立市を南へ、太平洋の方へ、泉神社へ移動。 一昨日、TOKYO FM「三菱地所レジデンス Sparkle Life」でゲストの「神社ソムリエ」を名乗るタレントが取り上げていた神社。 ここの売りがコバルト ブルーの小さい泉で、先の「常陸國風土記」の久慈郡に、立速日男命(タチハヤヒヲ-)の話に続いてこう書かれている。 夏の暑い頃、そちこちの郷里から男女が酒肴を持ち寄ってこの泉に会集し、休遊し、飲楽の時を過ごす、と。 それがここの縁結びの神の由来になっている。由来とはそんなもので、肝心は験があるか。 お昼近くの住宅街、もう8日なのに広い駐車場の駐車待ちに延々 並び、広くもない境内は参拝者でギッシリ。1/ 3 放送のTBS「マツコの知らない世界」で先のタレントさんが「2024 年最強開運神社!」と撒いたためらしい。 北側の石の鳥居をくぐって細い参道を真っ直ぐ進むと、ここも冬場は木々に囲まれて薄暗く、どこをどう撮っても人が大勢 入るので、記念撮影だけ。雰囲気だけ掴んで帰ろう、と。参拝をせず終い。 ここは神紋が三つ葉葵で、徳川家が東北攻めの際に必勝祈願をやったとか。御岩神社ともども徳川家繋がり。
泉神社はこれまた「記紀」に書かれていない天速玉姫命(アメノハヤタマヒメ-)という謎の神様を祭祀していて、古称が天速玉姫命神社。昔、雨乞いをした時に隕石なのやら靈玉が落ちて泉を成したという伝承があるとかで、「天速玉」の由来らしいとか。 その上に、泉の中に作った島に鎮座というよく見掛ける形で、厳島神社の祠。水に関わる辨財天をお祀りする。 泉と言えば、48【水風井】|||九五の爻辭「井(セイ)洌(イサギヨ)し。寒泉 食(クラ)はる」。隕石と言えば、44【天風姤】|||||九五。ガツンと落ちるのではない。 泉は毎分1.5tもの湧水がある、と。薄暗くて湧き出て来るポイントが分からなかったが、時には泡がボコボコ出るようだ。 泉は陽が射すと美しいコバルト ブルーに。こういう場所は湧水に珪酸やアルミニウム等で成るアフェロンの微粒子が多量に含まれていて、それが波長の短い可視光線を散乱させて青く光る。福島県では北塩原村の五色沼が有名だし(こちら行ったことがない)、サンティアゴ デ コンポステーラの巡礼路を自転車で旅した時にはスペインのガリシア地方でエメラルド ブルー&グリーンのキラキラ非常に美しい入り江の上の道を長々と走ったことがある。
この神社にもう一つ「泉流木」という売りものが出来た。境内の奥の方で木を伐採したままにしていて、1年少しに草木の中から見付けた、と。今年は甲辰(キノエタツ)で、丁度 木の龍でおめでたい、と。たまたま切った位置が好かった。 こちらの推し神社は実家があった広野町の海沿いの無人の鹿嶋神社と、いわき市四倉の街中にある四倉諏訪神社。 後者は、国学の平田 篤胤[大壑]翁 → 高知市の潮江天満宮にお生まれになった宮地 水位[堅磐]大人 → と靈統を繋ぐ紫龍仙道人[渡辺 壽眞 氏]所縁の神社で、6歳の時以来、この裏山から異世界に登ったと著書に書かれている。 そのことを以前ここ宮司の奥様にお話したら、嫁いで数十年 聞いたこともないとのことだったが、最近 息子さんらしき人にお話したら、神仙道のことも承知されていた。紫龍仙道人自体が知る人ぞ知る方で、神仙道は神道と道教などの謂わば習合。もし神仙道を他の宗教と捉えてしまうと表には出し難いかな。 今後、靈學に関わる辺りのところで神道・神社のことは追求したい。 尚、写真や動画で、オーブはライトに当たった虫のピンボケ。神聖な場所などでの不思議な光はレンズのフレアがほぼ 100 %。
チャネラーを名乗る ちかみつ氏は神田明神(東京都千代田区)・伊弉諾神宮(兵庫県淡路島)は天空に柱が立っている、と言っている。こちら、この人の力はどれも実感できないので何とも言えません。 神聖な場所から空に向かって光が云々は靈能者界隈ではたまに耳にする。
井戸に幕ひが掛かっているような状態なのが上六と陰陽 相応ずるこの九三で、井戸は底の泥も浚い除かれて整備されているのだけれど、利用されていない…と井戸が嘆いている。 九三を陰変すると 29【坎爲水】||で、この六三の爻辭も「險[檢](= 手かせ)且つ枕(チン = 足かせ)す(= 上にも下にも【坎】あり、進退両難)。坎窞(カンタン = 穴の底の穴)に入る。用ふる勿れ[用ひらるる勿れ]」で、物ごとの障害は一つではなさそうだ。 だから、光の柱を放っているのは確かにここのようであり、併し、現在状況として、肝心なものに物理的にか比喩的にか “幕ひ” がされていて、それで今は光が放たれていないのではないかな…。以前は放っていたけれど、今は、という場合にはこういう示され方になるだろう。 ん〜、山頂の石柱が光の柱の中心だとするなら、変化と言えば、紙垂囲い? 結界だけれど、これが宜しくないわけがない。 問題の主らしき「王」は御岩神社の宮司なりここの運営に関わる何かなのか、神社(本)庁なり別のところか。(1/17 記:光の柱を放っていた神通力のある存在が亡くなられたか) 卦をあちらから観ると、綜卦 47【澤水困】|||で、何か財政的な問題ありと察せられる。 そんな読み筋になるかな。 この卦・爻では、小川 彩佳さんの結婚占など。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| こちらの場合、神仙道・靈学などとの機縁は易占にあり。筮筒に1本 立てた太極の向こうに高い知性と千里眼を持った “人格” がおわすことは、易に数年も向き合えば十分 確信になる。江戸後期の眞勢 中州 翁が言われるように、筮筒のそれは太極の意というより御神靈の依り代だろう。神棚に具える御幣のそれ。易占は、「御神靈は実在する」んだよと、仙道玄学靈術の修行の土台となる「信心」というものをこの悩ミソ深く植え込むプロセス。卦・爻と事実との付合という現実はこちらには最善の薬だった。ご多分に漏れず、この因果律とは違う玄なるものから生じる疑いや否定の念を抱えて出発している。しかし、易占を含めて、行というものでは神なり仏なりへの信心があちらと通交するための土台になっている。そして、その純度とか(神道で言うなら)穢れのようなものが応験に関わる、これは間違いない。思えば、易は簡易に御神靈と交われる、故に「易」と言われるようになったようにも思えて来る。 知性に走りがちな年齢の内はそうした確信が持ち難いから、何を決意しても先に光が持てないまま挫折しただろう。今では自分の道は定まり、信心が色々な意味で自修を助けてくれている気がする。幸いにして “易神” さまとのご縁を得たわけだから、牛に引かれて善光寺参りにせよ、更なる導きを得られるように努めるべし。
ともかく universal な存在。旧約聖書にある創造主ヤハウェもユダヤ人だけのものではないし、大きく天地創造の神として描かれている。 易的に言うと、“易神” は陰陽未分化の状態である太極の「一」であり、同時に、あらゆる時・空間における森羅万象をその内に蔵する「全」。太極そのものに一であり、陰陽の両儀であり、〜64卦の全であり、の見方がある。 そこで、その姿を足下の「古事記」に探すと、天地開闢の際に高天原に最初に現れた神、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)が浮かび上がる。「天」は宇宙(= 空間と時間)、「御中」は真ん中、「主」は支配する、といった意味で、宇宙の根源神的な性格を持った神。男性的神格の高御産巣日神[高皇産靈尊](タカミムスビノカミ/高天原系の祖神)と女性的神格の神産巣日神[神皇産靈尊](カミムスビノカミ/出雲系の祖神)と共に造化三神とされ(中華史における三皇のような位置づけ)、皇室の祖神とか違うとか議論が絶えない天照大御神より古い神々として、八百万の神々の最奥に位置づけられている。 言靈学では全てに先んずる実体の「此世の極元」であるミクロの御神靈元子「ス」を想定していて、これも太極と似たり。 江戸易の草分け的存在である平澤 随貞は「易の神は天の枢軸である奠辰(テンシン)である」として北辰 = 天之御中主神を尊崇していたという。 なにせ御神靈は形而上学の対象だから、「天之御中主神を出現させた力がそれ以前に存在していないとおかしい」なんて物理を言う勿れ。ただ、「天之御中主神は混沌とした天地の間に出現した、高天原に現れた」のストーリーはおかしくて、それら造化の神が太極の神々が天も地も山も海もお「むすび」になられた、でないと。 ともかく、万物造化は天之御中主神より始まって、次に陽の性格付けの高御産巣日神と陰の性格付けの神産巣日神が現れるというのだから、これは易思想の太極および陰陽分化の概念そのものだ。これを人類普遍に無為自然に想起される概念と言うなら乱暴だろう。キリスト教の神・イエス・聖靈の三位一体の構図なんかを横に置いてみれば、被り具合がよく判る(もっとも、平田 翁は神道にユダヤ教の創造主の概念を導入したと見られ、神とキリスト、日本の神と天皇の位置はよく似たり)。実際、中華領域では二千年以上前の漢代になって天人相関の考え方から象数易が興隆して、理論・実用の両面から祭政を支えた。ここ数十年の考古学の検証では、易の経(= 卦・爻の辞)や伝(= 十翼)も実はこの頃 今に伝わる姿に整備されたと結論づけられている。 そうすると、造化三神やそれに続く神世七代のイメージは易や三皇五帝周りの概念が後世こちらに輸入されて創作されたもの、との見方が有力になるわけだ。年代的にその逆はない。神界由来を信じる神道家は否定するだろうが、それまでの日本固有の神格的存在の存否の問題はともかくとして、まあ、事実はそうだろう。6世紀前半までに朝鮮半島から儒教・仏教などの外来の教義が入って来て知識層に広まり、それが現世利益に沿うものと理解されると、そうあることが当たり前に過ぎて信教とも言えず教典もなかった惟神の道は可視化を迫られただろうから。 「記紀は易を下敷きに周到に作られている」のような考察も以前からある。いつ頃の成立やら、「三種の祓」には「寒言神尊利根陀見」= 八卦「坎艮震巽離坤兌乾」とあったりして、八卦と神道はただならぬ関係にある。 つまり、神々についての面倒な国際比較論を脇にやって言うなら、“易神”は根源神の呼称の問題と言える。 というわけで、ひとまずわが主祭神は畏れ多くも天之御中主神ということに。 但し、ここで。神道の視点であちらの構層を眺めれば、易占を直接に司掌するのは、つまり、筮者と気線が通じて占を示されるのはずっと下位の神さまであり、平田 篤胤 翁の「仙境異聞」に書かれる杉山僧正(-ソウショウ)のような下位で多忙な神人になるらしい。代命司神というのかな。更には、またその下で働く式神・眷属とか、諸説紛々。普段 我々が筮を通して相対しているのがこうした存在だとするならば、占の示され様に俯瞰的な判断などの人間臭さが窺えるのはよく頷けるのだ。ここをそうした玄理ではなくて集合的無意識で説明しようとすると、自分は一体 何者と繋がっているのか、それは筮竹を捌く筮者の両手をも操っているのか、という疑問にぶち当たる。易占をたしなむ神道家・靈学家の方は少なくないし、これを直覚された方がいらっしゃると思うが。 そこで、天之御中主神のことをあたっていたら、この神をお祀りしている神社は全国でもそう多くないと知る。水天宮(福岡県 久留米市・東京都 中央区)、天之御中主神社(鹿児島県 鹿児島市)、妙見山の名草神社(兵庫県 養父市)、秩父神社(埼玉県 秩父市)、青麻神社(宮城県 仙台市)と見ていると、相馬小高神社(ソウマコダカジンジャ/福島県 南相馬市)! 何と数十年前にわが名を頂戴した神社である。毎年7月に行われる国の重要無形民俗文化財の相馬野馬追の出陣式や野馬懸が行われる神社で、知る人ぞ知る絵馬発祥の地。しかも、この神社は旧相馬藩主らの妙見信仰から天之御中主神のみをお祀りして主祭神としている。こちらの人生で神社との関わりはここ以外にはない。奇しきご縁である。 というわけで、新年は相馬小高神社に天之御中主神へのご挨拶と祈念から始まった。わが名は頂いたものの、こちらを訪ねるのはこれが初めて。子供の頃は隣の浪江町に住んでいたが、この旧小高町には数年前まで来たこともなかった。
石造りの鳥居に続く長い石段を上り、また鳥居を潜ると、左に北奥の社殿に向かって細い参道が続いている。朝8時半、元朝参りの人々の往来で賑やかで、参道の両脇には軽食の露天が続いていた。 左の手水舎で手を濯ぎ、拝殿に上り、賽銭を投じて、鈴を鳴らし、人が多くて慌てて二拍手して二礼(笑)、長々と天之御中主神にご挨拶と、いきなりの祈念と。鈴・金・礼・手・唱詞(トナエコトバ)「祓い給え 清め給え 守り給え 幸(サキハ)え給え」・祈願・礼の順序ぐらいちゃんと身に着けたいもの。 拝殿を降りて、左に回って一段高い奥の本殿の方に行ってみると、内部からかすかに祝詞を唱える声がする。 この社殿の左には東に小高神社の方を向いて小さい棚機神社のお社もある。この脇から北側に下りられるようだ。手前には絵馬堂も。 拝殿 向かって右脇の少しごった返す社務所の授与所で若い巫女さんより御守りを頂戴する。紫色の必勝開運御守、300 円也。ご縁のある神社の御守りと思えば、何やら頗るありがたい。巫女さんの数、御守り類の種類、何とも景気がいい。その脇では祈祷の受け付けもやっていた。 石段の所まで戻ると、右手に「小高城の由来」の案内板があり、左手に四倉諏訪神社でも見かけた聖徳太子の石碑が建っている。そう言えば、紫龍仙道人もご先祖の渡辺 氏は相馬藩士だった。 なるほど、こんな場所だったか、と。御神氣を頂いた。 浪江町に寄り、一昨年の暮に帰天した祖母とご先祖たちのお墓参りを。お墓参りは一人 静かに来るのに限る。 さて、相馬小高神社に出かける前のこと。大晦日は除夜の鐘も聞かずに床に就いて、目を覚ますと 6:55。もう日が昇り出している時間だ。急いで家を出て、ちょっと若い連中の人垣が出来ている海の堤防に急いで上がると、何とも強烈に眩しく鮮やかな朝日の照り映え。今朝は土手雲がほとんどなく、日輪にオレンジ色に染まり切った空と、群青の海原に一筋 太い日の照り返しと。
今年は年明けと共に内なる何かが変わった。誰でも毎年 何か気分・風景のあらたまりを感じるものだろうが、今年は何か明るい御神氣が入り込んだ実感がある。今年は動く年。そう決めていた。今年は特別な年になる。 |
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| 大祓詞(おおはらいのことば) 高天原(たかまのはら)に神留(かむづま)り坐(ま)す 皇親(すめらがむつ)神漏岐(かむろぎ)神漏美(かむろみ)の命(みこと)以ちて 八百萬(やほよろづ)の神等(かみたち)を神集(かむつど)へに集へ賜ひ神議(かむはか)りに議り賜ひて 我(あ)が皇御孫命(すめみまのみこと)は豊葦原水穂國(とよあしはらのみずほのくに)を安國と平けく知食(しろし)めせと事依(ことよ)さし奉(まつ)りき。 此(か)く依さし奉りし國内(くぬち)に荒振(あらぶ)る神等(かみども)をば 神問(かむと)はしに問はし賜ひ神掃(かむはら)ひに掃ひ賜ひて 語問(ことと)ひし磐根(いはね)樹根立草(きねたちくさ)の片葉(かきは)をも語止(ことや)めて 天磐座(あめのいはくら)放ち天八重雲(あめのやへぐも)を伊頭(いづ)の千別(ちわ)きに千別きて天降(あまくだ)し依さし奉りき。 此く依さし奉りし四方の國中(くになか)と大倭日高見國(おほやまとひだかみのくに)を安國と定め奉りて 下津磐根(したついはね)に宮柱太敷(みやばしらふとしき)立て 高天原に千木高知(ちぎたかし)りて 皇御孫命(すめみまのみこと)の瑞(みづ)の御殿(みあらか)仕(つかへ)奉りて 天の御蔭(みかげ)日の御蔭と隠(かく)り坐(ま)して 安國と平けく知食(しろし)めさむ 國内(くぬち)に成り出でむ天の益人等(ますひとら)が過(あやまち)犯(をか)しけむ種種(くさぐさ)の罪事は 天津罪と 畔放(あはなち) 溝埋(みぞうめ) 樋放(ひはなち) 頻蒔(しきまき) 串刺(くしさし) 生剥(いきはぎ) 逆剥(さかはぎ) 屎戸(くそへ) 許許太久(ここだく)の罪を 天津罪と法(のり)別けて 國津罪とは 生膚断(いきはだたち) 死膚断(しにはだたち) 白人(しろひと) 胡久美(こくみ) 己(おの)が母 犯せる罪 己が子 犯せる罪 母と子と犯せる罪 子と母と犯せる罪 畜(けもの)犯せる罪 昆虫(はふむし)の災(わさわい) 高津神の災 高津鳥(たかつとり)の災 畜(けもの)仆(たほ)し 蠱物(まじもの)為(せ)る罪 [天津罪・國津罪]許許太久(ここだく)の罪 出でむ。 此く出でば天津宮事(あまつみやごと)以て (大中臣)天津金木を本(もと)打切り 末(すゑ)打断ちて 千座(ちくら)の置座(おきくら)に置足らはして 天津菅麻を本 刈断ち末 刈切りて八針(やはり)に取辟(とりさ)きて 天津祝詞の太祝詞言を宣(の)れ。 此く宣(の)らば天津神は天磐門(あめのいはと)を押し披(ひら)きて 天八重雲を伊頭(いづ)の千別(ちわ)きに千別きて聞食(きこし)めさむ。 國津神は高山の末 短山(ひきやま)の末に上(のぼ)り坐(ま)して 高山の伊穂理(いぼり)短山の伊穂理を掻(かき)別けて聞食(きこし)めさむ。 此く聞食(きこし)めしてば(皇御孫命の朝廷を始めて 天下(あめのした)四方の國には)罪と言ふ罪は在らじと 科戸風(しなどのかぜ)の天八重雲を吹放つ事の如く 朝(あした)の御霧(みぎり)タ(ゆふべ)の御霧を朝風タ風の吹掃(ふきはら)ふ事の如く 大津邊(おほつべ)に居(を)る大船(おほぶね)を舳解(へと)き放ち艦解(ともと)き放ちて大海原(おほうなばら)に押放つ事の如く 遠方(をちかた)の繁木(しげき)が本を焼鎌(やきがま)の敏鎌(とがま)以て打掃ふ事の如く 遺(のこ)る罪は在じと祓ひ給ひ清め給ふ事を 高山の末 短山の末より佐久那太理(さくなだり)に落ち多岐(たぎ)つ速川(はやかは)の瀬に坐(ま)す瀬織津比賣(せおりつひめ)と言ふ神 大海原に持ち出でなむ。 此く持ち出で往(い)なば荒塩(あらしほ)の塩の八百道(やほぢ)の八潮道(やしほぢ)の塩の八百曾(やほあひ)に坐(ま)す 速開都比賣(はやあきつひめ)と言ふ神 持(もち)加加 呑みてむ。 此く加加 呑みてば気吹戸(いぶきど)に坐(ま)す気吹戸主と言ふ神 根國底國に気吹 放ちてむ。 此く気吹 放ちてば根國底國に坐(ま)す 速佐須良比賣(はやさすらひめ)と言ふ神 持ち佐須良比失ひてむ。 此く佐須良比失ひてば(天の下四方には/今日より始めて)罪と言ふ罪は在らじと 祓ひ給ひ清め給ふ事を 天津神 國津神 八百萬の神等共に(平けく安けく)聞食(きこし)めせと白(まを)す。 |
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