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全日本柔道男子の井上 康生 監督は、例えば掴みも体勢も不十分なところから不意に投げを打って来る外国人への対応や寝技で固められたところからの脱出の試みなど、そこだけを繰り返し練習する「部分稽古」を重視している。易占でも “部分研究” が重要で、曖昧なところなどは掘り下げて考察・整理を要する。 事の成り行きを質して問筮を繰り返すと、筮時の状況が示されるか、脈略なくチャランポランに振れることは何度も書いているが、これはおそらくこちらの場合に限らない。時間・空間を超越しておわす “易神さま” 、即ち、易を司る摂理からすれば、一筮で終わるか何度 筮を執るかは元より承知で、それぞれの占示も初めから決まっている、と言える。 初筮でAの成り行きと示されたのが気に入らなくて、再筮するとBと示された、とする。初筮で終わればAの通りになるだろうが(解釈の問題はここでは捨象する)、再び筮を執ったために初筮の占示もその時の状況が示されただけのものになる。勿論、意味が変わる筈もなくて、そもそもそうだった。と言うより、時間を含めた四次元に生きて、時間を遡ったり超越できない我々には、この世の道理による解釈しかしようがない。 初筮で面白くない示されようだったとして、間を置いて再び筮を執って宜しき示されようだったら、そこで止めておく。最終の成り行きと合致する傾向がある。やや状況が変わるなどした後に占事・占的をよく洗い出して筮を執るなら尚 好しで、状況が変わるということは占事が変わるわけだ(これ以後を「再筮」と呼ぶべきかはひと先ず置いておく)。勿論、初筮よりも面白くない占示を得ることになるかも知れない。 筮が粗れていて占示を信じ得ないような時には何が出ようがダメ。“信じる”ということには偉大なまでの可能性がある。 また、こちらは眠気が射している時には、どちらと繋がっているやら、総じて面白くない示されようになる。現実と付合するかもデタラメ。占時だと察せられる時、頭は鮮明であること。 この、筮に向き合う、筮の充実という点において再筮が成り立つ。 そして、それらがなくて再々筮ということだと、やはりその時々の状況が示されたに過ぎないか、チャランポランの無意味な傾向になるように思う。 だから、この筮の数については単純なことは言えない。目立った状況の変化がない内であれば、再筮ぐらいまでは占を得るが、それ以上では怪しくなって来る、とこちらはそんな認識でやっている。 さて、「状況が変わる」、これには自分の認識も含まれるか? 例えば、意中の人が結婚していたことを知った、と。既成の事実を知らなかっただけのことならば、再筮による占示にその意味で変化は読み取れないだろう。何か認識がポイントになる場合にはこの限りではないが。勿論、事実を知ったことで初筮の占示がナルホドとなることはよくある。 また、最近 婚約をしたことを知ったという場合、初筮がそれ以前のものならば、認識だけが変わるのではないので、再筮する意味は勿論ある。 |
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前の記事で【雷水解】を得て、自称イスラム国に拘束された日本とヨルダンの3人の不幸な形での問題解消という六五(陰の五爻)の状況に続いて、1/23、次の上六(陰の上爻)では爻辭「公[上六]用て隼[六三]を高墉[六三]の上に射る」から「イスラム国を上から叩く場面」と書いた。 その通り、カサースベ中尉を惨殺されたヨルダン空軍などが 2/ 9 より自称イスラム国の軍事拠点へ空爆を開始した。早速ヨルダン空軍は敵の20%の戦力を削いだと発表。 この上六はこの高い位地から六三の下にいる「隼」を討ち取るのである。占事・占的次第は勿論だが、爻位が空間的上下に関係する。 これには、六四の下の位地から上六の高見に止まっている「隼」を射るのだ、という有力な異説が古くからある。上六は、射る側か、射られる側なのか、或いは、その他の観方があるのか、こういう一つ一つを実占で証しを立ててゆくのがこちらのライフ ワーク。上から下方を叩く、の確信がなければ、こういう場面では判断がおぼろげになる。
「隼」は二〜四爻の互体【離】の“飛鳥”の象からその真ん中の主爻の六三に取る。 隼が止まる「高墉」も内卦の一番 上だから「高」というのだとして同じ六三に取る。 即ち、上の位地から下の垣根などに止まっている地位不相応な隼を射る、などとする説がこちら。 古来、隼は高いところに居るものだろうと感覚的に上六に爻取りする人が絶えないようだが、高い木の上から下方の垣根の隼を射ることは普通に想像できる。敵を射るとは、漠然とではなく、隠れて、狙ってやるわけだ。古代、相手より見通しの利く高所に陣取るのは定石。 これらの解釈は、魏の王 弼、北宋の程 頥[程 伊川] 、明末の王 船山[王 夫之]、江戸期の海保 漁村など。 ■他方、「公」を陽爻の九四に、陰爻の小人[初六・六三・上六]の内の最悪の者である「隼」を上六に取る説あり。即ち、下の位地から卦極の高所の「高墉」に止まっている隼を射る、解去する、とする。 上爻で「隼」が出て来ると、隼はやっぱり高いところのものとしたいだろうし、下位には取り難いだろう。すると、射る人である「公」を否応なく下の陽爻に探すということになる。 しかし、爻辭は射るという行為を言っており、その主体は基本的にはその爻になるわけで、それを他の爻に当てるのは無理感がある。例外に 27【山雷頥】||初九や 61【風澤中孚】||||九二があるが、これらは他の爻の「我」を設けて、その「我」がその爻を語る形を採っている(※)。 「周易述義」、清の何 楷、岩波文庫の高田 真治・後藤 基巳 先生らがこちら。敬愛する公田 連太郎 翁は易占を能くされているが、何故かこちらの爻取りで「易經講話」を書いている。 ※ 27【山雷頥】初九「爾[初九](ナンジ)の靈龜を舍(ス)て、我[上九? 六四?]を觀て頥(オトガイ)を朶(タ)る(= 顎を垂れて食物を求める)。凶」・・・上九 又は六四より初九を語る。 61【風澤中孚】九二「鳴鶴 陰に在り、其の子[九五]之[九二]に和す。我[九五]に好爵(= 立派な杯)有り。吾[九五](ワレ)爾[九二](ナンジ)と之に靡(ヨ)わん(= 献酬せん)」・・・九五より九二を語る。 ■また、奇才・仁田 丸久 氏は、どの本にだったか、卦面というのは六つの爻だけではない、上爻の上に更に上の爻、初爻の下に更に下の爻があるのだ、として、確か「高墉(上六)の上」の爻の「隼」を射るのだ、とユニークな観方を書いている。 卦面というものはその通りかも知れないし、そういう“不可視光線”の観方も否定はしないが、爻取りは基本的には六爻の間で成り立つし、この行為の主体は上六であるべきだろう。 何れにしても、易は占いの道具として発達したもので、始めに易辭に意味ありき。実占の豊富な研究なくして、中国古典の比較検討だけで易辭解釈をやるようなアカデミズムはおかしい。 |
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男性から「職場で片想いの女性がいますが、発展するでしょうか。彼氏はいないと聞いています」という占事。 < 問 題 > 交際を求めていて、そのための方針とか成り行きを易で観て欲しい、という依頼では、吉凶悔吝も方策も示せる。しかし、実際にはきっかけが掴めなかったり勇気がなかったりして、ズルズルやってしまいがち。その間にその占示が活きているところの一括りの時間が終わってしまう。 この一括りの時間というのは、こちらが実家のあった福島県の広野町を見る時、原発事故の前と後とで外見には町並みはそうも変わってはいないのに(津波による被害の様は兎も角)、ああいう悪夢の体験をして人が消えた町というのは“見え方”がまるで変わってしまって、そこに断絶があるわけで、そのことで説明ゆくだろう。自分が居た町はそう映るのに、たまにしか行かない北隣の楢葉町に行けば却って以前の日常に浸れる感じなのが奇妙だったりする。 そうして、占示が前提とした状況・背景が変わる、と。例えば、マゴマゴしている内に、その片想いの女性に彼氏が出来たとしたら、(あちらの)状況の変化は明白[客観的状況]。同時に、依頼者[問筮者]の男性がその彼氏の存在を知ったなら、依頼者の中で心象風景が激変して[主観的状況]、それと共に事の吉凶が変わる。こうして、それまでの一括りの時間が終わる。占示の賞味期限が失われる。 筮者は、説明を受けなかったら、相談の本当の動機や背景は分からない。「黙って座ればピタリと当たる」などはどこまで可能かのレベルの話。恋愛占ではこの問題が付きもの。 上の「職場で片想いの女性がいますが、」の占で、実は他に交際している人がいて、この人も気になるので発展の可能性を確認したい、という依頼だったとしたらどうか。それなら、実際には本気で行動することは少ないだろうし、“易神さま”なる易を司る摂理は時間を越えてそこはお見通しなので、占示はアテにならないか、現在状況を示されるまで。成否の占は、事を進めた上でないと意味が薄い。少なくても、あとは実行のみというところまで詰めていないと。 或いは、関係が微妙になっている彼女がいて、片想いの相手にシフトしたい気持ちになっているが、そこを伏せて「片想いの相手とどうなるか」と依頼して来たとしたら。それは、三角関係の場合も同様で、その状態のことについて示している可能性があるし、より前提となる今の彼女との問題を云っているかも知れない。 占的から外れて、その前提問題が示されるようなことはよくある。例えば、この場合なら、今の彼女との関係が猛烈にこじれ出して、新しい彼女のことどころではなくなるとの占示とか。筮者が彼女の存在を知らなければ、占的通りに、片想いの女性との間がこじれそうだからご注意、のように判じることになる。 卦上でもハハ〜ンと思えばそれとなく聞いてみるけれども、手応えと言うか、何かしっくり感がない時には別の事情があったりするものだ。
他方、易占鑑定をやっていながら何だけれども、見知らぬ依頼者のことについて、そのまた見知らぬお相手との関係などをメールのやり取りだけで判じることになる。 何ごともそもそもの一次情報から遠いほど間違いのリスクは増える。なので、ネットでの鑑定依頼ではせめて伏せるところなく全部 書いて頂きたいと思う。 < コ ツ > 先にちょっと「方針」と書いたが、恋を成就させようと思えば、“易神さま”に対して方針・方策を問うてみることもやり方の一つ。デートの可否や恋愛の成否を質してみて御神明が微妙だったら、「それでは、どうすれば好いか」と問うてみると、進退の是非ややり方が見えて来る。 易の機能は、この先の状況や物ごとの白黒を指し示すに限らない。未来方向でも過去方向でも現在状況と切れている事柄だったり、遠い未来のことについては確度が不確かだが、現在の知り得ない事柄についても、易はまあまあ何にでも応えてくれる。但し、問題をよく考え抜いて疑問をハッキリさせていないと、真っ直ぐな御神明を得てもピンと来ない問題あり。あとは卦読みの技術。 さて、話を戻して、恋愛占を扱っていて思うのは、上の「職場で片想いの女性がいますが、」の場合だと、相手との発展そのものを占題とすると、先のように依頼者の問題があったりして占示の対象が移りやすい。言い換えると、占的が少し広すぎる。つまり、もっと周辺の具体的な物ごとを占的にして質すのが一つのコツであり、確度も期待できる。特に、何度も同じ主意の筮をやって当否が見えなくなっている時の脱出口になる。 例えば、手始めとして、占題「お芝居のチケットを渡して、一緒に行ってくれるか」はお薦めになる。これで宜しき占示を得たなら、第一関門 clear。 実際のアプローチとしても、ハナっから相手に敬遠されているような場合は筮以前の問題だが、相手が負担に感じないもの、頷いてくれそうなものを試してみて、勿論 相手の都合に合わせもして、そうして取り敢えず接近を図って、相手の心象を好くすべく努める、というのは常道だろう。 プラス、朝鮮式の「百回 押して倒れない木はない」が明るく屈託なく出来るようになったら、恋の成功率はグッと高まると信ずる。 |
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研究色があるので稿を分けます。
右の枠に書いた爻辭は宋代の程 頤[程 子]の解釈。「不二耕穫一、不二菑畬一」と訓ませて、宜しき結果を期待せずに無心に務めを行う、の意味に解する。それだから、「則ち往く攸 有るに利し」、即ち、進んでことを為すに宜しい、と先に宜しきのあるところを見せている。 「耕して穫らんとせず、菑して畬らんとせず」、良い格言だろう。“人事を尽くして天命を待つ”は日本人だけの古いマインドではなくて、この爻辭解釈が謂われの一つ。 その弟子の朱 熹[朱 子]は「周易本義」でこれを「耕穫せず、菑畬せず」と訓ませる。耕作収穫ごと菑畬ごとこれらを作為とし、妄(ミダ)りとして、それが无(ナ)いから「則ち往く攸 有るに利し」とする、といった解釈になるか。程 頤の解釈の意味するところと大差はない。 ところが、元代の兪 琰は「周易集説」で「不レ耕穫、不レ菑畬」即ち「耕さずして穫り、菑せずして畬す」と、やる・やらないを程 頤とは逆に訓ませる。内卦【震】の主爻の初九が耕作し開墾して、それに従うこの六二が収穫と熟田というその利を得る、と。即ち、戦わずして勝つ、の意味だとする。この卦の「无妄」とは望みもしないのに自然にそうなるの意味なので、そこを耕作収穫・菑畬を例に引いて書いている、ということになるか。 象傳は、例えば「耕さずして穫るとは、未だ富めりとせざる也」と訓んで、自力で利を得たのではないので、その富には満足するものではない、といった意味とする。 確認していないけれども、紀元前3世紀頃の「呂氏春秋」の貴因篇では、この「耕さずして而して穫る」を引いて、戦わずして勝つことの例えにしているようだ。根拠がここまで遡る。 古来の解釈を見ると大体このどれかだが、どれが本来の爻象(に近い)か? 漢学の先生方の選択もマチマチ。「无妄」とはどういうことかから論を起こすのは森脇 晧州 翁ぐらいで(儒教色のする善し悪しの解釈は首肯できないが)、あとは上の「呂氏春秋」のように古い文献での用例を持ち出すのが関の山。そもそも、漢学の先生方は易占にはほぼ素人で、最も重要な視点である六爻の構造で爻辭を観ることがない。例外は公田 連太郎 翁ぐらいかな。 それで思うに、この六二は、まず中であり、柔順な陰爻で陰位にあって正、という最上の性質を持っている。そこで、不労所得のような「耕さずして穫り」は如何? そして、上にこれまた中正の九五があり、これとの意味関係がポイントで、「往く攸 有るに利し」とこの六二は九五を見ている。14【火天大有】|||||(← 左を上に。以下 同じ)の九二も同じ。「往く攸」は応位を言う、関係が正応・不応に拘わらず。これは内卦から外卦への方向ばかりではなくて、41【山澤損】|||の上九では内卦の六三を言う。往けば 11【地天泰】|||に。 そうであれば、この六二は“人事を尽くして天命を待つ”の方の意味、とすると噛み合うように思うが、どうだろう。公田 翁は「易經講話」で程 頤の立場を取っている。 “戦わずして勝つ”は、この【天雷无妄】の九五の爻辭「无妄の疾(ヤマイ)。藥すること勿(ナ)くして喜び有り」の意味がこれに近い。 似た意味の「逐(オ)ふ勿れ。七日にして得ん」が 51【震爲雷】||と 63【水火旣濟】|||のそれぞれ六二の中正にある。 これらの文言はおそらく中正の宜しきに拠っている。「七日」にしても応爻のことは関係ない。そこで、兪 琰の解釈にしても、上に中正の九五があるのに絡みがないのがちょっと腑に落ちない。 漢学の先生方には兪 琰の解釈では拙いという説得力のある論拠は窺えないが。果てしなく時間を費やす易辞解釈、適当な方が大半。 実占での成り行きについての吉凶判断においてはどちらでも違いはない。 尚、森脇 晧州 翁は「周易釋詁」で程 頤の訓み下しを「耕さずして穫り、菑せずして畬す」としているが、勘違いだろう。 |
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物ごとの成否を問う場合、同様の主旨・内容の問いでもって再び筮を執ると、占示の意味するところは最終的に成就するか否かではなくて、その占時辺りでの状況が示される傾向がある。このことは何度か書いた。 更に筮を繰り返すと、占示がまるでデタラメに振れて来る。一貫しない。それも、筮者をからかうように、現実の真逆としか採れない卦・爻が頻発したりもする。呑象・燗 嘉右衛門 翁が「浮遊する霊が咸応する」と書き残しているのを笑ったものだが、唐突な言説に出くわすとロクに考えもせずに否定に走ったのは、こちらも核汚染・被曝に関わる識者フゼイと同じだった。この浮遊霊説を説明すると、筮者の手が浮遊霊に操られて彼らの意図する卦・爻に、なんてことになるが、しかし、その辺りは時間を含めた四次元に生きている我々の理屈・認識に限界があるな、ということは紫龍仙道人の書を読んで察せられたもの。 先日、重要な電話を何日も待ちながら、来ないので、その理由やらあちらの状況やら、あれこれ占的を変えてサイコロを転がした。 19【地澤臨】||(← 左を上に。以下 同じ)の【大震】の吉爻や 42【風雷Y】|||六二が示されながら、連絡がないのだからアララだ。爻を上に辿って成り行きを探っても、画象を睨んでも、しっくり来ない。通常こんな示され様はない。 要は「連絡が来るか、いつ来るか」を知りたいわけであり、占的を弄っても、再筮の性格を帯びているだろう。注意していてもやらかしてしまう。 相手方は、多忙の中、話が整理つかないままズルズルをやっているようだ。ただ、背景の状況が変わると共に追占もしているから、この論の結論はまだ出せない。 しつこい再筮は勿論 宜しくない。あちら形而上のことは兎も角、そういう場合には、結局 何を知りたいのか、何を知れば好いのかを詰めていないことが多いし、適切に占的を絞りもしないから、信じ切れない惰筮になる。 筮前の審事を踏んで、急かしい気分をよく静めて、初筮にピントの合った御神明を得るように努めることが肝要。動揺している時は勿論、気分がフワフワしている時も筮を損じる。ここを尽くすからこそ、御神明を信じる気になれる。 初筮での占示がどうにも読めない、スッキリしない、と。それでは、最初から分占でやる場合は別として、再筮は何回まで有効だろうか? 古来「再筮」と言うのだから二度からはダメということだが、筮法を変えても、仏の顔もせいぜい三度までだと思う。出来れば占的は変える。こちらは二筮までの確かさは確信している。例えば、初筮でどうやっても判断つかなくて、改めてその御神明の意味を占的として質すと、成る程となるのは日々の習い。 但し、占示が気に入らないからと再筮に走ると、そこから筮が濁り出す。占的を弄ってもダメ。 だから、見方を変えて言うと、宜しい占示を得たなら、それ以上はやらないこと。我々の未来の姿は我々の言動にも大きく依っており、状況が変わってまた同意の筮を執った時に示されるところが違って来れば、初筮が示すところも筮時の機運か何かに成り下がる。 不作為でも然り。受験の合否についてであれば、その先も継続的に勉強に努めることを前提としての問筮であり占示なのに、「合格が決まっているなら、もう勉強やーめた」とこういう成否の占で前提が変われば、初筮による判断も変わり得る。 この問題で言うと、結果までの間にあれこれ経緯が入るのも宜しくない。易占は、予想外の出来事を含めて展開が忙しい事柄の判断は間違いやすいし、結論が出る時期が定かでなくて長くかかるような事柄には不向き。 ついでに言うと、1ヵ月もやってみれば分かるが、日筮というものはアテにならない。結果的に大きな出来事でもあったような場合は別として。 |
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1/13、NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀 盤上の宇宙、独創の一手 囲碁騎士・井山 裕太」を観て合点した。NHKのWEBサイトに番組のナレーションそのままらしい文章があったので、書いてみる。 独創の碁 囲碁7大タイトルのうち6つを独占するという、前人未踏の快挙を成し遂げた井山 裕太。そのきわだった特徴は、直感的に打ちたいと感じた手を重んじるところにある。プロ棋士の世界では、一手打つために 1,000 の可能性を読み合うと言われ、トップどうしの対決では読みの力はきっ抗することも多い。だがその中で井山は、並み居るプロたちの読みを超えた常識外れの手を放ち、新たな展開を生み出してきた。「結局、人まねでは勝てない。常識から外れていても、自分はこっちに打ちたいと思ったら、迷わず自分の信じる手を打つ」と井山は語る。 安全は最善の策ではない 常識的な手を選択していれば、大きく形勢を損ねることはない。だが、独創の碁を打つことにこだわる井山は、危険をかえりみず積極的に未知の局面に踏み込んで行く。たとえその一手によって勝負を落としてしまう可能生があっても、リスクを引き受ける。そこには「安全は、最善の策ではない」という井山の勝負哲学がある。「安全な手」とは、最善手を 100 点とするならば、少し悪い90何点の手だと井山は言う。その「ゆるみ」を積み重ねるうち、いつの間にか形勢が入れ替わるのが勝負の世界だ。だからこそ、安全な手にこだわることはかえってリスクが高いと井山は言う。 自分を信じ抜く 勝負のかかった場面で、ときに大胆な手であっても、信じて打ち切れるかどうか。誰の助けもない中で、それをやり遂げるのは容易なことではない。井山がそれを心底思い知ったのは19歳のとき、初めて囲碁7大タイトルの一つ、名人位に挑戦したときのことだ。相手は台湾出身の張栩 名人。井山が目標にしてきた最強の棋士だ。井山は幸先よく二連勝。しかし勝つほどに、言いようのない苦しさに襲われるようになった。負けても張栩 名人は平然と打ち進めてくる。碁盤を隔てた45センチ先で、こちらの力を試しているような圧倒的な空気。どこに打っても自分の手が悪いような錯覚にとらわれる。その感触を最後まで払拭できず、井山は負けた。そのとき、井山は自分に欠けているものにはっきりと気づいたという。「自分を信じ抜く力」だ。以来、井山の碁は変わった。目指すのは、どんな状況でも自分を信じ抜く、ゆるぎない境地だ。 20代でここをハッキリ自覚して、且つ、実践している、凄いね。易筮において自分が求めているところもつまりはこのことだ。 執筮では“易神さま”と“通じて”と書くと惰性で通俗的すぎるかな、易を司る摂理と混然と一つになって、と言った方が良いか。そうして、問うていることに対する真の答えとなる占示(卦・爻)をここに受け頂いた、と自分の中で信じられることが執筮の要になる。 問筮ではあちらとの酬酢やら占示についての疑いやら諸々の迷いが付きまとう。これが筮中における敵。こんな様で卜筮が成立するものか、と思う。 昔、易占の勉強を続けながらも、あれやこれやと青臭い疑いの徒だったのが、確かに何かが存在すると確信したところから、易占をストンと信じられるようになって、一段と読み当てられるようになった。だが、ここに書いている占の多くも然りで、日常 惰筮をやっていると最適とも言えない卦・爻ばかりで、日常というものには多少ともベターっと倦んだ感覚がある。そんな中で出した卦・爻を前にしてまた信じ切れない。これが筮後の敵。 それで、間違いが許されない筮では、これらの有り様を振り払おうと、卦・爻を出したあとまで筮竹を握りながら、筮後の儀に眼を閉じながら、酬酢して“易神さま”からの御神明を給わったという“確かな感覚”をいつまでも求めことになる。神道の「祓い」の内面とはこの辺りかも知れない。 そんなの占示を受けたと信じ込もうとしているだけのことじゃないの? と言われるかも知れないが、とても易占を否定し去れずにこれを是とする者が、真摯に筮儀を尽くしたところにお示しを見ないで、何にそれを見れば好いのか? 実際、時には清明とした大きな感覚も味わって、その御神明は現実と一致するではないか。この辺りのことを整理・分類して語れば、長い話になる。 本来、一筮々々、筮竹を取れば、サイコロを転がせば、真の占示を得ることが感覚的に当たり前で、揺らぎのない様態でないといけない。 それにはその意味で半端な惰筮をやめることだね。 これより上質の執筮というのは、信じ切るとかそんな力むこともなくて、自然明瞭な問いでもって、サラッと風を切るように占示を得る場合。すがすがしさがある。 これは芸ごとに共通する境地のようなものでないのかな。 執筮の質は占事・占的に対する占示に現れる。 |
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62【雷山小過】||よりも 28【澤風大過】||||の方が、より“過ぎる”、として“過(ワザワイ)大き”、と思っている人が殆どだろう。 しかし、見ての通り【雷山小過】の方が陰爻が多い。陰が過ぎているのである。【澤風大過】の方は陽が過ぎている。 卦象の大もとである符号は、【雷山小過】は|【坎】→||の【大坎】そのもの。【澤風大過】はその似卦。 爻辭も、【澤風大過】では危位の九三と卦極の上六に危うさがあるだけだが、【雷山小過】では落ち着けるのは中の六二・六五しかない。 実占では、爻辭判断になる時にはまあそれぞれだが、卦象を多く取る中筮法で【雷山小過】が示されたらこちらは構えてしまう。例えば、広野町の海沿いの実家で示された 2011 年についての年筮がこれだった。結果は【大坎】の大津波。上六 変じて 56【火山旅】|||の家を失って他所での長き避難生活・・・。 卦象としての凶意で言えば、【雷山小過】の方が強い。初学者は、陽が過ぎる【澤風大過】は「過ぎる・過ぎて覆(クツガエ)る」、陰が過ぎる【雷山小過】は「わざわい」と覚えても好いぐらいだ。 同様に、26【山天大畜】||||は「畜養する」、9【風天小畜】|||||は「畜(トド)める」が主。【小畜】だから少し足止めされるだけ、とすると失敗する。「先生」と言われる方々もぼやいて excuse を言うが、そもそも卦象の理解に問題がある。 【山天大畜】は内卦【乾】が“上進する”のを陽の上九を主爻とする外卦【艮】で留めて畜養し(【艮】の“手”中で畜養でも分かる)、【風天小畜】は同様に独陰の六四で畜める。陽を「大」、陰を「小」とする。 【澤風大過】・【雷山小過】はそれぞれ陽爻・陰爻が多く占めるので「大」・「小」と名付けたのだろう。以上、古代中国での話。 つまり、「大」・「小」は陽・陰のことから付けたもので、これらの卦象には「大いに過ぎる」とか「小(スコ)しく過ぎる」などといった“程度”の意味合いはおそらくない、ということ。 どう「ある」と言えるだろうか? 占断では現状なり占的なりを基準にして初めて大とか小とか多とか少とかの程度が言える。爻辭の「元吉」の類は判断には使えない。 ミャンマーの内陸部を自転車旅行するに当たって【澤風大過】の悪しき九三を得て、裏の【澤水困】の「困」は囗の中に木の棺桶の画だし、これは下手をすればと思った。無事 帰国したのもも、数十年前の車ばかりが道行くその真っ黒い排気ガスを吸ったために、帰国後 半年ほど咳を患った。大凶と言うべきか、小凶か。 ところで、14【火天大有】|||||はあるが、【小有】とする卦はない。一卦に状態の「所有する」と状況の「有(タモ)つ・長引く」の意がある。それなら【火天有】で好かったと思うのだが。陽が占めているからと言って 13【天火大同人】|||||とは名付けていないし。 「雑卦傳」は【火天大有】を「衆(オオ)き也」としている。「寡(スク)なき也」とあるのが【風天小畜】。これもこう書くに当たって何かを基準にしている。 |
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36【地火明夷】||(← 左を上に。以下 同じ)の六四の爻辭は、通例、「(上六の)左の腹に入り、明夷(メイイ)の心を獲て、于(ユ)きて門庭を出づ」のように書き下しされる。 暗愚な君主である上六の腹の中に入って、これは悔悟させること叶わぬと悟り、難を避けるべく家の門庭より逃れ去る、の意味だと。それで、この爻辭は、殷末の暴虐な紂王、その長兄の微子の紂王[上六]に対する様に見立てられる。 「腹」の右・左って何の意味? とか、何で重要でない左の腹なの? とか、疑問は尽きない。 それで、戦前の中国の聞 一多 氏は「周易義証類纂」でこれと同卦の六二の爻辭は獣を射る作法のことを云ったものだ、と全く異なる解釈を提供している。六四については、周代に作られた「詩經」の解説書の「毛傳」に「左膘(= 小腹両辺の肉)よりして之を射、右腢(= 肩頭)に達するを上殺と爲す」の記述があり、これを引いた「春秋公羊傳」の桓公四年の「何」の注があり、これを根拠にして、こうすると心臓の真ん中を矢が貫いて、獣が即死する。もがいて血まみれにならずに綺麗なので、上等品で、神へのお供えに出来る、と。 つまり、爻辭は、古代中国の射礼において、(矢が上六の)左腹(左 = 三〜五爻の互体【震】)に入り、明夷(→ 痍 = 矢傷)の心(= 心臓)を獲て(= 中って)、矢数を執る者の于(→ 呼 = 声)が門の外にまで聞こえる。即ち、大当たり!の意味だと言う。 コペルニクス的解釈だ。昔、17【澤雷隨】や 61【風澤中孚】などの爻辭の「孚」が俘虜のことらしいと知って爻辭が遥かに絵的なのだと気付いたが、そんなものではない。 この聞 氏の解釈の要旨を全てパソコンに纏めたところで、津波を頂戴・・・というわけで、再び色んな作業をやっている。 また、六二の爻辭は、しばしば「明 夷(ヤブ)る。(六五の)左の股を夷る(= 重要ではない方の股を損じられる。軽傷)。用(モッ)て拯(スク)ふに馬[九三?](= 迅速のもの)壯んなれば、吉(= 禍を免れる)」のように書き下しされる。 これは紂王によって羑里に幽閉された周の始祖の文王の様だと。言うまでもなく、この時、この文王が易の爻辭や彖辞を書いたということになっていて、爻辭は息子の周公(= 紂王を討って殷を滅ぼした武王の弟)が書いたとか。伝説。 それが、聞 氏によれば、「左髀(= 股の外側)を射て右[月偏に幺、その下に日か月](= 肩骨)に達するを下殺と爲す」で、これは腸胃を傷付けて頗る見苦しいものになるので、下等品であり、我が君の台所用にする、の意味だと。 この下の句は、臣下らが美女の珍宝や領地を紂王に献じたことで文王は囚の身から開放され、西伯に任じられたことに例えられる。「左」の意味が明瞭化されるが、ただ、これだと、意味的に下の句に繋がらない。この下の句は同じ陰爻の 59【風水渙】初六と同文で、これも全く drastic な読みがあるのやら、こちらの資料ではハッキリしない。 尚、最後の「吉」はマイナスの状況からの持ち直しであり、絶対的な「吉」ではない。 こちらはこれまでの色々な占例から、この上の句は単に重要ではないとか軽傷のことではなくて、聞 氏の主張にも重なるが、殺し損ね、というか、理想とする決着を欠いた様、のことを謂ったのではないかと思っている。 尚、爻辭は「左」の字があるのは全て陰爻。「右」の字があるのは 55【雷火豐】九三だけだが、陽爻。 |
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それで、金 正日はこの4年後の 2011/12/17 に冷温停止になったことになっている。 中筮法により之卦順生之法で死没の時季を観ると、59【風水渙】|||(2008)→ 6【天水訟】||||(2009)→ 64【火水未濟】|||(2010)→ 40【雷水解】||(2011)。 言うまでもなく【雷水解】には吉凶の両面あり、彖辞「夙(ハヤ)くして吉」で、病関係も速やかに処置して快癒ならずに長引く場合には、凶の【解】。こんな卑俗な人間に「尸解」などはない。 試しに、これを本卦で観てみると、6【天水訟】||||(2008)→ 59【風水渙】|||(2009)→ 4【山水蒙】||(2010)→ 7【地水師】|。 【地水師】は帰魂の卦。五爻を裏返すと、八純卦になる。 更に、本卦がその場合には錯卦も同じ。36【地火明夷】||(2008)→ 55【雷火豐】|||(2009)→ 49【澤火革】||||(2010)→ 13【天火同人】|||||(2011)。 【天火同人】、これも帰魂の卦。 また、死没前年の 2010 年には容態はいよいよと観られており、これも 2011 年の卦に対して、それぞれ【火水未濟】、【山水蒙】、【澤火革】の卦象に合っている。 これが二爻以上に変があると、こういう規則性は拾えないだろう。 そもそも中筮法というのは、不変になる場合が5・6回に1回もあり、五爻変・皆変による卦は滅多に得られず、本卦は randam に振られても、あらゆる現実に合致する変化になるものか知れない問題がある。 この最後の「あらゆる現実に〜」の問題では四遍筮法もどうだか知れない。 易には未解明の問題がたくさんある。難しいからやってみる。 |
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追い詰められた橋下 徹 氏と日本維新の会、沖縄でのオスプレイの訓練を大阪府の八尾空港で分担したいと、本日、政府に申し入れをした。 片や、沖縄県議会では橋下 氏が米軍に沖縄の風俗を活用するように勧めたことに「県民に謝罪を求める」と賛成多数で非難決議。「県民感情を逆撫なでする発言は断じて許し難い」のだそうだ。沖縄の行き詰まった現状を変えようという実力もある政治家に、羨ましい気概だ。最近は「沖縄独立」の声まで出始めたが、その気概なら、独自防衛もやりますか。 きびすを回して福島県。メディアが核汚染・被曝の話題を取り上げると「風評被害だ」「不安をあおるな」と圧力を掛ける諸々の業界に、税収確保に県外避難者を帰還させようとして、避難しようにも一切 支援をしようとしない佐藤 雄平タワケ知事下の県政。膨大な人々が被曝から逃げたくても逃げられない、避難先で経済苦とだというのに、地元では、ふんだんに税金を使って復興特需の大はしゃぎ。 そして、東北六県の大祭を一ヵ所に集めて行う東北六魂祭が今年は福島市であって、県は会場の道路一帯の除染をやった。散々「健康に問題あるとは考えられない」と言って住民を永く被曝させておいて、一時 立ち寄る祭客のために除染をする! そして、祭が終わるともう何もしない。 このふざけた佐藤 雄平 県政。佐藤は政府には金のことしか言っていない。県行政は県民を地域経済と収税の対象としか見ていない。県民の多くも、核汚染・被曝の現実をキチンと認識せずに雰囲気に流されて、羊のようにおとなしい。こんなのは美徳でも何でもない。滅びの道。
さて、本論。 爻辭の「左」。これを宋代の程 頤・朱 熹の大儒らが「退く」と訓じていて、信頼する呑象・燗 嘉右衛門・眞勢 中州・公田 連太郎・鈴木 由次郎ほかの先哲らもこれに倣って文意の解釈をやっているが、おそらく間違いだろう。 手持ちの古漢字学の白川 静 先生の「字 統」には「退く」の意味は見えない。 加藤 大岳 氏は「易學大講座」に「右は進む、左は退く」と書いていて、中国の右尊左卑の観念から思い付いたか(中国から職制を輸入した日本では、例えば、左大臣 > 右大臣)。 卦象で言えば、六四は外卦【坤】の一部で、【乾】の「進む」の逆だから「退く」とするのは分かるが、【坤】はまずはグズつきの意味合いあり、前進できないので、軍隊であればそのままでは維持できないので、退くことになる。程 頤が「左」を「退く」と訓じたのもこういうことかも知れない。 これはイクサの卦であり、この「左」とは、魏の俊才の王 弼の言う通り、古代中国の兵法の原則から、高地を右(後方)にして、左(前方)の低地の安全な場所に軍隊を宿営する、おそらくそのことではないかな。これは攻めて好し守って好しの陣営とされる。 編集が粗いの何のと毎度 書いている本田 濟 氏がこれを指摘していて何だが、同氏は「六四は【坎】険の前方におる。険阻を右後方にしている象である」と清代初頭の王 夫之[王 船山]の観方を採る。易の符号では、内卦は右、外卦は左。続けて、「もともと六四は陰柔で『不中』である。戦いに勝ちそうな筈がない。ただ陰爻であって陰位におる。ということは、自分の能力を知って安全な場所に止まっていること。軍隊が妄進しないで高地に拠って止まっている象がある。六三の無謀に遥かにまさる。そこで咎 无しという判断が下される」云々と、納得できる。 北宋代の蘇 軾[蘇 東坡]も同様の説を採っている。六四は応ずる初六も陰爻で応援がないので、兵を進めずに、左側が高くなっている安全な土地に宿営する、と。 これは空間認識で捉える爻で、裏卦の同じ戦いの卦の 13【天火同人】|||||(← 左を上に。以下 同じ)も正の九三が爻辭「(六二を得ようと)戎(ツワモノ)を莽(クサムラ)に伏せ、其の高陵に升る。三歲まで興(オコ)らず」と、似たような兵隊の配備のことになっている。 つまり、「左」とは「退く」ではなくて「止(トド)まる」と。 この「退」「止」のことは実際 大半の判断にはどうでもいいが、易辞の解釈は限りなく詰めておきたい。 というのは、呑象 翁の「増補 燗易斷」に、華族の学校の校長だった人より罷免の理由を質したいと思うが、と相談されて、6【天水訟】||||九二を得て、爻辭の「竄(ノガ)れる」の字から、後日 島司に任命される兆あり、と断じた占例がある。果たして、その人は数ヵ月もしない内に伊豆島司に命じられた。 「竄」、「字 統」には「辺境に放竄する」「辺裔の地に人を拘囚する」とある。島というのは、「竄」にその意は見当たらないので、翁が当時の行政上の知識から推断したのかも知れない。 この占例を初めて読んだ時、ため息しながら、辞占をやるからには、異説の文字を含めて、旧字体から、経・伝の全ての文字の字義を洗い出ししないとダメだ、と思ったものだ。 さて、オチ。 そうして、血臭のする陰鬱な戦いの卦【地水師】の六四をこの稿に重ねると、 右の【坎】の日本政府に対して沖縄は70年前の占領状態のまま。 右の【坎】の福島第一原発に対して福島は、応援なく孤立し、住民は放置状態。永いこと。 諸橋 徹次 先生の「廣漢和辭典」全4巻が激安で手に入ったので、確認してみると、「左」は「ひだりにする」の意味の五番目に、五経の一「儀 禮」などを典拠にして、他動詞で「(物を)さげる、くだす」とある。「史 記」などを典拠にする「左遷」も根っ子が同じかも知れない。 森脇 晧州 氏が「『左』には退くという意味は、字書にはない」、本田 濟 氏が「左を退とするのは無理であろう」云々と言うので鵜呑みにしたが、何ごとも自分で確認しないと。よって、「退」説はあり得る。 また、「竄」は「(穴に)かくれる」「のがれる」などとあり、島はやはり出て来ない。 |
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勝ち負けを質した占では、深掘りした読みが細部までキレイに現実に合致する場合もあるが、8割は通常の読みとは逆の結果になりがち、という現実がある。特に、比較の占の場合。それを確認することと、ちょっと勝ち負けの占についての考え方を整理してみよう、と。 上の占事は投票により複数者で一つのポストを争う、且つ、必ず勝者がある、という性格[相対的勝ち負け]。二者による勝敗の場合は勿論、首長選挙やスポーツのトーナメントの場合と同じ。 ただ、レスリングの他に、B競技・C競技・・・当落についてそれぞれ卦・爻を求めた上で、それらを比較して断ずるという比較の占をやったのではなくて、レスリングだけについて謂わば五輪での成り行きを質したので、勝ち負けの占ではあるものの、8割ほど裏に出る法則の発動がなさそうに思える。 不労所得を目的にしたのでもないので、irregular なスッテンコロリンもない筈。 つまり、この必ず勝者がある勝ち負けの占でも、比較の占はクセモノで、8割ほど素直な読みの逆に出るというのは、A者・B者・C者・・・と占的は替わっても、何れも一つの占機において「誰が勝ち残るか」という目的で問うているので、全体として再筮の性格を帯びるのかも知れない。 そうなると、こちらの経験では、占示は最終的な結果のことではなくて、現在時点での気運を指し示す傾向が見られる。 衆議院選挙の中選挙区のような複数者でそれ以下の数の複数の椅子を争う場合も同じで、8割ほど裏に出る法則が発動しがち。 ただ、これが来年の選挙でのA党の盛衰は? B党は? C党は?・・・と各党間で競合はあるものの、党数が多いなどでA党の党政拡大が即 他党の成り行きに繋がるとは言えないような場合はこの限りではない。 それでは、勝ちの枠が全く決まっていない場合、つまり、候補者の全てが勝者になることもあれば、誰も勝者にならないこともある場合(複数者で競う)を考えてみる。 要は、これは他者との競い合いではない。他者のことを質す必要がないし、占も対象者の当落の気運を質しているのと変わりがない筈だ。何点以上は合格ですよ、という認定試験での合否を質す場合がこれ。 だから、占的は「合格ラインに達するか」のようにすることだろう。 それなら、勝ちの定員があるのかないのか分からない、という場合はどうか。 例えば、芥川賞・直木賞の受賞のような場合だと、他の候補との競い合いの性格はあるものの、実際の審査には作品への絶対評価が入って、今回は受賞2名とか該当者なしとかいう場合もあるので[絶対的勝ち負け]、これは受賞の成否を質すことだろう。 肝心なことは、比較の占にしないこと。卦読みのレベルで観ても、勝者が限りなく1枠ある場合であれば、最も相応しい占示のものを採れば好い(卦を得ていることを前提として)。だが、定員が見えないと、易では筮前に何らかの立ち位置を定めない限りは物ごとの程度を測り難いために、判断は一層 難しくなる。 ちなみに、勝ち抜きではなくて、どちらの進路が好いか、という場合はどうか。先々、より宜しきを得るか、という占。 これは問筮者が本人であれ依頼者であれ比較検討することにはなるが、進路Aと進路Bに直接の競い合いがないだろう。先のA党、B党、C党の盛衰を質す場合と同じ。 さて、この比較の占のことで、A者の当落について一筮したが、B者・C者のことも気になって続けて執筮した場合はどうなるか。よくやりがち。 比較の占は比較の占。時間を超えて存在し易を司る神妙な摂理、所謂“易神さま”からすれば、B者・C者についても質すことは最初から決まっていた、ということになる。 ただ、B者・C者についての筮をA者についての筮に続けてやったのでなければ、つまり、或る一つの時間の内にやったのでなければ、その限りではない。占機が移れば、占の性質も変わって来る。こうなると占示の立ち位置がよく分からなくなるので、誰の何を質すかということは最初にキチンと定めた上でやらないといけない。筮前の審事はまことに大事。 これ以上のことは、我々人間の限られた理でもって形而上の不思議な摂理を説いても、歪めてしまうだけなので。 さて、今回の占は成否を質す占だが、経過のある占事なので、念のために爻位を観ておくと、【風雷Y】六五を5月末の今当とすれば、一枠の競技が最終決定する総会の 9/ 4 の頃は序卦 43【澤天夬】の九二で好いだろう。 決定の卦で、夬(キ)る意味合い。陽爻が陰位にあって、中を得ているものの九五は正応にない。ただ、爻辭は「惕(オソ)れて號(サケ)ぶ。莫夜(ボヤ = 夕暮れ時)に戎(ジュウ = 敵兵の来襲)有れども恤(ウレ)ふる勿れ」とまことにそれっぽい。 こうした詳細な考察をやった易学者がいない。今でも数者択一の比較の占をおやりになっている一門があるが、失礼ながら、成否の占の問題にキチンと向き合っているだろうか。以上はこちらが筮者としてやった場合の傾向で、誰にでも当て嵌まるわけではないが、数者択一の比較の占で高い確率で卦を得るのを拝見したことがない。経験的に判断要素を使い分けたり、現実的な判断で咎 无しとする先生をお見かけするぐらいで。 |
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六二では、句頭の「或いは」について、公田 連太郎 翁ほかの学者が、正応の九五だけではなくてその他の爻も之[六二]をYすのだ、六二にとっては図らずも、と解いている。 ここ、「外」自体には「九五のほか」の意味はない。「外」とは六二から見た位地を云っている。 その九五だけではない、のこと。この卦は 12【天地否】|||(← 左を上に。以下 同じ)の九四が初九に移った形[交易生卦]で、この成卦主の初九もまた正比している六二をYす、とする観方もある。漢易研究で知られる鈴木 由次郎 先生は「全釈漢文大系 易経」で、「外」とは【天地否】の外卦【乾】の九四(→【風雷Y】の初九)を指す、と明言している。 すると、六二に宜しき者となるこの九五・初九の何れにも爻辭に「元吉」があるのが面白い。 六二をYすのはこの二つの爻の他にもあるかのようだが、他には理屈が見えない。 他方、江戸中期の眞勢 中州 翁は「周易釋詁」で、「或いは〜」のところは宋の程 頤[程 子]の「程 傳」に倣って「之にYす或(ア)れば」と読む。それで、六二をYすのは九五とし、「外 自り來る」については六二を離れてこの卦の上を損して下をYすの象のこと、「外」とは外卦の象、という捉え方をしている。 この「外」を外卦とすることでは、一つ、5【水天需】||||九三の象傳「泥に需つとは、災 外[外卦]に在る也。〜」では外卦が【坎】の“災”であり、一つ、8【水地比】|六四の爻辭「外[外卦]、之[九五]に比す。〜」では外卦における比の関係を云っているので、それぞれ「外」を外卦とすることで問題はない。これ以外には「外」を外卦と判断すべき例がないのだが、この指摘をする人がいない。 何れにしても、爻象に忠実なように鑑定すると、六二の女子のあなたにはお付き合いしている九五の彼氏の他に、そばで口説いて来る初九(内卦【震】の主爻)の男性が居ませんか? 六二はその上に乗っているので何か頼りになるし、ちょっとその男性に対しても迷いがあるかも知れない。でも、そちらに走るよりも、彼氏一途に貞淑でおりなされ。そうすれば、互いに中正で正応の関係にある最も宜しき者同士、めでたく纏まりますよ、というような判断になる。この人は随分モテそうだし、相手方も申し分ない。 爻辭「或いは之をYす。十朋の龜も違ふ克はず」の二句はこの卦を上下 引っ繰り返した綜卦 41【山澤損】|||の六五にもある。
こちらでは、象傳に、11【地天泰】|||からの交易生卦として観た内卦 → 外卦の「内より往く」などとはせずに、「上より祐く」となっている。「上」とあれば、六五の師傅に当たるすぐ上の上九のことと採るところだが、これは天・上天のことであると、更にこれを天下の人々やら鬼神やらに解釈を拡げて、それらが之[六五]を祐けるのだ、とする解釈が今も広く流通している。天とするなら周や漢の時代の在り方からしてこの「上」は上爻より更に上の所に置かれることになり(これが「繫辭上伝」を出典とする「形而上」)、仁田 丸久 氏の世界で展開される論考になる。 だが、上爻の並びを見ても「上」を天と採るのはこの通説だけだし、解釈も弄り過ぎ。 【山澤損】の上九は、今や【風雷Y】に転じるところであり、六五とは正比の関係で、陽爻で下をYす余力があり・・・「上」とはこの上九のことではないのか? そう思って確認すると、中州 翁と鈴木 先生、今井 宇三郎 先生の「全釈漢文大系 易経」がやはりそう採っている。加藤 大岳 氏は「易學大講座」で「上九を指すと共に、天からでも與へられるやうに、思ひがけなく來ることであります」と何だか適当。 さて、【風雷Y】には上九にも「外 自り來たる也」がある。
まず、ここにも出て来る「或いは〜」は、正応の六三や下の九五だけではなくて、その他の爻も貪欲な之[上九]を擊つ、と解くのが相場になっている。擊つとなると、正応の関係にある者もそう来る。 ところが、こちらの「外」は何のことやら判らない。六二の場合と同じく【天地否】の九四を持ち出すなら、陽爻同士でこの初九が上九を擊つということになるが(六二のところでは、初九は「之をYす」)、一番 遠くて位が低い初九までもが上九を擊つ、ということで初九を代表させている、と考えようか。 元の兪 琰は、六三が上九に応じるが、之を擊つ者は九五であって六三ではないとして、「外」の義は外卦を意味し、具体的には九五を指す、のだと。今井 先生がこれを是としているが、擊たれる「之」は上九のもとへ来ようとする六三ということか? 今井 先生は異説の多い8【水地比】|初六でも爻辭を九五の初六へ降り来る説を採っていて、違和感がある。それは九五に書かれないと。これは現実に読みが大分 違って来るので、看過できない。 話を戻して、易の通例では、内卦から見て外卦が「外」。爻なら、より上の爻が「外」。「來る」とは外卦から内卦に向かう場合で、その逆は「往く」。だから、上爻に「外 自り來たる也」の句は異例。 すると、「外」とはまた天のことにでもするしかないが、この上九だと、天下の人々やら鬼神やらがこれを擊つ、天祐神助ならぬ天罰神伐のような耳慣れない様になる。そんなことで、皆、ここには触れようとしない。 そこで、中州 翁の荒技が秀逸。上九の「外 自り來たる也」のところを 40【雷水解】||九三の象傳の句に似た「我 自り致せば也」に取り換えることをやっている。皆が上九を擊つのは上九の自業自得だと。この書き換えに言及した森脇 晧州 氏の文面からしても、おそらく中州 翁のオリジナルだろう。 解釈の上ではスッキリするが、史上こうした荒技が積み重なって今の状況がある。勿論、“易の主宰者”は、易辞を含めて、筮者が最終的にタッチできる道具立ての上に御神明を下される筈なので、上古の易辞なり卦の並びなりが考古学上 不明である以上は正しい辞占は出来ない、というわけではない。古来の的占の数々がこのことを証明している。 ところで、一爻々々 細部を詰めて考えると、名の知れた学者にも著書の上でピンキリがあることが判る。 京都支那学の本田 濟 氏は、易を含めて中国古典史の方面の書籍は多々あるが、1997 年 発行の「易 ― 中国古典選〈1010〉」を見れば失礼ながら易辞研究者とは言い難いし、この本は出典・引用の確認にしか使っていない。易書は、読み物の類なら兎も角、それなりの体裁を取った註釈書は世に残るので、速成の粗製は厳禁。それと、この本には爻ごとにおかしな判断を添えていて、易占の方は素人。永き易占の経験なくして易辞を語る学者は信用に足らず。 今井 先生も、本田 氏ほどではないが、主著の「新釈漢文大系 易経」は異説違解などの作業により神経が行っているようで、肝心の解釈の考察ではやや眠りこけていないか。解釈の部分だけを再び見返したとしたら、相当 赤ペンが入るだろうと思う。この本は多年を費やした労作でも、紙面の都合だろうが、64卦ごとに六爻分の「語釈」と「補説」とを纏めて書き並べていて、それは比較の利便はあるにせよ、細かい字で改行もなくビッシリと10ページ以上の文字列の繰り返し繰り返しで、こんなストレスな本はない。全3巻で3万円する。 |
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占断ではいわゆる判断本は使っていない。婚姻の吉凶がどうとか紛失物が出る出ないとか並べて書いている即時占の体裁のものは一切ない。ただ、占事・占的は様々、卦象・爻象も古来 諸説あり未だ知れぬ落とし穴もありなので、読みに迷えば、参考に呑象・燗 嘉右衛門 翁や眞勢 中州 翁のものを覗く。 爻位で成り行きを計る占法のこと。
呑象 翁だと、確認できる限りではこの観方は見掛けず、「大失敗の象」などとしている。 三遍筮法では、こちらは【地火明夷】の上六については、35【火地晉】||(← 左を上に。以下 同じ)との夜中・日中の循環でもってここを未明の時、即ち、好転の機と採ることもあるが、占の内容によっては序卦 37【風火家人】||||に爻を辿ることもある。
しかし、その理屈なら、39【水山蹇】||も上六を変ずれば 53【風山漸】|||だから、凶意が更に増すことになるのではないの?(爻辭は吉意だが) 【澤水困】も上六を変ずれば 6【天水訟】||||で、凶意が被る(反して、爻辭はif付きの吉意)。 呑象 翁であれば、【水雷屯】上六では、困難の極みであると同時に、福運に赴かんとするの機である、としている。 大岳 氏は、四難卦の残る 29【坎爲水】||は上六で穴から抜け出る、とするようだが、これは変じて 59【風水渙】|||なので、理屈に合う(だが、爻辭は凶意)。 【地火明夷】上六、【水雷屯】上六、【坎爲水】上六・・・爻辭が凶意で書かれながらここで御難が解けるとはどうも・・・。四爻も爻象次第で物ごと成就あるいは問題解消とするので、難卦は上爻を凶意が終わるところと観るというのはまた観点が違うだろう。 大体、大岳 氏のような理屈から行くなら、外卦が【坎】なら、九五を変ずれば【坤】となって障害が消える画だから、【水雷屯】も5【水天需】||||も九五を転機と見ることにならなりそうだ。そういう疑問は凡て洗い出して検討しよう、と。 尚、大岳 氏は【水山蹇】のところでは九五に希望通達の機ありと書いていて、上六の時とどっちにするんだよ、と。 この「易學大講座」はまだまだ試行錯誤されている時代の産物。大岳 氏はその後「易学研究」に思うところを寄稿して行かれたが、残念、確認作業の前に津波に消えてしまった。
ただ、【天地否】について、占断の「占」では、上九で【泰】通 来たりを言っており、これは当然。それと、【雷水解】・【風水渙】は上爻に危難を逃れる意があるし、【火澤睽】は背き合っていた関係が上九に至って軌を一つにして交わるとすることは言うまでもない。 結構 観方が分かれるもので、眞勢 中州 翁の観象読卦もまた割と異なる。 それで、こちらは上のどなたとも違って、多くは得爻の吉凶を総合的に観ていると思うが、同時に、実占での確認作業を続けている。 話が変わって、その作業の過程では、例えば、筮者が卦象・爻象を勘違いして認識していたりすると、しばしばそれに沿って示される現象もあるから面倒。天数は、筮法は勿論のこと、卦・爻を含めたこちら側の道具立てに順う。だから、本当は、他人の出した卦・爻は読めたものではない。 そこで、易を構成する基底の要素を符号としての八卦としても、これさえ卦象を誤認識していたらどうなるか。易を構成する最終の要素とは何ぞや、という疑問に行き着く。こちらはそういうシステムやその裏にある易の摂理の方に関心。 |
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世はクリスマスだし、刀巴心青の方面の話。
これは 27【山雷頥】||の“口”の中に九四の陽爻を1本くわえ込んでいる画、「頥中 物 有るの象」。言うまでもない。しばしば三角関係の状態で、怒れる人あり、よく卦を得ているようだ。この卦の爻辭はどれもそちら方面で解釈できる。 22【山火賁】|||や 30【離爲火】||||も【火雷噬嗑】と同様に観て、後者は、同時にか前後してか、2本くわえ込んでいるとも取れる。勿論、実占では、占事・占的や爻に沿ってよく観象読卦しないといけない。 フリー セックスを批判する者もいなくなった日本では、今や一陽1爻 = 10本で数えるべきなのか? 男も、若い頃から千人斬りを大っぴらに公言して見境なく励んでいた将棋の米長 邦雄に紫綬褒章を授与するなんて木っ恥ずかしい国は日本だけだろう。 尚、【山火賁】の相手なら、そうした自分のマイナス面を繕い蔽っていることを察するのは勿論のこと。 そういうことで、逆に、何もくわえ込んでいない 27【山雷頥】||や 42【風雷Y】|||などの場合はセーフと取る。 41【山澤損】|||は減るの意だから、女を喪うとも取れるが、そっち方面だけに囚われないで、例えば、中筮法で背くの意の 38【火澤睽】||||からの変化なら、その九四の一陽爻が消えた画だから、その爻辭「(六五・六三にはそれぞれ正応あり)睽(ソム)きて孤なり。〜」も見た上で、何かつかえていたものが取り除かれた意を重く観ないと。
女性が嫁ぐ際の様々な在り方で六爻が綴られている、結婚の卦の一。 しばしば内卦【兌】の若い女性が外卦【震】の割と歳の離れた男に夢中になっている関係で、ときに道ならぬ恋、不倫。
【山風蠱】はオールド ミスの象で、これは男性関係がないまま暦を重ねたのではなくて、蠱(ヤブ)れてしまっている卦。言葉が悪いが、そうしてもう虫が湧いているほどだ、と。 この卦が二人の関係に示されると、内卦【巽】の年上の女が外卦【艮】の年下の男を蠱惑誘惑する形で、もう当初のキラキラした恋は終わって、ズブズブの関係となっていることが窺える。30代以上の彼氏・彼女の浮気について易占の依頼があると、もうこの卦ばかり・・・。で、色々 深読みしては依頼者の方を泣かせております。 中筮法で之卦に示された場合もそのように解するが、以前、【山風蠱】は先代がダメにした家を子が建て直すテーマで六爻が説かれているからと、これを再生手術すると読む人がいてゲラゲラ笑った。象は分かりにくいから確認々々と言っても、これはさすがに。 以上は、皆が通る易の男道。
こうだろう。卦は畜止。この六四は内卦【乾】の“男ども”が進み来るのを一人「まだよ、まだよ」と止めている。文脈から「血」は恤(ウレ)ひの誤伝だとの謂いもある(安易に採りはしないが)。「咎」は咎めを受けるようなこと。で、「孚 有り。恤ひ去り、れ出づ。咎 无し」。また、この女性を反対側から観ると、10【天澤履】|||||で、履(フ)む、女裸体の象。 即ち、まだ。
(老)婦 淫蕩するの象で、これは老婆の老いらくの恋にしか当て嵌まらないだろうというと、そんなことはない。易辞というのは、字や文節が現代の日本での意味で取るべく示されることもあるが、隠喩・象徴であり、占事との重ね具合は一様ではない。だから、夫や彼氏の居る若い女性にも示される。 卦象にも、易辞にも、古来の占例にも、刀巴心青の方面のものはまことに多い。人々の大きな関心事だったことが判る。 |
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易占の筮儀。サイコロを使う場合だと、瞑目しながら息を止めて一擲して、そのまましばし筮後の儀をやる。この筮後の際に奇妙な現象があって、この頃ここでのことに規則性があることに気が付いた。 瞑目していて、極端な場合だと、気味の悪い餓鬼というか得たいの知れない魔物のような者なりが思い浮かんだり、上の方から全体的に漆黒の闇がゆっくり下りて来たり、そういう妄念が浮かんで追い払いようがない場合には(何かと勘違いされると困るが)、決まって占示が芳しくない。他方、よくある場合で、まぶたの裏(のよく左下の辺り)にキラリと光が射して、払えども出来なかったり、何か全体的に清々しくて前向きで明るい感覚に被われた場合には、示され様が宜しい。不意に降りて来る。何度か書いた「正の感覚・負の感覚」とはまた質的に違うが、正か負かが示されるところは通じると思う。 特に一日が終わった夜中から朝方、疲れて頭が薄ボンヤリしている時にこういう感覚になりやすい。但し、執筮に睡魔は禁物で、こちらの場合、何れによる御神明とかいうような示され方になって当てにならない(どうも気力の質と量が関わるらし)。即ち、変な言い方になるが、宜しき結果を望むなら、この眠さのことに限らず、居住まいを正して執る、と。 話を戻すと、つまり、任意の筮法でもってサイコロや筮竹により天数として示されるのではなしに、吉凶ぐらいは分かってしまう、と。しかも、吉意だったら、光の強さや大きさ、全体的な宜しき感覚もその後の現実の結果と肌感覚としてニュアンスまでよく通じる。 勢い・強さ・伸びなどがあって峻厳として凛とした感覚のある場合がどうも最上のようで、こういうのが神々しいと言うのかなと思う。紫龍仙道人の書かれた「修道之玄意」や「安鎮神法総説」を2・3頁も読めば、この辺りの質感を実感ぜずにはいられない。 それと、筮竹を使う場合。先に太極として一本 取るのに筮竹の束をサッと拡げた時に、どれか一本が眼に留まる。その筮竹の振れ具合がピーンと張ったものであったり、何だかぬるい感じだったりして、これが占示 → 現実の有り様とよく重なるもの。このことは以前にも書いた。 しかし、執筮で筮竹の裁きがピタッピタッと決まったり、サイコロが気持ち好く振れた時、これが宜しき占示や現実と繋がるかというと、そうでもない。やっぱり筮具自体への表象よりは何か薄くなる。こういったこと、皆さんはどうだろうか。執筮において御神明はどういうものに表象なるかは一度 整理してみたい。 それで、今朝もサイコロで7・8回 続けてやってずっとこの調子なので、面白いから、気分が乗ったところで、今年、震災で立ち消えになっていた某大物の女優さんとの仕事なにかにが前進するか、と頭の中で以前の実家の裏にあった鹿嶋神社の前に立ちながら二礼二拍一礼もちゃんとやって質したら(笑)、何とも清々しい気と光が広がった。眼を開けたら、42【風雷Y】|||九五。 好き運が漏れると宜しくないので、これにて。 |
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易に受験の成り行きを問い質して、合格すると示されたとする[初筮]。しかし、同じ筮者が、試験の後、気になってまた同じことを質してみたところ、今度は不合格と示されたと[再筮]。 この場合、実際には不合格の結果となるだろうと思う。ところが、再筮をしなかったら、合格していた可能性が高い。確認しようがないので「高いかも知れない」としておこうか。合格する場合には初筮をもって納めることだろう(こちらの稿もご参照)。 【山水蒙】||(← 左を上にして見る)の彖辞に「初筮は告ぐ。再三すれば瀆(ケガ)る。瀆るれば告げず」の有名な辞があり、ことの成否を質せば、それは初筮に示される、と。 それはそれとして、同様の主旨・内容の問いでもって再び筮を執ると、その占時の時点辺りでの状況が示される傾向がある。管見では易の先哲らはそんなことは言っていないが、これは私の経験では明らかなことだ。そして、その場合、成否の占であっても、初筮の占示もその時の状況や機運が示されたに過ぎないものになりがち。占機は異なるが再び同じ意味内容の筮をやってしまったことで、初筮の意味するところが変わる、と言える。「易(カ)わる」がここにもある。 似たような意味内容の占を繰り返した場合、採るべき判断は初筮の占示に帰るべしと言っても、それは占事の内容によるだろう。 易を構成するシステムは我々が知覚し得ない将来の状況を今の卦・爻の上に映し出すのだから時間を超越して存在しているわけで、易を司る摂理の側からすると、筮者が何度も筮を執ることは始めから承知ということになる。初筮だけで終わる場合も承知。始めからそれに応じた占示があるだろう。 つまり、筮者からすると、再筮した場合には未来図が変わる可能性が言える。我々はその意思・行動によって進むタイムライン[時間線]が変わる、ということだが、これは何も不思議なことではない。例えば、努力したのとしないのと、結果が異なって来るのは当然だ。 それなら、「死なない未来に行き着けるか」といった占問には可能性という別の厄介な問題が絡んで来るが、パラレル ワールド(= ある時間線による世界から分岐し、それに並行して存在する別の時間線よる世界。並行世界)の存在の可能性はこうした理屈でも理解されるだろう。 未来は変わり得る。それなら、よりよき未来に行こうじゃないですか。何をどうすることでどう変わるのか、そこを考えたい。 |
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恋愛の成り行きと結婚の成否などについて易占のデータを集めるのに、芸能人の交際のニュースがあると、よく一筮 執っていた。卦・爻と事実の白黒(筮者が関与できない事実)との照応や、爻位のことを見るにはこれが都合よい。 そのパソコンやHDは津波でどこの砂土の下へ潜っているやら。 三変筮法の読みでは一に爻意に注目する。ところが、交際報道のカップルに 32【雷風恆】|||(← 左を上に。以下 同じ)の九三の「不恆其德」を得たのに婚姻を結ぶに至ったり、離婚近しと見られるご夫婦に同卦の上六「振恆」が示されながら何年も円満な様子だったり(勿論、内情は部外者の知るところではない)。 【雷風恆】は夫婦の卦であり、また、内・外卦で背を向け合っている画であり、63【水火旣濟】|||と性格が似ていて、その辺りで簡単に扱えない。江戸期の先哲らもジタバタやっている通り。 最近では東 貴博と安 めぐみの結婚の成否を質した時にこの九三を得たので、ハテどうなるかと見守っていたら、昨年末に入籍と相成った。九二や六五なら解るが。
この卦は恋愛の卦 31【澤山咸】|||と同じく内・外卦の各爻が陰陽 相応じていて、九三は上六と正応の関係になっている。だか、教科書的には、爻辭「其の德を恆にせず」で、婚姻ならずに別れる成り行きを取るところ。 爻位を観ると、執筮したのは昨年5月末で、12月末は序卦の 33【天山遯】||||の九四に当たるが、「好めども遯(ノガ)る」で、芸能人同士、環境が整わなくて泣く泣く別れる、とかそんなことを読むことになる。こちらの方向は採らなくて正解。呑象・燗 嘉右衛門 翁は、手持ちの「増補 燗易斷」の限りでは、【雷風恆】では爻位を取っている例がない。 また、こういう卦の流れのことは誰も確言していないが、この九三は裏に 40【雷水解】||があり、関係が瓦解して恆ならず、とするわけ。ところが、この占の場合には、交際期間が長く、周囲の問題なりがやっと片付いたので【雷風恆】の結婚の卦意に至った、と取ることになるだろう。そこで、二人の間にそうした中心課題があったというならそちらを爻辭の「德」に取って解せなくもないが、この卦・爻でいきなり成婚と断じるのはちょっと難しい。 刀巴心青の方面がお好きな人は、帯を解くの爻だとか、互卦で相応する 43【澤天夬】|||||九二が夜這いの爻だとか、色々 読むだろうが、想像 逞しい読みは置いておく。 この占、卦はともかく、爻を得ているかな? では、なぜこの占に九三が示されたか、と言うと、要するに、筮儀が甘くてブレがある。“易神さま”との酬酢(シュウサク)が宜しく出来ていないだろう。自分の中では、あちらとの気線というのか、その時々の通交感覚を然と得ながら、筮竹を割るなりサイコロを転がすが、芸能人のどうでもいい占だとどうもその辺りがソソクサになっていると思う。筮時、こちらはよく右の鼻の穴の下をスッと涼しい風が僅かに撫でるので“易神さま”?が来ているのを知るのだが、それもない。 この辺りの通塞のことは、占示の吉凶の確信のことと整理を着けた上で、遠からず本に書く。 占断は、卦8割、爻2割、という大ベテランの先生もおられる。だが、街占で一見さんを相手にした経験の山については一概には論じられないし、その先生も爻意は一応 参考にされる。厳密に言えば、例えばこちらと同じ三変筮法と言えるか、の問題もある。 因みに、東・安の結婚生活の成り行きを質すと、1【乾爲天】||||||初九。 あら、大変だ。内実はちょっと違うな。これはあちらと応じていますかね? 四柱推命や手相占いなんていうのはお気楽だ。誰でも勉強をしただけ上達する。読みを外しても年来の手法・統計なりのせいに出来るし、「運勢」・「相性」なんて占い師本人もロクに説明できないグレーの逃げ場がある。 本来の易はそうは行かない。大道占いなら兎も角。そもそも、卜筮という神ごとにおける素質の問題があるし、卦読みには象において辞においてセンス・ひらめきの良さも要る。これでもって時には人様の生死の如何も求められるから、医師と同様、甘さが許されない。 |
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易占は応卦を得ないことには始まらない。 理屈を言うと、この「応」には二つある。つまり、問筮での問い[占事・占的]と御神靈“易神さま”との間、そして、“易神さま”と示される卦・爻との間。この後者については筮者は与り知れない摩訶不思議な仕組みの世界。問筮において問題となるのは前者であり、筮者と“易神さま”との通交感応、酬酢(シュウサク)のこと。 言うまでもなくて、この問いと示された卦・爻の間に、頭を叩かれた → 痛いと感じる、のような因果関係は成立しない。その意味で、この間の関係は切れている。しかし、問いと示された卦・爻との間には「偶然だよ」と言い切るには無理のある意味性が絶えず成立するのであり、そこに非因果的な原理の存在を思わざるを得なくなる。そこで、集合無意識説で知られる深層心理学のカール=G=ユングは共時性理論でもって易示現象を解くのだが、ユングがもう少し実占を能くしていたら、このモデルはもっと違っていたかも知れない。と言っても、こちらがユングほど何か見事な講釈が出来るわけでもないけれど。 今回、「なでしこジャパンは国民栄誉賞を受賞するか」を外した。8/18 の授賞式まで事態が引っ繰り返ることはなさそうに見える。これの納得できる読みは他にあるかね? 何度も書いている通り、こちらの場合、 ●勝ち負けについての占では、示された卦・爻が事実関係にキレイに応じることもあれば、まるで意味を見出せないこともある。 ●欲を差し挟むとしばしば卦がブレるように思う。そんな時には再筮をやらかしがちで、再筮はこれはこれで考察が要る。 ●問筮に身が入っていないと、占示が不確かになる傾向。まま筮時の自覚として分かる。 ●気力のことも大事。呑象・燗 嘉右衛門 翁は体調が十分でないと、執筮についてはお弟子に任せた。眠気も禁物。 これらの場合を除けば、まあ観象読卦の勉強に限りはないわけだし、勘の利く時 利かぬ時もあるけれども、誤占というのはそんなにはない。筮を執ろうとする占機が重要であって、他はそう関係ない、という捉え方があるが、永い経験上そうは思わない。 ところが、今回は爻辭・象傳がかなり意味深長であり、更にその占示の真意を質しても同様の意味が取れるから、筮に身が入っていないだけ、とは言えないところが引っ掛かる。 管見だが、古来、不応についてまとまった考察を拝見したことがない。ただ、呑象 翁が、問筮において一毫の妄念をはさむ時には、本筮法であっても鬼神のこれに感通する理はなく(本筮法だけが正法とは思わないが)、空中に彷徨って災いを為し変を為すところの遊魂と感応する、のように一つの確信をもって書き残されている。呑象 翁は易示現象を占告神示として捉えており、こちらも結果が芳しくないと、筮儀の姿勢がまずいのではないか、とか、易を余興に使うのは宜しくないのではないか、と思うことになる。“易神さま”は純な初学者には優しいが、ダレたベテランにはまるでそうではないのだ。 だが、呑象 翁が言われるような遊魂なりとの感応があるとして、これが我々の感覚を多少 弄って本来 示される卦・爻がズレることがあるとしても、今回のようなまるで上手く担がれたような現象というのはどうした仕業か? 頻度を考えれば、ただの不応であって、偶然、と言えなくもないけれど。 易での示されようからすると、おそらく未来は、変わる余地は一定程度あっても、避け難く決まっているところが大きい筈だ。そこで我々がタッチしている“易神さま”は、時間全体というものとどう関わっているのか判然としないけれども、我々の筮儀の一々をも森羅万象の一として自在に扱えるレベルの大きな摂理ではないか、と。筮竹の束を割る親指を未来に合わせてコントロールするのだから、と言ったらおかしいかな。 つまり、今回のような不応、あるいは勝ち負けについての占での現象は謂わば負の蓍情ではないのかな。即ち、“易神さま”による筮者への戒め・・・。
卦は【大離】で、物ごとを“明らかにす”。その外卦【倒兌】の“お口”が示された。伏卦 10【天澤履】|||||で、恐る恐るタッチしたこの“お口”はどなたのお口か。外卦だから“易神さま”だろう。 「月、望に幾し」で、殆どの場合は、と。「馬匹」は空中を彷徨っている遊魂。そして、「咎 无し」。つまり、殆どの場合はそうした障碍を受けることはなく、“易神さま”まで昇る、とキレイに読める。こうした障碍はあることはありそうだが、考えてみれば、こんなものは筮に限ったことではないか。 すると、今回の占的に対して意味性の強い占示というのは、偶然ではなくて、負の蓍情かな。28【澤風大過】初六の辞にある「白 茅」と号するのに、避難状態を理由にして執筮で慎ましく丁寧な配慮を怠っているからこうなる。 翻って、後年 癌を発症して「東電、政府、怨めしや〜」と思うことを想像したなら、政府からの保障など待たずに遠くへ避難すべし。 |
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明けましておめでとう御座います。 2011 年の日本丸は 62【雷山小過】||上爻 変じて 56【火山旅】|||へ之く。 終に行き着いたことあり、世の中ゴタゴタとして、先行きがちょいと しんどくなる様子。ここはしっかりと気を引き締めてゆきましょう。
さて、一つ占題の下に筮を執り行うと、ある卦・爻が出来上がる。この卦・爻は占題に対して必然か、あるいは、意味のない偶然か? 易のシステムがキチンと機能したのであれば、それは必然であって、天数より成る「卦を得た」のであって、他の卦・爻には替わり得ない。このことは、それなりに易占をやっていれば、確信に至る。それどころか、常に確信することになる。 そこで、卦は64あり、各々6つの爻から成るから、爻は全部で 384 あるが、もし三遍筮を 38,400 回やったら、任意の卦の爻が示される回数は限りなく 100 に近くなる筈だから、筮で出た卦・爻というのは偶然じゃないの? それに、同じような条件の占題で筮を繰り返した場合も 384 の爻が均等に出るわけだから、それっておかしくない? などと疑問が起こる。 こちらも易を始めた頃はこの手の素朴な疑問を次々ぶつけては、皆を辟易させたもの。 それで、後年、数日がかりで自分の三遍筮の占を数千も集計してみたことがあった。すると、かつて1・2回しか出たことのない爻もあれば30回以上も出ている爻もある。卦単位では、最も出ることの少ない 25【天雷无妄】||||(← 左を上に。以下 同じ)と最も出ている 57【巽爲風】||||とでは3倍ぐらい差があった。 38,400 回やったものならもっと均されたものになるだろうが、それでも、爻単位では凸凹の差は相当あると思う。分母を十倍の 384,000 回にしたらどうだろう? と言うのは、こちらは6つの爻で見ると、筮法や筮具は何であっても、上爻を得る場合が目立って多くて、二爻が続くが、この傾向はずっと変わらない。喫緊の用件の筮が多いためかも知れないが、現実ではそういうこともあるのだ。 勿論、サイコロを使う場合には、出目の偏りを避けるのに、普段からあれこれと替えている。 それから、こちらの占は占事・占題はそれこそ様々で、自分について、その他の人について、世の中のことについて、色々な占的での占がある。他方、一つの爻にも様々な爻面というようなものがあって、“易神さま”は象・辭・變を以て様々にお示しになる。だから、これらの組み合わせは無数になる。 従って、38,400 の占で全ての爻の出方が限りなく 100 に近いとしても、そのことと易示の占題・占的に対する蓋然性とは矛盾しないだろう。なにせ何重にも摩訶不思議な世界なのだ。 また、筮者も占事もその環境も固定された時間・空間の中に存在するわけではないから、「同じ条件の占題での筮」というのは正確に言えばあり得ない。 それと、抽象的にすっかり条件を揃えて筮を繰り返したとしたら、それ即ち再筮であって、易占では4【山水蒙】||の彖辞「初筮は告ぐ。再三すれば瀆(ケガ)る。瀆るれば則ち告げず」ということになっている(これはこれで研究すると面白いことがある)。 ところが、以前、実占での問題提起があった。 結婚の成否(可否ではなく)の占で、とても結婚の相手になんかなりそうにない芸能人をズラッと並べて、「オレは将来A子と結婚に至るか」、「B美と結婚に至るか」とやって行ったら、その内、結婚に至るとしか採れない卦・爻が示される筈だ。何人に対しても。それっておかしくないか? と。 好い疑問だが、これはべつにおかしくないのだ。おかしいのは自分で成否の占とした点だ。当事者の意思次第で変わり得るような占事なら、その占というのは可否を質すことにしかならない。気運の有無・大小の話。つまり、結婚の成否を質して、その人と“結婚に至るとしか採れない卦・爻”が示されたとしても、「やっぱりヤーメタ」で全て終わりになる(但し、成否の占には原因があって結果があるという因果律を超えた仕組みも存在する。強い問いに対する占示に対して現実の結果の方が近付いて来るという説明不能な引き合いの現象のことで、易の核心に触れる部分だが、ここでは脇に置いておく)。 あるいは、相手が一面識もない人なら、アプローチをしに行動に出なくちゃいけない。このことを煎じ詰めると、結婚に行き着くように持って行かなくちゃ、成就はない、ということだ。つまり、そうした現状でもって“結婚に至るとしか採れない卦・爻”を得たとしても、それは、結婚に至る可能性はある、ということ。可能性の問題。好からぬようにしか読めない卦・爻の場合は、頑張っても無理だね、ということ。 そこで、どれぐらいの可能性なのかについては、要は当たり前のことだが、現状から判断することになる。 “結婚に至るとしか採れない卦・爻”でも、話したこともない相手だったら、結婚に行き着くには現実的な問題がある。克服できない障碍はない筈だが。 逆に、交際の深い相手だったら、その好条件、即ち、目立った障碍もなくて好い気運にあることがそのまま卦・爻に示されている、ということ。 ちなみに、「オレは夏目 雅子と結婚に至るか」、「マリリン=モンローと …」とやったら、卦を得ないだろう。あるいは 28【澤風大過】||||初爻でも示されて「謹まぬか、無礼者!」みたいに、警句が出て来る。 こちらも、加藤 大岳 氏などと同じく、理屈でも現実でも納得ゆかないと気が済まなかった。入門書の類は手当たり次第に読んだけど、この辺りの疑問をキチンと解消できなくてもがいたもの。 |
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叔母が亡くなった 2007 年の春のこと。この半生、幸せなことに、近しい肉親との死別というものに殆ど遭わずに来たので、人生の大きな節目の到来を感じて、気の向くまま、身内の人間のことをあれこれ易に質してみた。
こちらの読みは、三爻を今当の 2007 年として、上爻に当たる 2010 年にゴールイン、と。三爻の裏に天地の気 交わる【地天泰】|||(← 左を上に。以下 同じ)があるので、ゴールが来ていることを察すると共に、上爻の辞にそれらしく「敦く臨む」とあるので、これを採った。 で、当時、その読みを彼の弟にコソッと証拠メールをしておいた。本人に言ったものなら、B型のアマノジャクを発揮されるやも知れん。 それで、結果はと言うと、先月の末、彼はめでたく15歳も歳下の女性と(!)華燭の典を挙げた。「甘臨」ね、うまいことやりおった。 だけど、この読みはそんなに楽ちんではない。 まず、“備え有れば憂い無し”のこの卦・爻、爻辭に「利しき攸 无し。旣に之を憂ふれば、咎 无し」と二通りの成り行きを書いてある通りで、本人の有り様をよーく見ないと見事に失占する。危うきのある三爻。勿論、筮前の審事は疎かにしないが、従兄弟はソコソコの歳だし、「旣に之を憂」えている様子なので、いけるでしょう、と。 それ以上に、何というかな、彼のその辺りの勢いを感じ取ったもの。当時、従兄弟に彼女はいなかった。 それから、爻辭・爻位で物ごとの推移を観るこの占法だが、【地澤臨】上爻を恋愛等のゴールにしている先哲の占例が見当たらないのだ。こちらは好かれと思ってそれまでも使っていたが。 明治時代の呑象・燗 嘉右衛門 翁であれば、こちらの資料の限りでは、二爻の占例で三・四爻の時を待つ云々と言っているだけ。古来の占法まで総洗いされている占法家の加藤 大岳 氏は「易學發秘」・「易學通變」辺りの時間的占法の中でサラッと触れて終わっている。 「敦臨」のこちらの取り方はこれで好いのではないかな。こちらは色々 試して来て、成就までの期間を観る方法としては、この爻辭・爻位で推移を観る占法と、爻位の数を期間に当てる方法には一定の確信がある。 今回の占ではハードルはもっとあった。年齢に数え年と満年齢とがあるように、時の数え方も単純に行かない。 序卦断法で、五爻を得て、その次の卦の五爻までは何年あるかというと、昔は7年と数えた(五 → 上 → 初 ……→ 四 → 五)。 例えば、呑象 翁だと、後に新潟地方裁判所長になった富田 禎次郎 氏の求めに応じて 48【水風井】|||三爻を得、上爻の辞「井 収まる」を採って、栄進は4年後としたような具合(正確には、4年以内と言ったらし)。つまり、今当の年を、残りの月日を斟酌せずに、頭から1年とカウントして始まるのだが、昭和期の先生方も割とこれだった。「周易裏街道」の故・仁田 丸久 氏も。 ここには、病の重篤者に帰魂の卦の上爻を得た時に、今晩か明日の早い内に亡くなる、と断ずるのと同じ配慮があるだろう。だが、この数え方だと、今回の従兄弟の占なら、2011 年に結婚と断じることになって、事実と合わない。ここの曖昧さはこちらとしてはちょっと気に入らない。 占断では1日なり1ヵ月なり1年なりの時の長さのことを考えないといけない。今回の筮は 2007 年の前半の5月だからそのまま三爻に当てて、四 → 五 → 上爻と数えて3年後の 2010 年の内で何とか収まった。だが、3年と言っても2年半〜3年半ぐらいを見るべきだろうから、これが7月以降に筮を執ったのなら、範囲を 2011 年の前半まで拡げただろう。勿論、期間は実数で数えている。 こちらは以上の考え方で大体 事なきを得ている。ん〜、金 正日の死没は年を越すやら。 加えて言えば、実際には筮から結婚式・入籍までは3年6ヵ月強という際どさだった。それに、式や入籍もなしの場合も少なくないから、何をもって結婚とすべきかについても頭をよぎることになる。 ついでに言うと、ちょっと話がズレるが、占的をしっかり絞っていても何だか読み難い占示の場合には、決まって現実がゴチャゴチャとして来る。内実を失って形だけになっているとか、虚実が絡んだり、二転三転がある。政局が典型で、全部 終わってみて、「ああ、なるほど」といった具合。 さて、【地澤臨】。24【地雷復】|が伏している二爻を得たなら、どうだったか? これは同じ三遍筮[三変筮法]でも先哲によって全く逆の読みとなる。 こちらは、三遍筮とは、あくまで得卦、即ち、本卦とその爻の意味するところによって答えを得るとしているから、二爻は吉爻であり、爻辭「咸臨す。吉にして利(ヨロ)しからざる无し」により、吉とする。 ところが、例えば、三変略筮法を是とする方だと、二爻を裏返して出来る【地雷復】を之卦(= 先の成り行きを観る)とするので、これを占題の答えとして、何もなかった元の状態に戻る、と断じることになる。あるいは、【地澤臨】→【地雷復】の次には2【坤爲地】が来るとして、ご破算への成り行きと観るだろう。これでもって的占となったとする占例を残している。 これまで何度も書いているので詳細はやめるが、三変略筮法は謂わば歴史の試作品で、陰陽の構造論からして疑問ありだし、だから、之卦と爻辭とで意味するところが頻繁に矛盾する。江戸時代、「当たるも八卦、当たらぬも八卦」と揶揄された原因の一つはこれだろう。占術というものは大衆化する過程でドンドン簡略化や部分的抽出が進んでおかしくなってしまうもの。呑象 翁も例の巡洋艦「畝傍」の消息についての占で、変(= 之卦のこと)を参考的に観て、結果的にミソを付けることになった(変と捉えること自体がおかしい)。 三変略筮法をやる方は、その筮法の立て前をもって筮を執り行うのだから、【地澤臨】二爻で凶の結果を見るのかも知れない、ぐらいのことしかこちらは言えない。そうだとすれば、表面64卦・384 爻で構成する易の摩訶不思議なメカニズムはそんなことさえも呑み込んで掃き出す消化力を持っている、ということだ。 それでは、【地澤臨】の四爻を得たらどう観るか? 2年ほどしてゴールでしょう。 そして、54【雷澤歸妹】|||が伏している。易をやる者なら誰でも知っていることなので書きますが、当人たちは“儀式”が済んでいる。【雷澤歸】は伏卦だけでも 38【火澤睽】上爻にも 58【兌爲澤】五爻にも 40【雷水解】初爻にも付いている。古来の中華でも実際のところはそんなことだったのかも知れない。 ? 神易にシモの話は不謹慎? 古くは「古事記」から田畑 大有 氏、仁田 丸久 氏の書までじっくりとお読みくだされ。易の深みの所々は“刀巴心青”で読み解くところ大。追究しているほど余裕がありませんが。 |
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爻辭の字句を占断の一の手がかりとする爻辭占において、爻辭を現実の上に重ねた時の解釈がその大もとである彖[彖辞]やその象意と相容れない場合に、爻より卦の方をより重く取るとなどとする見方、これはどうにもおかしい。よく「爻は卦の一部なのだから」と紋切り型に言うが、これは爻とは陰陽明暗高低ある卦の様相の一つだよという卦面考察の点での話であって、この言いを判断の上に被せたら、爻は要らないことになってしまう。せいぜい爻辭の大意が卦象に矛盾しない場合に参考にする程度のものになり下がる。 爻辭占と言えば、の“易聖”呑象・燗 嘉右衛門 翁は著書「増補 燗易斷」では、要は、今はこの卦の時だ、あなたはこの卦の背景にある、と説明をしながら、判断自体はほぼ爻辭でやっている。こちらも色々と試しながら、結局ここに戻ることに。 「卦読み」、これはその意味では江戸時代の言い方だろう。爻辭占なら「爻読み」となる。 それでは、分かりやすい卦、6【天水訟】||||(← 左を上に。以下 同じ)を取り上げて、以前にここで書いた女優の井上 訓子[青山 倫子]さんの占を例にして確認してみる。
卦を採れば、上る性情の【乾】と下る性情の【坎】が相交わらずの「天水背行」で、出演はないとの判断になるだろうし、出演を求め訟えても通らないとみることになる。江戸中期の易学者である新井 白蛾は【天水訟】を「天水 違い行くの象、田猟無獲の意」と書いている。それに、小成卦を見れば、テレビ局側は外卦【乾】で頑として受け付けない様子なので、内卦の彼女の側は【坎】で悩んでいる姿、と。 ところが、井上さん、実際にはその翌月からスタートしたテレビ ドラマ「オトコの子育て」にレギュラーで出演した。 互卦の推移を見れば 37【風火家人】||||で、【倒兌】でもって【離】の“美女”を口説いている絵、というぐらい。 「五爻の辞は『訟え元吉なり』だし良すぎるじゃないか、訟が受け入れられるの意だし」というなら、次の例。 「シロクマ園長 命の事件簿2」に出演するかの占では【天水訟】初爻を得た。 この爻は、爻辭「事とする所を永くせず。小(スコ)しく言う(モノイ = 小言)ことあれども、終(ツイ)に吉なり」で、誰の解釈を読んでも、要するに、訟えても勝てない、そもそも訟えをしない、口ばかり(= 初爻を変じれば、内卦【兌】になるから)、の意味だ。 ところが、「事とする所を永くせず」が具体的に何のことか裏の事情のようで分からないが、結果は、少し時間を置いて、翌年「終に吉なり」でした、と。ここに卦象の出る幕はない。それどころか、結果は爻辭の大意とさえ矛盾する。爻辭内の文言の解釈の仕方は爻辭の大意から解釈される意味に必ずしも縛られるものではない、ということ。これは呑象 翁の占にも見られる。 ちなみに、得爻を裏返して出来る卦を之卦(= 本卦の示す事柄より時間的・順序的に後の事柄を意味する卦)とする三変略筮法であれば、五爻が変じれば 64【火水未濟】|||で、その先 未だ濟(トトノ)わずで当分はダメ。初爻が変じれば 10【天澤履】|||||で、履(フ)むでヨシ、と判断することになる。それぞれ本卦の爻の言うところの吉凶とは矛盾するのだ。何度か書いたが、三変略筮法なるものは構造からしておかしいのである。 もう一つ例を挙げると、フットボールの日本代表が南アフリカW杯アジア最終予選を突破するかを問うた占で得たのは【天水訟】二爻だった(※ 不明の多い勝負占だが)。 ご承知の通りこれも実際には突破したが、この二爻の辞に至っては「訟に克(カ)たず、歸りて逋(ノガ)る。その邑人(ユウジン = 邑は自領)三百戸(= 小さい村)にして、眚(ワザワイ)なし」と、爻辭の大意どころか、辞で「訟に克たず」とハッキリ言っている。前の二例とは異なって「吉」の字さえない。 この占は、自軍にあたる内卦が【坎】であり、外卦【乾】の方が一回り大きくて強いし、二爻を変じたら 12【天地否】|||だ。これでは突破するか否か確信が持てる筈もないし、こちらは卦と現物の勢いなどを見て当てたに過ぎない。 で、結局、この爻辭は予選突破を決めた試合自体の展開を示したものだった、と。つまり、この占でも卦象も爻辭の大意も出る幕なしなのである。この卦・爻、他の人に意見を求めたら、皆が皆「突破できない」と言っただろう。 言うまでもなく、神明の示され方はいつもこうとは限らない。 以上はこちらの流儀。“易神さま”との間のことだから、他の人の場合がどうなのかはよく分からない。 例えば、加藤 大岳 氏のお弟子で「卦8割、爻2割」とおっしゃる有名な先生がいる。好きな先生だが、この名人の場合は、おそらく意識の上では爻辭占ではないから、卦として神明を得るのではないかな・・・。これはあり得ること。 こちらは呑象 翁と同じく、三変筮法[三遍筮]による爻辭占に確信を持っている。 但し、筮法の構造の話をすると、呑象 翁が「増補 燗易断」に書いている「中筮法・三変筮法は本筮法の略筮法」云々の言いには同意できず、これは加藤 氏の言われる通り、三変筮法[三遍筮]は略筮法には非ず、それそのままの独立した機能を持った筮法だろう、と。略筮法なら、その一得爻を裏返して出来る卦は之卦ということになるが、構造上も実際の結果でもそうはなっていないと思う。 爻辭占をやっているつもりでも、時に妙な占示に出くわす。 ネット オークションではよくも懲りずにセコイ詐欺に引っ掛かっていて、それで先日の売り手にはチと腹が立ったので、強く返金・返品を迫った。さあ、相手が指定期日までに返金・返品に応じるかを易に問うたら、15【地山謙】|四爻。爻辭「利あらざるなし。謙をッ(フル = 揮、発揮する)え」。 ?「利がないわけがない。謙をッえ」と言ったって、もうそんな状況にはないのだ。錯卦 10【天澤履】|||||で、事に踏み出して、もう全く対立している状態である。綜卦 16【雷地豫】|で、当然 相手は予め分かって詐欺行為をやっているのはその通りだが、互卦 40【雷水解】||で、占示は問題の解決を匂わせるのだ(最近 起こった問題ならダメとか何とか言うが)。 ところが、結果は連絡を取っても音沙汰なし。 この卦の真意や如何?! むしろ、【地山謙】の卦象や画象の方が事実に合っている。この卦の時は、件の相手はモグルのである。今あらためて読んでいる仁田 丸久 氏の「周易裏街道」には「金儲けのためには股をくぐってもやるというような慾深い人に出る卦。昔の伝で、お灸は利かぬと見る卦」とある。画象を見ても、【地山謙】は外卦【坤】の何もない平野を前にして、こちらが【艮】で佇んでいる。四爻だから、結果は付いて来ない。四爻を裏返すと 62【雷山小過】||で、【大坎】がこの裏に隠然としてある。そのそっぽを向いていた外卦【震】の相手が、【地山謙】では【坤】で走り去っていなくなっている、というわけ。三遍筮において、得爻を裏返して出来る卦はことの成り行きを兆したものなどという三変略筮法的な根拠はどこにもない。この卦はまさに伏卦である。 |
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三変筮法は読みで基本となるのはやはり爻辭。呑象・燗 嘉右衛門 翁のそれに及かず。占事・占的の分野が違えば使う道具立ても違う、の問題は勿論あって、それはそれ。まずは爻辭を占事・占的の上に重ねた時の解釈を確かにすることに意を尽くすべきだ、と。 試行錯誤を繰り返し繰り返しやって来て、今、結論として言えることは、まず、得爻の陰陽を裏返して出来る卦、つまり、加藤 大岳 氏 命名の伏卦はやはり錯卦[裏卦]の在り方に近いということ。本卦が意味するところに対する錯卦の関係に照らして、爻の意味するところに対する伏卦の関係が想起できるわけで、言うならば、伏卦には得爻の意味するところと何かしらの点で表裏を成す事情・背景等が象示される。この辺りのことはまず間違いない。 易占界には誤解が定着しているが、三変筮法は本筮法・中筮法を略したもの、と捉えることがそもそも間違いで、三変筮法はその骨格からして本筮法・中筮法とは相異なる独自の筮法で、確固とした独自の構造と機能を持っている、ということ(誤解の元となっている「略筮法」の名称はこちらでは今後は使わないことにする)。 三変筮法の得爻には四象の老陰・老陽や八卦の【乾】・【坤】はないし、従ってその性情の極まりはない。三変筮法に変の仕組みはない、ここからスタートする。 三変筮法で【乾】・【坤】に陰陽の極まりを見るというなら、11【地天泰】|||は 12【天地否】|||(← 左を上にして見る)に変じる、なんてことになる(「三変筮法」も今後は「三遍筮」と書くことにする)。 つまり、所謂 伏卦は、解釈でその卦から全体の道筋を起こす上で、本卦の意味するところより時間的・順序的には前のこととして位置されることが多いと思うが、しかし、後のこととして位置されることも確かにあり、ということなのであって(それは錯卦の解釈においても同様)、伏卦を先に弄るとしくじる。三変筮法は本卦主義である。 勿論、こちらは伏卦の時間的・順序的位置づけを何かしら機械的に求める試みは捨てていない。今まで何度かめぼしい規則的なものを先に掲げて現実と照合するという実験をやってみて、それなりに有効と言えるものもあるが、案ごとに四柱推命の例外潰しのような作業が果てしなく続くことになる。 やはり、やり方としては 384 爻どこまでも占例を調べ尽くして、そこから規則的なものを抽出することだろう。ドブ板実験。 以上はこの夏の再結論。 |
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●内部の事情 ●事態の進捗状況 ●二・五爻を小成卦の彼我の関係と見る場合の介在する者の状態[本卦・中卦で] などが拾い読める、とされる観卦法。 易占を始めた頃には、どうしてこんなことをやるのか、卦を作るのにどうして三・四爻がダブって良いのか、などと奇妙な感じがしたもの。今もただ慣れたに過ぎない(笑)。
面白いことに、この16通りの互卦はそれぞれが異なる4つの本卦から求められる(右下の表)。 しかも、互卦に出る卦は【乾爲天】と【坤爲地】以下、2卦づつが錯[表裏反転]の関係になり(右の表)、かつ、組み合わせを替えると、綜[上下反転]の関係にもなることが分かった。 その16卦の符号を見てみると、注目すべき二〜五爻の配列が||||、、||、||(← 左を上にして見る)の4つづつにキレイに分けられる。|||とか||とか:||といった他の12の配列は見られない(全64卦で二〜五爻の配列には16通りあり、それぞれが4つの卦で見られる)。全16の卦で見ると、陰陽の構造が全く規則正しい。 この互卦に出る卦には小成卦の彼我の関係を語るのに沿った卦が集まっていることに気付くが、これらの均衡の取れた構造と無縁ではないだろう。 ところが、何となく気付いていたが、その卦の意味するところとなると、対立・分離・齟齬・出直し・グズグズ・問題含み・空虚・終了など、本卦の意味するところに対して negative に解されるものが断然 多いのだ。【風山漸】もトントンとことが順序よく運ぶかに見えて、実際にはよくグズって進まない。 内情の象示には則していそうでも、こんな negative に解されがちな卦ばかりで、このバランスで果たして互卦を内部の事情として採って良いものか、と。事態の進捗を見て取るにしても、吉に解される場合が少ない。 これには卦の符号に辞をあてたということになっている周の文王の境遇が反映されているのやら知らないが、64卦全体がそんな傾向になっている。特に互卦の卦の並びにはその傾向が強い。世は、現れたものは消え去り、栄枯盛衰に流れるということで、二爻から五爻の間に(小成卦の彼我の関係だけでなく)時間的推移のことも掬い取れる互卦がこうした傾向というのは自然なのかも知れないが。 運勢判断では、卦だけで言うと、何もかも凶意を見て取る卦はあっても、手放しで元吉と言える卦はない。こちらは悩み迷える者に教訓や戒めという方向を与えることが易本来の機能なのかも知れないと密かに思っているので、納得は行く(事実、成否の問いに対する得卦・得爻も畢竟すればその傾向がかなり強いというに過ぎない。未来は変わり得る)。 用法のこと。 加藤 大岳 氏ほか大家の書を開くと、賓主法(= 内卦と外卦の小成卦、あるいは、本卦と綜卦[賓卦]の大成卦で小成卦の彼我の関係を観る)で小成卦の彼我の関係を断ずる場合には、互卦は採らないことになっている。賓主法でも、小成卦で観るなら、大成卦は見ない。一番には、それらの間でしばしば読みに矛盾が生じるのが理由。 だが、こちらは筮前にどれを使うかを決めているわけではないのと(筮前に筮法を定めることと同様に、それでは宜しくないのかも知れない。これには筮前の審事において卦の構造自体にも触れて、どこまで立ち入って良いかについての深い問題がある。これは別の機会に)、以上は占事や観る内容、あるいは、問いに対する応えの示され方などによって良し悪しがあるので、現実に沿って使っている。 例えば、仕事の可否を問うて【水山蹇】||が示されて、互卦【火水未濟】|||の具体的意味が掴めないとするなら、小成卦を見て、外卦【坎】で相手から難題が示されることになり、そのため、内卦【艮】で前に進めないことになる、と採るだろう。 小成卦は、象意の幅が広い上に、画象が細かく使える利便はある。 それと、互体の小成卦も主爻を合わせたりして様々に使われるが、小成卦の彼我の関係でも使われる。本卦や内外卦の内情を探るわけだ。 上の【水山蹇】の例に続けると、三〜五爻の互体【離】で、示される難題とは契約内容についてのことで、二〜四爻の互体【坎】で、前に進めないとは相手の狡い条件に悩むことになるから、と。 それから、互卦を賓の側から観ることは問題ない。その場合も、先に書いた通り、卦は16通りにしかならない。 賓主法・互卦・互体の彼我に関わる用法をキレイに整理した実占研究をかつて拝見したことがないが、基本はこんなところで間違いない。 小成卦の彼我の関係のことで気を付けたいのは、先方の事情等を占的にした場合で(当方の事情については自明のこと)、得卦は占的に対応したものだから、わざわざ逆さまにして見ることはしない。占的をどう絞るか、は重要なテーマ。 運勢判断で、吉凶がどんな面にどんな事実を以て現れるかを本筮法・中筮法の爻卦の互卦で見る占法がある。 五・六爻による大成卦・・・後期、祖先・父母・目上の者、勤務上・業務上の事、(時に健康如何) 三・四爻 〃 ・・・中期、配偶者・同僚、財運・経濟収支 初・二爻 〃 ・・・前期、子孫・部下・目下の者、住所 変がある場合にも変卦は見ない。 互卦は江戸後期に眞勢 中州が生卦の一として始めたわけではなくて、紀元前の「春秋左氏伝」にも用例がある由緒の正しき観卦法。この16の卦を眺めながら、互卦の機能をあらためて考えてみたい。 |
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宋代の大儒である朱 熹[朱 子]は「繫辭上伝」にある「大衍之數五十、其用四十有九」以下の文章を元にして、主著「周易本義」に「筮 儀」として所謂 本筮法を書き残した。易占では、古来、筮法に限らず50策の筮竹を用いており、1策を太極に象って筮筒に立て、残りの49策を竹割りして卦・爻を求める。 しかし、江戸後期の占法・占術の大家である眞勢 中州 翁は竹割りに使うのは48策で、「(残る)二を安鎮るは、天地の體に象どるなり」とし、実際にそのやり方で江戸第一の名占家の名を博した。中州 翁の高弟の谷川 順祐[龍山]翁は著書「周易本筮指南」で、秦代の小篆で書くと八と九の字がよく似ているので錯簡(= 記録用の竹の札の綴り違え)があったのだろうとしている。この本筮法の用48策説について昭和の占法家である加藤 大岳 氏は、数理的合理を愛する中州 翁としては49策だと揲筮での第一変の余りが5か9になってその陰陽を定める上で面白くないので、好都合な48策をよしとしたのだろう、と著書「眞勢易秘訣 ― 奥秘伝書」で指摘している。 尚、この「大衍之數五十、其用四十有九〜其知神神之所爲乎」は 1973 年に馬王堆から発見された紀元前 168 年 成立と見られる「帛書周易」には書かれておらず、この後に加筆された可能性がある。
これ以上 明瞭な形の回答があるかな。真偽はハッキリした。 それでは、大衍の数50策の内にあって用策49の外にある1策とは何の意味だろう? これを通説となっている「太極」としたのは朱 熹? その著書「易學啓蒙」に「太極の理は陰陽五行にはずれて別に有るものにては無けれども、亦 陰陽五行に混雑して陰陽 即ち太極と言うに非ず。四十九の用策 未だ分かれざる者を太極に象るといわんよりは、置きて用いず、一策を以て太極に象るというが理において害無きなり」と、この合理精神に長じた天才がオンボロな理屈をシドロモドロに語っている。陰陽と太極を並列に置いていて、これだと太極から両儀が生じる形にならないと思うのだが。それと、この人が是とする神霊の居場所はどこ? あるいは、明末清初の王 船山[王 夫之]は1策を占事の一疑のこととした。だが、この言いも奇妙で、それなら用策とは一体 何? 神霊は大衍に含めない? の疑問が出て来る。 要するに、用策というのは、神霊に対して、これを揲することで神明を得るのだから、用策こそが占事の一疑に思えるのだが・・・用策というのは一疑を含んだ有象無象のことだろう。「象」とは、具体的な姿や現象となって現れるもの、かたち。 それでは、見方を変えて、最も大枠と言うことになっている大衍とは何だろうか。「衍」とは、多い、拡大である、そんな意味。 中州 翁は、用があれば体がある筈だとして、大衍 = 太極と捉えている。太極とは陰陽・四象・八卦・・・の有象無象を包蔵した“一”である概念。この説の嚆矢は少なくても宋代の趙 彦肅に遡るが、ただ、この太極の外には無さえも何ものも存在しないということなのか、神霊はどこにおわすのか、などが見えない。 この大衍の50という数について。「繫辭上伝」が天の数1・3・5・7・9と地の数2・4・6・8・10を足して天地の数は55だとして、後漢の鄭 玄はこれには五行の気が被っているから5を引くのだと、もうチンプンカンプン。よく心得ないクセに書きたがる学者に見える。 1策が何のことか分かり難いのだが、具合が好いと思うのはこういうモデル。 義理易の考え方を打ち立てた魏の天才である王 弼(オオ ヒツ)は1策を「有の世界のもとになる無を示す」と言っている。これは、老荘思想で「無である道(タオ)から有である太極が生じた」とする概念を踏まえたものだろう。道とはそれまでの絶対概念である天帝に代わる「道(タオ)」、この世(+ あの世)森羅万象の摂理。すると、49策が有である太極ということになる。
即ち、我々は宇宙の根本摂理なるものを“易神さま”としてこれに相向かい、用策という有象無象を天人地に象って揲して、陰陽により占事の一疑についての神明を得る、ものと。 |
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三変筮法。得爻を裏返して出来る卦の意味するところがどんな規則性でもって時間的・順序的[因果関係的]に本卦の示す状況より先になり以前になるか。言うまでもなくこれには本卦以前となる場合があって、しかも、数理上はその先となる場合と以前となる場合の比率がおそらく1対1になる。以前「伏卦と本卦の間には・・・」に書いたように、ある規則性[一得爻を裏返して出来る卦の時制に関する規則 2007]を見付けて、この1年半それに忠実に読みをやってみた。 結果はなかなか宜しくて、解釈による融通のことを差し引いても、略筮法[三変略筮法]なんて江戸時代のお試し品よりは遥かに事実に符合したと言える。略筮法の変が事実に合うのはおそらく半々。だが、本卦との前後関係を定め難いケースが少なからずあることに加えて、事実に合わないケース、つまり、本卦との位置が逆なら意味がすんなり通るケースがある。例えば、「北京オリンピックは中止になる?」は 22【山火賁】||| ← 26【山天大畜】||||(← 左を上に。以下 同じ)でないとやっぱりおかしい。規則 2007 に忠実に変の時制を定めて、変を捨てることはなしとしたから、こうした誤占も出る。 昭和の占法家である加藤 大岳 氏がこれを「伏卦」と称して本卦との時制の位置取りをぼかし、必要なら使い(実占家としては正解だろうが)、定見を得ずに、以来80年近くも未解決になっている難問にトライしているわけです。易占は当ててなんぼだけれども、ホントはその定則を掘り起こしてこそなんぼ。 誤占には別の時制の問題も含んだ。例えば、夫婦の成り行きを問うて、9【風天小畜】|||||三爻を得て、この規則に従って変卦の 61【風澤中孚】||||をその先の状況とした場合に、本卦の辞「夫妻は反(ソバ)む」を採るか、それと反意の【風澤中孚】の象意を採るか、と。 得爻の裏返しを使うなら吉凶の断としては【風澤中孚】の成り行きを無視できないが、爻辭の方がキレイにはまる占事の場合もある。 これが加藤 大岳流に【風澤中孚】を伏卦とするなら【風澤中孚】の成り行きを重視して、都合が宜しければ、おめでたき 19【地澤臨】||二爻も 24【地雷復】|の“出直し”が伏している、とする。 で、夫婦の成り行きに話を戻して、【風澤中孚】の位置が本卦より以前であれば、断は【風天小畜】の三爻の辞なり象なりで図ることになる。この場合は【風澤中孚】の三爻の辞を優先するわけには行かないだろう。 要するに、以上のことは単に占示の解釈上の問題に帰するのか、あるいは、「易に常象常理なし」で変卦の時制に規則的なものはない証左であるのか・・・ここ未解決。 そもそも三変筮法の変なるものは老陰・老陽や【乾】・【坤】の性情が極まってのものではないし、三変筮法には不変なしだし、これを変とする根拠がまるでない。普通に眺めれば、これは錯卦[裏卦]のあり方に似たりで、爻の意味するところの事情・背景等が象られたものだろう。だから、言い方としては、変卦ではなくて「得爻を裏返して出来る卦」に留めておくのが好いだろう。しかし、これを変と見ると、この時制には、時制の採り方に例外ありの可能性などを残しながらも、その結果の鮮やかさ故に何かしらの規則性があることは確かに思える。占示の解釈や事実との整合という個別の問題では片付けられないものがある。一に戻って、同卦同爻でも明確に判断が分かれる別の要素も想像されたり。 それで、本卦よりどちらの位置になるかを決定づける根本的な原理なりがあるんではないかなとも思いつつ、規則 2007 よりもっと確実なものがあるだろうとあれこれ考えて来て、ここ数日、思うところをすでに結果の出ている過去占と照らし合わせて、こうだとどうなる、ああだとどうなると検証をしてみた。で、結果はどうやっても面白くない。規則 2007 以上に確からしいものが見当たらない。 時間の限り考え付くアイディアを試して、頭は疲れるし、煮詰まっていたら、これには易のある要素が関係しているかも知れないとフと思い浮かんだ。基本的な要素。 検証してみると、これが過去占の事実とよく整合して、規則 2007 だと不都合なケースもクリアする。新たに不可解なケースも出て来るが、それでも規則 2007 ではオボロゲだった何か確かなものに触れている気がする。 それで、この原理は易の原理そのものかも知れないとピンと来て、規則をさらに細かく何パターンも設けてまた検証してみたら、キレイな整合が見えて来た。生理学者が厄介なウイルスを退滅させるシステムを実験で見付けた時の感情はこんなものかな。まだおかしなケースもあるのでさらに設定の調整や例外規定が要りそうだが、ナゾ解きの入り口はここで間違いないのではないかな、と。 規則 2007 について言えば、なぜ事実に合う割合が非常に多いのかという原理的な裏付けが出来なかった。突き止めようとすれば、遠い作業が要りそうな。 ともかく、これはまず 384 通りを調べ尽くしてパターンなりを見付けたい。 江戸の眞勢 中州 翁も昭和の加藤 大岳 氏もこういう検証を飽きるほど繰り返しやったものやら。我々が当たり前に使っている筮式も占法も先人らのこうした地道なトライアルで見付けられたものなのだ。 三国時代には存在しただろう古来の筮法は、秦の始皇帝による焚書も挟んで、歴史の彼方に失われている。埋もれた古墳から史料の発見を待つのみ。本筮法はこのことを憂えた宋代の朱 熹[朱 子]のアイディアに過ぎないし、それに先立つ邵 雍[邵 康節]はより易理に沿った筮法を残している(実用には程遠い)。中筮法は発祥・典拠が不明。つまり、筮式は実用に耐えるものがたまたま広く支持されて現在に至っている。 それではと、“易神さま”に今度の仮説[一得爻を裏返して出来る卦の時制に関する規則 2009 の原理]の方向の是非を質してみた。
これで前進できる。 ちなみに、“易神さま”は変卦の時制が本卦より以前の場合、之卦の辞をどうにか使うことも真也とおっしゃっている。これの解明は併せて宿題。 |
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試合や選挙での勝敗如何について当事者それぞれの卦を出し、それらを比較検討して勝ち負けを探ることを「比較占」という。三変筮法で爻まで出す。 しかし、これがよく大外れしてくれるのですね。私に限らずの現象。従来 採られて来た考え方に問題がありそうで、読みの段階よりも、卦を出す段階からしばしば何かおかしい。 当事者それぞれについて卦を出して見比べるやり方は大昔に自然発生的に生まれたのだと思うが、勝ち負けを判ずることだけで見ると、このやり方はどれほど有効なのかな、と思って来た。
加藤 大岳 氏の岳門では比較においては特に卦の有する“勢い”が重視される。また、6爻に一つ二つある成卦主が示されると俄然そちらの候補が強いとされる。それから、このやり方が有効視されるのは、共通の機関(画象とか爻位とか)でもって卦の間で連関した示され方が期待されるからだろう。 だが、こちらの結論を言うと、一度に卦を並べて、上のようなポイントを重視して判ずるやり方には理屈の上でも結果からも違和感を拭えない。普通に、当選が狙える一名についてまず筮をして、通常通りに読んで、もし当選が怪しいとか微妙とか採れるなら他の人について筮するやり方[一占一筮]の方が真っ当ではないか、と思われるのだ。 実際、気の向くままどちらのやり方でもやって来たが、比較占は先に書いたようにしばしば卦の示され方からして思わしくない。 昨年、フットボールのバロンドール[世界年間最優秀選手賞]をリオネル=メッシ[FW/ARG]とカカ[MF/BRA]のどちらが受賞するかを比較占でやってみたら、メッシには7【地水師】|(← 左を上に。以下 同じ)の二爻の成卦主が示されたが、受賞は 56【火山旅】|||二爻のカカの方だった。成卦主はその卦の意味を体する爻で、「成卦主・成卦主」というなら 12【天地否】|||の二爻の場合でもそれを採って勝利とするんですかい、と相成る。 卦の勢いについても、これ歴史上 誰が言い出しっぺか知らないが、少なくても単純にこの要素を採って的占するものではない。実測した限りでは、似たような卦の同じ爻位だったようなどっちつかずの場合に判断に加味されるといった程度だ。そもそも、それぞれの示され方を一つの判断基準の上に乗せらるだろうか? それから、卦同士の連関は起こる時には何時だって起こる。 示された卦・爻には当然 意だって象だってある。正直なところ、言われるところの比較占というのは読みの判断をどう置くのか解らないのだ。大先生と言われる方々も確信をもって答えられないだろう。 比較占を何か特別な手法として捉えて、上のようなポイントを念頭にして筮をしたら占示が狂ったっておかしくない。副卦なんてものを同時に起こす場合も同じで、一占一筮の原則から外れたやり方は筮を誤っているんではないかな。 こういう理論と実践の両面からの一点に研究をやっている方がなかなかいないのだ。 |
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三変筮法。
三変筮法で「伏卦」なる概念を作ったのは昭和の占法家の加藤 大岳 氏。三変筮法で得る一つの爻を裏返して出来る卦を本卦の意味する状況より後の状態を指す之卦とすること[白蛾流]に大岳氏は昭和30年代半ばには限界を感じて、これの意味するところは結局ハテナのままこの卦を「伏卦」と称して本卦が示す状況に何かしら伏する意とした。そのため、彼の法灯を継ぐ岳門では伏卦が之卦の場合もある可能性を否定はしていないが、三変筮法ではそれを捨て、得卦の中に事の動きが含まれているとしてしばしば初〜上爻の中に動きを探る。この得爻を裏返して出来る卦は之卦である場合も勿論あるが、岳門ではその見分けがつかないので伏卦を積極的には用いないようだ。 得爻を裏返して出来る卦を之卦とした白蛾流(これを作ったのは彼以前の平澤 随貞とも言うが、古来 中国にも存在する)は三変筮法の筮法解明の途中経過の姿に過ぎない。だが、これを伏卦としてその機能はよく分からぬとしたままの岳門の筮法も半歩 進んだだけの不完全であり、半世紀近くも止まってしまっている。失礼ながら。 少し結論づけて言うと、三変筮法では、得爻の陰陽を裏返して出来る卦は時に之卦であり、時に之卦ではない。すでに結果が出ている多数の自分の占を検証しての結論。この之卦ではない場合では、本卦との意味的な関係で言えば、この卦は本卦の意味するところに時としてそうなる理由・原因として絡み、あるいは、その裏にある何らかの事情を示したり、また、時間の後先で言えば、本卦の時間的位置からはすでに存在する状況、と言えるだろうか。之卦とは対照的な位置取りだ。よって、之卦に対して「来卦」とでも命名しておきます。 それでは、之卦となる場合、ならない場合の間に何らかの法則的なものはあるのかと問いたくなるだろう。それはあると断言して好いかも知れない。あるの規則の下に明瞭に半々に分けられる、おそらく。ただ、この検証は一つ一つ実際の占から帰納的に行っており(始めにその規則性ありきではなくて)、意味が判然としない場合の扱いなど、この二つのいずれでもないかも知れない場合の可能性も排除していない。つまり、まだこちらは検証の半ばにある。 三変筮法の場合、之卦と言っても三変筮法のそれは一爻変による之卦でしかないから、本筮法・中筮法の変のあり方からすれば三変筮法が不完全な筮法であることには変わりはない。しかも、構造的には、爻を裏返して生まれる卦の相当分は之卦ではない。簡略化され過ぎて、変については機能不全ということ(もっとも、その意味においては本筮法・中筮法も四遍筮の変化には及ばないし、例えば、確率性においてどの筮法が現実に最も則しているのかは、筮事の性格次第とも言えるし、何とも言えない)。 だから、三変筮法での卦読みにおいて之卦・来卦はどの程度 重要な機関か注意して研究を続けている。観卦法はこればかりではないので。 |
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易の世界ではよく知られた或る会の5年前の会報誌に「アメリカはイラクに攻撃を仕掛けるか」の占題で示された卦について、研究会のやりとりが載っていた。同題で異なる人による2筮あり、53【風山漸】四爻と 10【天澤履】初爻。これを参加者の皆が皆「アメリカは攻撃に出ない」と読むのだ。ちょっと驚いた。この道 数十年のベテランの先生やプロの易者さんも何人もいらっしゃる。
その四爻を裏返した伏卦 33【天山遯】||||はアメリカ軍の進撃に対して外卦【乾】|||のイラク軍が内卦【艮】|の山の向こうに逃げ隠れる姿だろう。そのアメリカ軍の進撃とはその綜卦の 34【雷天大壯】||||で、【風山漸】と似て侵攻が進む形。戦争の卦。 ただ、【天山遯】は【大巽】だから「攻撃開始に迷う」とも採れるので、短時間ではちょっと確答は難しいかも知れない。【大巽】は偽巽か。 だが、アメリカ側から状況を見たB占 10【天澤履】は、伏卦が両者“天水背行”の、あるいはアメリカが「公けに訟える」の意の6【天水訟】||||であり、この場合は【天澤履】の状況へ進む状況を指しているから、どう読んでもアメリカは「攻撃に履み出す」としか読めないだろう。 参加者の「戦争にはならない」とする理由は、【風山漸】では戦闘準備のみを示すとか、伏卦【天山遯】でフセインは亡命するのではとか、判断の軸がどうも。 【天澤履】ではベテランの先生が彖辞の「虎の尾を履んでも咥(クラ)われない」を挙げたり、初爻は国際的に付き従う者が少ないから戦争に至らない、とか。【天澤履】が示された場合、実際にどんな展開になるか経験がないのだろうか。その後の展開はどうなるにせよ・・・ちょっと解せない判断だ。 そこで、最後にこの会のトップの先生が一人「アメリカは誰が反対しても強行するだろう」と断じた。【天澤履】は実際には行ってしまう卦であり、【風山漸】は 12【天地否】から変化したもので動きが始まっている、と。【風山漸】の四爻から上爻への2ステップで2週間で戦争が始まる。もし攻撃しないのなら、【天地否】・39【水山蹇】||が示されただろう、と。 事実、その通り。いかれたアメリカ軍と協力国はこの研究会の日から丁度2週間でイラク領土に空爆を開始。対するサダム=フセイン大統領のイラク軍は広い国土に【遯】した。 三変筮法において未解決の大きな課題「伏卦の機能および本卦との関係」、この正月に一つの結論が出た。これまで自他の占をつらつらと丹念に検証して来て、ほぼ矛盾のない一つの構造が掴めた。それで、何故そうなるのかを易の原理から考えているところで、機会を得てどこかで発表しようと思う。易をおやりになる方々のほとんどが三変筮法を使っている事実からすれば、とちょっと自負があったり。 さて、この説はたして真理なりし哉、当の“易神さま”に問うてみた。
画象は、内卦【艮】の加藤 大岳 氏の上に【離】の明理が乗っかっている意味深い画だが、外卦【離】を得ておらず、【艮】の内に留まっているということは、大岳 氏が思いめぐらせた域からまだ出ていない。 引き続き研究を要すとな。 |
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最近、卦読みの自信が少しグラついている。 爻辭占でズバズバ当てていたのが、爻ではなく大もとの卦の象だの諸々を一の拠るべにする通常のやり方に戻したら、よく読めない状況がポツポツ。筮前のあちらとの約束事がブレているのか、占的の移動まで考えたり・・・。 問題となるのは、卦と爻辭の意味するところが相反する場合。例えば、新しい取引先の現在の経営状況を問うて 56【火山旅】|||(← 左を上に。以下 同じ)の上爻が示されたとして、事実に照らしてもまあこりゃダメだわいと思うところが、卦とすれば芸術方面には繁栄を見て取って正解のようだったり。32【雷風恆】|||の上爻なのに、状況に変化がなさそうとか。卦 > 爻。 それから、爻辭に拠っていたとしても、まあ、普通のことだけど、57【巽爲風】||||のような純卦だと、小成卦が繰り返されている部分を採ってむしろ二度目以降ならよしと採って正解だし、11【地天泰】|||・12【天地否】|||はしばしば爻位がポイントになるし、他にも例外がある。例外というより、爻辭は爻の構造と無縁でないわけだが。 あるいは、「占意は初卦に現れる」「再筮は告げず」のことがあるフシ。一つの占事に関連して何度も筮竹を割っていると、一つには、問うている時制ではなくて現時点での状況が示されがちになって来るものだが、占示を問いの時制のままに採って誤占したり。 ともかく、原因らしきはこれやそれや。 街占暦40有余年のある著名な先生は(三変筮法では)卦8割・爻2割とおっしゃる。爻辭占でズバズバ行けていた時にはこれの異論者の側にいた・・・。 爻辭占だが、明治になってこれの名手の呑象・燗 嘉右衛門 翁が現れるまでは爻辭の文言は占断にはほぼ使われていなかったようだ。このことは筮前のあちらとの約束の事柄に属するのか・・・。 今の状況を解消する手がかりはおそらく新しい知識にはなくて、これまでの渉猟の中にあるのだろう。 |
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人間間の意思疎通的に言うと、象意を能くする者には卦で、爻辭に拠る者には爻で解されるように占示は行われるのではないかという疑いがずっとあって、このところ特にそんな気になっている。筮占のブラック ボックスに関わる問題。 勿論、思いがけず画象(= 右下のように、陰陽の符号の並びを占示の擬形とする見方)で示される場合もあるし、神明の示され様が任意の機関(= 卦や爻の意・辭・変・・・)にはそぐわない場合もあるから、この霧は今後もキレイには晴れないかも知れない。だが、ずっと三変筮法(理論的に怪しさのある略筮法ではない)の爻辭を一の拠るべとした上で筮を執っていて、大本の象意はどう扱うべきかの疑問が再び頭をもたげて来た。吉凶 爻と相反するなら卦は捨象でもよいのか、など。呑象・燗 嘉右衛門 翁のモデルがあるじゃないか、は勿論。 そこで、64の卦をもう一度 本でおさらいして象意の重みを再び認識し、その結果 読みの一の拠るべをボンヤリさせたまま筮を執っていたところ、爻辭の読みが現実に合わなくなったのだ。見事に誤占する。それが、フと思って象意で読んだところむしろスンナリと行く。
立筮とは、カール=G=ユングの概念を使うなら、この卦・爻の存在の下で、筮者の問い(占的)に対する答えの元型(= Archetyp。集合無意識の中に宇宙の始まりから終わりまでの森羅万象の数だけ存在する)が応じ、元型がそれと対応するイメージ(= これもユングの用語)である卦・爻として応じる(あるいは応じない)という現象だ。なぜ問いを高い知性で理解したようにこんな機能が働くのか、人の手を動かして・・・についてはブラック ボックスだが、そこに筮法・占的を定めることから始まって筮者の作為に機能することは確かだ。 「神明が卦または爻に任意に示されるものか!」と言う意見がある。 だが、そういう人は、複雑な占題や細かな占的にも応じる、任意の筮法に沿って応じる、というこの神明の融通具合については受け入れないのだろうか? 三変筮法で爻辭に拠っていても、爻を特定しようがない二変筮では神明は卦をもって示される。我々は任意に筮法を使うわけだ。 あるいは、狭義の三変筮法の前提で卦・爻を得ながら、作法が同じだからと言って略筮法式に卦を展開させる者はいないだろう。“易神さま”との間の前提を反故にしてしまったらそれは易占でも何でもない。 筮法や占的を含めて原則「こういう道具立てで筮を執り行いますからよろしくお願いしますね」という意識・無意識の約束に沿って一連のシンクロニシティーは行われる。その意味で卦・爻もマニュアルに扱えるかどうかについては確信までには行っていないが、経験的には頷ける(“易神さま”なんて人格神はいないことになっているが、その存在を想定しないと説明つかないのがここのところ)。 卦の意・辭・画象・変、爻の辞・位は、互いに連関しながらも、占示の機関としてはそれぞれ独立している。神意をもっと正確に掴もうといろいろな道具が作られて来たわけだ。すると、当然、卦と爻辭の意味するところが相反する場合も出て来るから、同じ卦で周易と断易の判断が分かれることと同様、一にどちらに拠って読むかを定めておかないといけない。 呑象・燗 嘉右衛門 翁は「余は断然 爻辭を採る」と言って他の機関をそう顧みずに明治の世に名占を重ねた。予め一にどちらに拠って読むかが自分の中で定まっていないと“易神さま”は困ってしまうだろう。 そしたら、こちらが密かに師とする先生も同じような見解をお持ちだったのを発見して我が意を強くした。 例えば、病占とか比較占とかある分野の占である卦・爻が示されたとして、それは通常は凶意と採れるが、占者がそうした分野では吉意と理解していて、現実が吉の状況となったならば、そうした卦・爻で示されるだろう、という見方だ。 さらなる根本命題を含んだご意見だ。徹底的に考えたい。 |
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易筮は50本の筮竹の代わりに普通の6面体のサイコロを使っても出来る。旅先でやりたい時はサイコロではなくて竹ヒゴを短くカットしたものを持って行くことにしているが、人目のあるところでチョロッとやるにはやっぱりサイコロは便利だ。 しかし、ある時 何げに、サイコロの目の出方には、割と、偏りがあるんじゃないかと思った。サイコロには文字やドットの彫りがあり、エッジは微妙に丸められているし、作り方も市販のものは正確な削り出しなどではなくて型から抜き出している。そうした制作上の適当な要素が何度もサイコロを振った時に、目[面]の出数の差として顕れる、これは当然だろう。サイコロを使った筮のやり方は幾つもあるが、やり方によってはこれは無視できない。それで、目[面]の出方の差は実際どれくらいなんだろう、と確認したくなって、仕事の合間、簡単な実験をひたすら続けたことがある。 結果は予想外。
サイコロ2つ、A・Bを使った。 測定条件を同じにして、小ぶりの段ボール箱の中に一緒に入れて振る。よーく振る。 それぞれ1〜6の面の出た数を「正」の字で数えていって、いずれかの面の出数が50回に達したらそこで止めて、それを1セットとする。終わらない方のサイコロはそれだけ振ってで最後まで。各計16セットまで行った。サイコロ2つで 7,978 回。 さて、結果。 サイコロAは最も多く出た3の面の出数の合計を最も出ることが少なかった5の面の出数の合計で割ると、1.265。何とひとつのサイコロの目の出方に26.5%もの差がある! その3の面は16セット中、7セットで50回に達し、最少の出数となったセットはなし。実際にサイコロを振っていても明らかに3の面の出方が突出して、5・2の面は出ることが少ない。5の面は8セットで最低の出数を示し、2セットだけ50回に達した。 実はこの実験の前に8面サイコロで同様の実験をやって(後記)、やはり面の出方に偏差があったが、6面サイコロは面の数が8面体より少ないから実際には偏差がそれだけ分散されない感じだ。 また、サイコロBの結果は最多の2の面の出数を最少の1の面の出数で割って、1.099。 6・5の面、続いて2の面がよく出て、残りは同じ頻度。最多の6面は4回で50回に達し、2セットで最少の出数を示した。最少の4面は7セットで最少の出数を示し、2セットで50回に達した。 やはりサイコロ自体そこそこの大きさがあって、エッジが立っていると、精度がグッと上がる感じがする。だから、6面体のものも8面体のものも小さくて丸っこい(+ 非常に高価な)象牙のものなどとても使えないと認識した。 この実験の前にはテトラパックを2つくっつけた様な形の8面サイコロで同様の実験を行った。 8面サイコロは直接 八卦を出すのに使うから、6の目【坎】なんか頻繁に出るようじゃかなわない(笑)。実験では2つの新品のサイコロ(6面サイコロの実験で使ったサイコロAと同じメーカーのもの2つ)を使ったが、セットごとにサイコロを振る箱や転がす場所を変えてみた。それぞれ16セット行った。 結果、サイコロAは最多2面 ÷ 最少1面で、1.163。最多の2面は11セット中、6セットで50回に達し、最少の出数となったセットはなし。最少の1面は6セットで最少の出数を示し、1セットだけ50回に達した。 サイコロBは最多6面 ÷ 最少8面で、1.089。最多の2面は4セットで50回に達し、1セットだけ最少の出数を示した。最少の5面は6セットで最少の出数を示し、50回に達したセットはなし。 というわけで、最初の予想では偏差は4〜5%はあるんじゃないかと思っていた。全くもって甘かった。 |
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では、思いっきり maniac に。 易占で広く行われている中筮法は初爻から上爻まで6回 筮竹を割って卦を出し、【坤】の老陰・【乾】|||の老陽(= 変爻)があればそれを裏返して之卦を求める。 孔子が編したということになっている十翼の一「繫辭上伝」の記述を根拠として、南宋の大儒である朱 熹[朱 子]が「周易本義」の「筮 儀」のように復元した所謂 本筮法であれば、その竹割りは18回に及ぶ。かつ操作が入り組む。 中筮法は出典は何なのか、ともかく、変爻の確率に関する限りは本筮法と同じ。 時代が下って操作が大きく簡略化されて、中国伝来とも江戸中期の “卜者” 平澤 随貞によって考案されたとも言われる三変による略筮法は内卦・外卦を直接 出した後に一つ爻位を求めて之卦をつくる。 これらの筮法に対して、四遍筮(四‘変'筮法ではない)は之卦を元卦(本卦とは言わない)の爻変によってではなく、独立した操作によって出すという異色の筮法で、元卦の内卦・外卦、之卦の内卦・外卦と計4回 筮竹を割る。 関西で長年 実占研究に取り組まれた故・紀藤 元之介 氏が考案したもので、正しくは「元之筮法」という。もっとも、之卦を独立した操作によって出すやり方は江戸中期の新井 白蛾より古い易者である吉川 祐三の文献にも見られる。 この四遍筮について、はたして日常 我々が関わる占事で使用して卦を得るものか、以前から疑問があった。やはり之卦の求め方が引っ掛かる。一つの卦の四象・八卦の老の極まりに陰陽の転換を見るのが之卦でしょう、と思うから、四遍筮では従来のような元・之の連関のない二つの卦を出している気がしてならない。これなら元卦にどれ程の意味があるのか、之卦だけ求めればいいのではないか、と考えたりもする。 大きく言えば、筮法の機能が占事の背景となる現実に合っている限り、一連の操作が一つの筮として執り行われる限り、認められるものだとは思うのだが・・・。
例えば、中筮法では変爻の数は一つか二つとなる場合がほとんどで、これに次に出やすい不変(=【乾】・【坤】の爻を得ないこと)を加えると変全体の約83%を占める。之卦に出る卦の種類は一爻変の場合6、二爻変の場合15、不変ではそのまま1、で計22卦。さらに三爻変・四爻変は出る確率が大きく下がり、五爻変以上となると実際にはほとんど出くわすことがない。こちらは中筮法を使うことは少ないが、かつて変四つがあっただけだ。 中筮法では最も出易い一爻変と最も出難い皆変の出方の差は実に 1,458 倍にもなる。 これが四遍筮になると実は三爻変が最も多く出る。次に、少し確率が下がって二爻変と四爻変が同率で、〜不変と皆変(= 六つの爻 全てが変じること)が最も出る確率が低い。二・三・四爻変で変全体の約78%に。之卦に出る卦の種類は三爻変が最高で20になり、二・三・四爻変だけで全64卦中、50もの卦が出てしまう。 それで、之卦へのパターンが最も多い三爻変と1パターンしかない不変・皆変の出方の差は20倍に留まるので、中筮法だけをやっていたら確率1/4,096 で一生に一度も経験しないかも知れない 11【地天泰】|||→ 12【天地否】|||(← 左を上に。以下 同じ)なんて驚くべき皆変も1/64の確率で生起するのだ。不変も同率。 四遍筮では之卦を元卦とは別に求めるから、当然 全ての卦が1/64の同率で出る。つまり、之卦は元卦の陰陽配列に近い卦ほど出やすい、という卦の重点分布がない。これは際だった特徴だし、卦同士の関係のあり方の点でも問題を含んでいる。 以上から、四遍筮は元卦と之卦の間の卦同士のパースペクティヴや関係性が従来のそれとは全く異なるので、この筮法を用法や読卦の点など本筮法・中筮法と同じ様に扱ってよいわけではないらしいことが判る。もっとも、問いに対して排他的に卦・爻を得て占筮なのだから、こうした筮法の構造が頭に入っておらずに筮を執り行うこと自体おかしいが。 尚、以上の確率はあくまで確率で、実際にはこちらの三変筮法と中筮法の記録で本卦を例にしてみると、サンプル数の点は微妙だが、不思議にも、最もよく出る上爻と最も出ることの少ない四爻で出方に約3倍の差がある。 易という機構の上で筮法を創作するからには、当然のこととして、之卦の出方が占事とする分野の現実に合理的に合致している必要がある。例えば、「進むべき道はAか、Bもあるが」という占題を扱うのに、答えが三つも四つも示されがちというのでは筮法として組み立てが怪しまれる、ということ。だから、こんな筮法をわざわざ創ったというのにはそれなりの理由がある筈だ。
四遍筮というとまず変爻の数の多さが特徴になるが、これが本筮法・中筮法だと、確率的に5・6回に1回は不変になってしまって之卦がないので、判断がしにくい難点がある。「状況に変化の兆しが見えず」などの結論になってしまうから、それで将来についての問いに応じたことになるのか? と疑問が湧きもする。そこで、六爻を天・人・地の三才に配当したものなどを持ち出すわけだが。 四遍筮なら不変卦はわずか64回に1回で、変化のバリエーションも極めてばらけ傾向。だから、以上を考えると、四遍筮は事態内部の何かしら複雑な変化を読むケースには合理性が増すかも知れない。状況の変化の機微を見るケースならば二つ〜四つの変化が常態と言えるような占事・・・ちょっと具体的には思いつかないが、その点が一つ挙げられる。 ただ、三・四爻変は当たり前なんてことだと卦読みにあたって爻辭は使いにくくなる。少なくても従来の占法り限りでは。 この筮法に限らず、爻辭を使うならば、二爻変以上の場合は、歴史的に異論の多い朱 熹[朱 子]の七考占(=「左 伝」・「国 語」の占例から帰納させた爻変と占断についての七つの原則)はやはりおかしくて、本卦の彖辞および彖傳・象傳に依るべきだろうと個人的には思う(一・二爻変の場合については猶 留保)。占法家の加藤 大岳 氏は中筮法で爻辭を採るならば常に本卦のそれのみとして、之卦のは参考程度に用いるとしている。 また、四遍筮では中筮法などの場合のように之卦に出る卦の重点分布がなくてどの卦も同率で出るから、従来のような本卦と之卦の意味的な連関が大きくポイントとなる占事には不向きなのではないか。否応なく象読み重視になりそうだ(とはいえ、四爻変・五爻変で出る卦は実はなかなか興味深いのだが)。これだったら将来の状況を問いたい場合は之卦だけを求めればいいのではないか、との疑問も湧く。 四遍筮は断易[五行易]で重宝されるが、周易[易]での用途については識者のお智慧を拝聴したい。 ちなみに、紀藤氏のよく知られている射覆(セキフ = 幕などで覆い隠した物を筮をもって当てる)での占断で、17【澤雷隨】|||→ 63【水火旣濟】|||を得て、内卦・外卦が東西南北の方位を順番のままに表しているから覆われた物を地図と当てた例があるが、これは二爻変であり、四遍筮だからこの卦を得やすかった、というものではないだろう。 少し検証。四遍筮の場合、各変爻の出る確率の全体に占める割合が之卦に出る卦の数の全体に占める割合と一致している。つまり、皆変では之卦となる卦は当然 一つだが、確率的にその20倍 出る三爻変であれば之卦となる卦もまた20に増える。三爻変の頻度を山頂とするだけで民主的な筮法だ。
そういうことで筮法を考えると・・・本卦[元卦]に対してどの爻変も同率で出る筮式、というものを創りたくなるだろう。 すると、今度は之卦に出る卦に偏りはあるが、一爻変も不変も皆変も同じ頻度で出て、三爻変が目立つなんて特殊な状況がない。この筮式には何処に、あるいは、幾つ変化の兆しが認められるか、爻変してそこにどんな展開が現れるか、という本卦 → 之卦の意味的な連関がバイアスなく探れるだろうメリットがある。 つまりこの仕組みは、之卦となる卦の出数が、本筮法・中筮法は爻変自体の頻度に依っているのに対して、爻変内の卦の数に依っているというもの。おそらく、之卦に出る卦の偏りは最大最小差20倍で、三爻変に来る20の卦が最も登場する確率が低く、不変・皆変に来る一つの卦が最も出る頻度が高い、となるだろう。不変・皆変の出る確率は7回に1回だから中筮法の場合よりは若干 低い。 これを一番 上のグラフに表すと、4,096÷7で、縦軸の約 585 のところに水平に直線が伸びる。 非常に興味深い筮式だと思うが、数学の職人でないとちょっと作るのが難しいか。 |
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