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中国のミサイルが次々 飛んできているのに「憲法秩序が最優先」と言うアホはいないだろう。先に国がなくなってしまう。「中国は攻めて来ない」と言う者は、兎に角、集団的自衛権の行使に反対だからそう言うのだが、中国の軍拡が脅威でないというなら在留米軍にはアメリカにお帰り頂いて好いのか? 問題は集団的自衛権のための「武力の行使の新三要件」で、「我が国と密接な関係にある他国」や「存立危機事態」が内閣の一存で解釈されるなら際限なく他国の戦争に首を突っ込むことになるというわけだが、それなら、この対象の他国(例:USAだけ)と自衛隊の活動範囲(例:ヨーロッパの言う極東)をなるべく限局した上に、武力行使の要件が明確に定義されるならOKなのか? 他衛はお断りとするにしても、民主党・社民党・共産党のように自衛のための米軍援護もダメと言うのか? 左翼の識者とやらは、近くの米軍への攻撃は自衛隊への攻撃と考えられるから個別自衛権で反撃できるのように、どこまでも個別で対処できるように主張するが、それでは銃砲弾よりも遥かに重要な電子システムの一体化やデータの共有が絡めば猶さら細かい議論になって合同作戦が組めないが、そこは容認なのやら。容認しないと言うなら、イージス艦など日米で連携なしにバラバラに戦ってどうするのか? 自衛隊単独では抗し得ないから米軍の力を借りようというのに、米軍の危機は放置する、他衛は拒否する、ではバカバカしくてアメリカ議会は参戦を承認しないだろう。よって、米軍は、大統領権限で参戦しても、戦争権限法により30日で戦線から撤退する。 大衆の本音は「怖いのキライ」。だから、現状変更イヤ、という見事な平和ボケ。苟且偸安の主。心理学では何反応と言うやら。 色々リスクを並べるが、米兵は日本のために命を危険に晒そうというのだ。トンチンカンな「戦争反対」を叫んでいる方々には、アメリカの傘の中にジッとして米軍に守って貰い、USAに無限に使役されるのが好いのか悪いのか、まずそこを窺いたい。基地の土地の提供、思いやり予算、アメリカの戦争の後方支援、戦地への自衛隊派遣だけでは購えず、元国防次官補ジョセフ=ナイらの海兵隊日本撤退論でもって安倍 晋三は自ら米軍に抱き付きに出ている。 次に、アメリカ追従はもう無理とするなら、何をどうすることが好いのか? こちらは重武装+中立(本格的な徴兵制が必至)か、重武装+東アジア版NATO(中国・北朝鮮抜き)による共同防衛が結論だと思うが。
専守防衛でもって、日本または「我が国と密接な関係にある他国」に対して「武力攻撃が発生したこと」を武力行使の基本条件にした筈が、安倍 晋三は、明白な危険がないと判断できなければ武力行使もあり得る、とこれを翻した。 相手の攻撃の芽を摘むところまでやるのか、やらないのか・・・武力攻撃予測事態における先制的自衛権の問題。新三要件を素直に読めば先制攻撃はできない筈で、これに踏み込むことは、国防のあり方も戦争の惹起・拡大のリスクも根本的に変えるし、集団的自衛権の行使が絡む。しかも、政府か司令部か、場合によっては現場がそれを判断する。憲法はとっくにお陀仏。 現状は、2005/ 7/22、改正自衛隊法の成立により、発射の兆候なしにミサイルが飛来した場合、緊急対処要領に基づき防衛大臣の権限により現場指揮官への迎撃命令が可能とされた。発射後の迎撃まで。 先制攻撃は今まで曖昧にしてきた部分だが、敢えてそこまで詰めるとは、現実はかなり退っ引きならないところに来ているのではないかな。まあ、対地ミサイルや空母がないので、現状、やるにもケースは限られるが。 それで、歯止めはどうするつもりなのか。先制攻撃ありなら新三要件は無意味になるし、その行使の条件はまた曖昧なものにするのだろうし、すると、歯止めにどれだけの意味が残るやら。 |
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5/ 2、TBS「報道特集」、金平 茂紀 氏のジョン=W=ダワー[USA]へのインタビュー。
今日の日本についても同じことが言えると思います。日本も70年前を振り返り、第二次大戦について考える機会ですが、当時の記憶とどう向き合うのかが難しいのです。日本でも保守派は戦争を美化しようとしていますが、それはアメリカの保守派がベトナム戦争を美化しようとするのと同じです。彼ら日本の保守派は勇敢な日本兵が自らの命を犠牲にして国を守ったと言うでしょう。それこそが靖国神社が物議を醸す理由です。私にはベトナム戦争の記念碑と靖国神社が重なって見えます。戦争で亡くなったアメリカ兵の名前が刻まれている記念碑を見ると心を打たれます。とっても美しい記念碑です。全てのアメリカ兵の名前があります。しかしながら、そこには亡くなったベトナム人・カンボジア人・ラオス人の名前は一切 書かれていません。彼らはアメリカの空爆で亡くなくっているのに。だから、我々は戦争を広い視野で見つめ直さなければいけません。それが真の意味での追悼です。 … 靖国神社に祀られているのは天皇のために命を捧げた人たちです。「英霊」という言葉が使われていますね。英語では英霊は亡くなった英雄のことです。彼らはある意味で国のために亡くなった崇高な人々と見られています。アメリカでは国のために亡くなった人は全て「英雄」と呼ばれています。つまり、アメリカでも日本と同じ概念で「英雄」という言葉が使われているのです。 つい最近、アメリカで、あるリベラルなコメンテイターが戦いに携わったアメリカ人全てが「英雄」ではない、と発言しました。… 中には戦争犯罪人も残虐なことをした者もいます」 さて、それでは、中国軍が無防備同然の尖閣諸島を乗っ取った、同時に、反撃阻止に自衛隊基地の那覇・佐世保・岩国を叩く(米軍基地は叩かないだろう)、と戦線が拡大したら、自衛隊員は戦わなければならない。その時、何のために戦うのか? 戦えるのか? 自分の中の意味あるいは大義・・・日本の国土を守るべきだから? 父母妻子を護りたいから? 現実の恐怖感からも当然あるだろう。 前二つの思いを強くもって太平洋戦争の前線に臨んだ多くの日本人A、その行為を「歴史の一頁として捉える」“歴史家”とは何なんだ? その捉え方に何の意味があるんだ? 「戦争を美化」という言葉。ペンタゴンのように軍事利益に生きている連中のことに言うのは分かるが、では、歴史家や左の言論人は多くの日本人Aの行為をどう捉え、評価するのか? そこがないのだ。国や同胞を守ろうとする行為をどうだと言うのか? これを「美化」とし、無駄死にだったと言っているようにも思える。ダワーがどう捉えているのか注目したが、なし。 ダワーを含めて、世間の左派は戦うこと自体や物ごとの道義までも否定しているかのようだ。だから、可笑しい。自衛の戦争も犠牲の視点だけを押し出して、アメリカの略奪戦争と一緒にして、何でも「戦争反対」。そこで終わり。 当たり前だが、誰だって人殺しの戦争なんか嫌悪だ。しかし、軍拡と東シナ海進出を続ける中国の存在にはそれでは済まない。 こちらは「反被ばく・反原発」のバリバリの左派のつもりだが、「戦争反対」の左派は善し悪しの整理ができていないよ。 さて、番組で「日本の近現代史研究の第一人者」と紹介されたダワー。日本はUSAのような国にはなるな、の忠告までは好し。 だが、ドイツは戦争犯罪の謝罪をして、A=メルケル首相は「我々は決して過去を忘れない」と言って国際的に好いイメージを持たれているのに、日本の保守派の政治家たちは、とコテコテのやつを始める。当たり前だ。日露戦争後、日本は軍産バックのUSAにターゲットにされて、自衛の戦争を戦っている。満州国建国や対米戦争は何のためだと思っているやら。アジア諸国に対して謝罪をすべきは一番にUSAだ。それでも、敗戦した日本の首脳らはアジア諸国に対して何度も謝罪しているが、お隣はフランスではなく、中国・韓国・北朝鮮ですよ。何でも外交カードにして日本の譲歩を引き出す、即ち、金をせびる。第一、USA、ソ連が各国の対立の糸を操って東アジアの勢力を削いで来たのではないか。 ここで、インタビュアーの金平 茂紀が 400 万人の“アウシュビッツ”をやらかしたドイツに日本を並べるようにして戦争犯罪の質問をダワーに向けたのは「日本は悪いことをやったんだ」と次の世代にも刷り込みたいのやら。 ダワー、南京事件や“従軍慰安婦”については無条件に日本側に問題ありだそうだ。底の透けた朝日・毎日のそのまんま。法的責任も道義的問題もごっちゃで、政治的アジテーターと変わりない。 「普通の国になることはハイテク戦争をやる国になることだ。日本はそうなるべきではない」? この老人は、戦争は相手のある話だとか、戦争も普段の防衛も技術競争なんだ、ということが分かっているのやら。じゃ、どうしろの話だが、そこには踏み込まない。USAが中国に対して腰が退けて来たので、日本はハイテク・重武装の方向は避けられない筈だ。USA・日本などの主導で、中国包囲の東アジア版NATOの動きが遠からず出て来るだろう。NATO発足時におけるドイツ・ソ連が中国や北朝鮮。 アーノルド=トインビー[ENG]も退屈。世の評論家とか何でも批判の野党同様“軸”なしで、地元の人間が読んだら「分かってねえな」と思われるだろうことをグダグダ書いている。 歴史観や文明批評で知的に刺激を受けたのは若い時に読んだホセ=オルテガ=イ=ガセット[ESP]ぐらいだ。全集が津波で流されたが、早々に買い揃えた。 |
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こちらは中国・北朝鮮のよる恫喝は国内事情からだけのことなので相手しないでいいとする意見には頷けないし、 左過多の人にはそれでは非武装中立がいいのの?と思うし、 状況に必要なだけの防衛力は必要でしょ、と。 まあ、軍備は先々と歩を進めて優位を取る世界だけど。 他方、原発は通常のミサイルを貰えば原爆と化すし、 数ヵ所も原子炉直撃を食らったら現実に日本は住める場所がなくなってしまう、そのことを恐れるし、 或いは、静岡県の浜岡原発のあのクネクネ・ペラペラ棒立ちの防潮堤は津波の衝撃・水圧にもたないと見ているが、 右過多の人は判で押したように原発再稼働、と。プルトニウムが精神安定剤なのか。 政治環境的に、開発環境的に、核ミサイル開発を進められる? イスラエルのように何でも密かに作るということが出来ないだろう。 それなら、抑止力なら大国相手でも非核ミサイルがあるでしょう、と。 環境に crean で核より遙かに経済的な Conventional Strike Missile。 単純な作りのものでも、大気圏外の高々度からただの“テトラポット”を落とせば隕石効果で大都市も機能停止に。 空中で“テトラポット”を分散させて均等破壊を狙ったり、“テトラポット”をヤジリ状の超高速滑空体にしたり、それに加速装置を着けて地下まで破壊したり、重いミサイルをそのまま撃ち込んだり、色々できる。 「核はこわいぞ〜」の肌感覚が核抑止力になっていると言われるが、 Conventional Strike Missile もこれで大都市が壊滅するCGを作って「非核はもっとこわいぞ〜」と世界にPRしたら、 核が兵器の頂点に君臨するイメージも政治的効果も変わって来るだろう。 勿論、USAとベッタリやっている内は出来っこない。 日本として不都合なら蹴っぽって進めることも政治の姿で、「北朝鮮を見ろ」であり、 国際協調にもたれているだけなら有利な立場を占めることは出来ない。 さて、それで、Conventional Strike Missileは 核より遙かに安上がりだから核に代わって各国が作るようになる → 大国と互して軍備均等が進む → 軍縮に進む の流れになってゆかないだろうか? 元より兵器なんだから人を殺す道具には違いない。 ポイントは、生物・化学兵器の禁止しかりで、互いに total でよりダメージの小さい兵器でに変えてゆくことであり、そういう流れにする智恵ではないのか?! 尚、これから中国は海岸線に原発がズラッと並べる計画だと言うが、放射性核種が飛び出せば東方に大きく流れることはPM2.5の飛来で証明済みだし、通常の運転での放出も当然 問題になって来る。 日本からはこれら原発を攻撃・破壊できない。 生存権の問題。日本は早く原発全廃を決めて、原発禁止条約を進めるべきだ。 今、なぜ集団的自衛権? USAの領土なり米軍が攻撃を受けんとする時の自衛隊の関わり方の問題だが、防衛相の小野寺 五典の話を聞いていてもサッパリ分からないし、「尖閣諸島の防衛は個別的自衛権の問題であって、中国脅威論の煽りに騙されるな」と声高に言う識者風情もいて、様子が見えない。 これ、尖閣防衛で自衛隊が米軍と共同戦線を組む時に、米軍への攻撃を阻止する必要から急ぐ、ということではないのか? 公明党はこの問題については、作戦行動を共にしているならどちらが攻撃を受けているとも区別できないので個別的自衛権で対応できる、と主張している。政府は、世論に否定されると困るので尖閣防衛の例示を避けたか、安保法政懇談会で朝鮮半島有事でのケースを出して来たが、安倍 晋三の顔色を窺って集団的自衛権容認を進めんがために捻り出した印象。 他国が国土を奪いに来れば、当然 軍事防衛となる。血を見ることにもなる。 もし戦わずに島なりをくれてやれば、ナメて次々と手を伸ばして来る。中国の覇権主義を持ち出さなくても、世の常識。 「集団的自衛権を容認すれば日本は戦争のできる国になって仕舞う」? 憲法9条は空文化するが、USAと軍事同盟を結び、全国で米軍基地を養っていれば、戦争リスクのあることは分かっている話。 |
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3/ 9 埼玉スタジアムでのサガン鳥栖戦で浦和レッズのサポーターらがゴール裏に続くゲートの上に「JAPANESE ONLY」と手書きした断幕を掲げた件。 FIFA[世界F.B.連盟]に睨まれたJリーグはこれを「人種差別」問題だとして無観客試合などの処分にした。 断幕を作ったサポーターはクラブ側の聞き取りに対して「ゴール裏は自分たちのエリア。外国人が入って来るのは困る」などと、差別の意思はない旨を語った、と報じられている。 浦和の一部のサポーターの過去はそれとして、ゴール裏にコアの熱い連中が山と陣取るのはサッカー強国はどこでも同じ。この断幕も李 忠成の入団に絡んだことだとしたら、在日色のサポーターがここに混入して何かやればトラブルになることは分かっている話。常設で座席のエリアを分けて遮蔽しないから「JAPANESE ONLY」の断幕になるわけで、これは寧ろ防止策と言っても好い。 南米のスタジアムを見たらいい。アルゼンチンのプリメーラ ディビシオンなど、バーラブラバ(= 過激なサポーター)の乱闘に軍隊が出動して銃で“鎮圧”。何人も死人を出している。民族問題などないのに、だ。「日韓で皆で仲良く応援しましょう」? Jリーグは子供らにエッチをさせない教育をするよりもしっかりコンドームを配ることだ。サッカーはそれたけで人を熱くするのだから、対立グループは分ける、ということ。 何でこれに黒人差別由来の「人種差別」をわざわざ持って来ておっ被せるの? 埼玉スタジアムに浦和の選手らが「スポーツ フォー ピース」のTシャツを着て整列して主将の阿部 勇樹が「差別撲滅宣言」を読み上げた。お門違いもいいところ。これは在日トラブルの問題。 チェアマンとなったばかりで腰の落ち着かない村井 満が、自分たちの不見識・無策にはフタをして、体よくサポーターらに責任を押し付けただけではないのか。JヴィレッジでのJFA[日本サッカー協会]と特に出向の東電社員らは階級社会かのように地元住民を見下して来たものだが、連中は、サッカー教育事業はやっても、若者の傘になる気はない。アレルギーのように責任から逃げる。「人種差別」をJFAなんぞが振り回したら、益々 気味悪くお行儀の好い若者とこれに窒息を起こす若者ばかりになる。どれだけ社会の空気をカツカツにしたら済むんだ。 そもそも、段幕を撮ってネットにアップして騒ぎたい者がいたからこうなったわけで、バカバカしい。 昨今の嫌韓感情に「人種差別だ」を振りかざすこのインチキ。「ヘイト スピーチ」然り、反日左翼はただでさえ抑圧され切っている日本人の言動に次々レッテルを貼り、社会正義を纏って相手を叩く、これ常套。これの熱心な連中の本質は何だろう? 煮詰めると、偏狭[偏狂]さしか残らないのではないか → 連合赤軍。福島の被曝問題では移住の必要も口にしないヘボ左翼が! 昔の在日朝鮮人は経済的動機で自分の意思で日本に来ておきながら(出稼ぎの個別渡航か、人員募集に応じた自由契約に基づいての渡来)、「ムリヤリ強制連行されて来た」と叫んで来た。スピーカーをやったのが朝日新聞、岩波書店。 そして、“従軍慰安婦”にせよ竹島占領にせよ、朝鮮人は「十回 押して倒れない木はない」をやる。このウソを声高に執拗に押し通そうとする朝鮮人の行動形態に言葉や理屈は噛み合わない。北朝鮮そのままのウソ・情報捏造・言い逃れ・他人の所為で突っ張って来るのみ。毎日新聞 然り、朝鮮人のコミュニティに対して博愛主義?みたいな無条件の寛容は nonscence。 差別(= 区別して差を付けて扱う)すべき理由がある人物や集団を差別するのは当たり前で、外国人に求めるビザだって同じ。既に混入した悪貨に対しては無害化できなければ仕分け・排除に進むのは健全。「人種差別だ」に巻かれとけの公の態度がまさに不健全。 書き方がキツイかな。何か人に好かれようとか、心証を好くしようとか、そんなことはどうでもいい。「人種差別だ」の跋扈を掘り下げれば、この福島での住民帰還の旗を振る県や末端自治体の「“原子力村”のデタラメに巻かれとけ」に重なって来るわけ。勿論、震災以来の自分のダメさ加減も承知。 |
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5/31、TBSの「みのもんたの朝ズバッ!」で、毎日新聞 論説副委員長の与良 正男 氏が日本維新の会の橋下 徹 代表の発言に対して、あらたまって、「政治家は、当時であっても、慰安施設は必要であったと言ってはいけない」とまるで言論を否定するかのような発言をした。 大手メディアが海外世論にビビって迎合、こぞって橋下叩き。今では「慰安婦は必要だった」との認識を口にすることはタブーのようだ。何とも気持ちが悪い。 こうしたキレイごとの連中、問題だとする「女性の人権の尊重」についての中身を聞いたことがない。慰安施設がなかったら、前線での軍とレイプの問題はどうなったか? 日本軍が慰安所の衛生管理をしなかったら、性病蔓延・兵力減退の問題はどうやったか? などの疑問には何も答えない。平和ボケもいいところだ。戦争の前線での女性の人権をことさら言うなら、兵隊の人権・生命はどうなるのか? 戦争自体を放棄すべきだった? 今、人間だけあの時代にタイム スリップして当時の戦争に直面したら、政府は同じことをやるだろう。 こうしたマスコミ世論の病理もさることながら、政治学で観れば、平和を唱えていれば平和が維持されるかのような平和主義の固着は国政の弱体化、民衆の無能化。海外から政策として仕向けられていることに注意を向けるべきを、全く頭にないようだ。 それどころか、この与良 氏は続けて、「(慰安婦は必要だったと言うなら)それじゃ、ドイツの人は当時はホロコーストは必要だったと言いますか?」と言い放った。橋下 氏に報道ぶりを誤報扱いされ、みの氏にも「誤報?」と耳元でおちょくられて感情的になったのだが、ナチスのホロコーストに何の必要性がある? 当時は多くの国が当たり前にやっていて合法だった慰安制度をホロコーストに並べるとはどういうこと? 新聞人が慰安婦問題のとんでもないレッテル貼りをやっている。言論を禁止すべきというなら、まずはこういう輩だ。 与良 氏は「橋下 氏は発言を撤回して謝罪せよ」と連日 息んでいる。それでは、自分は全国放送で言論人としては致命的な発言をしたが、発言を撤回して謝罪するつもりはあるのか? 産経新聞をリタイヤして単身で活動している山際 澄夫 氏の爪の垢でも呑んだらどうか。酔っ払いのみの氏にも弄られるお程度。メディアはこういう小心でお粗末な者を要職に就けてはいけない。 毎日新聞は今回の核汚染・被曝の問題では良い仕事をしている。まことに残念。 |
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iPS細胞[人工多能性幹細胞]の成功でノーベル医学生理学賞を受賞した山中 伸弥 教授(50)がUSAカリフォルニア大学サンフランシスコ校のグラッドストーン研究所へ留学していた時、恩師のロバート=メーリー博士が若き山中 氏に夢と努力の必要を説いて、「成功のためには Vision & Hard Work」だと言われた、と。昨日NHKのインタビュー番組の再放送を何げに見ていて、「ああ、これだ」と。 こちら日本IBMの関係に勤めていた時、創業者トーマス=J=ワトソンが掲げた標語「Think」がボールペンやレポート用紙にも書いてあって、当時 絶頂期にあったIBMは社員に考えろ、考えろ、と。社員 一人一人を見透かしたように完全管理の態で嫌気が差したが、USA本社の幹部連中はと言えばロクに考えることなく、【水火旣濟】|||(← 左を上にして見る)の現状にアグラをやって、パソコンの台頭と共にIBM帝国は一気に凋落。 で、若い時のこちらは日々 目線が据わり尻を叩く言葉が欲しくて、「俺は Think & Go だな」とか、「through」を入れようとか、日々のノートに書いては尻を叩いていた。 ただ、「Think」は何か籠もる。物ごとの疑念の方にも頭が行って、座右にはイマイチ。「Go」も何だか単細胞だ。 日々ダラダラとして、山中 氏の言葉でハッとした。 それでは、「hard」を後ろにして、本日からは「Vision & Work hard」のかけ声で行こう。 |
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「隣国とは仲良く」「双方 冷静な対応を」そう言っていれば、誰に攻撃されもしないし、体裁が好い。マスコミ上にはこういう草食質の不虞者ばかり。太極者ぶった者も。この連中は何の解決策も示さないし、何も持っていない。無責任に問題先送りをやるばかり。 例えば、石原 慎太郎は右寄りの人気取りで生きて来た男だが、五十嵐 仁という法政大学 大原社会問題研究所教授・所長はこうだ。 「今回の事態の引き金を引いたのは石原都知事にほかならず、事態をここまで悪化させた全ての責任はこの人物にあります。石原さんが、都による尖閣諸島の購入を働きかけなければ、事態がこのような展開を示すことはなかったでしょう。民主党政権への嫌がらせのために尖閣諸島の購入を持ちかけ、それを阻むために政府は国有化を決断し、そのことが中国国民に誤解を与え、今回の大規模な反日デモに発展しました」 要は、全ては石原が悪い、中国が怒ることはやるな、と。こんな事勿れのバカばかりが生き延びている、それが今の日本の大学。 中国共産党政府というのは、幾ら説明をしようが、故意に誤解もやり、やりたいことをやって来る。 口論や喧嘩があると、今の日本人はとにかくやめさせようとする。理非も経緯も知らずに、バカの一つ覚え。昔は割と好きにやらせておいたもの。 暴漢にいきなり殴られた、それで殴り返した・・・それを叩かれたくないだけのお体裁の輩は「喧嘩両成敗」とのたまう。誰が承服できるか? 「喧嘩両成敗」など大昔の統治側の方便。 日本は事勿れの先送りでは状況の後退を余儀なくされることを言明しておきます。 |
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ロンドン五輪、注目のなでしこのUSA代表との決勝戦。 このカードを実現させた両者には敬服すると共に、かつて観たことのないすがすがしく逞しい戦いぶり。なでしこの失点シーンでは、CBら、相手ドリブルを観やったまま蹴り込まれる毎度のダメぶりだが、あの攻めのパス サッカーは並の男子サッカーより観ていて面白い。 だが、この試合も勝ち負けのアホらしいこと。 前半、PA内で澤 穂希[MF]の直接FKをトビン=ヒース[MF]が明々白々のハンドでシュートを凌いだ。ビデオ判定も不用だ。試合は勝ち負けを競っている。判定がここまでインチキでどうする。 日韓W杯から10年。明白なファールがスルーされる判定方法の改善が進まないのは運営サイドの怠慢の問題か? 否。FIFA[国際F.B.連盟]さん、判定操作の余地がないとお困りなるお偉方がいる。スポーツ イベントを一皮めくればドロドロ。五輪でも、男女サッカーはオール マネーのFIFAが主催している。 ソウル五輪(1988)での、ボクシングのライト ミドル級決勝、ロイ=ジョーンズ=ジュニア[USA] vs. 朴 時憲[KOR]戦。 ジョーンズが2度ダウンを奪い、有効打でも朴を圧倒していたが、判定負けとなった。審判員5人中3人が開催地の韓国側に買収されていた。今だって、買収は韓国スポーツ界の常識だし、かの国で一般の意識調査をやったら「都合があれば已むを得ない」の意見が相当あるだろう。 さて、韓国様と言えば、この問題の件は上六に当たる 2013 年に大いに期待している。 |
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ロンドン五輪、男子サッカー準決勝メキシコ戦。 前半の序盤に大津 祐樹[MF]がミドルの先制ゴールを決めた。結局、1−3(1−1)で逆転負けと相成ったが、この先制ゴールの後、何やるとはなしに「このままイケルカナ? ダメカナ?」と頭の中で何者かを降ろすことをやっていた。正確には、降ろすのではなくて、何かそれまでと状況が変わりそうだから、あちらから降りて来る。 すると、negative な暗雲が差して、これが払おうにも消えない。こういう時には必ずダメの結果になる[負の感覚]。幼少の頃からこう。 逆に、イケル時にはこうではなくて、宜しくパンと張ったものが最後まで続く。しかも、意識的に暗雲を張ろうとしても、そうならない[正の感覚]。 この negative な暗雲が差した時、これもよく観察すると一様ではないのだが、これを自力で以て晴らすにはどうしたら好いか、が課題。これぐらいは道教なりの良書に書かれてある筈だが、全て津波に消えてしまった。 さて、準々決勝でエジプトに勝って、やれ44年前のメキシコ五輪以来の快挙だとか、次はウェンブリー スタジアムだとか、「バンザーイ」になって日本チームは温まったね。国際大会での常勝チームだとこうはならない。アルゼンチン代表なら、決勝までの過程をどうモチベートするかをよく承知している。 後半、2失点めの、自陣ゴール前での権田 修一[GK]と扇原 貴宏[DF]の不用意なプレーが本日の日本代表の緩さを象徴していた。ATでの3失点めも、相手選手にドリブルで突進されながら、鈴木 大輔[DF]は追うだけで潰しにも行かずノー タッチのジェスチャーなどやって、蹴り込まれている始末。 で、逆転されると気勢を上げて前がかりになったが、50分も無駄にした。 メキシコは本来の正確なパス サッカーを展開して好かったし、日本はほぼ完敗。 ところで、「日本」という国名がありながら、「〜ジャパン」などと自称するのはやめたらどうか。商売じゃないのだから、世界という世間に迎合しないことだ。どうせ世界では「ジャポン」だ「ハポン」だ「ヤパン」だ呼ばれている。 その点では、NHK[日本放送協会]はマトモだった。 さて、3位決定戦の相手は先ほどブラジルに0−3と一蹴された韓国と決まった。ブラジル相手のつもりで闘え! この韓国代表の選手ら、本日の試合前には小さく観えた。 |
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福島第一原発で作業を請け負う建設会社ビルドアップ(浪江町)の役員が自社の作業員らに彼らが装着する警報付き線量計[APD]を鉛板のカバーで覆うことを求め、被曝線量のゴマカシをやっていた件。 これは何が悪いと大手メディアは騒いでいるのだろうか? これで作業員らの被曝線量が大きく膨らむからか? 政府は、年間被曝線量(実際には外部被曝についてのみ)の規制値を5年間で 100 mSv で年間最大50mSv、緊急時 100 mSv に下げたが、発災当初は作業時間確保のために 250 mSv にも引き上げて大丈夫だとしていたし、それを超える作業の実態を黙認していた。今回の線量計いじりも作業継続が目的だろうし、それで数mm程度の鉛板を線量計に回したのと 250 mSvと、どちらが健康障害リスクが大か? 昨年 8/30 には作業員が急性白血病でなくなったが、現在まで何人 被曝で亡くなっているか知れない。 勿論、被曝線量には年間これ以下なら健康障害はないというしきい値はないし、年間50mSv を規制値にする根拠はない。国はデタラメにもICRP[国際放射線防護委員会]が政治的に提示しているものを都合よく摘み食いしている。 それなら、線量計いじりが横行してだろう、宜しくない、と騒いでいるのか? 何を今さらだ。発災以来、現場潜入したフリー ジャーナリストらが何を証言して来たか。 そんなことは大手メディアの病理の本質ではない。 それなら、労働安全衛生法違反の疑いがあるからか? その通り。メディアは法の枠をはみ出したようだから悪い、とひたすら騒いでいる。これによる健康障害の程度や規制値の是非はどこにも聞かれない。 日本は超過剰コンプライアンス社会に陥っている。根拠がどうであっても、枠を作ったら、それを半歩も出たものなら、そこを突いて、皆で取り囲んで大犯罪の扱いだ。食料不足など生じないのに、国が補償負担を嫌って食物摂取の基準値を 500 Bq/kg したら、大手メディアはダンマリ、業者は無責任に右ならえだったクセに。学級内と同じで、何か非難の理由を見付けたら憂さ晴らしのように皆で叩きに走る、その流れが皆を縛る、というイジメのメカニズムがある。 海外の空気を吸って日本に戻ると、バカさ加減に破裂しそうになる。 だから、今の社会では、何か発言する時に誤解・非難を受けないように、いちいち先回りをして断りを挟んでからしゃべることになる。 例えば、この稿でも、AB型の中に見受けるデタラメな特質、O型の中に見受ける目的のためのゴリゴリエゴを書く場合、「○型全員がと言っているわけではないので」といちいち断りを入れることになる。書かずとも分かるなら書くまいか。発言が安くなる。 30年も前の世間の会話はこうではなかった。今ではみの もんたがテレビで「上っ面なもの言いはやめよう」として何か踏み込んだ発言すると、脇で若造のアナウンサーが「勿論、○○は法律では認められておりません」と一言 陳腐を入れる。 過剰コンプライアンス社会は集団イジメ社会。過剰攻撃だから、皆が過剰防御することになる。 |
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講演会で思い出した櫻井 よしこ(敬称を付けるべきやら)。 3.11の後、この人が「核兵器」とは明言しないものの、原発を止めたら原子力技術が継承できなくなって(核兵器という)重要な外交カードを失う、と言って、新聞などに意見広告を出していた。
今さら言うまでもなく、核兵器は取り換えの利かない外交カードではなくなっている。 被爆の点では環境にクリーンで、核ミサイルより遥かに安価で開発・生産できる、コンベンショナル ストライク ミサイル[CSM/非核ミサイル]による戦略化が大国では進められている。このコンセプトは昔からあって、最も simple だと、既存の長距離弾道ミサイルで高々度からテトラポット並の固まりをピンポイントで落とす、と。隕石効果。目的ごとにバリエーションがあって、落下後に小片に拡散させて1km四方を絨毯爆撃にしたり、低空弾道や小型ミサイルなどの場合には“テトラポット”に推進装置を着けて地中深くめり込ませたり。或いは、核弾頭ではなく通常弾道をミサイルに着けてそのまま目標に叩き込む。 日本に対しては、原爆や原発事故の記憶があるから、心理的には核兵器はかなり有効だろう、と素人は思ったりするが、戦略的にはどうなんだか。 現在、国対国の実際の戦術では、このCSMに限らず、相手よりも早く相手の攻撃の元を全て破壊・無力化する技術が勝利する、と。だが、北朝鮮のノドンだと移動式発射台だから、衛星を使ってどこまでやれるか、のようだ。 その前に、原発を持っている国は狙い撃ちされて終戦と相成る。狭い国土に54基も剥き出し同然の核爆弾を抱えた日本は軍事戦争が出来ません。 軍事の世界は、個人の想像を遥かに超えて、日進月歩で相手の裏を掻くテクが作られているようだから、門外漢はこの辺で。 兎に角、原発を続けてはいけない。ホルムズ海峡に依らない原油の輸入、原子力以外の発電の拡大、節電、やるだけやる。 櫻井の「原発を止めたら原子力技術が継承できなくなって(核兵器という)重要な外交ガードを失う」とは具体的には何を言っているのか? 福井県 敦賀市にある日本原子力研究開発機構の高速増殖炉「もんじゅ」のことだろう。実用化のメドも立たないというのに国がこれに固執しているのは、これは小型核兵器に最適の超高純度のプルトニウムが製造できるから。実用化できていない、ということになっているが、どうだか知れない。 丁度、小出 裕章 氏から好い発言が出た。これが severe accident を起こすと、収束不能。 |
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次長課長の河本 準一と母親の生活保護の受給こと。 記者会見に臨むに当たっては、事務所や弁護士と細かく打ち合わせをやり、謝罪は計算。知人に「貰えるものは貰っときゃいいんだよ」と言ったのもその通りかも知れない。AB型にあるダラダラ甘えたデタラメとベタな同情集めに映る。このヘタレの部分は細野 豪志も同じ(AB型が全員、と単純に言っているわけではないので念のため)。 だか、それはそれ。テレビのレポーターやコメンテイターは、実際の収支を追及すれば済むものを、何故ああしなかった? こうしなかった? と最善を尽くしていないと非難して、それならこやつらは税金の支払い一つ、完璧なのか? 週刊誌を先頭に、日々イジメ ネタ探しに奔走して、袋叩きの祭りに走って、それをテレビ芸能はお茶の間スピーカー的に、謝罪なしでは治まらず、謝罪しても納まらずのお定まりをやって、「これも仕事だ、数字取りだ、阿吽の業界ショーだ」か? マスコミ挙げて叩かれる側の身心のダメージからしたら、立派な犯罪だ。 子供の頃、芸能レポーターの須藤 甚一郎を筆頭に、テレビ マスコミのこういう暴力装置がのさばる以前には、世間には穏当な寛容があった。飢饉も戦争も経験して、互いを思いやる気持ちがあった。粗探しは嫌われた。少なくても、こちらが過ごした浪江町での記憶では。 庶民が生きて行く上で多少のアラは出るのであって、徴収合理化から1円単位の総剥がしに走って、マイ ナンバー制度などを導入したら、日本は心底 生き辛い社会になる。問題は、景気の停滞、国家財政の行き着き、政治の怠慢。 今のキツキツの世間さまはテレビ業界の丸写し。在京キー局だけでも、アナウンサーの自殺が絶えない異状な社会空間の。 昔、日本テレビの「スター誕生!」で若者らを寒々しくこき下ろしていた都倉 俊一や中村 泰一の何サマ連中は歌番組と共に消えてなくなった。テレビ業界が芸能番組ごと亡ぶなら、それで結構。金銭を貰って世論誘導をする連中がウジャウジャ居るスタジオという世間モドキはもう結構。これ、解る人は解るだろう。 被曝リスクの「ひ」の字も口にせず、国や東京電力の安全詐欺にひたすら最大限の貢献を続けるのも日テレほかのテレビ業界。 この一家は想像以上に悪質だ。母親に加えて扶養義務のある兄・三男も高層マンションに住み(母親の部屋の月40万円の住宅ローンを河本が肩代わり)、母親・姉・妻の母親も生活保護を受給。妻は事業資金を貯め込み。30万円の住宅ローン+10万円の仕送りにローンの借り換えをしないのは相当に故意で、「貰えるものは何でも貰う」のようだ。 本当に事情であれこれ顧みる余裕がなかった、というなら別だが。 |
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タレントの中島 知子が何やら占いをやる女性に嵌っているとの件。 占い業界にはお金を吸い上げるテクだけの連中がワンサといることは間違いない。それだからと、全国放送で、占術をやる者を十把一絡げに社会悪視するような態度はまともか? 医者に弁護士に、似非はどの業界にもいるし、一人の人間の中にも暗部はある。尤もらしくしているだけで。易を非科学だとして法術の当否も意義も否定するなら、全身麻酔の一部は非科学だし、法律は人間社会のご都合の上に存在する。 テレビのワイド ショー。中国人や韓国・朝鮮人の日本での犯罪率は日本人と比べてかなり高いが、「中国・韓国・朝鮮人の来日を制限しろ」なりを言った識者とやらがいたか? それが、弱小や個人が相手だと、占い = 社会悪とやらかす。中島にも“占い師”とやらにも取材さえしていないのだから、お話にならない。言われるところのことがあるというなら、それは占いに名を借りた詐欺と言うべき。 占いと言えば洗脳に持って行き、拉致監禁やカルト宗教に結び付け、「神の計画」があるとか深いマインド コントロール下にあるとかやらかす民主党の有田 芳生(- ヨシフ)・・・。この調子だから、以前には幽霊など存在しないと言っていた。スターリン信奉者の唯物視と言うのか、まともな知性を感じない。 漫画の黒鉄 ヒロシ。占い自体を迷信のように言い、一切 信じないとのこと。いつも非難を受けない側に身を寄せてお常識を垂れて、自分の似非には自覚があるのやら。有田とは逆に前向きに調べる態度がなく、いつも知りもしないで批判的に白黒やらかす。AB型? 紫綬褒章はデレデレ受け取る、と。 テレビ局、大衆を相手に、朝から「今日の運勢」とか、果ては、血液型インチキ占いまでやっている。数字のために。 神社のおみくじは、今どきは凶の類をなくしたり減らしたり、もはや占いでも伝統文化でもない、100 %ご商売。 どちらもデタラメを広くアウトプットして大きな利益をせしめているわけだが、テレビ局ではこういうのは宜しいらしい。 |
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たかだか学生のカンニングで、新聞は一面で、NHKからトップ ニュースで、アナウンサーは神妙な顔して、一体 何なんだ? 連続殺人鬼が捕まったような騒ぎだ。 自己の存続のために、数字のために、ボヤを見付けたら大火事にする。どっちが犯罪者だ?! 実質、マスコミの放火騒動だろう。いつものように、一個人にメディア総がかりで集団リンチだ。 テレビ離れ、新聞離れへの危機感か。憐れだね。 京都府警は「社会的反響が大きかった」と少年逮捕の理由を言った。「マスコミの騒ぎが大きかった」と正さんか。 警察は警官が刑法を犯した場合も「不適切な行為」と言うところ。 合否の不公正? そんなことを言うなら、普通に見て学力の足らんタレントやスポーツ選手を、イメージ アップのつもりか、ホイホイ合格させる不公正と大学への不信の問題はなぜ問わない? 同時に、大学・大学院の“優秀なイメージ”は在学生・卒業生の財産。彼等の努力の賜としてあるのを、大学側が貶めている問題はどこ行った? 早稲田の零落を見ろ。 少子化への危機感か。なら、統廃合が先だ。 日本には国家情報機関がない。こういう見込みのある若者をスカウトして、防衛省でみっちり教育して諜報武官にしたらいいじゃない。旧態依然の善し悪しばかりを言ってたら、この国はドンドン廃れる。状況が変われば自分も適切に変わる、それが中庸。常に真ん中に居座るのは極端。 |
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大阪府の橋下 徹 知事(41)が本日、大阪府 箕面市の倉田 哲郎 市長が次男の誕生で約2週間の「育児休暇」を取得することについて、「育休が取れる社会には賛成だが、首長の育休には反対」と述べた、と。 橋下 知事は「首長が育休を取ったからといって、世間が育休を取れる環境になるわけではない。あまりにも世間を知らなさ過ぎる」、「(首長は)世間が育休を取れる環境になってから取るべき」と。 なんでそうなるの? 今の日本社会、育休なんか首長が率先して取らなかったら、一般職員が取れよう筈がない。倉田 市長も橋下 氏が言うところの環境づくりにやるわけでしょう。職場の仕組みや一人頭の仕事量が障碍というなら、それはそれでクリアに持っていかないと、育休はいつまでも絵に描いた餅。 ますます共稼ぎ必須の社会となりながら、イクメン率は民間でもほんの僅かなのだから。 しかし、橋下氏自身は、満足に休みが取れないとの理由で、大阪府庁に自分の子供らを呼んでF.B.選手に合わせ、サインを貰い、記念写真を撮り、をやった。これぐらいは世間の理解を得られる、と。 なんかスッキリしませんな。 |
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先月、日韓双方の学者・専門家らで喧々囂々やった日韓歴史共同研究委員会の後、韓国では、任那日本府の実在を否認する最終結論に合意して、日本の朝鮮半島南部における実効支配があったとする学説は正式に否定された、と報道された。韓国のメディアのいつもの「カラスは本当は白いんだ、そうだ、そうだ」報道である。幾ら己を逞しゅうしても、カラスは世界中どこでも黒い。韓国では主要な新聞・テレビさえ国民迎合の報道をやるから、かの国にいたら、程度の差こそあれ、北朝鮮国民のように認識障害になってしまう。 で、3世紀の神功皇后の三韓征伐は実際にどうだったか知らないが、〜6世紀半ば、いわゆる任那日本府は倭臣(注:大和政権とどう繋がっていたかは不詳)が自立した活動をしていた場所であり、日本が朝鮮半島南部辺りを実行支配していたとする見方を、この委員会の日本側は何も否定していない。否定しようがない。 そもそも、高句麗の広開土王碑には、大和朝廷が4世紀後半から朝鮮半島に進出して、新羅・百濟・任那を臣従させ、高句麗と激しく戦ったと書かれてある(この明瞭な記録さえ、韓国の自称 史家らは恥もなく我田引水に読んで譲らない)。「宋書」や朝鮮の「三国史記」もこのことを裏付けている。それに、朝鮮半島 南西部で大和政権の国内統一と軌を一にする日本起源の前方後円墳が続々と発見されていること、新羅・百濟・任那の勢力圏内で日本の糸魚川周辺に限定されているヒスイ製の勾玉が大漁に出土していることなど、こうした記録や調査事実が、大和朝廷が、2世紀余りの間、朝鮮半島に集住して、軍事的・経濟的にかなりの勢力を持っていたことを証明している。大和朝廷の軍事・外交の出先機関だったろう任那日本府が現地でどういう位置づけであったあったにせよ、朝鮮半島での史実は動かない。大和朝廷の謂わば橋頭堡だったと思われる任那日本府が任那や百濟の権力下にあったとするのはまことにおかしい。それから、権力の象徴だった前方後円墳に奉られている人物も倭人が相当 含まれるだろう。 こういう研究会だが、ナショナリズムによる始めに答えありきの韓国史観と摺り合わせをやろうとすること自体が分からない。度々 書くが、あちらでは、竹島の領有しかりで、実際の史実よりも自分たちの歴史認識が先に立つ。それに従って、都合の好い情報を切り貼りし、押し切ろうとする。学問とは実に名ばかり。こういうところは中国人とも違う。 これに対して、前の自民党政府は、竹島、“従軍慰安婦”、教科書、と常に対立を避けて、譲って来た。金融問題でも、かの国から感謝も「カ」の字もないのに、繰り返し助け船を出して来た。これらは一体 何? 酷い言動を繰り返して来た森 喜朗や町村 信孝らには経由・経由で民団等から政治資金が行っていると思わざるを得ない。民主党と同じ。
ところが、この卦・爻に任那日本府の象徴的な出来事を観るならば、史実と付合して、キツイ状況があったことが拾える。 この卦は、内卦【坎】の大和朝廷の意を受けた外卦【兌】があり、朝鮮半島に対して口を開けている絵。【坎】の裏、あるいは、二〜四爻の互体に【離】があり、半島進出には何か意図がある。 ただ、この卦は囲いの中の木の如しで、つまり、朝鮮半島に根を拡げようとしているが、他国に囲まれて、伸ばし切れない。次第に涸渇する。 この初爻、即ち、任那日本府なりそれを取り仕切る現地の倭臣は、西暦 400 年頃、三爻の同じ陰爻で陰弱なる百濟と組んで、共に隣接する二爻の陽爻の剛強なる新羅(あるいは、新羅を救援した高句麗)を挟み撃ちにして牽制したが、思うように行かない。三〜五爻の互体【巽】で、進んだり退いたりするのだが。逆に、押し返されて、痛い木の切り株の上に腰かけるように、にっちもさっちも行かなくない状況になった。 そこで、以前から交流のある応爻の四爻の剛強なる宋に背後からの援軍を求めたが、これが事情があってなかなか動いてくれない。あるいは、この四爻は本国の大和政権とも取れるが、いずれにしても、任那日本府は援軍が必要な状況に陥り、四爻が力にならなかったことが読み取れる。 結局は、史実の通り、「幽谷に入る」で、百濟は新羅に敗れ、任那日本府も 562 年に亡びた、と。 【兌爲澤】で当初は行け行けだったが、内卦【坎】だから、大和政権の内部で半島での勢力拡大に関して賛否があって、後押しが十分でなかったことも想像される。互卦【風火家人】にその辺りのゴタゴタが窺われる。 晴れ晴れとしたものは読み取れない。まあ、古(イニシエ)、そんなことがあった、と。 |
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おそらくポリネシアや中国内陸部などの孤立した集落を除けば、世界のどこにおいても、女性の貞操はやかましく言われて来た。男性のお遊びはまあしょうがないということになっていて、戦時中には兵隊のいるところ慰安所の設置を認めなかった国はないとされるぐらいだが、女性においては、昔は、不貞の噂だけで、特に地域社会から厳しい視線を受けた。これは何故か、と。 誰でも分かっていてよさそうなものだが、今どきの女の子は「男の子が遊ぶのに、女の子が遊んでなんで悪いの?」と何事もなくのたまう(男でも、言動は自由でも不法でなくても忌み慎むべきことのあるを知らないホリエモンのような人はいる。この人は万能感を病んでいるだろう)。あるいは、生物学のその手の学者はヒトの遺伝子が社会習慣まで規定すると言いたげに、話を拡げて来る。 身持ちのよくない女性が嫌われるのは、社会的要求的には、子供が出来た時に男性の側に疑念が生じるし、昔は確認しようがなかったから等々だろうが(女性は自分のお腹の子だから自分の子供には相違なく、この感覚に疎い)、直接的な理由は、男はそんな女を「大切にしたい」という気にならないから、あるいは、なり切れないから、である。何とか心理学を引っ張り出せば、本来、男はひとりの女性のすべて、有形無形の全部を独占したい。そういう狩猟性・所有性の固有質があるのだと。今どきの草食系男子とか、遺伝子レベルでハテナしたくなるような連中の構造は知らない。 男が、貞節ならざる女性でも、これを大切にしようと思う立つことは勿論ある。当たり前で、男と女の間に流れるものはそれだけではないし、ものごとには勢いも熱の病あるから。 だけど、世間には女性エッセーが溢れ返って女性本位の言い分が何重にもまかり通り、売ることしか頭にない「an-an」のごときが蔓延って亡律の態 極まれりだから、一つ男の痛撃を加えたいが、たとえそれで結婚をしたとしても、男の心の奥底の灰色の雲が晴れて無くなることは金・輪・際ない。まともな男であれば。即ち、自分に騙しのない男なら、あとはアウフヘーベンにもがくが、他方、永い間には「しょせんは」の冷めたる感情が絶えることはない。相手を大切にしようという気持ちになり切れないのだから。赤かった筈の糸なんか簡単に切れる。あとはせいぜいゼロ or サムで、仮面夫婦、家庭内別居。離婚率は1/3(これじゃ、結婚制度は終了している)。原因は何だ? 「性の自由について、男と女は平等にはない」・「女性に性の自由はない」・・・日本人はすぐ理念的権利に走るアホになってしまったが、USA・ヨーロッパではこの言いが通る割合はおそらく日本よりもずっと高い。以前、台北の知り合いは男性経験のある女性と結婚することはあり得ないと言下に切り捨てた。昔はそんな意識は当たり前だったが、今ではそれが心強く映る始末。昔、空手の大山 倍達 氏は、若い弟子から、簡単に身を許す女性が増えたこの頃の社会をどう思うかと質問された時、もう70歳 近かかった大山さんは「キミらはそういう女性を心から好きになれるか!」と“喝”で反問していた。“永遠の子供”韓国・朝鮮の人の言葉は、時折、日本人の横っ面を引っぱたく。 対して今の日本では、行き詰まったテレビ局が、AV嬢を並べてバラエティ番組を作る、女性アナは男性経験を売りにする、あるべき仕切りをせっせと取り壊す。そして、問題は、これに対して非難の声が聞かれない。一億総雪崩れ。あっちのことは一切マイナー メディアでやるものだ。大っぴらでなく。by pay で。 念のため。キリスト教の信奉者などには、男にも性の自由はないと言う人がいる。勿論それはありだが、それを一般に持ってくるなら、女性の心の内を隅々 確認したいところ。先の「男はそんな女を …」の反証にはならない。 もとを辿れば、環境ホルモンにやられたような、今どきの日本の男一般が悪い。男が健全な蛮性を持していて、女性がここまで野放図になったか? 「おんな・こども」の言いがある通り、女の慎みは半ば作られるもので、それをあらしめるのは男の役目、前世代の役目。ところが、今どきの男は、卦で言えば、陰柔にして陽の位におり、卑(ヒク)く下爻にくすぶり、「まあまあ」ともの分かりよく自粛が大好きで、中庸ということがない。本来の中庸とは、即ち、女性が不節操に流れたものなら、忌み、嫌い、声を発す! 「おまえの男女観はそんなものか」とためらいなく言う方があれば、それは、先ほどの勢いや熱の病にある方か、感性の萎え衰えた方か、賢しら臭い割り切り傾向のいずれかだろうから。 日本の男は、1980 年代半ばに社会が冷めた身の振り、スカシを覚えた辺りから、性別だけの男に成り下がった。主張しない。常に批判されない方に身を寄せる、ヤンキーの類まで。社会のツケはこの「まあまあ」が口癖の皆さんが支払わないといけない。
外卦【震】、つまり、男の側がその上爻でもって大いに振いたくても、内卦は【兌】の貞節のない女だから、男が行き場を失っている。三〜五爻の互体に【坎】。【雷澤歸妹】は落ち着くべきに落ち着く女の終わりについて語る卦だが、上爻は女も男も終わりを遂げることが出来ない。あとには【火澤暌】の別々の道があるだけ。 即ち、ひとえに、女性が不幸になるから、同時に、それだけ男の不幸が増えるから、古来、女性の不貞は嫌われて来た。結局ここに行き着く。他に、どんな十分条件的理由が想定されるか? 人の心からフリー セックスに対する忌避の感情がなくなる日がその内やって来るだろうか? この世あの世の、過去未来の、有象無象の一切を包蔵する易がわざわざ一爻を使って戒めるほどのこと、こちらにはとてもそんな日があるとは思えない。感情の上でも思えない。 女性に性の自由は許されじ。これによく反応したのは「べつに、男に大切にされなくたっていいし」の女性たちだった。まま、男性社会全般への反発として。平塚 雷鳥と周辺の女性たちの内面についてはよく知らないが、昔「ウーマン リブ」を旗をおっ起てて紅白歌合戦に殴り込みもした女たちは鼻っから男を見下げていて、“女”の有り様を捨てていた。着地点がなくて、単にキレていたのだが。例外中の皆さんである。 今のところ、大部分の若い女性たちは、先輩たちの(結婚の)有り様を見聞きしつつも、将来に夢を見ている。あるいは、女性が一人で生きて行ける環境の今、好きに生きて行くことも出来る。いろんな感性があるし、それも人生。それが仕事にまで行くと、フーゾクは様々あるし、AV界の主要レーベルはタレントの登竜門になっている。 だが、ともかく、貞ならざるなら、しっかり腹を括っておくれ。こちらはそんな方々は区別して扱う。 |
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草K 剛が泥酔してフルチンになったことが一体どれほどの問題なのか? ゆっくりなだめて服を着せれば済むものを、警察官が神経をおっ立ててわざわざ逮捕。NHKニュースがトップで報道し、大手広告主らがCMを中止と決めて補償請求が十億円は下らないとか、最近どうかしている鳩山 邦夫 総務大臣は激越なコメントを吐くし、どいつもこいつも事をエスカレートさせるばかり。 被害者がいるワケでなし、草Kに何ほどの罪がある。夜中 無人の公園で座り込んでいたのを公然猥褻というなら、この crazy な報道をして全国に否応なくフルチン姿を思い起こさせるメディアには1億 2,300 万倍の罪がある。なぜ報道の害の指摘がない? 人には「知りたくない権利」も「想像したくない権利」もある。 今回の問題の元凶はテレビ マスコミである。こやつらは日々 口実を探し、正義面をして遠慮会釈なく人を叩き、さらに“焚き付け取材”で相手を挑発して火を付けて騒ぐ。脅迫性を帯びたゴロツキになっている。“焚き付け取材”では今週 亡くなった日本テレビの元アナ荻原 弘子は確信犯だった。 この批判に対して、テレビの雇われコメンテイター連中は報道による「知る権利」を代弁する。 それなら、その局は自社の事件は握り潰していないか? 創価学会・在日特権・屠殺・・・のタブーはないか? 街頭インタビューで意見を言っても、こちらの知る限り、局に不都合な声が使われることはない。 テレビ挙げて過剰報道をやると、それに引っ張られて関係者が浮き足だった反応に走る。いわゆる“社会的影響”。メディアという装置全体がやらかすワケだが、これに対してクサビを打つ者がなかなかいない。自分がハイエナの標的になるので本来 体を張るべき者さえ騒ぎに乗る始末。子供が忘れ物をして教師に殴られたのを、親が「おまえが悪いんだから当然だ。親に恥をかかせやがって」でまともに家庭が成り立つか? 本人に深刻なトラウマを刻するどころか、ことによっては死人を作る。 ダメなのは一般人も同じ。些細な不徳の主にも無条件の謝罪を期待する。涙を期待する。記者会見で「そこまで叩かれる必要はない」と量刑不当の態を見ようものなら、国民・メディア上げてのバッシング。これが一人の人間に向かうのだ。だから、俳優の中村 雅俊は三十路を過ぎた息子の謝罪に泣きの小芝居までやらねばならぬ始末。「男が人前で泣くんじゃない! みっともない!」なんて言葉はどこへ行ったやら。 今の日本はテレビ発のファシズムに覆われている。 去年、イタリアのフィレンツェの落書きだらけのサンタ マリア デル フィオーレ大聖堂の壁に自分の名前などを書き加えた岐阜市立女子短期大学の学生らがどうでもいい報道の末に停学になり、教員・学生らがフィレンツェまでお詫び行脚に行ったことがあった。 この短大の判断規準は事の大小にはなかった。報道による扱いと世間の納得加減にあった。学校の長たる教育者の学長が体を張って学生を護ることをしない。この大聖堂の落書きは16世紀からあり、伊語・英語・漢字で好き放題のままにしてあって、現地では今さら問題ではないという。メディア注目の中、皆してのお詫び行脚なんて大ごとにして、学生に過剰なダメージを加えてどうする。 日本側の騒ぎに対して、地元フィレンツェの反応は驚きと違和感。「日本のメディアは過剰に騒ぎ過ぎだ」、「日本人は学生のわずかな罪をも呵責なく裁く」だった。別件で、同様に落書きが判明した高校の教諭は失職しかかったが、これに対しての地元紙の声は「信じられない」だ。 さて、釈放となった草K 剛は昨日 記者会見をして神妙に謝罪してこう言った。「大人として恥ずかしい行動をしてしまった」。 まともな社会がどうして成り立つか、を考えた時、「大人として恥ずかしい」のは本当は誰? この寛容もない浅はかな社会の空気を増養している筆頭は益々 数字の奴隷になり下がっている民放のテレビ局である。この装置全体のメカニズムの問題。そして、思慮分別の足りない、ナサケナイ我々 一人々々。 テレビの情報番組、これでもか報道の後は一斉擁護。コメンテイターを使ったジャニーズへの点数稼ぎか、収録済みの草K抜きに泣きべそ状態なのか。 政治家も今どきのテレビ取材の揚げ足取りに気を使って言動を枉げる。これはあってはならないこと。さらに、このいびつな力関係の連鎖の頂点にジャニーズがあるかのようだ。このメカニズムを変えるには、こうした在り方を批判するための単語を設けること。こちらが造語した「焚き付け取材」のように。 |
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数年前、一緒に暮らしているネコ♀に不妊手術を強いられたその日から、それまで大好きだった肉類を一切 食べないことにした。若い頃から自分の中に巣くっていたモヤモヤにおさらばした。スッキリした。 日々 食卓に並ぶ肉やスープは、リビングでシッポを振っている犬と同じ、生きている豚・牛・ニワトリを無残にも殺した、そのなきがらの一部だ、ということを皆は忘れている。今日も全国のここそこで、数万もの豚や牛が、泣き叫びながら、頭にボルト ピストルを撃ち込まれている。ニワトリが首を切り落とされている。 「ネコの毛が刈られた。動物虐待だ!」どころの話ではない。
それは、一に、全国の報道機関が「屠場」を一切 扱わないからだ。「食肉業界への配慮」・「差別問題」とやらで、怠慢なタブーをやっている。今どきの報道の連中がどれだけサラリーマン化して情けないか、こちらは少しは解っているつもりだ。 屠殺の現場とはこうだ。 ●豚の屠殺過程(台湾) ●豚の屠殺場面(中国) ●牛の精肉過程(熊本県) ●牛の屠殺過程(韓国) ●牛の屠殺過程(韓国) ●牛の屠殺場面(中国) ●YouTube「屠殺」 屠殺は(人間から見て)残酷・不快だから悪いのではない。(動物から見て)命を奪うから悪いのだ。この世に生を受けてずっと生き長らえて来たものを、泣き叫んで必死に抵抗しているものを、押さえ付けて、機械的に殺す。殺すことにまるで無感覚になっている業者連中が。 これ以上むごいことがありますか? この現実を決して伝えようとしないマスコミとは何だ? 「食肉業界は全くの悪である!」 これを過激と言うなら、我々の意識はかなり遅れている。差別問題もへったくれもない。ブランド「○○牛」などと、食肉農家も食肉処理場もハム会社も、お金になるからこんなことをやっているだけ。高等動物の肉を「うまい、うまい」と食べる人間も全く同罪。一生、肉を食べなくても、我々は問題なく生きてゆける。我々の先祖は草食に近かったし、アフリカのマサイ族は羊の乳しか口にしない。 考えることを止めた時、我々はもう人ではないし、同じように殺されたとしても神さまを恨む資格はない。 |
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東京中日スポーツが 9/ 6 のコラムで、ビーチ バレーの浅尾 美和(22)が地方の大会を欠場したことで「親の死に目にも会えない。プロとはそういう覚悟を持って戦う“特殊な人”だと思っている」と生意気を吐いた。だが、批判が相次いで、「確かにちょっと厳しい書き方だと思います」(デスク)と訂正記事(謝罪記事に非ず)を出したようだ。 浅尾は先月 実家の妹(17)が交通事故で頭を強打して意識不明となっていて、記事は「家族の急病を理由にドタキャン」・「片田舎のビーチにまで足を運ぶファンのためにも、プロとしての責任を果たすべきでは」云々と書いたが、浅尾の妹は容態が急変して、記事の前日に若い命を終えていた。 この記者はプロだのに事実確認も出来ていないし、好き勝手に他人を批判しながら自分の名前も公表していない。家族が倒れれば人手も要るが、どうせ頭にないだろう。そして、記事は「ちょっと厳しい書き方」という書き方の程度に疑問符が付いているのではない。“プロは親の死に目にも会えないことをも覚悟すべき”、“個人より公が大事”、こういう考え方自体の押し付け、体制圧力っぽいものの言い方、自分には引っ掛かる。自分はこう考える。 1.人生の大事は浅尾が考えて決めること。 2.“個人より公が大事”、これを言ってよいのは公職の責任者や人の生死に関わる立場の者に対してだけ。中世の“お家が大事”が未だに通じるのはせいぜい歌舞伎や古典芸能の世界。リスク ヘッジの考え方がないからそうなる。 3.「親の死に目にも会えない。プロとは・・・」について、責任を負って仕事をしている者は皆プロだということ。物事を考えないステレオ タイプの記者の存在は単なる公害。 4.身内や大切な存在が亡くなる場面に立ち会うことは当たり前であり、人生で最も大切なことの一つ。様々な深い示唆を受けるもの。「立ち会いは義務」ぐらいの社会認識があってよい。 確かに、海外でも職場を離れてよいのは場合による。 フットボールのアルゼンチン代表のファン=ロマン=リケルメ[MF]は父親を亡くした親友を慰めるのにその葬儀にアルゼンチンに帰国し、UEFA チャンピオンズリーグを欠場して批判を受けたことがある。当時、弱小ヴィジャレアルC.F.[ESP]は創設以来初めて チャンピオンズリーグに進出して勝ち進み、彼は正にチームの大黒柱だったから、彼の不在はこの大躍進を捨てることを意味した。それでも、ファンは概ね理解を見せたし、メディアを通して聞かれたのは利害関係者からの不満だった。 まして、日本人のそれみたいに自分の身内がいまわの際だというのに仕事をやっていたら、まるで違和感で、人間性に疑問を持たれるだろう。「そんなに何が重要なの?」と。 だから、金子 達仁のようなフットボールでしかものを語らない、毎度 事ありげの輩にはアクビが出る。 それでは、振り返って我が身。例えば、撮影の責任者として海外撮影を組んだものの、その人がいなければ撮影が成り立たない人がドタキャンになったとする。作品づくりはタレントさんの顔が曇っているだけでも仕事にはならない。撮影がお流れになったのに、利益の十倍にもなる支払いが発生して、ろくに回収できないのがオチ。 だから、リスク ヘッジが必要になんだ、と。現実的に考えると、そういう保険か前もっての契約しかありませんが。 肉親や大切な存在が亡くなって、そのかけがえのない命を思えば日々 耐え難いのに、この社会では三日も悲しい顔を許さない。早く忘れろと言わんばかり。 芸能人だの他人を侮ることに忙しい連中、若い連中は、隙や弱みを晒したくなくて厚い殻を纏いながら日々 高みの欄干に居る。他人が刺されている間は安堵かのように。なんてくだらない。 この国では「寛容」の美質も廃れ、人は隙あらば、無闇に、他人を責めることにはやっている。大切な者が亡くなった時、自然に心を癒すべきという普通の考えがそこにあるどころか、そんな時間も空間もない。まるで不幸な社会だ。 |
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行ってきた。例のヤツ。 何のため? ・・・ずっと頭の中を占めている、このもやもやが少し晴れないかと。 何それ? 業務上の一番 重要なこと。 それで、ホテルに戻ってあれこれつらつら考えている内にもやもやがコロンと落ちて気が付いた。やっとだ。何のことはない、これを据えればよかったんだ。 顔が売れる、名前がメジャーになる・・・女優の、仕事上の“型”がどんどんこびりついていく。「○○○」の頃は肝心の演技にも心許なかった○○さん。「△△△」の現場を通して自信がついて、本人的にはもちろん楽になった。本人が望んで得たもの。 だけど、それで何か魅力が増したか。Non. 言わずもがな。どうでもいい芯が出来た、トウが立った。○○が超売れっ子の×××だったのは何ゆえか。自信がなくて、揺れていて、そのソフトタッチの感触・風合いの好さとあの容姿とが絶妙なバランスでもってえも言われぬ魅力をたたえていたから。忌まわしきはそれを枯らした女優転向。 演技無用! 不自然なスタイリング無用! 出来るか? 出来る。握手して、まだかなり可能性があることに後で気が付いた。まあ、表現上どう映るか、どこまで出来るかはある・・・ いち○○さんについてのことにあらず。描くことは要はこれなのだ。これを真ん中に据えればよかったという話。ともかく、これでようやく動き出せる。 |
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時事、少々 思うことあり。たまには硬派な話も。 いわゆるUSAでの“従軍慰安婦”問題の異様な盛り上がり。 これは、日系のマイク=ホンダという民主党の下院議員が今年1月、日本政府への慰安婦に対する謝罪要求決議案を下院に上程したことに始まる。決議案とはこんな主旨だ: 「日本の帝国軍隊が 1930 年代から第二次大戦を通じてアジアおよび太平洋諸島の植民地、および戦時占領の期間に行った若い女性を慰安婦として世界に知られる性奴隷へと強制したことに対し、日本政府は正式に認知、謝罪し、明白で無条件な形で歴史的責任を受け入れるべきである」 これ、実際に主張している内容は中国流の白髪三千畳どころか妄想や錯覚による誇張や事実のねじ曲げというべきもので、戦前の日本はまるでドイツ・ナチスの計画的ユダヤ人大虐殺に匹敵する悪虐をやったかのようなセンセーショナルなストーリーになっている。とても正気ではない。 下院 唯一の日系人で、カリフォルニア州でもとりわけ中国系・朝鮮系の比率の多い選挙区を持っているマイク=ホンダは、世界抗日戦争史実維護連合会その他の中国系の反日団体から政治資金を得て 2001 年に下院議員に当選すると、翌年から執拗にこの決議案の提出を繰り返してきた。これまでは下院・上院も共に共和党系が優勢だったのが、去年の中間選挙で民主党が両院で議席を引っ繰り返したため、今回6回目にして初めてこの決議案が可決されようというのだ。 ただそれだけなら捨て置いても害はないが、近年 付和雷同のこの国の主要新聞がこぞって「日本は謝罪せよ」と大合唱を始めたのだ。戦後は“赤狩り”のマッカーシー旋風に始まって、最近では9.11後にホワイトハウスがイラク侵攻のための世論づくりに仕掛けた全米無差別テロの“鬼が出るぞー”など、全体主義の発作はこの国の持病だ。 ワシントン ポスト紙は 3/24 付けで安倍 晋三 首相の姿勢を批判してこんな社説を書いている。つまり、拉致問題と60数年前の“従軍慰安婦”問題を天秤に掛けて、日本が拉致問題で世界の協力を得たいなら、この問題で被害者に対して心から謝罪すべきだ、と: 「彼は北朝鮮による日本人拉致問題には熱心だが、日本の戦争犯罪には盲目である。〜第二次大戦中に何万人もの女性を誘拐し、陵辱し、性的な奴隷とした日本の責任を追及する運動に対しては、奇妙なぐらい消極的である」
しかし、日本の政府や軍の中央が命令を出して、強制的に朝鮮・中国その他の国々の女性たちを狩り集めて慰安所に拘束し、劣悪な環境の下で過剰に働かせていた、などの指摘・・・安倍 晋三 首相も国会答弁で完全否定しているが、そうした強制の事実がどこにあるのかということだ。米下院が騒いでいるのはそういう行為だ。 米下院では自称 被害者の証言だけが次々に語られ、一方の言い分を重ねるだけで、議論の基礎となる客観的な検証が全くない。 証言した李 容洙・金 君子[韓国人]の慰安所にやってきた経緯の話はどう聴けば日本の政府・軍の仕業ということになるのか。朝鮮人の男に騙されて連れてこられた慰安所の利用客が日本兵らだった、そこで非難の矛先が日本に向いているようだ。多分に自分の側に落ち度があってもかの民族性 豊かに“やられた、やられた”になる。 ジャン=ラフ=オハーン[オランダ人]は本人の話によれば「スマラン事件」の犠牲者ということになる。インドネシアに駐留していた日本の部隊が軍令に違反して現地の女性の抑留者 数十名を慰安所で働かせていたとされる事件であり、この事件の内容が彼女の証言通りならば当事者の非はもちろん明らかだが、現地の指令部はこれを確認次第 慰安施設を廃止しており、オランダとの戦後補償も終わっている。つまり、これは旧日本軍の上層部がそんなことを命じた事実はなかったという一つの裏付けになっている。 これで関係のないUSAの議会が日本政府に対して謝罪を要求する筋がどこにあるのか。 それなら、沖縄戦で避難壕に手当たり次第に手榴弾を放り込んでは住民を惨殺し、内部に火炎放射器を放って丸焼きにし、むごい大量殺戮を行ったのはどこの国の兵隊か。USA議会はこの際この事実を再び明らかにして、USA政府は沖縄の人々に対して土下座して謝罪をしなければならない。広島・長崎の一般人 数十万の命を葬った原爆投下の行為はどこへ行ったか。20世紀、常に獲物を求めて世界中でむごたらしい雨を降らせ続け、謝罪どころか反省の気もないのはこのUSAという狂気の国だ。 今も、この国のトップにいる人物は、石油利権の確保のために証拠をねつ造してイラク全土に侵攻し、人民を無差別に殺戮し続けている。ただの強盗殺人だ。 ともかく、当時、現地の慰安施設で働く女性には日本人も相当な数がいたようだが、女性らは経済的事情で戦地に赴き、働いて金銭を受け取っている。 そこで、とりわけ韓国の女性らが被害補償や名誉回復の声を上げて来たが、そのわけはと言えば、敢えてこの稿を延々 汚す必要はない。結局どれもこれも、彼女らの個人的事情、“民族癖”、“お国柄”に帰する話ではないか。個人的に辛い過去があったにせよ、日本政府の意図的・組織的関与を叫ぶウソが糾弾されないのはおかしいし、かの国の人々の錯覚を助長させることになる。 これらの言いがかりの白黒や責任の是非についてはこの20年近くの様々な検証などでほぼ決着が着いている。
“従軍慰安婦”問題のこちら側の最大の戦犯は「河野談話」を発表した当時の首相、宮沢 喜一。 「河野談話」というのは宮沢内閣が総辞職する前日の 1993/ 8/ 4、河野洋平 内閣官房長官が慰安婦関係調査結果の発表の際に出した談話。これは要約すると、 「慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。〜慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった」 と日本政府としてこれを認めるという、日本の名誉とその後の日本外交にとって致命的なものだ。政治家というよりもサロンの評論家のようだった宮沢は退陣に際してカッコよく政権の足跡を残すつもりで、ナイーブな河野 洋平と共に大きな愚行をやってしまった。 実は、先のマイク=ホンダが日本に性奴隷への強制があったと主張する根拠も本人の言いによればこの「河野談話」に依っているのだ。日本政府自身が認めているじゃないか、と。 ご承知のように、この談話の内容は政治判断なる創作だ。当時 官房副長官だった石原 信雄は「河野談話」は韓国の元慰安婦の名誉のため「強制連行だったと日本が認めないことには世論が収まらない」という韓国政府の強い要請を受けたものであったことを当時から繰り返し語っている(→)。 要は、プレッシャーに過敏で、善隣友好と外交の区別も怪しかった宮沢は、刑事のしつこさにしんどくなり、やってもいない犯行内容をカッコよく認めた。日本きっての外交通を自認しながらセンス ゼロのこのポンタのおかげで、日本は関係各国に対して非常に便利にエンドレスに使える外交カードをばらまいてしまった。日本を卑しめて止まない勢力に「セックス スレイブ(= 性奴隷)の国」のお墨付きを与えた。 以後、韓国からは大統領が替わる度「未来志向」などと言うそばから一方的な昔話で責め立てられ、国民ウケしか頭にないオポチュニストの盧 武鉉(ノ=ムヒョン)大統領は日韓基本条約をキレイに無視して「日本は賠償すべきは賠償しなければならない」とまで言い出す始末。 現在の安倍 首相は国会内で「河野談話」を見直す運動を進めてきた一人だが、今回の件について日本政府としての立場を三文記者に問われれば「河野談話」を継承すると言うしかないハメに陥っている。バカ正直に答えるのもどうかと思うが。 政・治・判・断。頭を下げ続けても、ちっとも外交問題が解決されないではないか。外交課題で常に頭を抑えられて、どれだけ国家利益を損じたか。 靖国カードも同じだ。中国の言い分を呑み、その状態を維持し、もし変えたら、あるいは別の外交問題で主張をすれば、この問題を持ち出されるというスパイラルにはまっている。USAに半ば幻の“核の傘”の対価を底なしに求められているのと同じ構造。 それで、尖閣諸島。1971 年に石油の埋蔵が確認されると、中国は厚顔に島嶼の領有権を主張し、日本政府の弱腰を見透かして石油は最近 生産段階に入った。 靖国カードの効力が直に弱まっても、中国はマイク=ホンダを後押しする反日団体のような組織と結んでは新たな外交カード作りに励むだろうし、日本政府が反応する限り色んなカードを使って来るだろう。今 来日している温 家宝 首相が穏和な紳士ぶりを振りまいても、かの国の冷徹な政治のリアリズムを見誤るなかれ。 戦後62年、韓国から、中国から、USAから、こんなお遊びを繰り返されては日本は外交課題の前進が立ちゆかない。歴史問題のカードに決着をつけるなら、日本政府はタブーを破って、姑息な「河野談話」は誤りだったと否定するなり、修正するなりし、必要な理論武装をして韓国・中国のアピールと同じだけ世界各地でその理解を求める必要があるし、是は是として貫く腹を決めることだ。 日本の政治家諸氏、ちょっと強気に出て、外国の政府や企業に雇われているロビイストや評論家連中にメディアで「刺激を与えることになりますねぇ・・・影響が心配されますねぇ・・・」なんて軽い脅しをかけられたものなら、態度を引っ込める。そんなビビリは政治家をやってはいけない。 万事 不利な立場に追い込まれて、それが常態化して、掣肘を受けようがその状況を覆す土性骨に欠けること、それが今の日本の現場の問題の核心だ。 周辺国を見なはれ。常に相手国の弱みを握り、難癖をつけて、肝心の懸案において立場を有利にしている。好みや美意識とは別の行動様式が要るのだ。 すると、北朝鮮の愚行などを今の周辺状況の変化から日本のナショナリズムの高まりを危惧するような声がある。だが、日本外交の回復に不可欠な政府を後押しする要素は何かと考えたら、健全なナショナリズム以外に何があるだろう? これなしで日本政府に何か期待できるだろうか? ない。もちろん、肝心の日本外交そのものの腹と手腕が情けないでは話にならない。 「ナショナリズム」「軍国主義」などを口にして、何げに日本の動きを牽制する評論家がいたら、からかってよい。「ロビーくん、乙」と。 |
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昔、都内のネパールのレストランで開かれたあちらの人の誕生パーティで、前に座っていた日本人の男性が横の人と明日で節目の30歳になるんだと話していた。「え、明日で30歳?」 実は自分も翌日で30歳だった。同じ年・月・日に生まれた人と遭遇。それで二人で起立したまま会場の皆さんに「Happy birtyday to you ♪」の合唱を頂いたという照れ臭い思い出があるが、こういう大勢の席で話題が星座 → 誕生日と進んだりすると、「わたしも誕生日 同じ!」という場面に出くわしたりする。 それでは、一体 何人 集まると、少なくても一組、同じ誕生日の人同士がいることになるのだろう? 計算してみる。 一年を365日として、まず、会場にいる全員の誕生日が異なる確率といういものを考える。 会場に2人しかいない場合、相手の誕生日は自分の誕生日以外の日として、2人の誕生日が異なる確率は、 364/365 = 99.73% 会場に3人いる場合、3人の誕生日が異なる確率は先の2人の誕生日と異なればよいので、 364/365 × 363/365 = 99.18% 会場に4人いる場合、 364/365 × 363/365 × 362/365 = 98.36% 以下、同様に。
だから、100%(全事象。起こり得る全ての事象)である1からこの「同じ誕生日の人が全くいない」確率を引けばよい。 すると、会場に23人いると約50%の確率で、41人 集まると9割を超え、57人で99%を超える確率で同じ誕生日の人がいることになる。366人いれば100%。 誕生日は365通り(閏年の場合を除く)あるから不思議な感じがするが、学校のひとクラスもあれば最低1組は同じ誕生日の人同士がいることになる。 それで、「1月生まれの人は?」とドンドン手を挙げてもらって、誕生日を聞いていけば、 すぐ該当者が見つかる。 |
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日本男子はここまでおかしくなったかと思った。藤原 紀香と結婚する陣内 智則が記者会見で芸能レポーターに「女優さんと結婚するわけだが、これからキスシーンもあると思うが」と質問されて、何だかだらしなく「やってもらって結構です」と言った、そのこと。 本人はもちろん、ズケズケとわきまえもない芸能レポーターも、陣内を“理解のある夫”として批判の「ひ」の字もないワイド ショーの連中も、ダイショブですかね。 ハリウッドで、妻がエッチなシーンをやって、維持できている俳優夫婦がどれだけあるか? ポルトガルでは、テレビ企画で、彼女が引っかけの誘惑にのっていいことになりそうなのを見た婚約者の彼氏は憤怒烈火のごとしだったし、その女性も取り繕いに必死だった。 夫なら感情的に許せないのが当たり前で、世界どこ行ったって人前で「仕事で妻のキスOK」なんて言う男はおりません。リップ サービスにも。奥さんを愛するという感情はこれ以上ない排他的なもの。 陣内は、「そんなことも許さなくちゃならないのかなぁ?」と疑問を持ったならまだ救えるが、物わかりのよいだけのダメ男に映っている。 今の若い連中の大半がこんな感じな気がするのだが・・・キレることはあっても、蛮性をなくしてすっかり腑抜けになった。そのことを奇異に感じないならこの国は危うい。 では、どうする? こんなものは学校教育や社会道徳 云々ではない。めいめいが頭を確かにするだけ。 と書いて、陣内のそれ、“多少 家庭を犠牲にしても仕事を優先する”というこの国の価値観が入っているかな〜と思った。極端には“親の死に目にあえない”という。 こちらが傾倒するフットボールのアルゼンチン代表では、L=クフレ[DF/AS Roma]が今年ワールドカップが開催する数日前に不治の病で床に臥していた父親が亡くなったのだが、多くの家族や親類にあとは任せるように説得させて、アルゼンチンへの帰国を思い留まった。これは、チーム リーダーのJ=サネッティ[MF/Inter]に代わって最後に監督に抜擢され、彼にとっておそらく二度目はないだろうワールドカップであり、覚悟してのドイツ行きだった、という背景がある。 別の話で、今年、J=R=リケルメ[MF/Villarreal C.F.]は父親を亡くした親友を慰めるのに UEFA チャンピオンズリーグの出場を取りやめてアルゼンチンに一時帰国した。皆 知っているように、弱小ヴィジャレアルは彼あってのチームであり、チーム創立以来 初めてこの大舞台に駒を進めていた。利害関係者からは多少 批判も出た。 リケルメも、J=S=ヴェロンも、H=クレスポも、いつも言う。「家族が一番 大切なんだ」 |
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昨日フと浮かんだ「鬼十訓」。「鬼十則」ともいう。広告会社の最大手 電通を“電通”たらしめた4代目社長 吉田秀雄 氏が戦後 社員に向けて書いたもの。社会に入ると、いつの間にやら暗記した。 |
一、 仕事は自ら創るべきで、与えられるべきではない。 二、 仕事とは、先手先手と働きかけていくことで、受け身でやるものではない。 三、 大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。 四、 難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。 五、 取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは・・・。 六、 周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。 七、 計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。 八、 自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚味すらがない。 九、 頭は常に全回転、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。 十、 摩擦を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。 |
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ある簡易裁判をやっている。部屋の立ち退きを求められているのだが、いずれ立ち退くにせよ、家主側のこれまでの行状があまりに酷かった。その上、こちらは勝手なリニューアル工事で室内に壁土などの粉塵を撒かれ、以来
生活をめちゃくちゃにされたのだが、信じられないことに家主はかつて「申し訳ない」の一言もない。そのため、金銭で和解することに躊躇しているのだ。 お金のことなどどうでもいいから、地裁に場所を移して、相談をしているこの分野の専門の弁護士と徹底的にとっちめてやろうか、決めかねている。 運転免許証の書き替えの時に見せられる映画でこんな話があるだろう。人を車で轢いて障害が残る重症を負わせたにもかかわらず、保険会社に後処理をやらせ、自分は見舞いにも謝罪にも行かないような人間が増えている、という話。「おいおい、ホントかな」と思ったものだが、まさにこの家主がそれだ。 もう咳き込んで目はしばたき、部屋にいることさえ出来ないほど粉塵を撒き入れられて、こちらが原状回復その他を求めようが電話にも出ず、知らぬ存ぜぬ。室内の荷物が多くて粉塵の清掃ができないのでその一部を一時 移すスペースを求めても無視。 それ以前には、部屋の窓を工事するので一時 他の部屋(日光が射さず条件が悪い)へ移って欲しいというので快くそうしたのだが、そもそもあちらはリニューアルをして家賃を大きく上げたいので住人を立ち退かせるのが狙いというわけで、工事が終わっても前の部屋へ戻らせず、その部屋を工事で消滅させてしまった。そして、こちらが家賃を全額 支払って来たから、部屋を移ったのはこちらが認諾しているなどと言う。認諾もへったくれもない。部屋のカギを渡さないは誰なんだ。 向こうの弁護士もよく恥ずかし気もなく語るもので、こちらは長い間アスベストを含んだ粉塵を吸引したことで先々 生死に関わる被害も心配されれば、「そのことを含めて一切の解決金としてこれこれで」などと呆れた要求を平気で出してくる。悪性中皮腫にでもなったら命は勿論、家族ともどもとんでもない負担に迫られるわけで、そんな提案を出されて、こちらに選択の余地があるとでも思っているのか? 騙せるものは騙そうという腹だ。裁判所に対しても。 まあ、世の中にはこんな連中が普通にいるのです。こちらの当たり前の要求が通らなければ、遠慮なくとっちめよう。 |
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マンションなどの耐震偽装事件で民間の確認検査機関の社長が株の増資をした際に“ニセ金”つまりどこからか資金を借りて資力を装ったとの容疑で別件逮捕された。警察当局が堂々と法律を犯して別の目的で逮捕・尋問するのには唖然としたし、そんな増資など現実には珍しくもないのに、“みせしめ”と公然と憲法無視の不平等逮捕をやってしまうし。 肝心の原資にしても、増資ができたということは現実に用立て能力が証明されているわけで、どうでもいいことだ。世に運転資金さえない会社がどれだけあるだろう。
まあ本当にありとあらゆる事柄の隅々まで法律の網をかけることに余念のない人たちは事業者が本来の仕事ではない様々な事務にトータルでどれだけ消費されているかなど考えたこともないだろう。取り締まることが自己目的化して、めいめいが網の掛け方を追求するだけらしい。病気の患者なら、連携のない内科・外科・放射線科・麻酔科などなどに好き放題 薬漬け・放射線漬けにされて衰弱させられるようなものだ。元より患者なら病状に注意が払われるが、事業者には負担軽減の権限をもった主治医はいない。 その結果、事業者は細か過ぎる税金の帳簿から始まって、負担は今や資力・時間・物理的にとうに処理できないレベルだ。当然まともにやっていたらこなし切れないか、体をおかしくする。近年、鉄道や航空機の事故の頻度が上がる一方なのも、個人の処理項目が広範囲に膨らんで確実性が低下しているからだと指摘されている。マクロ経濟が好くなれば、また規制 大はやりとなるんだろうなと。 何かこの国では努力に倍してしんどさが膨らんで、幸せなことなど何もない。と、今回は公憤しきり。 |
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さて、サイトのドメイン名を決めるのに、あらためてライプニッツのドイツ語の綴りを調べてみた。Leibniz と
Leibnitz の二通りあるのである。 歴史を見てみるとこんなことらしい。ライプニッツの父親の名前は Friedrich Leibnutz(u の上に‥)。その辺りから20世紀までは伝統的に「Leibnitz」と表記するのが正しいとされていた。だけど、ライプニッツ自身は大人になると勝手に「t」を抜いて「Leibniz」と綴り、後年サインする時には「von Leibniz」と書いていたという。彼にそんな当時の貴族の特権のようなことを許可した文書は見つかっていないらしいけど(1985 年の文献)。彼の死語に出された多くの出版物のタイトルには「t」の文字が入っていない。 ちなみに、オーストリア南東部の都市の名前は Leibnitz。 それと、17・18世紀にはちょっと貴族っぽく見栄を張って「von」「de」などのミドル ネームを用いることについては珍しくなかったと。 Leibnitz と「t」を入れた方がドイツ語っぽくていいのだが、彼の伝統・因習の上着を脱ぎ去ったところはさすが後年“開運”の妙に気づいた人。そして、Leibniz なら7文字で、彼のよくした中国の「易」の世界では奇数は「陽」、偶数は「陰」を表す。彼のこうした精神のタクトは今の気分にぴったりだ。 実は「leibniz.jp」のドメイン名は以前に所有していたのだけど、ちょっと更新をしなかったらほかの人に取られてしまった。こだわったり凭れたりするところに運はやって来ない。Leibniz なら何でもいいか、住めば都、ということで http://Leibniz.tv なんて洒落てて好いじゃないでしょうか。 |
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