佛道・修験道

般若心経を声明する意義は
2025/ 1/30-1/31
 仏教の経典は法という大宇宙の摂理(の部分)を説くことは勿論 分かる。これをマントラのように一定のリズムで繰り返し声明することは心が静まって安定した「覚醒した意識」とはある意味 逆の受動性のある変性意識状態[トランス状態]に導かれるので、この世主義の釈迦牟尼は禁止したのではないかと思う。
 ただ、お経をオウムのように声明すること自体が我々の靈性の向上とどう関わるのか、が分からない。

般若心経
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 亡くなった人に冥後の導きをするという「枕経」は、葬儀自体がただウヤウヤしく儀式を飾るばかりで、死んで未成仏になったからと言って漢文やサンスクリットのお経の意味が解るような超能力者になるわけではない。何人もの靈能者が亡くなったばかりの靈体を観察していてそのように語る。
 だが、宗派の中には枕経に「般若心経」…。

 般若心経は、釈迦牟尼が唯一 悟ったとされる縁起(= これを悟ったのは十大弟子の一人の舎利弗[シャーリプトラ])を大乗仏教の龍樹[ナーガールジュナ]が更に発展させた「空の理論」による「大般若経」、これを漢字 262 文字に纏めたもの。
 そもそも、仏教は以前は「佛道」と呼称しており、教祖の絶対的な教えに帰依する “宗教”ではない。それぞれのやり方の修行による意識の覚醒への道。その哲理。

 経典はネパール語訳のあと、道教・儒教の混じった漢訳を経た偽経ばかり(= 例えば、般若心経だと「色即是空」は是だが「空即是色」はおかしい)を疑問も持たずに明治時代になってネパール語の写本が入って来るようになるまで二千年近くもありがたがって来たのが日本の仏教界隈。その上で、葬式仏教の怠慢と靈感商法…完全に末法状態。読経は何で僧侶でないといけないの? お経など何でもイイのではないの?
 母親の葬儀で強い疑問を持って、父親の葬儀では親戚がゴチャゴチャ言って来たが迷妄はとっ払った。

 以下の問いの条件としては、●私の場合、●般若心経の経文の意味を理解し、声明の際もなるべく言葉の意味を自覚するものとして。


占 題
 般若心経を声明することで靈性の向上を得るか(1/29)

 次元上昇[アセンション]・悟り・意識の覚醒と言った大振りな変化を前提としてではなく。

三 遍 筮 法
得 卦

51 震爲雷
伏卦 17 澤雷隨
互卦 39 水山蹇
錯卦 57 巽爲風
綜卦 52 艮爲山
 六五、震ひて(= 雷が)往くも來たるもq(アヤ)うし。意(ハカ)りて有事(= 宗廟社稷の祭祀)を喪(ウシナ)ふこと无(ナ)かれ。
 象に曰く、震ひて往くも來たるもqうしとは、行ひを危ぶむ也。其の事 中に在り、大いに喪ふこと无き也(= 全く何も喪わない)。
 
 落雷を受けた時の様子で示す卦。【震】の重卦で、声明すれば、 “振るひ” また “振ふ” 。
 そこで言わんとするのは爻辞「意(ハカ)りて有事を喪ふこと无かれ」とある通り、これに寄りて、自分の成すことを喪ふこと勿れ、と。
 「(大いに)喪ふこと无き」はまさしく「空」のことと被りもする。「空」とは大き差で言えば全体であり、無ではないということ。
 以上、端的に示されている。

 漢語やサンスクリットの意味が明瞭に分からないなどあっても、言霊なのか、声明すれば靈的には何かしら功徳を得られるのかも知れない。

*     *     *

占 題
 般若心経を声明することで靈通に資するか(1/29)

 今度はお相手のある占。

三 遍 筮 法
得 卦

10 天澤履
伏卦 38 火澤睽
互卦 37 風火家人
錯卦 15 地山謙
綜卦 9 風天小畜
 九五、夬(サダ)めて履(フ)む(= 果断決行する)。貞(カタ)くすればq(アヤ)うし。
 象に曰く、夬めて履む、貞くすればqうしとは、位 正しく當たれば也(= 中正)。
 
 この占示で思うが、靈能を開くにも、そのことを意識し過ぎたり、強く求めたり、成らなかった時のことを考えたりすると、靈能の発現に対してマイナスのエネルギーを加えることになる。肝心の大本の無意識体(= 認識できたことがないが、ユングの唱える集合的無意識?)の方に向かってではなく、4次元(= 空間3次元 + 一方向の時間1次元)上に成立している個の思考・エゴの意識の方に引っ張られて、靈通の障害になる。神通もそうだし、覚醒された意識、魂の解放は思考の外に出ること。
 爻辞「夬めて履む」がまさにその辺りのことで、果断決行によってそれまでの困苦が漸く解けるだろう宜しきを察する。併し、九五、やり過ぎ・強引の類は宜しくない、と。年齢が上がるに連れて欲得が薄れて来て、自然にカバーすることになるけれど。
 思考や思い込みの類を止めて、何気にフラッと、併し、あちらの存在をアリアリと思い描くことが靈通に繋がる、と何となく分かる。

 それで、般若心経の声明が靈通に資するのかだが、この辺りのことを自信を以て語るには経験が足りない。ただ、畏れを内に持ちながら履(フ)むの卦で「夬履」なので、個の思考・エゴの意識を断ち夬(キ)り、履む、と読むべきかな。即ち、資する。

*     *     *

 以下に書いた次元上昇・悟り・意識の覚醒についての記事はこちらに移動。肝心なことを書いている。

 この頃、世事のことはどうでもよくなっている。健康・生命に関わるようなこと以外は。



結 果
 

#易占 #易占い #占い #般若心経 #声明 #読経



験に無頓着な修験者…
2024/12/30-12/31
 批判をやるので、以下、各人の名前は伏せます。

 ある年配の僧侶が寺を離れて修験者をやっていて、修験の「験」についてネットで語っているのだが、彼の話を注意深く聞いても、何を目的に験を得ようというのか、どういう験を、どうやって修めるのか、という肝心要についてこの人はまるで朧げ。多分、彼の周囲にも靈験・祈祷力の体得について確としたものがない。その上、験を得ることが修行の本筋ではないとさえずるので、オイオイ、あなた「験を修める道」を歩いているのですよね(笑)と指摘。ここ、彼の個人的な目的の迷妄はどうでもいい。
 すると、「具体的な修行について語らないのは行者の不文律。具体的な験について語らないのが行者の矜持です。それを知りたい方は、実際に修行をして頂く必要があるということです」
 へそが茶を沸かす。頭に古代ユダヤ教由来の頭襟を付けた山伏の格好で、法螺貝を持ち、漠然〜と山の中でごっこをやっていれば、何か起こるかも、ぐらいのものではないのか。
 験を得なければ、自分の修行なりが正しいかどうかさえ判断がつかない。更なる励みにもならない。
 伝統・権威に凭れる者を疑え。彼のご立派ぶりの真偽を易に質すと、3【水雷屯】||六四。六三「鹿に卽(ツ)くに虞(グ= 山林内を案内する人)无(ナ)く、惟(タダ)林中に入る」の前途不明の域から一歩 出た程度の者。次の六五も「其の膏(アブラ)を屯(トドコオ)らす」で、今後も大した獲得は出来そうにない。

 ある修験の最長老は、験と言えるほどのものは得ていない、と。自分として思うところの納得を得らればいい、ぐらいなもの。
 「千日回峰行」はコスト対効果は?と言いたいが、そうした指摘を受けるのか「悟りを得るためではなく、悟りに近づくために課す」となっていて、これを満了したある人は何か悟りを得たようなことはなかった、と。仏と一つになったような神秘体験があるとすれば、別の行の瞑想の時だ、と。定年までサラリーマンで、土・日、山野に耽っても、多分そんなものではないかな。
 大体、出来上がった道を進もうかという時、その道 数十年の先達をよく観察して、疑問を投げてもみたら、人生を費やしてもその程度にしかなれないこと解るだろう。何をか況んや。

 易者は依頼された筮儀の都度、 “易神さま” と呼んでいる易を司る神妙な摂理との酬酢がなければ、インチキをやっていることになる。確かな神通の手応えとそのスベを身に付けるべきは当たり前。その点で、世の卜占は99%インチキ。
 そのようにこちらは心得る。3.11、体育館で避難生活中もカステラの硬い箱を切って筮竹にして、毎日あれこれ研鑽、20年以上。
 そうして掴んだ頭の中の技術を今後も更に磨き、他用を試みて、日本・世界の平和と生ある者の安寧を切に祈る、現実を変える力にする、それがこちらの当面の目的。その先はご縁を信じて道が開くに任せる。

 さっきの修験者は、権威付け臭く修行の目的や方法を秘すが、こちらは験の獲得にそんな必要を感じない。オープン。第一、簡単に得られるようなものではないのだから。
 「矜持」と格好をつけるほどの何があるの? 靈験・神験の力のある人は20〜30代にもゴロゴロいる。仏門ならば彼らをスカウトして教育し、その力の善用を促すべきで、これまさに大乗ではないの? 上座部の人ならばすみませんが。

 こうして、易を永くやってみると、易は神・靈と繋がるための訓練の道具のようにも思える。
 2019 年エジプトの砂漠地帯の洞窟で発見された古文書はキリスト教2千年の歴史の根幹を揺るがす発見。キリストは当時の制度化された宗教を強く批判しており、「私の教えを宗教にするな」と警告。純粋な愛と慈悲の実践、各人の神との直接の靈的体験を重視していることが記されていた。ソルボンヌ大学・オックスフォード大学の共同研究チームが明らかにしている。
 こちらの修験としての易の方向は結局その辺りに収斂される。どなたと繋がるか、神社巡りをやり出したのはその機縁を掴みたい、そんな気になったため。

 追記:この古文書には「2025/ 7/ 5」の日付が言及されており、「この日に人類が重大な選択を迫られる」と記されている。



占 題
 靈能開発の修行にとって「験」は必要か(2/ 3)

三 遍 筮 法
得 卦

52 艮爲山
伏卦 56 火山旅
互卦 40 雷水解
錯卦 58 兌爲澤
綜卦 51 震爲雷
 六四、其の身に艮(トド)まる。咎(トガ)无(ナ)し。
 象に曰く、其の身に艮まるとは、諸(コレ)を躬(ミ)に止むる也。
 
 読みの難しい問いにしてしまって難渋したが、要は「験」は必要な時には必要で、「験」がある時もあるぐらいなものだろう。
 この占は、例えば、神社では御守りなどの頒布物を祭壇で御魂入れの祝詞を上げれば、「験」がなくても御魂が入ったということなのか、という疑問から発している。
 それで、重【艮】で、問いの「験」についてはあちら外卦【艮】の神々の “御魂” も艮(トド)まるで、爻辞「其の身に艮まる」の通り。
 ただ、この六四は【艮】止でも外卦に入って動き出しが始まるのであり、又、外卦【艮 = 倒震】の先端で振るっているのだから、外卦と接触する内卦【艮】の主爻の九三の “神職” の下に起こることもある、ぐらいに捉えるべきではないかな。九三は靈能の点で思うように身を伸ばすことの出来ない者。



結 果
 

#易占 #易占い #修験道 #霊験 #神験 #祈祷



阿毘達磨倶舎論
2024/12/25-12/26、2025/ 1/ 7、1/31
 釈迦牟尼が唯一 悟ったとされている「現象世界の一切は縁起によって起こる」ということ。これを悟ったのは十大弟子で智慧第一の舎利弗[シャーリプトラ]と訂正。
 大乗仏教で中観派の龍樹はこれを更に考え抜いて、縁起を因果関係ではなくもっと広く相互依存の関係として捉え、「無」は「有」として規定されたものがないから「無」なのであって、「無」はそれ自体で存立せず「無自性」であり、「無」は「有」に依存している、即ち、縁起。で、「有」も「無」を生じるじゃないか…若い頃、この「空」の思想、理屈でやれる辺りは理解した。尚、鳩摩羅什の漢訳「因縁生」を「縁起」としたのは玄奘三蔵。
 こういう物ごとの認識や気付きを数限りなく詰めていると、ある時、ポカっと透徹した “悟り” が来るものかな。子供の時、そんな感覚になったことがある。

 大乗仏教で「空」の思想と二大認識論を成している瑜伽行派[唯識派]の唯識論(弥勒・無着)は「全ての事物は心が作り出した表象に過ぎない」と云う。
 これも理屈では掴めない。六識(眼・鼻・耳・舌・身・意)+ 末那識 + 阿頼耶識(= ユングが語る集合的無意識?)のこと…あとはイメージし難かったり細かしい話で、20代前半に横山 紘一さんの唯識の本を読んだ時に感じたのは「気を衒った感じもする、理屈だけの世界」。幼かった。唯識の思想を要約した「唯識三十頌」をもう一度。
 これも考え詰めた上で、何かの拍子に “悟る” のかも、と。

世親像
  世親像(興福寺)
興福寺・薬師寺は唯識派の法相宗。何故か和装…。
 
 そして、「唯識三年、倶舎八年」の阿毘達磨倶舎論(アビダツマクシャロン)。世親は無着の弟で、「我は存在せず、煩悩と業(karman)などによって構成される法(dharma)のみがある」と語った。
 これはまさに靈學で、靈能でもあの世のことが分かる極めて稀有な能力が必要になる筈で、世親の主張は輪廻転生の肯定になる。釈迦の十大弟子で神通第一の目連や天眼第一の阿那律はこの辺りどうだったやら。
 こちら若い頃、倶舎論には手付かずで、今、その概論を浚ってみると、ポカっ以上のことよりも、知識による要理解の方が圧倒的にでかいことが分かった。

 こういうのをやる気になるかはそれを解説してくれる先生との出会い次第。落語も元々お説教・法話を人々に説くところから発達。その意味で、花園大学の佐々木 閑(-シズカ)先生の YouTube チャンネル「仏教講義」のシリーズは大変ありがたい。
 で、倶舎論でも先生がここは特に面白いと思って取り上げて詳述されている「第3章 世間品(セケンボン)」、20数時間の先生の解説をやっと見終えた。「世間」とは中国語で宇宙で、仏教のコスモロジーを説いている。講義では、時間宇宙・量的宇宙のことだけで、パラレル ワールド[並行宇宙]らしきも展開するが、空間宇宙の内容はほぼ登場しない。靈能のことは全く出て来ない。
 佐々木 先生は長い講義を終えて、倶舎論の宇宙観を「壮大な、併し、人工的に作られた世界ですね」と言い、古代の阿羅漢たちが直覚で掴んだだろうコスモロジーをマトモに受け取ってはいない。
 どうかな。世親をよく理解する必要ありと、永く amazon.co.jp の購入予定に入れていた三枝 充悳 先生の本を早速 購入。血液型と気質の研究の前は日本史バカだったので、無着・世親はインデックスのレベルで承知している。

 倶舎論は、上座部仏教から分派した説一切有部に属する迦多衍尼子(カタエンニシ)が書いた阿毘達磨発智論(アビダツマホッチ-、玄奘三蔵が漢訳)あり、その注釈書として、2世紀当時のインドで悟りを開いた阿羅漢たちのあらゆる思考を詰め込んだ仏教界最大の経典である阿毘達磨大毘婆沙論(アビダツマダイビバシャロン、玄奘三蔵が漢訳)あり、主としてその宇宙観に関する種々雑多な言説を抜粋し、一部は世親独自の考えを加え、理解しやすいよう体系的に整理したもの。
 と言っても、マトモに取り組んだら理解量的にも学習ポイント的にも途方に暮れる。初学者はそのエッセンスを説いた講演から。倶舎論になって切り捨てられた大毘婆沙論の一端(仏陀の特徴について)は「仏教講義9」の47〜59。ここは興味深い。
 何か研究レベルでおやりになりたい方には、古来の漢訳・チベット語訳からではなく、チベットで発見されたサンスクリットの原本からの直訳・注釈 → 研究がこんな様子で進んでいるので。漢訳よりもチベット語訳の方が矛盾なく理解できる部分もある、と。

 「インド宇宙論大全」(定方 晟)にあるように、インド仏教の各学派の他、バラモン教・ヒンドゥー教・タントラ教…の宇宙観もそれぞれある中で、現代とは文化背景の異なる古代の倶舎論が描く認識のあり方に先生方のように何年も費やすならば、こちらは優れた靈能者と組んで、エマヌエル=スウェーデンボリのように現代のあの世や異世界の実相を描き起こす作業の方が遥かに現実味があり、やる価値があると思う。



 悟りのことで言うと、空海の「十住心論」、北宋時代の廓庵(臨済宗)の「十牛図」はこちらも実感として解る歳。
 後者は禅で理解・説明がまどろっこしいが、前者だと、こちらは「大乗、他への悲心」の第六住心までは来たと判る。
 第七住心のテーマは龍樹[ナーガールジュナ]による「空の理論」で、これをスコッと悟る筋道がまだよく掴めない。スコッと分かることが所謂「悟り」で、現代的に言うと「意識の覚醒」。奥行きは神の領域まである。
 第八住心の「主観を排除して自らを客体化した、何にも縛られない自由な境地」はまだそれに繋がるような自覚がない。これは大乗仏教の内で、天台宗の境地だと云う。
 人は、認識して、行動して、掴める、成長する、ということ。



 兎に角、昨年辺りから時間が過ぎ去る感覚が物凄く早くなって来た。
 そして、徐々に、今まで個別にあった経験や物ごとが明確な意味をもって今に繋がるようになり。
 欲するものが次々 眼の前に現れるようにもなって来た。引き寄せ。
 書いているように、稲荷神が呼応するようになり。
 愛猫がこちらの言葉を理解するように動きもする(笑)。
以上、同様の状況の人が言うような際立った超常現象はないが、これらは明らかにある。
 その他の変化と言えば、頭髪以外、白髪が一気に増えたこともあるが、スポーツを殆どやっていない。

 これは所謂 次元上昇[アセンション]の兆候? 次元上昇とは、地球や小宇宙が丸ごと次元が上がるようなことではなくて、個人々々、肉体は4次元(= 空間3次元 + 一方向の時間1次元)にありながら、5次元(= 空間3次元 + 未来・過去方向の時間2次元)に意識が入り込むような状態だと認識している。もし物理次元が変わったら、成長発達している生物の肉体を含めて、4次元で成立している様々な存在に破壊や変質や消滅が起こるだろう。2次元には物的存在がないので3次元に変わったら、が例として説明できないけれども。
 次元上昇とは仏教で言う「悟り」、現代的に言うと「意識の覚醒」も同じ領域でのことではないかな。

 自分の内側を simple に、明るく整えてゆくこと。この「内側」とは、例えば、子供の時、眠りから覚めて、言葉を発した瞬間、この世の何か嘘くさい重い仮の自分のペルソナを意識した筈。それが「外側」で、その手前が純粋な内側のことを言っており、それが自分の本体高校に入る頃までは自分以外の一切と接する際のペルソナと共にその自分を維持できていて、特に幽体離脱から目覚める金縛り状態の時にそのことをクッキリ自覚すると思うが、社会と接する中でその感覚さえ忘れ去っている。
 で、今、覚醒状態の時にこの内側を意識することがマイ テーマ。


占 題
 遠からず5次元への意識の覚醒に入るか(1/31)

三 遍 筮 法
得 卦

46 地風升
伏卦 48 水風井
互卦 54 雷澤歸妹
錯卦 25 天雷无妄
綜卦 45 澤地萃
 六五、貞(タダ)し(く固)ければ吉。(九二・九三に輔けられて)階(キザハシ)に升(ノボ)る[(九二・九三を)階に升らしむ]。
 象に曰く、貞し(く固)ければ吉、(九二・九三に輔けられて)階(キザハシ)に升(ノボ)る[(九二・九三を)階に升らしむ]とは、大いに志を得る也。
 
 やるべきをやり、穏やかに期待して待とう。


 この卦・爻では、2025 年7月5月 am の日本についての占ドナルド=トランプ氏が下院議長になる機運を質した占がある。



結 果
 

#阿毘達磨倶舎論 #倶舎 #唯識 #阿頼耶識 #空の思想 #佐々木閑
#次元上昇 #アセンション



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