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| 世の中、正月ぐらいしか神社に上がらず、御祭神の御神徳どころか御祭神も知らず、厚かましく祈願をして、あちらに通じますかね(笑)。 神前では本坪鈴を鳴らしてノック。「古事記」にある造化三神(天之御中主神(アメノミナカヌシ-)・高御産巣日神(タカミムスビ-)・神産巣日神(カミムスビ-))の名を一柱一柱 唱えながら古式の三礼、三拍手。あちらのインデックスに載る自分の氏名・生年月日(・現住所)を伝え、(御祭神にもよるけれど)、祈願ならば何よりも天下国家や他者のために、御祭神に息細くエネルギーを注いで御神威を振るわせる。これがこちらの、本来の参拝。 誰もいない稲荷神社でも、あちらとシンクロ成るのは、気持ちが純良になれた時だけ。頭のコンディション次第。 稲荷神社の主祭神になる稲荷神の宇迦之御魂神(ウカノミタマ-)は、天照系や出雲系が外来でないならば、それとは別の系統。→ 豊受大神・天之御中主神 → ユダヤ教・キリスト教・イスラム教(= アッラー)の創造主ヤハウェに遡る。 子供の頃、お守りとして枕元に置いたのが小さな十字架。 長じて海外を自転車で旅しては各国の教会・修道院などを観て回り、フランシスコ=ザヴィエルの生誕地・埋葬地、マリア降臨のポルトガルのファティマ、キリスト教三大聖地のサンティアゴ デ コンポステーラへと続く巡礼路のサンティアゴへの道も辿った。自転車を担いで職場から空港へ、南国や寒冷地を千 km 走って、大ケガしたまま真っ直ぐ職場へ出社とか、よくやったもの。 こういうのはやはり導かれる。 それで、一昨年から去年に掛けて無人の尼子稲荷神社(いわき市平)でささやかな神通の機縁を得たが、その確信を自覚しようと、もう一度その辺りの占示の見返しをやっている。易占の場合と同様、神靈との対話は当たり前のことにならないといけない。ここで述べた通り、信じ切ることがその土台になる。
そして、他の稲荷神社でも “実験” をやってみよう、と。 「いわき市 稲荷神社」でネット検索すると、知らなかった神社がゴロゴロ。神社に初めて上がる時には新鮮な気分になって、山の中の祠では取り分け感じるが、普段とは違うその時の感覚は見えない存在と繋がる格好の瞬間、ということも最近 分かって来た。 妙なことをやっていると思うこと勿れ。参拝などで知り合った人と話し込んだり、御岩山(茨城県日立市)に登拝する人たちを観ていると、ライフワークのように神靈世界にアプローチしている人が相当の割合いると判る。 さて、自分の産土神をハッキリさせたい。 明治の世になって庶民は産まれ育った土地からの移動が自由になり、土地の産土神・鎮守と血縁の氏神が混同されるようになって、引越し先の近所の神社の御祭神を氏神とする、なんてことになった。神社本庁による便宜かな。 産土神・鎮守も、ドンと村社があるような村に産まれ育った人ならば兎も角、判り難い。こちらは、産まれた病院は福島県の浪江町、一家で住んでいたのは南に20 km も離れた富岡町で、産土神・鎮守は後者になるようなので、上がったことのない諏訪神社になるのかな。 確実なのは、自分でご縁のある御神靈を実感することだと思うが、易でも確認してみよう。
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| #易占 #易占い #占い #産土神 #稲荷神社 |
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| 保守の政権が誕生したところで、こちら、ステレオ タイプのように保守派が口を揃える主張にもあれこれ異論がある。まず、選択的夫婦別氏への反対に対して。 確認で、1898 年の民法改正「『家』を単位として一家の戸主(= 主に夫)の氏を名乗る」とするまでは日本では婚姻後も別氏だった。明治政府が徴税・選挙・戦時召集…のために、封建時代の「家」制度の下に国民を管理・統治・登録しようと余計なことまでやったのが夫婦・家族の同氏の始まり。この改正は「家」制度を近代的法制度に組み直したもので、そこで終わっており、今に続く。 例えば、一家の納税責任を戸主の管理の下に負わせるのは分かるが、家族 皆して同一の氏にする必要性がどれだけあるか。兎に角、民法も刑法も一貫して統治する側に都合よく作られている。 この同氏の問題は昨年こちらにも書いた。 < 歴史を下ると > 武家では、鎌倉時代、北条 政子は源 頼朝の妻になっても北条(苗字)。室町時代、日野 富子は足利 義政の妻に嫁いでも日野(苗字)。戸籍などに登録したわけでもなく、氏や苗字を有していたというだけで、社会的・家制度的な慣習。当時は「北条 政子」と呼ばれたわけではなく、通称は「鎌倉殿」とか「尼将軍」。氏の「藤原 政子」と言ったら更に迂遠。日野 富子の通称は「御台」。子供は父方の氏を継ぐのが原則。 藤原氏・源氏・平氏など一族の「氏」が分家となって名乗りを変え、それぞれの「苗字」となって行った。戦後は「名字」「姓」で、法律用語では「氏」。 勿論、例外的な場合もあって、豊臣 秀吉の正室の寧々は「豊臣 吉子」として処遇されたとか、細川 ガラシャも「明智 珠」ではなかったとか Facebook にコメントしてくれた人あり。浅野 家に嫁いだお市の方の場合も同様。当時はそう扱われたとか、そう呼ばれたこともあったとかの話で、寧々の当時の通称は「北政所」。武家では「○○『家』家」に属することが重要だということで、それと固有の氏・苗字は別。時代が下って庶民も女性が婚姻で夫の氏・苗字を名乗ったりもあったが、「家」単位に見るから。そして、同氏となった場合の多くは同族婚。
江戸時代には庶民は苗字を名乗ることと帯刀を禁じられていたが、「家」を単位に姓(= 屋号や苗字)を用いることが増え、婚姻で女性が夫の家の姓を名乗ることも出て来た。飽くまで「家」を単位とした呼称で、元を辿れば藤原だといった氏・苗字を持っていた庶民は5〜10%未満のよう。隠れ氏の類は含めない。 うちの広野町の江戸時代の記録を分野ごとに纏めた資料本には幾つかの村だった時代のどこそこの「家」の構成がズラッと書き並べてあって、そこには住所と戸主とその家族らの名だけ。 そして、明治時代になって国民管理の目的で「平民苗字許可令」(1870)と「平民苗字必称義務令」(1875)が出されて皆が苗字を持つようになり、続く民法改正(1898)で戸籍上の「氏」のタガを嵌められ、妻や家族が戸主と同じ氏を名乗るようにされた。 だから、江戸時代になって「家」制度の下に庶民にも夫婦同氏の実体化が出て来たが、夫と妻は別々の氏・苗字だった時代が永く、これが日本の伝統。 もしこの奇怪な民法改正がなかったら、今頃リベラルは選択的夫婦「同」氏の権利を叫んでいたかも知れない(笑)。反体制のアクションだったら何でもいいのだから。 大体、夫婦・家族の氏をどうするかなんてことは、今の時代、基本的人権の部類だろう、と。そう Facebook に書いたら、ベテランの弁護士さんが「いいね!」をくれたが、それがいい加減な国民認識の下に法的にずっと制限されている。国会が伝統でもない制度を盾に選択権を取り上げ続けている。日本人は国への従属に慣らされ過ぎなんです。 夫婦・家族の氏は本人たちが決めて然るべきことで、何をどうしたら宜しいかは韓国・中国・フランスほかの見本がある。 < 戸籍との関わり > こちらは戸籍の廃止をしたいのではないし、戸籍は夫婦・家族を別氏にしても戸籍のフォーマットが少し変わるだけだろう。これまでも戸籍法改正でそうやって来ている。 現状だと、結婚して親の戸籍から離れて戸籍を新たに設けると、夫か妻のどちらか一方の氏が記載され、その氏を名乗る人が戸籍の筆頭者となる。 これが別氏だと、どちらかが戸籍の筆頭者になって、配偶者の氏も記載。子供の氏は結婚時にどちらかに統一しておいて、子供がある程度 成長した時点で選択権を認めるなり、やり方次第。子供の氏を統一すると、夫婦別氏の場合でも「○○家」の断絶があるし、色んな事情があるだろうから選択権を認める、と。これまで通りそれぞれの先祖も辿れる。 < お墓との関わり > この問題でよく言われるお墓の管理のことだと、夫婦別氏になっても親のお墓は子供がみるもので、夫婦双方のご先祖のお墓をみることもあるし、それが代々 続くだけのことで、そこに「○○家」はどれだけ要るのか。結婚しても実家のお墓に入りたい女性も相当の割合だろう。「○○家」代々のお墓の作りは悪くはないし、こうしておくと誰かしら面倒を見る人がいるかも知れないが、「私は家を出た人間だから」にもなる。 こちらは「○○家の墓」に嫌な身内と一緒に入りたくはないし、今日にちやがて無縁仏になる可能性は誰にでも大いにある。百年前に亡くなった人のお墓などどれだけ残っているか。お墓の下の土に散骨してしまったら、墓地に移動は付きものだし、あとは墓碑に名前等があるかどうかだけ。お墓とはそういう運命、特別な人でない限り。 < アイデンティティーへの影響 > 保守派に「○○家」の存在とか氏の統一が大事という声がある。他方、彼らは結婚で主に女性が旧氏を棄てざるを得ない現実には無頓着。女性には自分が氏を変えなくてはならない圧を感じる人は少なくない。最も本質的なアイデンティティー[自己同一性]の問題。氏が二度 変わったこちらにも永年の煩いがある。 うちの母方の祖父の実家の福島県浪江町の横山家はどういうわけか代々 女系で、婿取り。昔、婿入りして嫁の家の氏に変わるのは今よりも抵抗が強かったと想像できる。 つまり、「○○家」の概念がドンとあり、その建て付けの上に夫婦同氏が乗っかった。この「うちは○○家」の意識はあるものだけれど、結婚で夫婦・家族を同氏にする必要性が社会的にもどれだけあるかな。逆で、同氏にしたために結婚・離婚での煩わしさが生じるし、離婚が他人に分かってしまったり。 < 政府が「家」単位に夫婦同氏とやったために… > 仮に国民の大半が夫婦別氏になったとして、何がそんなに大ごとなのやら。昔はそうだったのに。明治時代になるまでは庶民は氏・苗字の意識自体が薄かった。殆どは持ってもいなかったのだから。 併し、江戸時代に戸主としての家長の立場が明確になって来て、行政の管理単位でもあった「家」は存在。即ち、明治時代になって国民管理の点から皆が苗字を持つことが義務となり(1875)、民法改正によって「家」制度の下に夫婦同氏としたことが事の発端で、我々が殊更 苗字を意識するようになった、ということ。夫婦別氏の国でも勿論「家」はあるが、結婚して他方の「家」に属しても氏が変わることはない。日本では夫婦同氏にしたことで、一人娘が嫁いだ時点で家の断絶にもなる。 つまり、夫婦・家族の同氏・別氏というものは、別氏の朝鮮半島・中国を眺めても、習慣の問題。慣ればそれで終わり。
家族は何をもって紐帯を築くか…それは互いの意識、継続的な前向きの感情、情愛。それだけでは時にバラバラにもなるから、紐帯の道具や証として「○○家」とか同じ氏とか結婚指輪とかが必要、の声も勿論 分かる。 ただ、氏がどうだろうが親子の関係は消えないし、夫婦は本当に沿わなくなったら離婚ということで、「結婚指輪が何なの?」と思うわけで。 氏を同じにしなくても結婚をするし、家族もできる。 結局、今にち、夫婦・家族の同氏・別氏は第一義的には個人の選択に任せて然るべき。この話をSNSで語ると右の人が色々 言って来るけれど、誰も夫婦・家族は同氏であるべき大した根拠を持っていない。同氏でないと家族が成立しないような感覚の人もいる。錯覚。 氏は、私は福島生まれ、あなたは東京生まれ、の属性の違いと質的には変わりない。ただ、個人を直接に特定する属性だから、 “自分” の一部であり、拘りは強くなる。こちら「自分の名前は自分で決めさせろ」とずっと訴えている人間であり、どうやれば裁判所を通るかも既に詰めている。
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| 身近な人や動物の死とか失恋した後などで感情が昂っている時には、何か希望の光を求めての占だろうが、決まって悲観的な占示になる。我欲をぶら下げての執筮と同様に、卦が応じない。何度も書いて来た。 これらは何故なのかと永らく思っていたら、大宇宙の基本的な摂理だろう「引き寄せの法則」がここにも働いている、とハタと気付いた。 易占では趣旨が明確な問いであればそれに応じた占示を得るものだが、そこに思いが募ったり、こちらの場合、何度も書くように頭に “暗雲” が射している状態の時には、そういうマイナスの波長に合った占示が示される。何かが集まって来て覆われる、というのかな。自占であればこの波調をどうにかしないことには現実はそのように進むので、どうにかするスベを養いたい、と。 逆に、何か好いアイディアが思い付いたりワクワク気分の時などに一筮 執ると決まって宜しき成り行きの占示を得て、且つ、その結果を得る時が遠くない場合にはその通りになるように思う。 言うまでもなく、感情と占示の間は現代物理的・化学的には切れている。占示の現象は「シンクロニシティー[共時性]」と言われるが、この現象には光速を超えて同調が起こる量子もつれの仕組みと関わりが想像できる。 だから、人の意識の中でも特に思い、それとこの4次元(= 空間3次元 + 一方向の時間1次元)での現実、この間には密接な関係があることは確かで、この構造について更に気付きを得たい。 そうすると、先に「どうにかするスベ」と書いたが、「自分は好い方向に進んでいる」と迷いなく思っていると、そうなる現象がある。意思による祈りも然り。だから、思い込みは恐い、ということにもなる。 兎も角、そこでのコツは、「ゾーンに入る」と同じで、結果がどうなるかを考えないで、手段に集中すること。好いイメージを描く。試合なら、プレイに集中。 こちらは悲観方向はその通りになることは何度も経験しているが、宜しき方向の場合にはどれだけ現実と結び付くものか確信をもって言えない。 併し、以上のことは確かに言えるし、楽観でいることの工夫に今回 目覚めた。これは良運を維持するコツに通じる。 (編集途中) |
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| 6/30 から背筋痛で身動きできないでいます。 母の看病〜葬儀の後だったのは助かりました。
【最先端の物理から】
高い次元は低い次元を物理的に含む(5次元以上で時間の次元を複数 想定する場合はこの限りではない)。つまり、この地上にも何か異なる性状で5次元以上の時・空間が共存している筈だ、と。 ※ 「次元」とは動ける方向の数。時か空間を一方向に parallel に微少にずらして無限に重ねたものがプラス1次元の時・空間。 また、2020 年ノーベル物理学賞受賞者でオックスフォード大学ほかで教鞭を執ったロジャー=ペンローズ氏(92)は、脳の神経細胞にある微小管で起こる電子の収縮 → 量子もつれ → 電子の収縮 → 電子もつれのサイクルにより思考・感情の意識が生ずる、と。 更に、人は死ぬと意識 = 魂が量子状態で体外に拡散して宇宙のどこかに戻るという「量子脳理論」を30年も前から主張。量子の「状態の重ね合わせ」(= 量子は同時に右にも左にも回転しており、Aの場所にもBの場所にも同時に存在している)と「量子もつれ」(= 一つのもつれ状態から産まれた2つの量子はどれだけ離しても、片方の変化が光速以上の早さでもう片方に同期で起こる。アルベルト=アインシュタイン[GER]が「不気味な遠隔作用」と述べた)により、脳が瀕死状態なるとその量子は肉体から離れ、宇宙側の量子と共に生き続ける、という理屈。 4次元の時・空間の肉体のまま5次元に行けないのは、肉体は過去から未来への新陳代謝に縛られているからか。 現在、物理実証からのアプローチはこのまとめ動画の程度。 【臨死体験者たちの証言から】 多くの臨死体験者が、臨死状態になるとこうなると語っている。それまでと何ら変わらず見えるし、聞こえる。ただ、身内に話し掛けてもこちらの存在に気が付かないし、何かに触れようとすると、擦り抜ける。また、この世の思った人のすぐそばに瞬時に移動できる、と。 更に、3度 臨死体験があって医学的死亡の状態から復活した木内 鶴彦さん(69、世界的に著名な彗星発見者)は、過去も未来も思った時代に瞬時に(実態としてではなく、視覚的に?)移動できた、と述べている。時間が一つになっている。つまり、生きている人の寿命も判る。同じタイムラインの上では運命も決まっている、ということになる。 空間の移動に時間が要らず(外国でも同様の証言)、過去〜未来の移動も自由…靈界でも最もこの世に近い時・空間は5次元であり、4次元の時・空間のこの世の地上にも異なる性状で共存しているのではないのか…。東大病院で救急部・集中治療部部長だった臨床医の矢作 直樹 名誉教授もそんな世界観を語っている。 【易占を司る摂理から】 易占の卜筮では、問いの内容と示された数字による卦・爻の意味とは物理的に切れているのに、意味的にキレイに呼応する。易占では将来の状況が示されるだけでなく、史実や現在の知り得ない事実も知り得る。つまり、これを司る摂理は、近代神智学で言う森羅万象のクラウド「アカシック レコード」(= 紀元前のインド哲学の空間概念の「akasa」→ 龍樹の説く中観派の「空 sunyata」を経て、瑜伽行派の「阿頼耶識 alaya-vijnana」、密教・大乗後期の「虚空蔵 akasa-garbha」→ 深層心理学のカール=グスタフ=ユング[SWI]が説く「集合的無意識」→ 物理学の量子・情報論の「ゼロ ポイント フィールド/量子空間」)との関係が想像され、ミンコフスキー時空の4次元(= 空間3次元 + 一方向の時間1次元)を超えた構造を持っている。 この構造としては、筮者の問いが重力の影響を受けない質量ゼロのグラビトン[重力子](= 未発見の素粒子)のような素粒子となって5次元以上の時・空間に飛び出し、アカシック レコードと情報的にシンクロして瞬時に筮者へ戻って来るのではないか…。質量ゼロのフォトン[光子]が対象物に反射して視覚の対象になるのと同様に。 こちらにもう少し詳しく書いたが、以上の3点が5次元(= 空間3次元 + 未来・過去方向の超光速時間2次元)の実在とその性状を模索する上で統一的に理解されるかも知れない、という流れに現在ある。 人々はスピリチュアルを帯びた証言には疑念を挟むのに、最先端物理による科学の常識を引っ繰り返すようなぶっ飛んだ学説(= この世はホログラフィーとか、パラレル ワールド)は受け入れようする。科学信仰。 こちら個人の感覚を言うと、3.11の地震・津波・放射能汚染・被曝、肉親や愛猫の死などを重ねて、感情のリミットを超えたえも言われぬ不思議な感覚の中で、少しづづ異界への扉が開いて来たように感じる。苦渋の際の占示の明確な確度がそれを証明している。 | |||||||
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