トホカミヱミタメ

 
人、陰善を爲せば、神仙、之に報ゆ
  人、陰悪を爲せば、神仙、之を治む
    善悪の動息、天、皆 之を鑑む
善悪の報は、影の形に随ふが如く、
  物の響きに応ずるが如し
汝に出るものは、皆、汝に還る
  是れ皆、天地自然の法則なり
「天地自然之真符文」(紫龍仙)抜粋
 



予 感
2013/ 8/16(改 8/18)
 フと誰それについて嫌な予感が湧いたと思ったら、その通り間もなく人が死ぬ、猫が死ぬ。一筮 執るよりずっと確かだ、自分の中では。易筮をやっているせいやら、この感覚は年々 冴えている。
 この頭の中に湧いて出た暗雲は払おうと思っても決して消えない。これは誰しもあろだろう、よく注意を払っていないだけで。
 これは消そうとしないで、自分の中で九字などでこれを渾身で斬るとどうなるやら。
 一遍、この暗雲を怨嗟の感情で練り固めて、200 万 福島県民を陰惨な末路へと放り投げている某政治家の額に練り込んでみようかね。

 逆に、宜しきことの予感の気運は何だか弱い。その上、自分の中で大事に維持していないと去って行ってしまう。

 どちらにしても、時限がある。
 結局、森羅万象、無より出でて、無に帰する。



セレソン轟沈の蔭に
2010/ 7/ 3
 南アフリカW杯。アルゼンチン代表のWEBサイトで、試合の度に決勝トーナメントの表の画像を更新する。
 夕べ遅く準々決勝のオランダ vs. ブラジル戦(7/ 2)が始まると、グループ リーグ第2戦の日本戦で見せたオランダの繋ぎ・攻め上がりがギクシャクして見劣りするほど、ブラジルのF.B.は洗練されて上質だ。しかし、日本で五指には入るアルゼンチン狂としては、天敵ブラジルには何としても決勝前に沈んでもらいたい(笑)。
 アルゼンチンはホントにブラジルには負け通し。ドイツW杯 南米予選 第15節(2005/ 6/ 8)ホームのラ ボンボネーラで前半で3−0でノックアウトにしたのを最後に、コンフェデレーションズカップ 2005 決勝でも(ホセ=ペケルマン監督が自由に遊び過ぎた)、必勝と思われたコパ アメリカ 2007 決勝でも(全くの“B軍”相手にピカピカの“A軍”でもってダメ)、二度の南アフリカW杯 南米予選でも、負け(ディエゴ=マラドーナ監督下ではホームでも負けた)。それも、毎度2点以上を空けられて、まるでカモ状態。
 アルゼンチンはユースでは強くて、リオネル=メッシ[FW]の登場などで、2004 年以来、二度のオリンピックとU−20W杯を制して、世界に君臨しているが。

 それで、このオランダ vs. ブラジル戦、いつもは試合が終了してからトーナメント表の更新作業に入るのに、前半、ブラジルがロビーニョ[FW]の先制弾を決めると、フと変な気が起きて、ブラジルがベスト4に駒を進めたようにトーナメント表を画いてしまった(↓)。好調なブラジルが先行したからではない。そう画いたら、勢い逆の結果に動いて行きそうな感覚が来たからだ。卦にすると、59【風水渙】|||(← 左を上にして見る)? 内卦は“神懸かり”の【巽】でないと具合が悪いが。
 そしたら、キタキタ。後半、オランダが同点から逆転へ。俄然 攻撃が繋がって回り出して、ブラジルは10人になって前半とは見まごうばかりに我を失って機能不全になり、そのまま終了のホイッスル。退いてカウンターだったのが、前がかりになると、守備の堅さは世界屈指のブラジルでもこうなる。
 これ、もしロビーニョのゴールの後、「ああ、やっぱりこれは違う。このままブラジルだ」のように何か嘘くさい感じを伴った“負の感覚”があらためてよぎるようなら、ブラジルの勝ちで終わった筈。だが、それが起こらなかったし、自分の中でオランダ勝利の流れを最後まで握り通せた。



 こういうものはいつもことの直前に降りて来る(こちらは予兆の類はこうした機(キザハシ)を得るだけだが、うちの祖母は、ことの数日前に、クッキリとした三次元の映像として日常的に観ていた)。そして、これを他人にしゃべってしまうと、そこから“負の感覚”が動きがち。
 そうすると、降りて来た感覚だけがこのことの本質であって、このひねくれたトーナメント表は験担ぎ?の状態を支える単なる道具なのか(参考)、或いは、ある種の呪符でもあるのか。

 現代物理学で言えば、ブラジルが勝って終わるタイムライン[時間線]もあるし、引き分けも、オランダが 100 対1で勝つタイムラインもあり得る。更に、ブラジルとオランダが対戦しない、或いは、ブラジルが南米予選で敗退した、或いは、ワールドカップ自体が存在しないタイムラインもあり得る。自分は意思の働きによってオランダが2−1(0−1)で勝つ未来に進んだのかも知れない。このプロセスに因果律がないことはサイエンスと相容れないと思うが、それでは、何ゆえにこの稿を書いている私はオランダが2−1で勝った未来に来たか、と色々 考えることになる・・・。
 これは何もバカな話ではない。玉音放送の終戦の詔書に筆を入れた陽明学の故・安岡 正篤 氏が一言居士のようにおっしゃっていた立命(←→ 宿命)の説とは、つまりは、そうした摩訶不思議なメカニズムに拠っている。周易に云う三才の天・人・地において、天事は天理天命により動かないとされるが、人事はまさに人の意の為せるもの、即ち、自分の命を運んでゆける[運命]。「運」には車が付いている。だから、宿命説で完結してしまっていて出口のない占術・占法の類はおかしいと言わざるを得ない(呑象[高島 嘉右衛門]翁も三才の天・人・地の考え方を筮としている → こちら)。


 ところで、昨年末、オランダで現代芸術をやっている従姉妹が横浜での展覧会に参加したので、その男の子供たちがオランダから遊びに来たが、「フットボールには関心がないんだ」と言っていた。勿体ないワ。彼の地は次の日本代表監督の候補に名前が挙がっている(多分そうはならない)マルセロ=ビエルサが畏敬するほどのフットボール先進国。



祖母の残した水晶球
2009/ 8/30
 眉間で自由に“気”を錬れるから、そこの第三の眼が開発されるかと思えば、それはそれでやらないとダメらしい。で、無精だったのが、近頃なぜか無性に開眼に気持ちが向いていて、筮竹を握って瞑目していてもそちらに向いて気がしまう。占機ならぬ開眼機か。

 
東洋書院

 仁田 丸久 氏の「うらおもて周易作法」の中巻に水晶球凝視についての章が、息抜きのようにして、ポツンと挟んである。戦前、仁田 氏の実兄はヨーロッパ航路の船の機関士で、イギリスで水晶球占いをやる女性に過去のことを悉く的中せられた上、その宜しくない映像から帰国したら船を降りるように勧められたが、第一次世界大戦が激しくなって来て止むなく乗船を続けたら、ドイツの潜水艦に船が撃沈されて帰らぬ人になった、と。このことがきっかけで、仁田 氏は水晶球凝視に40年余。多くを語らないが、易占では勘が非常に鋭くなったという。
 水晶球凝視[Crystal Gaging]は要は第三の眼のスクリーンになる目蓋の裏の代わりに水晶球を使うもの。仁田 氏は、信念を持って一心不乱に3ヵ月も続ければ見えるようになると、具体的あるいは象徴的な映像がハッキリ見えるとおっしゃる。
 不思議な現象には違いないが、易占で日々こうして応験を得ることだって甚だ不思議だ。

 さて、亡くなった祖母の飾り戸棚に直径10センチはある水晶球があったのを思い出した。天然モノか、溶錬による人工モノなのか・・・天然モノの価格を確認したら、質に拠り、この大きさなら20〜30万円はするし、包有物もなくてキレイだから、チと怪しい。
 天然モノと人工モノでは分子配列でも違う? 仁田 氏は、水晶には磁気・磁力の働きをする「オッド」なる物質(?)が含まれていて、そのオッドが媒介して占者の脳髄・視神経に作用する、と説明される。水晶は直射日光に当てると、オッドの含有が発散してしまう、と。ん〜、人工モノならオッドはないのか、映像投影に使えないのか・・・。
 真偽を“易神”さまにお尋ねしてみよう。



占 題
 祖母のかたみの水晶球は天然モノか

三 遍 筮 法
得 卦

19 地澤臨
伏卦 60 水澤節
互卦 24 地雷復
錯卦 33 天山遯
綜卦 20 風地觀
 六五、知にして(九二に)臨む。大君[六五]の宜しき也。吉。
 象に曰く、大君[六五]の宜しきとは、中(= 中庸)を行ふを之 謂ふ也。
 
 驚いたことに「知臨」。五爻の天子であり、柔であり「中」を得ていて、大なる智慧をもって下の剛である「中」の二爻の賢人と相応じている。天下の智慧をもって自分の智慧とする、と。
 これは水晶球凝視のメカニズムそのものだろう。【地澤臨】は【大震】で、“球”の象であり、“電気・磁気”の象であり、“応答する”。爻辭「知あって臨む」その「知」、つまり、水晶球に投影されるのは、相応じる二爻の自分自身の潜在意識であり、偏在する集合無意識のようなものである。五爻自体は外卦【坤】の主爻で、“容器”であり、“包容・蓄蔵”し、“労役”する。
 【地澤臨】は上から俯瞰で臨み観ること。こちらは綜卦【風地觀】で、下から仰ぎ見る。
 この水晶球が天然モノか人工モノかは上手く判断つかないが、この占事は要は水晶球が使えるものかどうかだから、それについて示されたものらし。
 生前、早朝の寝床の暗闇の中、天井から降りて来る花籠や窯などの映像を見ることで数日後の慶事・凶事を掴んでいた祖母の置き土産だけのことはある。祖母は、それは先に亡くなった祖父が見せるのだろう、と言っていた。


 尚、水晶球に映った映像は、近景は現在、中距離は近き未来、遠景は遠い未来、に当たるとのこと。
 それから、映像は当人が分かるものが映し出されるが、これはこういうこと、あれはああいうことと、各者で定則化することになる。フロイトの夢判断に似たり。



周易うらおもて
2009/ 8/28
 そろそろキチンと靈學の方をやるかな。と思っても、居住まいを正して鎮魂法なんかの本をみっちり読んで、日々 行に励む、なんてことが進歩効率的でないことぐらいは分かっている。アルファベットを知らないと英単語を覚えられないように、感覚での経験とそれの自覚がないと何事もスルスル入って行かない。

 
 
東洋書院

 で、故・仁田 丸久 氏が易占の実力養成に資するものをとして続けられた数十年前の講義の記録「うらおもて周易作法」(東洋書院 刊)を手に入れたので、もっと古くて回りくどい「周易裏街道」のことを思い出して棚の奥から取り出して読んでみた。昔は神保町の原書房の高い棚の上に 1,000,000 円辺りの値札で置かれていたという本。すると、四角四面なことばかりやっていたその昔はチンプンカンプンに感じたのが、面白いように読めるでないの。
 これは64卦ごとの読み物だが、至るところで靈學や神秘世界に入り込んでいる上に、下巻の末には「開運秘策」・「周易裏街道 分かれ道」・「秘伝秘解前言」なんて章もある。「うらおもて周易作法」の方は別冊(上下巻)が全く東西の秘術や超能力に関する内容だし、どちらが本筋だか分からない。
 この仁田 氏については、凡百の方には非ず、一爻々々ジッーと眺めて考えている様子が窺える。先に結論ありきで小成卦なんかの解釈がコジツケじゃないかと思われたり、まあ、ないでもないが、読み切れなかった自分の過去占を照らしてみると、膝を叩くこと一度や二度ではない。この両書は間違いなく日本の易史における奇書である。今までおぼろげだった「易は靈學のおもての顔(の一つ)である」ということもつらつら掴めて来た。
 ただ、どちらも高価な本なのに、その“うら”の掘り方が文字数の割にはところどころあっさりだったり、所々 肝腎の部分が伏せ字のままだったり。

 それと、仁田 氏が機関誌「古 道」に筆を執っていた、神道天行居の友清 歓真 氏。易占について何か残されていないかと八幡書房の全集を引っ繰り返したが、目次を眺める限り特には見当たらず。他年81部だけ刊行する「真易天行伝」云々とそれらしき記述があって、それは手元の全集には入っていないようだが、あるいは、お書きにならなかったか。


 さて、ある仕事で、全体モチーフ、具体的には撮影ポイントをどうするべとずっと考え倦んでいた。それで、何とはなしに仕事の過去占を辿りながら「うらおもて周易作法」を読んでいたら、47【澤水困】五爻の辞「乃ち徐(ヨウヤ)くにして説びあり。用て祭祀するに利あり」のところで、こちらは神社仏閣などでいけばいいのだとピンと来た。さすれば、共に説びあり、と。思わず膝を叩いた(表現が古いか)。
 仁田 氏の言う、占筮の前に陰陽未分化の混沌の状態を頭に思い描いたり、日ごろ水晶凝視をやったりしていると、この“ピン”が活性して来る、というのは事実だ。今回の場合、こちら側の気付く感度がアップしたというよりも、「うらおもて周易作法」のその部分を読む気にさせる何か =“うら”のメカニズムが働く、あるいは、運命論的に言うならそのように読むようになっている、といった方が合っているかも知れない。
 易の効用はプレジデント社の本のような辛気くさい処世術ではない。そんなものはペラペラの“おもて”であって、そこには易の大本領である応験の妙がない。


 ところで、その“ピン”のことに関連して。「周易裏街道」の「神通路登攀録(私の靈術修行の経路)」に“うら”のメカニズムについての考察を見付けた。こちらが丁度3年前に「『運』を育てる」で書いたことと重なる話:
 私は戦時中の物の乏しいときに、地卵13個を或る人から貰ったことがある。ところが、その夜 電気がショートして、近所の人が直してくれたが、非常に親切に直してくれたので、お礼にその13個の卵をあげてしまった。そこで私は考えた。今日 先に13個の卵を貰ったのは、後で電気がこうなって直してもらうから、その人にお礼をあげるようにと、貰ったのだろう。
 ところが、しばらくすると、明石から人が来て、卵を持って来てくれた。それが13個だった。あっ、これは神さんが私に返してくれたわけか、と思ったが、しかし、私が卵13個を人にやった時は、もう明石の人は私に卵をやろうと思って電車に乗っていたわけだから、当たり前なら26個 貰えるところが、13個に減ったわけだろう? しかし、又そこで私が考えるのに、もし私が13個 全部をやるのが惜しいので8つやったとしたら、電車に乗って来つつあった人は、電車の中で、ふと考えが変わっただろう。13個もやるのは惜しい。それよりあの病気で困っている人のところへ4つ持って行ってやって、あと9つを諏訪山(= 仁田 氏のところ)へ持って行こうと考え直したかも知れない。
 どうも時間だけでは量れぬものがある。これ以来 時間に拘泥せぬようになった。

 そこで、私の「『運』を育てる」での疑問:
 (省略)ここでもっと不思議なことがある。その[肯定的な感覚]があった選択肢に対して疑うように『いや、やっぱりハズレじゃないの?』なんて意識的に上塗りしてみたりすると、これが結果 不正解に変わるのだ! 初めから決まっている正解がこちらの意識次第で変わるわけがないじゃないの。それじゃ、「ハズレじゃないの?」とこちらが意識を振り向けることが始めから決まっていたということか!?

 こちらが「ハズレじゃないの?」と思うまでのことは、この世の律で言うならば、初めから決まっていた、あるいは、こちらが思い付くことは何者かによるもの、ぐらいにしか言えない。これはシンクロニシティー現象から導かれる論理で語り切れるものか? 同時に、ここに運命の流れというものの一端を垣間見る心地がする。
 易占で神明が過去・未来の時間に関わりなく示されるのは、このことと通底しているものやら・・・。

 また、仁田 氏は「周易裏街道」の同じ章でこんなことも:
 もし我々が何か一つのことをやるについて相談相手が欲しい時は、この生気(エル)の世界に相談相手を求めたらよい。〜エルの世界では、昔の人も、今の人もそこには生きているから、そこから英智を引き出してくることが出来る。〜ここへ来ると、陰も陽も、彼も我も、神も人も、何もかもが一つになっているところの、唯一の根があるのだ。

 仁田 氏はこれによってか、戦時中、空襲の日時が分かって、知人に知らせた、と語る。
 このエルは、カール=グスタフ=ユングの言う集合無意識のようなものか。「陰も陽も何もかもが」だから、時空を含めた森羅万象を包摂する易の太極そのものにも思える。
 仁田 氏は易占のメカニズムについては、「鬼神と交流した人々が書いた易経を知るには、やはり鬼神の助けを借りなければなりません。易経は半分以上 鬼神の言葉であると考えてよいでしょう」とお書きになるぐらいで、まとまった考察を残されてはいないようだ。



神仙の認識は正しいか
2009/ 3/22、3/26
 神仙が易占について語った記録がある。あちこちめくり返して1・2ヵ所 見付けた。平田 篤胤 翁のお弟子の参澤 宗哲(ミサワ ソウテツ)翁が幽境に出入りする島田 幸安とこれを啓導する清浄気玉利仙君に対して精力的に問いを投げ、1852 年〜に纏めた「幸安仙界物語[幽界物語]」、その第3巻。島田 幸安は現在の和歌山県で医者を志していた数え年18の若者で、参澤 翁の利仙君への接触はこの彼を通して行われており、この易占についての問いは利仙君より書面で返答を得ている。「仙境異聞」で平田 翁が仙童 寅吉や山人の杉山僧正(-ソウショウ)に質疑する様に似たり。
 この利仙君は青真小童君少彦名神の代命か。第16代 仁徳天皇の時世に神仙界に生まれ、その後 時代は不明だが藤原 平次として肉体生活も送った、ということになっている。川丹先生[玄丹大靈壽真人]を宮地 水位 翁の元に送ったのがこの利仙君で、九州の赤山に館を構えている、という。

 
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 参 澤:人界にて未前の事を占ふに唐土の易道八卦を用ゆるも、よろしきか亦 別に占ふ術ありや。

 利仙君:八卦は未然を問ふ術にあらず、過去の事に引き当て、善悪応報の理を愚人に諭さんがために、神聖人が作りおかれし道なり。未然の吉凶を占ふには、諸神仙靈に祈りて御諭を得るか、夢の告を蒙るか、又 物に験を賜るか、鐵火を握り、熱湯を探る類(= 盟神探湯)また夜中に城隍神(= 産土神)に祈念して、眼をとぢ耳をすまして、神語を聞き奉るなどよろしきと被申越候。


 以下、基本的なことを検証してみる。
 この利仙君の言い「八卦は未来を問う術ではない」・・・我々は知性で物事を捉え、考え、判断する。「幽理で捉えるものである」では元から思考は停止する。すると、この言いは一易学徒としての経験からではなく千年単位の占例や易理に照らして直ちに首肯できるものではない。「過去の事に引き当て(= 当て嵌めて)、善悪応報の理を愚人に〜道なり」・・・もし、八卦とは 384 の爻辭から無作為に一卦一爻を求めて過去の教訓を引き出す道具である、という意味なら分からなくもない。問筮者が向き合っている現実は現在以降であり、そこで指針が示されるなら用を為すわけだ。また、利仙君は「未然を問うことは出来ない」と言っているわけでもない。ただ、易の構造宇宙はそんなおみくじで片付けられるものではないし、利仙君は易占についてよく承知されていない可能性がある。
 と言うのは、「幸安仙界物語」を読み進むと、利仙君は、潮の満ち引きや地震の仕組みを問われた場面では、前者については海水が地中に吸い込まれたり吐き出されたりして起こるもので、後者は地中で水火が戦って起こる、と答えている。月・太陽の重力や地殻変動の概念がまだ存在しなかった時代の方便と言うには酷いし、デタラメを伝える必要はない。それは穢れにもなる。つまり、ことにより誤った理解をしているのは、との疑いが残る。
 利仙君、大地は球形をしていて、地球を含めて太陽系の惑星が太陽の周りを公転しているとの認識は正確だが、その辺りの認識は当時の現界の科学水準を超えている様子はないし、あるいは、しばしば誰々に聞いてから答えると返答したり(許可の問題ではなく)、あちらにも図書館があって調べ物をするとのこと。ならば、「神」とか「仙」とか名が付けば何でも正しくご存じと思い込むことがおかしい。
 当然、生前の平田 篤胤 翁・宮地 水位 翁の言う内容を無批判に受け入れることはもっとおかしい。水位仙に続く紫龍仙はご縁のあった仏仙界や月界の概念をもたらしたことになっているが、それらも今後“地震は地中で水火が戦って起こる”にならない保証はないし、ドーンと止揚的な概念や存在が登場しないとも限らない。

 それにしても、神仙や幽冥界往来者の言うあちらの衣食住などの様子が当時の現界の水準によく付合しているのは何故? 現界の文物の多くは神仙界由来、なんて言いを呑み込むなら、現在あちらの神仙はWEBで調べ物をしている? こちらでのWEBの技術開発は天啓によるもの? 神仙の館はインテリジェント ビル?

 見ていないもの、直覚していないものについて “信じるべき道理や事実” が見当たらないということだ。
 このことは神仙による認識の問題に留まらない。この国が危殆に瀕すれば神の幽妙なる経綸により神風が吹く、どころか、大東亜戦争で日本は無差別絨毯爆撃の上に忌まわしい原爆まで落とされて列島壊滅、死者 310 万人。「明治から国家神道になってしまったからだ」とか「でも、天皇制は維持された、米領土化は免れた」とかものは言いようで、国民の願い祈りも空しく、あそこまでの不幸を避けられなかった日ノ本の神は民の信頼を失った。戦前と違って、我々は自国の神を信じられないのだ。こちらの心中に存在するのは “信じられぬべき道理や事実”。道士の中には“信じ切れぬべき〜”があるだろう。
 思弁だけの理屈は要らない。何をもって「お陰様で」の“お陰”を信じられるか、ということ。信心ということで言えば、真っ当な頭なら最早、盲目に信じようとするか、信じないか、しかあり得ない。その意味でも、あの60年前の事実は神の大罪に思える。


 さて、“易神”さまのことに戻ると、この存在には“お陰”がある。古今東西の森羅万象の隅々を承知して、高次から行き届いた配慮と非情をもって神明を示される、この全能感が際立って来る。幽冥界の構造を是とすれば、“易神”さまは遥かに高位の境界におわす存在のように映る。
 我々は幽冥界の実相を直覚は出来ず、間接的・部分的な情報により物事を考え、世界を推し測る。だから、別の境界である靈界については実際のところ無知同然だが、同様に、神仙も高位の境界の諸々についてはよくわきまえていない、と考えるのが自然ではないかな。神仙にはそういう不明もまたあるだろう、と。

 そして、利仙君はこの後、篆字の由来を語るくだりでこんなことを述べている。

 利仙君:篆字の真体の・・・神代に大国主神 唐土に八卦を書(アラワ)し

 “易神”さまの御正体を手探りする上で興味深い情報である。大国主命(オオクニヌシノミコト)はまじないを含めて多種多様な働きをお持ちとされる大神で、産土諸神の上位におわすとされる。で、平田 篤胤 翁も八卦を創ったことになっている中国の三皇の伏羲 = 大国主命としていて、この認識に至った典拠・根拠は知らないが、平田 翁が帰幽したのは 1843 年だからこの利仙君の言葉は知らない。
 利仙君によれば、もともとは古い篆書も大国主命が創った、と。
 すると、同じ卜であり同様の機能を持つタロット・ゼオマンシーほかの占術の主宰神はどなた? との疑問も湧いて来る。
 大国主命については“ものは言いよう”や強迫性のある説教癖が気になる(別に嫌いな御仁ではないが)勅使河原 大鳳 氏の「国魂神の冥護」(山雅房 刊)を読み囓っているが、易占についての記述はなかった筈。


 「日本書紀」の天孫降臨の段にある「神籬磐境の神勅」には「天児屋根命は神事の宗源を主る者なり。故(カ)れ太占の卜事を以て仕へ奉らしむ」とある。この神勅は天照大神(高皇産靈神?)が天児屋根命(アメノコヤネノミコト)・太玉命(フトダマノミコト)に対して宣言したもので、天児屋根命とは、言うまでもなく、天照大神の岩戸隠れの際に岩戸の前で祝詞を唱えたりした神で、神事奉仕の主。中臣氏の祖神で、春日権現。太玉命は忌部氏の祖神。この太占は鹿の骨を使ったものやら知らないが、神事を司掌しているところに含みがある。


 「幸安仙界物語[幽界物語]」は神道天行居の友清 歓真 翁が江戸時代の幾つかの靈異談を纏めた「幽冥界研究資料」第一巻に3巻分が纏められている。実際には30巻あるのかな。
 勅使河原 氏の「続・幽真界研究」(山雅房 刊)はその意訳本。



 「続・幽真界研究」は「幸安仙界物語[幽界物語]」の第5巻までを扱っている。この神仙との問答集は面白くて、この第4巻で清浄気玉利仙君がこうも言っている。

 
山雅房

 利仙君:古文孝経、今文孝経はともに後世の偽作である。易書も偽説である。

 易に関する最古のテキストは 1993 年 湖北省の東周時代の郭店楚墓から発見された竹簡と翌年 香港の古物市場に出回った竹簡を合わせた「楚竹書」周易で、秦の前の戦国時代の紀元前 300 年頃のものとされる。それには34の卦が記載され、順序は、1【山水蒙】、2【水天需】、3【天水訟】、4【水地比】、5【地水師】〜33【水火旣濟】、34【火水未濟】で終わっている。現行の7【地水師】と8【水地比】が逆。
 卜占の書との理由で秦の始皇帝による焚書を免れた周易はこんなものだったのやら、それとも、整ったものが見つかっていないだけか。紀元前 100 年以前に著された「春秋左氏伝」には 36【地火明夷】・47【澤水困】・ 52【艮爲山】・54【雷澤歸妹】・55【雷火豐】の占もある。もとは32卦・各5爻だったの見方もある。それで、考証としては今の形になったのは後年の漢の頃ではないか、ということになっている(発見の度に事実が変わるから、研究しようと思っても昔の高価な研究書が怪しくなっている)。
 それより少し前の紀元前5世紀に孔子が編纂したと儒教世界を通して伝えられている十翼(= 易を論じた書々/彖傳、象傳、繫辭傳、文言傳、説卦傳、序卦傳、雜卦傳)も、考証によればその思想内容からそれぞれ作者が異なり、成立もずっと後になる。中国は歴史が下るに随って国のルーツがドンドン古くなって行くから困りもので、その内「中国五千年の歴史」になることは間違いない。
 で、「偽説」と言うからには十翼の方を言ったものやら。



天之御中主大神を頂く
2009/ 1/11-1/12
 こちらの場合、神仙道・靈学などとの機縁は易占にあり。筮筒に1本 立てた太極の向こうに高い知性と千里眼を持った“人格”がいることは、易に数年も向き合えば十分 確信になる。江戸後期の眞勢 中州 翁が言うように、筮筒のそれは太極の意というより神靈の依り代だろう。神棚に具える御幣のそれ。易占は、「神靈は実在する」んだよと、仙道玄学靈術の修行の土台となる「信 心」というものをこの悩ミソ深く植え込むプロセス。卦・爻と事実との付合という現実はこちらには最善の薬だった。ご多分に漏れず、この因果律とは違う玄なるものから生じる疑いや否定の念を抱えて出発している。しかし、易占を含めて、行というものでは神なり仏なりへの信心があちらと通交するための土台になっている。そして、その純度とか(神道で言うなら)穢れのようなものが応験に関わる、これは間違いない。思えば、易は簡易に神靈と交われる、故に「易」と言われるようになったようにも思えて来る。
 知性に走りがちな年齢の内はそうした確信が持ち難いから、何を決意しても先に光が持てないまま挫折しただろう。今では自分の道は定まり、信心が色々な意味で自修を助けてくれている気がする。幸いにして“易神”さまとのご縁を得たわけだから、牛に引かれて善光寺参りにせよ、更なる導きを得られるように努めるべし、と。

 
八幡書店
 
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 さて、本論。“易神”さまとは一体どういう実相の存在だろうか。物置の奥に仕舞い込んだような話題で、易占家の間でもまともな議論を聞いたことがない。“そんな人格神はいない派”もいるし、集合無意識説もモデル次第では捨てがたい。固有名詞がないので“易神”などと呼んで易固有の神さまのようだが、原始、卜筮の担い手だったらしい巫女は亀卜も使ったし、その神靈は全知全能を以て答える。現界の玄理である産靈のようにも・・・。中華史で見ると八卦を作ったことになっている6千年前の三皇の一の蛇身人首姿の伏羲(フッキ)よりは古い存在になるが(日本は世界の思想文物の宗主国のごとく主張した平田 篤胤 翁は、伏羲 = 大国主命なんてことに)、とはいえ、漢族・満州賊の祖神や土着の神などではないだろう。筮者の人種・居場所・言語・信教・貧富などを選ばない(その神理に沿ったある種の倫理観は問われるが)。天帝(仏教では = 毘沙門天)ということになるのかな。ともかく universal な存在。旧約聖書にある父なる神ヤハウェもユダヤ人だけのものではないし、大きく天地創造の神として描かれている。
 易的に言うと、“易神”は陰陽未分化の状態である太極の「一」であり、同時に、あらゆる時間・空間における森羅万象をその内に蔵する「全」。太極そのものに一であり、陰陽の両儀であり、〜64卦の全であり、の見方がある。

 そこで、その姿を足下の「古事記」に探すと、天地開闢の際に高天原に最初に現れた神、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)が浮かび上がる。「天」は宇宙(= 空間と時間)、「御中」は真ん中、「主」は支配する、といった意味で、宇宙の根源神的な性格を持った神。男性的神格の高御産巣日神[高皇産靈尊](タカミムスビノカミ/高天原系の祖神)と女性的神格の神産巣日神[神皇産靈尊](カミムスビノカミ/出雲系の祖神)と共に造化三神とされ(中華史における三皇のような位置づけ)、皇室の祖神とか違うとか議論が絶えない天照大神より古い神々として、八百万の神々の最奥に位置づけられている。言靈学では全てに先んずる実体の「此世の極元」であるミクロの神靈元子「ス」を想定していて、これも太極と似たり。江戸易の草分け的存在である平澤 随貞は「易の神は天の枢軸である奠辰(テンシン)である」として北辰 = 天之御中主神を尊崇していたという。
 なにせ神靈は形而上学の対象だから、「天之御中主神を出現させた力がそれ以前に存在していないとおかしい」なんて物理を言う勿れ。ただ、「天之御中主神は混沌とした天地の間に出現した、高天原に現れた」のストーリーはおかしくて、それら造化の神が太極の神々が天も地も山も海もお「むすび」になられた、でないと。
 ともかく、万物造化は天之御中主神より始まって、次に陽の性格付けの高御産巣日神と陰の性格付けの神産巣日神が現れるというのだから、これは易思想の太極および陰陽分化の概念そのものだ。これを人類普遍に無為自然に想起される概念と言うなら乱暴だろう。キリスト教の神・イエス・聖靈の三位一体の構図なんかを横に置いてみれば、被り具合がよく判る(もっとも、平田 翁は神道にキリスト教の創造主の概念を導入したと見られ、神とキリスト、日本の神と天皇の位置はよく似たり)。実際、中華領域では二千年以上前の漢代になって天人相関の考え方から象数易が興隆して、理論・実用の両面から祭政を支えた。ここ数十年の考古学の検証では、易の経(= 卦・爻の辞)や伝(= 十翼)も実はこの頃 今に伝わる姿に整備されたと結論づけられている。
 そうすると、造化三神やそれに続く神世七代のイメージは易や三皇五帝周りの概念が後世こちらに輸入されて創作されたもの、との見方が有力になるわけだ。年代的にその逆はない。神界由来を信じる神道家は否定するだろうが、それまでの日本固有の神格的存在の存否の問題はともかくとして、まあ、事実はそうだろう。6世紀前半までに朝鮮半島から儒教・仏教などの外来の教義が入って来て知識層に広まり、それが現世利益に沿うものと理解されると、そうあることが当たり前に過ぎて信教とも言えず教典もなかった惟神の道は可視化を迫られただろうから。「記紀は易を下敷きに周到に作られている」のような考察も以前からある。いつ頃の成立やら、「三種の祓」には「寒言神尊利根陀見」= 八卦「坎艮震巽離坤兌乾」とあったりして、八卦と神道はただならぬ関係にある。
 つまり、神々についての面倒な国際比較論を脇にやって言うなら、“易神”は根源神の呼称の問題と言える。

 というわけで、ひとまずわが主祭神は畏れ多くも天之御中主神ということに。
 但し、ここで。神道の視点であちらの構層を眺めれば、易占を直接に司掌するのは、つまり、筮者と気線が通じて占を示されるのはずっと下位の神さまであり、平田 篤胤 翁の「仙境異聞」に書かれる杉山僧正(-ソウショウ)のような下位で多忙な神人になるらしい。代命司神というのかな。更には、またその下で働く式神・眷属とか、諸説紛々。普段 我々が筮を通して相対しているのがこうした存在だとするなら、占の示され様に俯瞰的な判断などの人間臭さが窺えるのはよく頷けるのだ。ここをそうした玄理ではなくて集合無意識で説明しようとすると、自分は一体 何者と繋がっているのか、それは筮竹を捌く筮者の両手をも操っているのか、という疑問にぶち当たることになる。易占をたしなむ神道家・靈学家の方は少なくないし、これを直覚された方がいらっしゃると思うが。

 そこで、天之御中主神のことをあたっていたら、この神をお祭りしている神社は全国でもそう多くないことを知る。水天宮(福岡県 久留米市・東京都 中央区)、天之御中主神社(鹿児島県 鹿児島市)、妙見山の名草神社(兵庫県 養父市)、秩父神社(埼玉県 秩父市)、青麻神社(宮城県 仙台市)と見ていると、相馬小高神社(ソウマコダカジンジャ/福島県 南相馬市)! 何と数十年前にわが前を頂戴した神社である。毎年7月に行われる国の重要無形民俗文化財の相馬野馬追の出陣式や野馬懸が行われる神社で、知る人ぞ知る絵馬発祥の地。しかも、この神社は旧相馬藩主らの妙見信仰から天之御中主神のみをお祭りして主祭神としている。こちらの人生で神社との関わりはここ以外にはない。奇しきご縁である。


 というわけで、新年は相馬小高神社に天之御中主神へのご挨拶と祈念から始まった。わが名は頂いたものの、こちらを訪ねるのはこれが初めて。子供の頃は隣の浪江町に住んでいたが、この旧小高町には数年前まで来たこともなかった。



元旦の相馬小高神社(南相馬市 小高区)

 
 相馬小高神社はここを治めていた相馬氏が江戸初期に相馬市の中村城に移るまで長く本拠地とした小高城[紅梅山浮舟城]だったところで、木々に被われた高台にあった。相馬太田神社・相馬中村神社と共に相馬三妙見社と呼ばれる。1323 年の創建とのことで、社殿は旧本丸跡にあるが、いつ頃 建てられたものやら。
 石造りの鳥居に続く長い石段を上り、また鳥居を潜ると、左に北奥の社殿に向かって細い参道が続いている。朝8時半、元朝参りの人々の往来で賑やかで、参道の両脇には軽食の露天が続いていた。
 左の手水舎で手を濯ぎ、拝殿に上り、賽銭を投じて、鈴を鳴らし、人が多いので慌てて二拍手して二礼(笑)、長々と天之御中主神にご挨拶と、いきなりの祈念と。鈴・金・礼・手・唱詞(トナエコトバ)「祓い給え 清め給え 守り給え 幸(サキハ)え給え」・祈願・礼の順序ぐらいちゃんと身に着けないと情けない。
 拝殿を降りて、左に回って一段高い奥の本殿の方に行ってみると、内部からかすかに祝詞を唱える声がする。
 この社殿の左には東に小高神社の方を向いて小さい棚機神社の社もある。この脇から北側に下りられるようだ。手前には絵馬堂も。
 拝殿 向かって右脇の少しごった返す社務所の売店で若い巫女さんよりお守りを頂戴する。紫色の必勝開運御守、300 円也。ご縁のある神社のお守りと思えば、何やら頗るありがたい。巫女さんの数、お守り類の種類、何とも景気がいい。その脇では祈祷の受け付けもやっていた。
 石段の所まで戻ると、右手に「小高城の由来」の案内板があり、左手に四倉の諏訪神社でも見かけた聖徳太子の石碑が建っている。そう言えば、紫龍仙道人もご先祖の渡辺 氏は相馬藩士だった。
 なるほど、こんな場所だったか、と。御神気を頂いた。

 浪江町に寄り、一昨年の暮に帰幽した祖母とご先祖らの墓参りを。墓参りは一人 静かに来るのに限る。


 さて、相馬小高神社に出かける前のこと。大晦日は除夜の鐘も聞かずに床に就いて、目を覚ますと 18:55。もう日が昇り出している時間だ。急いで家を出て、ちょっと若い連中の人垣が出来ている海の堤防に急いで上がると、何とも強烈に眩しく鮮やかな朝日の照り映え。今朝は土手雲がほとんどなく、日輪にオレンジ色に染まり切った空と、群青の海原に一筋 太い日の照り返しと。

中 筮 法
本 卦

之 卦
6 天水訟 64 火水未濟
爻卦:?
互卦:37 風火家人 → 63 水火旣濟
錯卦:36 地火明夷 → 63 水火旣濟
綜卦:5 水天需 → 63 水火旣濟
< 本卦の九五 >
 九五、訟(ウッタヘ)、元吉。
 象に曰く、訟 元吉とは、中正を以て也。
 
 で、ピカっと来た。これは6【天水訟】五爻の画だ。五爻の主は誰かと思っていたら神さまだ。神さまがやっとこさ思いを聞いて下さると・・・。これ、昨年ある占でこの卦・爻を得ており、五爻の存在が不明だった。だが、目を覚ましたのがこの絶妙な時間。眼にした光景は、すでに太陽が水平線を離れていて五爻の位置にあり、上に天、下に水で、【天水訟】五爻の画。爻を裏返して出来る【火水未濟】は何かと思っていたら、上に火(カ)、下に水(ミ)、「カミ」だ。裏に先に神がおわす。

 今年は年明けと共に内なる何かが変わった。誰でも毎年 何か気分・風景のあらたまりを感じるものだろうが、今年は何か明るい神気が入り込んだ実感がある。今年は動く年。そう決めていた。今年は特別な年になる。



「土 に 還 る」
2008/12/26
 去年・今年と、3人の身内と1匹の愛猫が鬼籍に入った。家に戻って来ない身障者の別のネコも もうこの世にいないだろう。
 亡くなると、あの火葬という醜悪な行為が待っている。つい二・三日前まで生きていた人、その姿形を気ぜわしいままに消滅させてしまおうというのだから、子供の頃はこの行為に理解がならなかった。こちら側の問題として、土葬は“あそこに眠っている”と存在を引きずりながら時間をかけて心を癒して行くが、火葬は焼却窯に見送くる残酷さがあり、消失感がある。衛生的な行為だというそれの何倍もおぞましさを覚えて、嫌だ、私は。社会の慣習というものに一々 尖るようになったのは実はこの記憶からかも知れない。ダメな相棒だったために死なせてしまった愛猫はいつも遊んでいた庭先にそのまま葬った。
 私の田舎では火葬だと、多くの場合、焼骨を骨壺から出して、墓石の下の土底にご先祖の骨とごちゃ混ぜにしてしまう。骨壺ごと収めればよいものを、なぜそんなことをするのかと聞けば、「人は死んだら土に還すものだから」と判で押した答えが返って来る。それなら、南方で亡くなって「遺骨・遺骨」と言う戦争遺族に「地球は一つ。土に還るのだからいいじゃないか」と言うだろうか。墓碑の下の土なら良いという話か。違うだろう。これは土地の慣習というものと臨終後の一連のせわしさがまともな判断をおかしくしている、ということだ。骨をご先祖のものと一緒くたに、ゴミ箱に捨てるようなあれ、こちらには理解できない。

 「土に還る」? 植物じゃあるまいし、人は地面から生えて来るわけじゃない。「土に還る」の言いはそれこそどこから生えて来た言葉か知らないが、「天」は神仏の世界、「地」はこの現界との古来の概念からすれば、神道式に言うなら、大神靈の分靈である一靈一魂だか何だかか知らないがそれが去った肉体は母体から生じた全くの「地」のものでしかなくなるので、「地」を「土」にしてしまって「土に還る」となったものやら。すでに「地」だけでしかない遺体、それをさらに「土に還す」として物質の土にしようとするから、おかしく感じられる。
 そもそも「肉体は土に還すもの」などという道理があるだろうか。逆で、埋めたり撒くから土になるだけのこと。別に肉体はどこへ「還」ったっていい。
 神道が概念形成に取り込んだ易の八卦では「大地」・「土」は【坤】から取象したもので、この卦は同時に「母」であり「腹」だ。昔、そんなものらが一緒くたになったのは解らないでもない。

 というわけで、土葬も火葬も墓地埋葬法により市町村長の許可を得る必要があるが、国民の宗教的感情よりも墓地のスペースの問題やら公衆衛生やらが優先されて、全国的に土葬は認めない傾向にある。
 それならそれ。人を失った後は、遺骨は砕いて家族で食べてしまえば感情の上ではスッキリする、と思える。自分の体がお墓になるようで、それがどうなのか考えたこともないが、散骨して墓が空っぽになるよりは好いだろう。初七日が過ぎても、粉薬のように飲み続けることになるだろうから、精神的には却ってきつそうだが(笑)。



易占の背後に神さまはいるか?
2008/ 1/25
 もし仕事が暗礁に乗り上げて「この仕事は上手く行きますやら」と易で問うて、39【水山蹇】||(← 左を上に。以下 同じ)五爻を得たと。「足萎えて進退ならず」の状況そのままの卦で、その爻辭から「大いに蹇むが朋(= 出資者・協力者など)来る」から「待っていろ」と教えてくれる。
 もし結婚の運気を問うて、52【艮爲山】||。「おまえには意中の女性が二人いるだろう。爻卦を見ろ。三爻の近くて歳がより上の人は【坎】でダメだが、上爻の遠くて歳のより下の方は【震】で発展する」。裏卦に 58【兌爲澤】||||で、「口を上手に使うのだぞ」と教授までしたり。
 こんな風に問いの主旨を把捉し、未だ知らぬ事の成り行き・原因・忠言・・・と、意・象・辭・變を駆使して高度に知的な答えを返してよこす易。深層心理学のカール=G=ユングが集合無意識論や共時性原理でこの仕組みに迫ったけど、「ホントに易占の背後には誰もいないの?」と誰しも思う。自然現象でこんなのムリだよと。

玄学の先達
仙 人
 平田 篤胤(1776-1843)
 仙童 寅吉(1806-1859)・島田 幸安(1835-?)
 宮地 常磐(1819-1890)宮地 水位(1852-1904)
 → 宮地 嚴夫(- イヅオ 1847-1918)
 → 清水 宗徳(1910-1988)
 山中 照道(1394-1876)→ 河野 至道(1836-1887)
 → 川合 清丸[研究家](1848-1917)
 沢井 才一郎(1850-1868)
 国安 普明(クニヤス - 1860-1912)
 川面 凡児(カワツラ - 1862-1929)
 笹目 秀和(1902-1997)
 紫龍仙道人(1910-1977)
 高藤 聡一郎
神道家・靈媒
 本田 親徳(- チカアツ 1822-1889)
 → 長沢 雄楯(- カツタテ 1858-1940)
 → 荒深 道斉(1871-1949)
 山口 志道(1765-1842)・中村 孝道(?)
 → 大石凝 真素美(1832-1911)
 → 水谷 清[研究家](1873-1939)・・・言靈学
 九鬼 盛隆(クキ - 1874-1941)
 友清 勧真(- ヨシサネ 1888-1952)→ 松本 別道
 松浦 彦操(- ヒコゾウ 1906-1949)
教派神道系靈媒
 黒住 宗忠(1780-1850)
 中山 みき(1798-1887)
 川手 文治郎[赤沢 文治](1814-1883)
 出口 王仁三郎(- オニサブロウ 1871-1948)
 → 岡本 天明(1897-1963)
靈学研究家
 福来 友吉(1869-1952)
 浅野 和三郎(1874-1937)
 折口 信夫(- シノブ1887-1953)
 
 明治期の呑象[高島 嘉右衛門]翁は人格神としての “易神” を想定して「占告神示説」の立場を貫いている。【天澤履】の【水風井】へ之くの通り、牢獄生活で起こった囚人同士の殺し合いの修羅場で衣服を上げ下げする笊に飛び込んで一人だけ助かった体験から、翁は “易神” に対して不動の信心を持つようになった。
 誠心誠意 “易神” へ祈って卦を求めれば過去・現在・未来に渡って “易神” は一切の問いに答えてくれる。「従来 神明 一回も余を欺き給ひし事なし」と御神明に半信半疑の熱田神宮の宮司に対して答えている。筮時に「一毫の妄念をその間にはさむ時は、たとい十有八変(= 本筮法)するも、あに鬼神のこれに感通するの理あらんや」と言って、私欲的に筮を取れば、鬼神ではなく、遊魂つまり邪靈が感応して前途を誤りかねない、と戒めた。即ち、高島 翁は、卜筮は “易神” や靈に感合したもの、と捉えている。
 世に知られているように、高島 翁は易占家であると同時に、現代の横浜の基礎を一代で築いた大実業家。首相の伊藤 博文ら政府要人とのつながりで、横浜港の埋め立てや高島埠頭、異人館街、ガス灯の整備を手がけ、その後、東京市街電気鉄道社(株)社長に就くなど全国で事業を行った。早々45歳にして実業界から身を退かなければ、国内有数の財閥を築いていたと言われる。

 そもそも易は占いの辞である。約 2,500 年前に孔子が生まれて儒教思想の柱に据える以前はそんな世界には収まっていない。
 その儒教でも、12世紀の中興の祖、朱 熹[朱 子]が問筮の辞「爾(ナンジ)の泰筮 常有るに仮(ヨ)る、爾の泰筮 常有るに仮る。(某の官姓名)今(某の事云々)の未だ可なるか否かを知らざるを以て、爰(ココ)に疑う所を神に靈に質(タダ)す。吉凶得失、悔吝憂虞は、惟(タダ)爾の神 有るがままなり。尚(ネガ)わくは、明らかに之れを告げよ」を「周易本義」の「筮 儀」に書いている通り、森羅万象の隅々を承知している神・靈に向かって占示を求めている。

 そういうわけで、易占を道楽にしているとこれ自体の仕組みに関心が向いて、必然、神靈の分野に踏み込むことになる。右のような人々に旅をして、あの世・靈・神・神通力などに眼を開く。
 それで、記紀の神話の顕事・幽事の概念に乗りながら、あの世 = 幽冥世界を神仙や靈媒たちの共同幻想と言うなら、見知らぬ同士のおびただしい具体的な共通理解は何なのよ、とかの世の存在に確信を持つ。神通力なんか現代だって地域に一人くらいは拝み屋さんはいるし、FBIの捜査官をやっている千里眼のジョー=マクモニーグルだっているじゃない、と。どうも人は死んでも靈魂を磨き高める修行が果てしなく続くらしいとそれらに意味性を見つけて、人生と世界の見え方が変わったりする。

 
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   この本は、見聞が具体的で話にリアリティがあって、幽冥観を探ろうとする者にはページをめくるのが惜しくなるほど興味深い。現代語で読めるサイトがあるのでご紹介。
 ■仙境異聞
 ■勝五郎再生記聞
 
 「怪力乱神を語る」・・・その神界・幽界と言えば、脱魂したり肉体のままあちらとを行き来したとする者は昔から珍しくもない。有名どころでは、江戸期の平田 篤胤が仙童寅吉を書いた「仙境異聞」、宮地 水位の「異境備忘録」、参沢 宗哲の「幸安仙界物語[幽界物語]」、戦前の出口 王仁三郎の「靈の礎」などなどの自他の見聞録はたくさんあって(独自の世界観が付加されたものも)、それらの間の事柄の照合や事実との突き合わせも行われている。
 そんな世界を渉猟していると、神さまと言っても、丁度 仏教で大日如来を中心に如来から菩薩と連なるように、一切の主宰神である天之御中主大神や国祖とされる国常立大神を最奥にして、常識では善良とも言い難い人間臭い神さままで様々おわす。大国主命なんか色々な女神との間に 180 人も子供をもうけたことになっている。神さまも人から繋がる靈なのね、と。
 大乗仏教の「空の理論」は解るような解らぬようだが、かの世では少なくても存在とは = 働き・状態との理解ぐらいには行き着く。

 というわけで、「易占の背後に神はおわすのか?」と聞かれれば、「はい」。ここら辺りの概念は様々あれど、こちらは卜示とは神靈による現象だと思っている。メールのやり取りと同じくあちらの姿は見えなくても、占示の一つ一つの的確で具体的な手応えは偶然・自然現象・占者のこじつけで片づけるには到底 無理だ。天体の運行や生命の誕生のように「天地自然の理が成せる業」と言い切るにしても、そうなさしめる力の源泉が前提になるし、それに、問いに対する占示のあり様や内容に“人”の感触がある。筮筒に一本 立てた太極の向こうに時空間に拘束されない透徹した知性がよく窺える。
 ただ、その者はどういう存在なのか、常に同一の者なのかについては、そこまでの直感を持ち合わせていないこちらには今も判らない。



「運」を育てる
2006/ 8/17
 昔、土曜日の夜、TBSで大橋 巨泉 司会の「クイズ ダービー」という長寿番組があった。漫画家のはら たいら氏や女優の竹下 景子さん、学習院大学 教授の篠沢 秀夫 氏がレギュラー回答者を務めていて、好きな番組だった。

 番組では毎回 難しい問題が8つ出される。内2つが3択の問題で、この3択問題でのこと。
 選択枝はどれが正解とも言いがたい。それで、気が向くと自分でこんなことをやっていた。
 まず、頭で考えて選択肢の内 一つを削る。それで、残った二つの内、正解と思う方に「こっちかな?」と自分の頭の中で振ってみるのだ。振り返ると、無意識に何者かに問うているところもある。すると、温かいと言ったらいいのか、ヨシヨシヨシと言うのか、「イケる!」というぽわ〜んとした感覚が自分の中で広がる・・・[肯定的な感覚]
 そして、念のためもう一方の選択肢の方に「やっぱりこっちかな?」と振ってみると、しぼむと言うか、白けた・ウソ臭いと言うかそういう感覚がある・・・[否定的な感覚]
 すると、[肯定的な感覚]だった方がまあ必ず正解なのだ。
 また、両方とも何かハッキリしないでベターとした感覚があると、最初に削ったものが正解。
 三択の女王・竹下 景子さんはどんな感覚で答えを出していたものやら・・・。

 ここでもっと不思議なことがある。その[肯定的な感覚]があった選択肢に対して疑うように「いや、やっぱりハズレじゃないの?」なんて意識的に上塗りしてみたりすると、これが結果 不正解に変わるのだ。初めから決まっている正解がこちらの意識次第で変わるわけがないじゃないの。それじゃ、「ハズレじゃないの?」とこちらが意識を振り向けることが始めから決まっていたということか? 「シュレーディンガーの猫」の話のような。
 こういうワザで正解を得ること自体、原因があって結果があるという因果律では説明が付かない。自分の意識と先の成り行きにも因果律とは異なった摩訶不思議な仕組みが存在することが分かる。

 それと、この「イケる!」というぽわ〜んとした感覚はシャボン玉を扱うように自分の中で維持しないといけない。維持しないと、大体は否定的な結果に終わる。これは先に書いた運を開く仕組みと同じ。つまり、このぽわ〜ん感覚が運(ここでの運はちょっと質が違うが)を掴んでいるこということだ。

 以上は意識的にはちょっと出来にくい。リラックスしていて、「ヨシ、やってみっか」という気が起きた時だけ。易占で筮を取ってみようとする潮のことと同じ。
 また、道徳的な物差しで見て悪い事柄ではこの感覚機能が働かない、ということでもなさそうなのだ。そんな良い悪いなど所詮 人間社会のシロモノ。易を含む天地自然の摂理の上では、本質的には、前向きに物事を開いていくのは良いことであり、運を招く。物事を閉じて捉えるのは悪いことであり、そこには運がない。
 易占で占断する場合も狭い儒教的な価値観など持ち込んだらおかしくなる。

 以上は易占をやる前から存在する感覚。易占を始めてからはこれらが増幅されたというか、例えばシンクロニシティー現象などはしょっちゅう起こる。
 例えば、先週モデルの井上 訓子さんの古いインタビューを読んでいて、たまに単発でファッション誌やメイク誌に出ていたということが気に留まったのだが、昨日 別の件で取り寄せた古い女性誌を開いたら、メイクのコーナーに井上さんがズラ〜リ。井上さんを雑誌・新聞で見かけること自体 至極まれなのに。

 さて、秘訣。こういう愉快なことがあった時「そんなの偶然」と捉える人はセンスがない。「肯定して捉える」ということは望むことを実現するための土台だ。シンクロニシティー現象があったら「これは自分が目標の大学に受かる慶事だ」でも何でも、自分の中で何かウソ臭い感覚が起こってこない限りそれを肯定してよい。
 但し、条件があって、目指す目的に向かって懸命に努力し、且つ、この好い感覚を自分の中でキープ出来ること。すると、必ず望むような結果となる。キープとはどうやってするか? 人は何かを乞い願う時、個々の中で「○○できますように」と言葉で言うだけでなく、息を詰めながら必死にそれを掴もうとしているだろう。その辺り。

 これはジンクス・験担ぎと同じ仕組み。大切な試合で勝った時に使っていたもの(バットとかシューズとか)を身につけるとは、身につけること自体が重要なのではない。身につけることであの時の運気を握っていると、その感覚を自分の中でヨシヨシと維持することが大切なのだ。
 別にバットやシューズはなくてもよい。それを持っていないと頭が否定に振れるならば、いっそ捨てること。それで気分が晴れる。

 ここで忘れること勿れ。幸運というものは、無から自然発生するものではなく、何らかの存在のおかげであったり、何者かが介在してやってくるもの。ご先祖なり自分を守護する存在が手伝っていないとは限らないのだ。物理的な存在が存在の全てだとしたら、この世に不思議なことはない。思い当たる存在に強い感謝の念を持つ時、運はますます自分のものとなる。



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