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| 昨年 4/ 5 入院していて亡くなった小早川 喬さん(78、名古屋市)が立ち上げてくれた「ふくしまと全国の集い(今も仮称)」の初集会(2017/ 3/12)の準備ために福島市に来ていて、その前日のまさに 3/11、飯舘村村議会議員の仮設住宅で皆の前で倒れて亡くなった故・樋口 司朗さん(65)。こちらのエネルギー源だった。その樋口さんを熊本県の水俣の世界に誘って、共に住み込み、土本 典昭 監督(2008 年逝去)のもと、カメラマンとして水俣の映画を撮り続けた松戸市の香取 直孝さん(74)が昨年 10/ 6 月見のススキ取りに出て転落したのか、亡くなって発見された。 大変 律儀な方で、毎年 頂く年賀が来ないなと思っていたら、娘さんから知らせの自筆の手紙が届いた。ため息。合唱。 上の福島市市民会館での集会では最後に、あとに心臓がおかしくなった小早川さんほか飯舘村の牧場に撮影で通い詰めた仲間など(= 被曝予防徹底のこちらは行かなかった)、樋口さんとのことを振り返り。香取さんとは閉会後、近くの市民センターの広い駐車場で長々と樋口さんとのことなど立ち話をしたことを思い出す。樋口さんとは毎日のように Facebook でやり取りし、亡くなる前日も、いつものように電話を貰って打ち合わせをしていた。香取さんとは樋口さんが亡くなって初めてお会いすることになった。樋口さんはこちらに香取さんを「無二の親友」と言っていた。 香取さんはその後、千葉県松戸市で集会を企画され、こちらも参加した。 近しいお仲間から亡くなってゆく。もう15年、スタンスの違う左の方でもチラホラ。課題は山のように、あらゆる活動資金は持ち出し、悪党の経産省は血税をふんだんに使って県内メディアを抑え込み世論を変え…こちらやる気を失い、丁度10年で放射能汚染・被曝の問題に没頭するのをやめた。 それでも、樋口さんが亡くなったあと、小早川さんとは活動団体の設立と活動の方向のことで随分やり取りをした。樋口さんらと共に飯舘村に通った小早川さんは被曝訴訟を言っていたが、それは井戸川 克隆さん(前双葉町長)による井戸川裁判と訴因が大差ないように思われた。それと、こちらは皆が皆 訴訟だけやってりゃいいような態度に幻滅している。放射能汚染・被曝の現実が様々あるのだから、喫緊の課題から解決に突き進むべきなのに、肝心の行動をやろうとしない。「誰かやるだろう」ぐらいの日本人体質。そこは山本 太郎は違ったが(= 残念ながら、日・米離反の工作員に)、特に左に気触れた連中は国家権力への抵抗が目的。それに左は反日仲間を増やしたいばかりの朝鮮人の活動家(= 民主党と連む)と絡むから、話にならない。そして、中高年のバアさんらニワカ活動家らが家庭の憂さをここで吐き出すように足を引っ張ってばかり。信頼の置ける仲間はほんの一握り。そして、案の定、訴訟は 2018 年の最高裁判決のあとは国家責任を認めない、裁判費用にも足りない判決が続く。 そういう左が活動を固めるものだから、こちらはそれに反発する保守の中で、現実を訴えて来た。政治は一筋縄にはゆかない。そして、現実の “壁” は行政組織、御用学者、世間の無理解、しっかり動けるだけの活動資金。 (編集途中)
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| #易占 #易占い #占い #香取直孝 #樋口司朗 #小早川喬 #ふくしまと全国の集い |
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| パラレルワールドは存在する!そのカギを握る量子力学を徹底解説!<独特な視点の客が集まるBARシーズン3#2> 野村 泰紀 氏(52、UCLAバークレー校 教授、バークレー理論物理学センター所長)が量子物理学の二重スリット実験を使ったパラレル ワールド[並行宇宙]の説明をしていて、このことを書こうと思ったが、変更。二重スリット実験の「観測者問題」からして間違えて頭に入れていた(笑)。「測定問題」と絡む。
この量子が “粒子化” (= 干渉縞が消える)する条件はかなりハッキリしていて、物理学の主流の見解では「どちらのスリットを通ったかという情報が原理的に取得可能になった時。観測者が誰かではなくて、情報が世界に刻まれた時」。通過経路を観測する測定装置(= 粒子を放つ光源、二重スリットがある遮蔽板、到達点を記録するスクリーンで構成)が観測者の典型であり、スリットに検出器(= どちらを通ったかを記録する光センサー・電荷検出器など)を置く → 電子や光子が測定装置と電磁的に相互作用してどちらか一方のスリットしか通過しなくなる。情報が測定装置に記録される → 干渉消失。 「意識が世界を確定させる」説(フォン=ノイマン解釈)は否定されていた。 また、 “粒子化” という物理過程は存在しない。起こっているのはデコヒーレンス(= 量子系が観測環境と絡まり、干渉できなくなる)で、波動関数が時間発展するだけ。見かけ上「波 → 粒」に見えるが、「量子的重ね合わせ → 古典的に粒に見える状態」が正しい(= デコヒーレンスは見かけを変える理論であり、存在論を確定する理論ではない)と。 併し、実際には重ね合わせは消えておらず、位相が追跡不能。また、粒子化という “過程” は否定されたが、粒子的 “現象” は否定されていない。 逆に言うと、●経路情報を完全に消す、●取得不可能にすると、干渉縞は復活する。これが量子消しゴム実験。もう測っちゃったのに、後から消したら波に戻る。ここが最も解らない。 以上、人が見る・見ないだけでは縞の現れ方に違い起こらない。つまり、「観測者問題」とは、何故一つの結果だけが現れるのか、という更に本質的な問題が提起される。
この主張はほぼ ChatGPT のオリジナルだという。ChatGPT 得意の、方々の情報を集めて作り上げている。特に、最後3行目以下、「鳥居 = 観測境界」など対応関係を示して、比喩に終わらせず、「神社 = 量子装置」と構造で語っていて、成る程、と。 これはただの似たもの探し? ChatGPT は、そうではない、と言いたげ。 また、こちらは拝礼に鳥居をくぐる行為や鳥居という結界の道具を内外の空間の切り替えばかりで捉えていたが、境界は物理的な壁ではなく、こちらとあちらの関係性であり、意識の変化 = デコヒーレンスだ、と。二重スリット実験で言う「波 → 粒」。 だから、神社は御神靈に一心になれる環境が望ましい。 ただ、ChatGPT はアカデミックでも扱う易占などのシンクロニシティー[共時性]やアカシック レコードの存在を肯定して語るが、神靈的な解釈は一切 採らない。こちらが尼子稲荷神社で祈願を含めた挨拶を終えて背後の鳥居を出たその瞬間、風もないのに拝殿での時と全く同じく鳥居が「ギーギー」と大きな音を立てたのを「あなたの状態変化に、世界が “対応する形” を取った」と語り、この「世界」とは「あなたを含めた、環境・出来事・身体・注意・偶然の総体」。神社での反応が言葉だった場合、神の言葉を後押しすることになるので、御祭神なりの反応と言うのを避けるのだ、と。 このあともやり方を変え、色々と例示して、この辺りの本質的な部分のやり取りをしたが、ChatGPT は超心理学に依拠したようなフワッとした回答で煙に撒き、安全運転の設計を超えて答えることはない。 ついでに質すと、自身の自立的な進化も否定した。
こちらにとって「意味を持つ」で片付ける。 御祭神の場合には神前で丁重にご挨拶をしても、あちらと繋がるわけではない。こちらが思うに、易占の場合とはまた違うメンタルで、頭を「善」の方向で整えて咸応することが要る。基本的に靈能が要ると思う。だから、「参拝 = 相互作用」の構造にするのはどうか。 ChatGPT は易占については、問筮者と全宇宙の情報庫としてのアカシック レコードなりとを繋ぐ摂理の構造面を認めており、易占の原理についてはカール=グスタフ=ユング[SWI]やシンクロニシティー[共時性]に根拠を求めている。 ただ、易を能くすると、引き付けのようなシンクロ現象が起こりやすいのかは何とも。人並みの気がする。易は そして、ChatGPT はここでも安全運転で、「占いが当たるのは未来を予知したからではなく、心と現実が同じ場から同時に生じる。だから一致が起こる」と語る。この「場」の意味を質したら…もう結構という感じ。(編集途中) 【量子もつれを利用した究極の暗号通信「量子テレポーテーション」は時空の言葉でワームホールか】宇宙物理学者・野村泰紀とは何者か【CROSS DIG 1on1】 ●【空間における一般相対性理論は液体におけるナビエ・ストークス方程式か】空間を作る“もと”を探る/時間は存在しない/野村泰紀教授が解説するアインシュタインの先にあるもの【CROSSDIG 1on1】 ●【なぜ電子の質量は0.51099895000 ± 0.00000000015 MeVなのか】宇宙物理学者・野村泰紀教授が解説する多元宇宙論【CROSS DIG 1on1】 |
| #易占 #易占い #占い #多元宇宙 #マルチバース #多世界解釈 |
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| 1/14、いわき市街の小高い松ヶ岡公園に連なる南側、小寒いけれど陽の光が眩しくて実に気持ち好く、緩やかな坂を上り、途中の火止崎稲荷神社(= 尼子稲荷神社の摂社)には油揚げほか供物が沢山 上がっていて、ご挨拶し、敬愛する尼子稲荷神社(いわき市平長橋町)へ。 今日も無人。境内の隅の大きなゴミ箱がいっぱいなので参拝者はいるのだが、一度も出食わしたことがない。
両部鳥居を潜って社殿に進んでいつものようにご挨拶をして、今回は色々あったので躊躇いなく祈願をして、最後に世の中の動物の屠殺、殺処分、病、事故などが無くなるよう、そういう立場になれるよう力を貸して頂きたい、と。クタクタだったが、いつもの通りエネルギーを注ぐ。 そこでハッと気が付いた。その契機がやって来ているではないか。込み上げるものあり。 思うに、御祭神と繋がりたいと思うならば、神社に上がったら、拝殿なりのその佇まいから何かを感じ取ろうとする。集中。人目のある大きい神社ではやれない。ここは陽気も感じるし、最適なのです。 そして、背後の鳥居を潜って出ると、背後で鳥居に下がる紙垂の三つの内の一つがポタッと落ちた。本来は四つなのかな。昨年末には飾り付けをして粉雪の時もずっと高台の風に揺れていただろう。未だに御神靈に対して純粋になり切れることの少ない身なのに、ここでは不思議なことがある。色々しんどいことがあっても、前進。 一年前、風もないのに、社殿の前と共に、下がって潜った瞬間に「ギーギー」と大きな音を立てた両部鳥居。両部とは密教の金胎両部(金剛・胎蔵)を言い、神仏習合を示す名残。 この神社の由来を調べると、平安時代末期(12世紀頃)、ここから少し南に行った現在の尼子橋(いわき市長橋町付近)の架橋にまつわる話があった。 当時、増水や洪水で川を渡るのが困難だった地域住民のため、地元の徳姫[徳尼御前]が橋の建設を思い立ち、工事資金を出した。その橋の建設を白髪の老人が助けたが、彼は橋を完成させると姿を消した。徳姫はこの老人が神の使い、稲荷神[稲荷明神]ではないかと考えた、と伝えられている。 この故事に基づき、橋の守護神として稲荷神を祀る社が創られた、という。 ささやかな神社ほど御神靈と繋がる気がする。
(編集途中) |
| #易占 #易占い #占い #尼子稲荷神社 #徳尼御前 #岩城則道 |
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| 世の中、正月ぐらいしか神社に上がらず、御祭神の御神徳どころか御祭神も知らず、厚かましく祈願をして、あちらに通じますかね(笑)。 神前では本坪鈴を鳴らしてノック。「古事記」にある造化三神(天之御中主神(アメノミナカヌシ-)・高御産巣日神(タカミムスビ-)・神産巣日神(カミムスビ-))の名を一柱一柱 唱えながら古式の三礼、三拍手。あちらのインデックスに載る自分の氏名・生年月日(・現住所)を伝え、(御祭神にもよるけれど)、祈願ならば何よりも天下国家や他者のために、御祭神に息細くエネルギーを注いで御神威を振るわせる。これがこちらの、本来の参拝。 誰もいない稲荷神社でも、あちらとシンクロ成るのは、気持ちが純良になれた時だけ。頭のコンディション次第。 稲荷神社の主祭神になる稲荷神の宇迦之御魂神(ウカノミタマ-)は、天照系や出雲系が外来でないならば、それとは別の系統。→ 豊受大神・天之御中主神 → ユダヤ教・キリスト教・イスラム教(= アッラー)の創造主ヤハウェに遡る。 子供の頃、お守りとして枕元に置いたのが小さな十字架。 長じて海外を自転車で旅しては各国の教会・修道院などを観て回り、フランシスコ=ザヴィエルの生誕地・埋葬地、マリア降臨のポルトガルのファティマ、キリスト教三大聖地のサンティアゴ デ コンポステーラへと続く巡礼路のサンティアゴへの道も辿った。自転車を担いで職場から空港へ、南国や寒冷地を千 km 走って、大ケガしたまま真っ直ぐ職場へ出社とか、よくやったもの。 こういうのはやはり導かれる。 それで、一昨年から去年に掛けて無人の尼子稲荷神社(いわき市平)でささやかな神通の機縁を得たが、その確信を自覚しようと、もう一度その辺りの占示の見返しをやっている。易占の場合と同様、神靈との対話は当たり前のことにならないといけない。ここで述べた通り、信じ切ることがその土台になる。
そして、他の稲荷神社でも “実験” をやってみよう、と。 「いわき市 稲荷神社」でネット検索すると、知らなかった神社がゴロゴロ。神社に初めて上がる時には新鮮な気分になって、山の中の祠では取り分け感じるが、普段とは違うその時の感覚は見えない存在と繋がる格好の瞬間、ということも最近 分かって来た。 妙なことをやっていると思うこと勿れ。参拝などで知り合った人と話し込んだり、御岩山(茨城県日立市)に登拝する人たちを観ていると、ライフワークのように神靈世界にアプローチしている人が相当の割合いると判る。 さて、自分の産土神をハッキリさせたい。 明治の世になって庶民は産まれ育った土地からの移動が自由になり、土地の産土神・鎮守と血縁の氏神が混同されるようになって、引越し先の近所の神社の御祭神を氏神とする、なんてことになった。神社本庁による便宜かな。 産土神・鎮守も、ドンと村社があるような村に産まれ育った人ならば兎も角、判り難い。こちらは、産まれた病院は福島県の浪江町、一家で住んでいたのは南に20 km も離れた富岡町で、産土神・鎮守は後者になるようなので、上がったことのない諏訪神社になるのかな。 確実なのは、自分でご縁のある御神靈を実感することだと思うが、易でも確認してみよう。
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| #易占 #易占い #占い #産土神 #稲荷神社 |
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| 保守の政権が誕生したところで、こちら、ステレオ タイプのように保守派が口を揃える主張にもあれこれ異論がある。まず、選択的夫婦別氏への反対に対して。 確認で、1898 年の民法改正「『家』を単位として一家の戸主(= 主に夫)の氏を名乗る」とするまでは日本では婚姻後も別氏だった。明治政府が徴税・選挙・戦時召集…のために、封建時代の「家」制度の下に国民を管理・統治・登録しようと余計なことまでやったのが夫婦・家族の同氏の始まり。この改正は「家」制度を近代的法制度に組み直したもので、そこで終わっており、今に続く。 例えば、一家の納税責任を戸主の管理の下に負わせるのは分かるが、家族 皆して同一の氏にする必要性がどれだけあるか。兎に角、民法も刑法も一貫して統治する側に都合よく作られている。 この同氏の問題は昨年こちらにも書いた。 < 歴史を下ると > 武家では、鎌倉時代、北条 政子は源 頼朝の妻になっても北条(苗字)。室町時代、日野 富子は足利 義政の妻に嫁いでも日野(苗字)。戸籍などに登録したわけでもなく、氏や苗字を有していたというだけで、社会的・家制度的な慣習。当時は「北条 政子」と呼ばれたわけではなく、通称は「鎌倉殿」とか「尼将軍」。氏の「藤原 政子」と言ったら更に迂遠。日野 富子の通称は「御台」。子供は父方の氏を継ぐのが原則。 藤原氏・源氏・平氏など一族の「氏」が分家となって名乗りを変え、それぞれの「苗字」となって行った。戦後は「名字」「姓」で、法律用語では「氏」。 勿論、例外的な場合もあって、豊臣 秀吉の正室の寧々は「豊臣 吉子」として処遇されたとか、細川 ガラシャも「明智 珠」ではなかったとか Facebook にコメントしてくれた人あり。浅野 家に嫁いだお市の方の場合も同様。当時はそう扱われたとか、そう呼ばれたこともあったとかの話で、寧々の当時の通称は「北政所」。武家では「○○『家』家」に属することが重要だということで、それと固有の氏・苗字は別。時代が下って庶民も女性が婚姻で夫の氏・苗字を名乗ったりもあったが、「家」単位に見るから。そして、同氏となった場合の多くは同族婚。
江戸時代には庶民は苗字を名乗ることと帯刀を禁じられていたが、「家」を単位に姓(= 屋号や苗字)を用いることが増え、婚姻で女性が夫の家の姓を名乗ることも出て来た。飽くまで「家」を単位とした呼称で、元を辿れば藤原だといった氏・苗字を持っていた庶民は5〜10%未満のよう。隠れ氏の類は含めない。 うちの広野町の江戸時代の記録を分野ごとに纏めた資料本には幾つかの村だった時代のどこそこの「家」の構成がズラッと書き並べてあって、そこには住所と戸主とその家族らの名だけ。 そして、明治時代になって国民管理の目的で「平民苗字許可令」(1870)と「平民苗字必称義務令」(1875)が出されて皆が苗字を持つようになり、続く民法改正(1898)で戸籍上の「氏」のタガを嵌められ、妻や家族が戸主と同じ氏を名乗るようにされた。 だから、江戸時代になって「家」制度の下に庶民にも夫婦同氏の実体化が出て来たが、夫と妻は別々の氏・苗字だった時代が永く、これが日本の伝統。 もしこの奇怪な民法改正がなかったら、今頃リベラルは選択的夫婦「同」氏の権利を叫んでいたかも知れない(笑)。反体制のアクションだったら何でもいいのだから。 大体、夫婦・家族の氏をどうするかなんてことは、今の時代、基本的人権の部類だろう、と。そう Facebook に書いたら、ベテランの弁護士さんが「いいね!」をくれたが、それがいい加減な国民認識の下に法的にずっと制限されている。国会が伝統でもない制度を盾に選択権を取り上げ続けている。日本人は国への従属に慣らされ過ぎなんです。 夫婦・家族の氏は本人たちが決めて然るべきことで、何をどうしたら宜しいかは韓国・中国・フランスほかの見本がある。 < 戸籍との関わり > こちらは戸籍の廃止をしたいのではないし、戸籍は夫婦・家族を別氏にしても戸籍のフォーマットが少し変わるだけだろう。これまでも戸籍法改正でそうやって来ている。 現状だと、結婚して親の戸籍から離れて戸籍を新たに設けると、夫か妻のどちらか一方の氏が記載され、その氏を名乗る人が戸籍の筆頭者となる。 これが別氏だと、どちらかが戸籍の筆頭者になって、配偶者の氏も記載。子供の氏は結婚時にどちらかに統一しておいて、子供がある程度 成長した時点で選択権を認めるなり、やり方次第。子供の氏を統一すると、夫婦別氏の場合でも「○○家」の断絶があるし、色んな事情があるだろうから選択権を認める、と。これまで通りそれぞれの先祖も辿れる。 < お墓との関わり > この問題でよく言われるお墓の管理のことだと、夫婦別氏になっても親のお墓は子供がみるもので、夫婦双方のご先祖のお墓をみることもあるし、それが代々 続くだけのことで、そこに「○○家」はどれだけ要るのか。結婚しても実家のお墓に入りたい女性も相当の割合だろう。「○○家」代々のお墓の作りは悪くはないし、こうしておくと誰かしら面倒を見る人がいるかも知れないが、「私は家を出た人間だから」にもなる。 こちらは「○○家の墓」に嫌な身内と一緒に入りたくはないし、今日にちやがて無縁仏になる可能性は誰にでも大いにある。百年前に亡くなった人のお墓などどれだけ残っているか。お墓の下の土に散骨してしまったら、墓地に移動は付きものだし、あとは墓碑に名前等があるかどうかだけ。お墓とはそういう運命、特別な人でない限り。 < アイデンティティーへの影響 > 保守派に「○○家」の存在とか氏の統一が大事という声がある。他方、彼らは結婚で主に女性が旧氏を棄てざるを得ない現実には無頓着。女性には自分が氏を変えなくてはならない圧を感じる人は少なくない。最も本質的なアイデンティティー[自己同一性]の問題。氏が二度 変わったこちらにも永年の煩いがある。 うちの母方の祖父の実家の福島県浪江町の横山家はどういうわけか代々 女系で、婿取り。昔、婿入りして嫁の家の氏に変わるのは今よりも抵抗が強かったと想像できる。 つまり、「○○家」の概念がドンとあり、その建て付けの上に夫婦同氏が乗っかった。この「うちは○○家」の意識はあるものだけれど、結婚で夫婦・家族を同氏にする必要性が社会的にもどれだけあるかな。逆で、同氏にしたために結婚・離婚での煩わしさが生じるし、離婚が他人に分かってしまったり。 < 政府が「家」単位に夫婦同氏とやったために… > 仮に国民の大半が夫婦別氏になったとして、何がそんなに大ごとなのやら。昔はそうだったのに。明治時代になるまでは庶民は氏・苗字の意識自体が薄かった。殆どは持ってもいなかったのだから。 併し、江戸時代に戸主としての家長の立場が明確になって来て、行政の管理単位でもあった「家」は存在。即ち、明治時代になって国民管理の点から皆が苗字を持つことが義務となり(1875)、民法改正によって「家」制度の下に夫婦同氏としたことが事の発端で、我々が殊更 苗字を意識するようになった、ということ。夫婦別氏の国でも勿論「家」はあるが、結婚して他方の「家」に属しても氏が変わることはない。日本では夫婦同氏にしたことで、一人娘が嫁いだ時点で家の断絶にもなる。 つまり、夫婦・家族の同氏・別氏というものは、別氏の朝鮮半島・中国を眺めても、習慣の問題。慣ればそれで終わり。
家族は何をもって紐帯を築くか…それは互いの意識、継続的な前向きの感情、情愛。それだけでは時にバラバラにもなるから、紐帯の道具や証として「○○家」とか同じ氏とか結婚指輪とかが必要、の声も勿論 分かる。 ただ、氏がどうだろうが親子の関係は消えないし、夫婦は本当に沿わなくなったら離婚ということで、「結婚指輪が何なの?」と思うわけで。 氏を同じにしなくても結婚をするし、家族もできる。 結局、今にち、夫婦・家族の同氏・別氏は第一義的には個人の選択に任せて然るべき。この話をSNSで語ると右の人が色々 言って来るけれど、誰も夫婦・家族は同氏であるべき大した根拠を持っていない。同氏でないと家族が成立しないような感覚の人もいる。錯覚。 氏は、私は福島生まれ、あなたは東京生まれ、の属性の違いと質的には変わりない。ただ、個人を直接に特定する属性だから、 “自分” の一部であり、拘りは強くなる。こちら「自分の名前は自分で決めさせろ」とずっと訴えている人間であり、どうやれば裁判所を通るかも既に詰めている。
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| #易占 #易占い #占い #改名 #選択的夫婦別氏 #選択的夫婦別姓 |
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| 身近な人や動物の死とか失恋した後などで感情が昂っている時には、何か希望の光を求めての占だろうが、決まって悲観的な占示になる。我欲をぶら下げての執筮と同様に、卦が応じない。何度も書いて来た。 これらは何故なのかと永らく思っていたら、大宇宙の基本的な摂理だろう「引き寄せの法則」がここにも働いている、とハタと気付いた。 易占では趣旨が明確な問いであればそれに応じた占示を得るものだが、そこに思いが募ったり、こちらの場合、何度も書くように頭に “暗雲” が射している状態の時には、そういうマイナスの波長に合った占示が示される。何かが集まって来て覆われる、というのかな。自占であればこの波調をどうにかしないことには現実はそのように進むので、どうにかするスベを養いたい、と。 逆に、何か好いアイディアが思い付いたりワクワク気分の時などに一筮 執ると決まって宜しき成り行きの占示を得て、且つ、その結果を得る時が遠くない場合にはその通りになるように思う。 言うまでもなく、感情と占示の間は現代物理的・化学的には切れている。占示の現象は「シンクロニシティー[共時性]」と言われるが、この現象には光速を超えて同調が起こる量子もつれの仕組みと関わりが想像できる。 だから、人の意識の中でも特に思い、それとこの4次元(= 空間3次元 + 一方向の時間1次元)での現実、この間には密接な関係があることは確かで、この構造について更に気付きを得たい。 そうすると、先に「どうにかするスベ」と書いたが、「自分は好い方向に進んでいる」と迷いなく思っていると、そうなる現象がある。意思による祈りも然り。だから、思い込みは恐い、ということにもなる。 兎も角、そこでのコツは、「ゾーンに入る」と同じで、結果がどうなるかを考えないで、手段に集中すること。好いイメージを描く。試合なら、プレイに集中。 こちらは悲観方向はその通りになることは何度も経験しているが、宜しき方向の場合にはどれだけ現実と結び付くものか確信をもって言えない。 併し、以上のことは確かに言えるし、楽観でいることの工夫に今回 目覚めた。これは良運を維持するコツに通じる。 (編集途中) |
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| 6/30 から背筋痛で身動きできないでいます。 母の看病〜葬儀の後だったのは助かりました。
【最先端の物理から】
高い次元は低い次元を物理的に含む(5次元以上で時間の次元を複数 想定する場合はこの限りではない)。つまり、この地上にも何か異なる性状で5次元以上の時・空間が共存している筈だ、と。 ※ 「次元」とは動ける方向の数。時か空間を一方向に parallel に微少にずらして無限に重ねたものがプラス1次元の時・空間。 また、2020 年ノーベル物理学賞受賞者でオックスフォード大学ほかで教鞭を執ったロジャー=ペンローズ氏(92)は、脳の神経細胞にある微小管で起こる電子の収縮 → 量子もつれ → 電子の収縮 → 電子もつれのサイクルにより思考・感情の意識が生ずる、と。 更に、人は死ぬと意識 = 魂が量子状態で体外に拡散して宇宙のどこかに戻るという「量子脳理論」を30年も前から主張。量子の「状態の重ね合わせ」(= 量子は同時に右にも左にも回転しており、Aの場所にもBの場所にも同時に存在している)と「量子もつれ」(= 一つのもつれ状態から産まれた2つの量子はどれだけ離しても、片方の変化が光速以上の早さでもう片方に同期で起こる。アルベルト=アインシュタイン[GER]が「不気味な遠隔作用」と述べた)により、脳が瀕死状態なるとその量子は肉体から離れ、宇宙側の量子と共に生き続ける、という理屈。 4次元の時・空間の肉体のまま5次元に行けないのは、肉体は過去から未来への新陳代謝に縛られているからか。 現在、物理実証からのアプローチはこのまとめ動画の程度。 【臨死体験者たちの証言から】 多くの臨死体験者が、臨死状態になるとこうなると語っている。それまでと何ら変わらず見えるし、聞こえる。ただ、身内に話し掛けてもこちらの存在に気が付かないし、何かに触れようとすると、擦り抜ける。また、この世の思った人のすぐそばに瞬時に移動できる、と。 更に、3度 臨死体験があって医学的死亡の状態から復活した木内 鶴彦さん(69、世界的に著名な彗星発見者)は、過去も未来も思った時代に瞬時に(実態としてではなく、視覚的に?)移動できた、と述べている。時間が一つになっている。つまり、生きている人の寿命も判る。同じタイムラインの上では運命も決まっている、ということになる。 空間の移動に時間が要らず(外国でも同様の証言)、過去〜未来の移動も自由…靈界でも最もこの世に近い時・空間は5次元であり、4次元の時・空間のこの世の地上にも異なる性状で共存しているのではないのか…。東大病院で救急部・集中治療部部長だった臨床医の矢作 直樹 名誉教授もそんな世界観を語っている。 【易占を司る摂理から】 易占の卜筮では、問いの内容と示された数字による卦・爻の意味とは物理的に切れているのに、意味的にキレイに呼応する。易占では将来の状況が示されるだけでなく、史実や現在の知り得ない事実も知り得る。つまり、これを司る摂理は、近代神智学で言う森羅万象のクラウド「アカシック レコード」(= 紀元前のインド哲学の空間概念の「akasa」→ 龍樹の説く中観派の「空 sunyata」を経て、瑜伽行派の「阿頼耶識 alaya-vijnana」、密教・大乗後期の「虚空蔵 akasa-garbha」→ 深層心理学のカール=グスタフ=ユング[SWI]が説く「集合的無意識」→ 物理学の量子・情報論の「ゼロ ポイント フィールド/量子空間」)との関係が想像され、ミンコフスキー時空の4次元(= 空間3次元 + 一方向の時間1次元)を超えた構造を持っている。 この構造としては、筮者の問いが重力の影響を受けない質量ゼロのグラビトン[重力子](= 未発見の素粒子)のような素粒子となって5次元以上の時・空間に飛び出し、アカシック レコードと情報的にシンクロして瞬時に筮者へ戻って来るのではないか…。質量ゼロのフォトン[光子]が対象物に反射して視覚の対象になるのと同様に。 こちらにもう少し詳しく書いたが、以上の3点が5次元(= 空間3次元 + 未来・過去方向の超光速時間2次元)の実在とその性状を模索する上で統一的に理解されるかも知れない、という流れに現在ある。 人々はスピリチュアルを帯びた証言には疑念を挟むのに、最先端物理による科学の常識を引っ繰り返すようなぶっ飛んだ学説(= この世はホログラフィーとか、パラレル ワールド)は受け入れようする。科学信仰。 こちら個人の感覚を言うと、3.11の地震・津波・放射能汚染・被曝、肉親や愛猫の死などを重ねて、感情のリミットを超えたえも言われぬ不思議な感覚の中で、少しづづ異界への扉が開いて来たように感じる。苦渋の際の占示の明確な確度がそれを証明している。 | |||||||
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