|
|
|
(前稿の続き) では、「神道 '姓名' 易」をご紹介。人の後天運を観る術という。 指紋易を感得したと同時に姓名易を(どこぞの神より)伝えられ、長い間かかってその的確なることを実証してきたという。「的確なることを実証してきた」とのことなので採り上げてみたのだが・・・。
外卦に当たる「天運」の意味とはそのまま。内卦に当たる「地運」とは「大地の上に生まれた貴方の動きなのです 荒魂振りです」という。 しかし、この術はどうだろう。 まず、卦の出し方が以前に書いた梅花心易(先天法)のそれとそっくりだ。違いは、内卦を出すところの年・月・日・時の「時柱」に代わって、名の頭の文字の画数が使われるだけ。それと、梅花心易は融通無碍に西暦も使うが、こちらは神道を冠するだけあって年号のみ。日本の四柱推命しかりで、日本では生まれた時間までは知らない人が多いから代わりに名の頭の文字の画数を持って来たのではないか、と失礼ながら思えてしまう。この構造を使いながら「時柱」を無視したり、そこに名の頭の文字をはめるというのは奇異だ。 それなら素直に、外卦(年+月+日)、内卦(年+月+日+時)でいいだろう。ちなみに、私はどちらでやっても 30【離爲火】||||(← 左を上にして見る)。芸術・芸能向きなんですか・・・。 名の頭の文字をここに使う理由については、氏名を縦書きして人体に重ねると人の肚(ハラ)に当たるところがそれであり、「姓名易は肚に宿る姓名力が中心になって生まれてくる運命学です」「肚には臍(ヘソ)がございまして 臍から 父母の遺伝と当人の 荒魂 が鳴り出してまいります つまり 肚こそは当人の響きを表してくる大切な姓名の中心点になる訳です」と肚を強調するだけで何だか雰囲気先行の説明になっている。 ともかく、占術の正否はそれが現実と一致する一般構造を持っているかどうかということ。現実の荒波に常に耐えるものでなければ動物占いになる。 しかし、その前に、これ、四柱推命に、姓名に、周易に、神道に、術が拠って立つ考え方や思想がちゃんぽんとなっていることをこの作者はどうお考えだろうか。 |
|
手の指紋から大成卦を起こして人の運命を観る術がある、というのを以前から聞いていて、その方法が分かったのでご紹介。手相でも五指の指紋の並びを観るものがあるが、ここで採り上げるのは曰く「神道指紋易」。
この術の主は「神道日垣の庭」を主宰する高良 容像という人物。その「神道指紋易 付 姓名易」という大ぶりな書には「私は、神感に依って体得した運命判断の法として『人間の指紋』を易経で解釈することを知りました 〜この方法を用いますと 人間の運命が手に取るように分かります あなた方の宿命が浮かびあがってまいります」とある。「神道指紋易〜」も各卦の講釈を読んだが、簡単に言うとピンと来ない。 ともかく、いわゆる指紋易は高良氏のオリジナルではない。同様に大成卦を起こして観るのものが中国に昔から存在する。
左手から作られる卦は先手運で「あなたが神様から霊魂を生んでいただいた時から身についている天性を見ることができます」 右手から作られる卦は後手運で「あなたが両親から受け継いだ因縁と、自己の天性と努力に依って展開されるところの 人生模様 が表れております」と。 その一方で、この指紋易では先天運が判り、この術とは別に存在する「神道 '姓名' 易」では後天運(後にご紹介)が示されるというから、ワケが分からない。 尚、“指紋易”に関する他の資料を見ると、爻の指への振り方は、左右のいずれも小指を初爻としており、こちらが一般的なようだ。すると、私の場合、左手の卦は 19【地澤臨】||(← 左を上に。以下 同じ)になる、かな。よく判別がつかないが。 私の場合、面白いのは右手で、薬指の先を子供の頃に少しケガをしてしまったのだが、試みにこれ[二爻]を変としてみると、41【山澤損】|||から 27【山雷頥】|| への動きに。親指が巻紋のようにも採れるが、これはかなわない。爻辞は好いのだが。後天運は姓名易にでもお任せします。 それから、指紋易では中指の陰陽を三・四爻に当てるから、全64卦の内の三・四爻の陰陽が同じ32卦だけが使われることになる。 この64卦を二分するということが卦の構造のナゾを探る点で非常に興味深いので稿の最後に書き出してみた。いわゆる伏卦も、分け方はまるで違うのだが、64卦をある規則に従って二分して判断することになる。 最後に卦読みのことで、個々の卦から汲み取る内容が神道的解釈というのか易占で注視する要素とちょっと異なるのだ。これは一つ一つ書けないので書籍を読んで頂くしかない → 「神道日垣の庭」公式サイト
|
|
中国の宋の時代、古都 洛陽に邵 雍[ショウ ヨウ 邵 康節](1011-1077)という中国では誰でも知っている易者・儒学者がおりました。物凄い自信家の上に勉強家だったそうで、謂わば、四季や十干・十二支など身近な数の掛け合わせによって天地自然の理と対話することに一生 励んだ人であります。
息子が判ずるに、初めに一声、次に五声だから、これは乾金・巽木。乾金は短くて巽木は長いので、これは金属と棒で出来た鋤(スキ)でしょう、と答えました。 これは、1・2・3・4〜の数を八卦の乾・兌・離・震・巽・坎・艮・坤に当てて、次に、八卦に五行(木・火・土・金・水)の考え方が融合した陰陽五行思想による相関関係(図 →)から「乾金・巽木」としたわけです。 易にも、陰陽・八卦の運用で見る一般的な易[周易]や、周易の道具を使いながら五行の万物循環の考え方から断じる五行易[断易]などがあります。私は陰陽八卦の構造に五行の要素を混ぜ込むことにがそもそもドーカナーなので、周易まっしぐらですが。 さて、邵は息子の読みについてどうしたかと言いますと、お隣さんが借りに来たのは鋤ではなくて斧だろうと判じたのでした。 それで、門を開いてお隣のご主人に来意を窺うと、その通り「斧を借りに伺いました」とのこと。 邵、息子に曰く、「得卦から言えば鋤とも斧とも判断できるが、今は夕刻だ。畑仕事に使う鋤が要るなら明朝でよいだろう。今宵は寒いから炉にくべる薪を割らなくてはならない。だから斧なのだ。そういう物事の理というものを考えて判断するのがよいのだよ」。 その通り。卦読みには常識とか物事の理を利かせないと情けないことになります。
彼の筆とされる「邵氏見聞録」によると、ある時、邵が梅の花を眺めていると、二羽の雀が絡み合って地面に落ちたのです。占機が動いたと感じて易で卦を立てると、49【澤火革】||||(← 左を上にして見る)の初爻変。「明晩、隣の娘が梅の木を折ろうとしてこれに登り、落ちて足に怪我をするのだ」と判じたのでした。果たして、その通りのことが起きた(得卦と五行からいろいろ推断したもの)・・・。 江戸時代に「邵康節先生心易梅花數序」が伝えられ、梅花心易なんて通称が出来ました。 筮竹・サイコロなどの道具を使わないのがこの易占術の特徴。 これは算出のやり方(→)についての是非はともかく、占機という今現在を偶然に非ざるものとしてつまみ上げて、且つ、その“時”が問いの答えを蔵するとする占法なのですね。このシンクロニシティー現象みたいな妙な構造がよく掴めず、普段は周易で間に合っていることもあって、こちらにはまだまだ未知の領域。 実は周易の占験というのも因果律とは明らかに次元的なものが異なる“ある原理”の上に成り立っていることでは同じ。この構造の全体像にタッチしていることは究極に面白いものがあります。 それから、梅花心易には、もう一つ。目に触れたもの、耳に聞こえたもの、心に感じたもの、その他あらゆるものから数を取り出し、八卦に置き換えて断ずる占法(三要応法)もあります。先の邵親子のやり取りがこれ。 こちらの方は、易の卦読みの場合と同じく、現象を卦に化して読むことだから納得がいきます。 森羅万象の隅々にまで、象意なきものはなし。古今東西のあらゆるものが卦・爻を宿す。梅花心易を含めて、易占の底にはそういう原理があって、その取り出し方は実に様々。というお話でした。 |
Copyright (C) 2001-2023 Leibniz Cop. |
![]() |
![]() |