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●情報の整理を兼ねて、易学・占筮に関する有用な文献を纏めています。 | |||
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明治の“易聖”呑象[高島 嘉右衛門]翁の大著。その昔から占例集と言えばこれである。大激動期だった明治期の時事や人事を中心とする 448 の占題を収録。併せて、卦・爻辭のほかの解説、呑象 翁の易論も述べられている。同時に、明治の人間模様に接する上でも非常に興味深い書。偉大な書である。旧字・旧仮名づかい。
爻辭などを物事に当て嵌めているその根拠がしばしば分からないが、本書を読み込んでみても、勘とでも見るより仕方がない。呑象 翁 自身の言葉を探しても、54【雷澤歸妹】二爻のところで「好て筮竹を弄する多年、微に占考(センコウ・ウラナヒ)の法を得たる而巳(ノミ)」と書いてある程度。「周易裏街道」の仁田 丸久 氏はここのところを「呑象 翁は人類普遍の潜在意識を使うスベを心得ていて、そこから正しい答えを貰っている」のだとお書きになっている。 本書は、呑象 翁が西南戦争の前年の明治9年(1876)実業界からの引退を発表すると共に筆を起こされ(並行して明治21年まで「高島易占」あり)、19年に初版が刊行。27年の「増補 −」改訂版を経て、日清・日露戦争後も終わった明治39年(1906)全5巻に改められて了となっている。よって、明治42年、安 重艮の凶弾に倒れた伊藤 博文が満州巡察に赴く当たって立てた話(52【艮爲山】九三)などは掲載されていない。 また、版を重ねるごとに占例が少しづつ入れ変わっている。20【風地觀】上爻の「神易説」(占例なし)、22【山火賁】二爻の「国会易」、27【山雷頥】五爻の「仏易説」は取り分け長文。 12【天地否】四爻の記述によれば、当初は先聖古哲の学説を究めた東大の根本 通明 博士との共著として、根本 博士が易の体を、呑象 翁が自得した活断を執るアイディアだったという。だが、根本 博士は引き受けたものの億劫になって全く筆が進まず、催促されて齋藤 真男(- マオ)氏を推薦した。「増補 高島易斷」は清国朝野の賢士にも贈ろうということになり、齋藤 氏はこれの漢訳作業も担当している。 1【乾爲天】〜 64【火水未濟】の順で編集。卦・・・辭・彖傳ともに原文、解説、象傳の原文、解説、判断。爻・・・辭・象傳ともに原文、解説、簡潔な判断、占例、という体裁。十翼は扱っていない。 巻末に「附録」として、呑象 翁の貴重な言葉である「神道実用論」、「日清戦争に関する占」(占例多数)、「活 断」(占例多数)、「先刊易断幷易占序跋」、「霊魂の不滅を證す」「形而上學性命道の説」ほかを収録。 これが上下2巻になって復刊されたが(写真)、残念なことに、活字で起こさずに古い原版を使ったので、印刷が擦れていてそちこち判読できない。全文の漢字にはカタカナでふりがなが振ってあるが、上下巻共に本文までいけない。それで、こちらは5巻もので外函の脆い20年前の旧版を使っている。この復刊本の擦れ具合はおそらくこちらが買ったものだけではないだろう。旧版の内容は今回の上下2巻のものと同じで、巻ごとに最初に卦と占例の目次と、巻末に発刊を祝する方々からの書簡が付いている。 |
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呑象[高島 嘉右衛門]翁の名占集「増補 高島易断」から有名な72占を選んで、著者が現代文で解説しながら明治の世相を綴った読み物。現代文がありがたい。
明治の世が明けて呑象 翁が自身の運気と今後の進路を問うた占、13【天火同人】爻不明。日清戦争前夜、日本へ回航する途中シンガポールを発って忽然と消えた新鋭巡洋艦「畝傍」の消息についての占(所謂、呑象の誤占)、7【地水師】四爻。日露戦争時、ヨーロッパから大編隊でやって来るバルチック艦隊の日本近海での進路を質した占、60【水澤節】初爻。易占を信じない南部家 家令に貴殿は年内の命と告げた占、17【澤雷隨】上爻、など、史上よく知られた占が採り上げられている。 日露戦争時、旅順のロシア艦隊を沈める日本陸軍の28サンチ攻城砲を積んだコレア号の安否についての占、24【地雷復】三爻など、現在 入手できる明治39年版[最終版]にはもう載っていない古い占も幾つか取り上げている。逆に、満州・朝鮮問題についてロシア蔵相と会談するために中国 東北部に旅立つ元総理 伊藤 博文の凶変の占、52【艮爲山】三爻など、「増補 高島易斷」後の占も。 呑象 翁は消えゆく清朝の動向やヨーロッパの戦況にも大きな関心を寄せていた。当時は、交流の深かった国の要人や宗教関係者のみならず、判事・検事も呑象 翁の元へ筮を依頼に来て、法規の運用に誤りなきを期していたから面白い。 前段には明治草創期に有数の実業家だった呑象 翁の略伝、易占の基本事項が、巻末には呑象 翁の略年譜、卦名・占題による索引が纏められている。 気楽な読み物なので、昔、この本を片手に夕方の犬の散歩に出たものだが、絶版になって数倍のプレミアが付いてしまった。 筆者は作家の高木 彬光 氏に易の手ほどきを受けているという。 |
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「周易古筮攷」(尚 秉和 著)、「周易義証類纂(抄)」(聞 一多 著)、「左国中易筮の研究」・「周易筮辞考」(李 鏡池 著)の四書を岳門の藪田 嘉一郎 氏が飜訳し、註釈や私見を加えて一冊にした論考集。加藤 大岳 氏は巻頭の「序」に、本書は清代末から現在に及ぶ易解釈の新説をほとんど輯めており、近時 日本で発表された諸家の“新研究”と称する易説の多くがこれに啓発されたものか、その受け売りである、と書いている。易学徒にとっては非常に有用な研究の数々で、レベル的には、藪田 氏が「後 記」に「易書中にあっては大学院博士課程」と書かれる通り。 占例が貴重なので、こちらに分類した。
紀元前の史書とされる「春秋左氏伝」・「国 語」(共に左 丘明の作とも言う)の所謂 左国易のほか、3・4世紀の管 輅(カン ロ)・郭 璞(カク ハク)など、古易の筮験[占例]をあまねく全十巻に彙集しており、さらに、易辞や占法などを説いている。興味が尽きないページ群で、易意解明の様々な手法を通して中国人の古来の発想そのものに迫ることにもなる。筮験の註釈は必要簡潔。頁数は本書の約半数を占めており、小引、自敍、本編より成る。 本編は、筮儀詳解、用九・用六の解、静爻[不変卦]から六爻動[皆変]までの占例、その他、納甲・五行・六神などの利用法、八卦象、「先甲三日後甲三日」の解、「先庚三日後庚三日」の解、論「八」、八卦文宮次序、近時の諸占例、ほか。 「易学研究」昭和34年8月号〜37年12月号に断続的に掲載されたものを修訂。 ●「周易義証類纂(抄)」(聞 一多 ウエンイトウ 著) 本書は王・程・朱の旧説理解を大きく揺さぶる易辞解釈の革命とも言える内容。例えば、61【風澤中孚】二爻のよく判らない「好爵」云々の辞は、君と大いに飲む時、この玉製の爵[コップ]が壊れようが、爵の底にオリが溜まったままであろうが、そんなケチなこと云っておれるか! というタンカを切る意味だとしている。甲骨文・金文ほかからの根拠のある解釈もあるが、その自由闊達な発想に、要は意味性・合理性を求めての思い付きではないのか、と思えたりもするが・・・。 以下のような古来異論の多い易辞を扱っている。 【乾】、【臨】、【井】、祭儀、ひさご、天象占候、鳥焚其巣・喪牛于易、師出以律、好爵と鼎耳、【蠱】、太陽のよろめき、矢、車、日中見斗、日中見沬、田猟と軍戦、つゆのあとさき、虎尾を履む、【坎】、【益】と【畜】、ほか。 「易学研究」昭和31年10月号〜34年7月号に断続的に掲載されたものを修訂。 ●「左国中易筮の研究」(李 鏡池 著) 左国易にある計20の占筮についての短い論考。顧 頡剛の「古史弁」第三冊(1931 刊)に収められており、李 鏡池が書き下ろしたよう。 小引、占法、卦象、変卦互体、彖辞と爻辭の解釈、当時の占書と卜者の撰辞。 「易学研究」昭和40年5月号〜同年8月号に連載されたものを補訂。 ●「周易筮辞考」(李 鏡池 著) 「古史弁」第三冊に収められている。筮辞だけでなく、周易及び易経の性質とその成立についての論考でもあり、易経を周民族の史書と捉え、その成立を西周初期としている。 小引、「筮」「占」と卦爻辭の成り立ち、「貞問」とその範囲、卦爻辭中の故事、周易中の比・興詩歌、卦爻辭中の格言、卦名と卦爻辭の編纂、「文王演易」伝説の時・地・背景、卦爻辭の佚文錯簡、結論。 「易学研究」昭和40年11月号〜41年9月号に連載。 巻末には、周易演変表のほか、四書別に64卦の索引が設けられている。 汎日本易学協会 創立30周年の記念出版の一。 |
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紀元紀前の史書とされる「春秋左氏伝」・「国 語」(共に左 丘明の作とも言う)の所々に挿入されている計20の占は今に残る最古の易占例で、占筮のバイブルとされる。本書は加藤 大岳 氏が、江戸後期に眞勢 中州門下の谷川 龍山が書いた「左國易一家言」の解釈に逐一 批判を加えながら、この“左国易”の占法に迫った力作。
以上の占の時代背景は紀元前 662 年〜。変の内訳は、不変3、一爻変13、三爻変2、五爻変1、不詳1。卦・爻の求め方が残されていないが、一爻変の例が突出しているのは偶然だろうか? 16 のみが「国 語」の占。 これらの占例からは一定の占法が抽出できない。ここで材料不足のために古来 議論が尽きない上の7・10 の「八」の意味については、大岳 氏は、先人らの説を検証して合理的に追究を試みた上で、「左 伝」が書かれた当時は周易とは異なる占法(歴史に消え去った連山・歸藏とは限らない)があってその混在による表記ということではないか、との結論で結んでいる。上の 10 の「八」が「左 伝」本文には 17【澤雷隨】|||(← 左を上に。以下 同じ)となっていることなどから、当時は、陰爻が一つだけ不変[少陽]の場合に「之八」、二つだけ不変の場合に「皆八」と書き表したとの推論は確かに出来る。仮にそうだとしても、それだけでは之卦の大成卦は確定できないが。 他方、これまでの考古学上の発見・研究では、さらに時代を遡った殷代の末には、老陽「一」、少陰の六「へ」、少陽の七「十」、老陰「八」と記していたことが分かっている(奇数には五も使われる)。例えば、へ一十十八へなら、31【澤山咸】|||の 32【雷風恆】|||へ之く、となる。しかし、この「八」と 10 の【澤雷隨】との繋がりは容易に見えて来ない。ただ、一・へ・十・八には時代を下ると共に意味の変遷があるので(老陽「九・重(□)」、少陰[八・折(‥)]、少陽[七・単(−)]、老陰[六・交(×)]など)、この占の「八」のナゾ解きにはその問題を含んでいるように思えるのだが・・・。 本書は汎日本易学協会の機関誌「易学研究」に昭和33年3月号まで3年余り連載。 汎日本易学協会 創立30周年の記念出版の一。 |
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加藤 大岳 門下で、大阪で長らく中国占術の指導にあたってこられた中井 瑛祐 氏の易の占例集。会計事務の本業の傍ら、余暇を書斎にて運命方術の研究に注がれて来た同氏の易の分野の研究の集大成と言い、本書を呑象[高島 嘉右衛門]翁の大著「高島易断」に迫るものとして密かに自負していると語る。 タイトルは占術書のようだが、全くの占例集。
この占例集、特に中井 氏と思われる占は、卦・爻の辞を使って現実問題に処するというアプローチが面白い。時にそんなに自由に取って捨ててで好いのかと思うほど、一卦から広げる推理と展開が豊かで、辞は意味として採るだけでなく、文字を自由に解釈することも。また、象を着眼よく巧みに読んで、臨機応変に変・五行も併せる。ただ、三変筮法での変は之卦に見たり伏卦的に見たり、象意や爻辭の取り方にも(中井 氏か)アマノジャクだったり、異を感じもする。判断のしどころの点で学習に資する実用性のある文献。 時代背景は戦前〜戦後20年程で、占事としては身の周りの占がほとんど。占例数は標題のみで 174 で、さらに多い。 中井 氏は専門誌「易学研究」で大岳賞を受賞されている。 三変筮法による(?)24【地雷復】|初爻の例: ある学校の教頭が辞表を出してしまって、そのまま辞めて家業の農業をやることになるかを筮した。爻辭「遠からずして復る」だから辞めると断じそうになったが、昔 誤占した苦い経験から、これは「旧に復す」の意ではないかも知れないと思い立った。卦を睨むと、【地雷復】に農耕の象意(外卦【坤】の土で、内卦【震】はそれを動かす)があるのに気付いて、これは「新たに出発す」の方の意だ、と。之卦が2【坤爲地】となって内卦の振るい進まんとする【震】が消えるのだから、これはその農業の計画を止める象で、【坤爲地】は元の無に復ることだと読んで、正解に。教頭は現職に尽瘁。 ここで、昔の誤占というのは、一方が離縁状を出してしまった夫婦の復縁を問うた占であり、無事 復縁すると判じたものの、この【地雷復】は“旧に復す”即ち、復縁ではなく、結婚していなかった以前の状態に復るで、之卦【坤爲地】は実家へ戻ることを告げていたものだった。 本文は、64卦おのおの数例を扱い、巻頭に卦ごとに 384 爻に整理した索引がある。 巻末には「繫辭傳」「説卦傳」「序卦傳」「雜卦傳」の原文を掲載。 中井 氏は予知能力を身に付けたいと易占を始め、易法の理論よりも実占から易の機能の蘊奥を極めようとされた。推命術・六壬神課も共に専門とされ、中国語も堪能。読みの仕方や風貌からB型の方のように思えるが、どうだろう。 |
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加藤 大岳 門下の最古参の一人である故・大熊 茅楊(- チヨウ)女史の占例集。汎日本易学協会の機関誌「易学研究」に昭和36〜53年と執筆された占例を一冊にしたもので、茅楊会 発足十周年を記念して出版。岳易館・茅楊会(現、茅楊同人会)を継いだ福田 有宵 氏が30年余を経て復刊に努められた。
依頼客との対面鑑定による案件が中心で、恋愛・結婚ごとを筆頭に、人間関係や世相など、身近な人生占で占められている。 ほぼ三変略筮法で、爻辭を引いた判断がやや多いが、象・変との偏りはない。錯卦を使うことはなく、伏卦はよく立ち位置が定まらずに「伏卦を考え合わせて」といった見方。 時に先哲の解釈を並べて占事との照合に拘ったり、読みに試行錯誤する姿も見られる。ただ、卦を得ているのかとしばしば疑問あり、そのため、随分と弄った読みが散見される。 同じ岳門でも、「中国易占術」の中井 瑛祐 氏と比べれば岳流に素直な印象。 大きな発見やオリジナリティといったものは見かけないが、敢えてこの占例集の価値を言えば、男性にとっては女性なりの着眼だろう。女の人生経験からのアングルというのは男には猶更ない。 大熊 女史はテレビ・ラジオ・雑誌・文筆と活躍されただあって、時にエッチな要素にも触れて、読ませる文章になっている。語り口調で、気軽に読める一冊。 標題は 145 で、含まれる占の数はさらに多い。ただ、56【火山旅】の占が17あるのに対して、24【地雷復】・53【風山漸】・55【雷火豐】・58【兌爲澤】・60【水澤節】は各1のみ。 巻頭に、占例を、64卦ごとに 384 爻に整理した索引がある。 発刊にあたっては師匠の加藤 大岳 氏が挨拶を寄せている。 大きさは大きめの辞書サイズ。 ただ、同女史、著書「血液型相性占い」・「血液型人相占い」など、今に繋がる血液型別気質のことと占術とのチャンポンをやった犯人の一人。血液型別気質のことは生化学・生理学などから(あるいは、人間観察的に)語られるものであって、占術の道具立てとし得る何があるだろうか。 |
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全くの三変略筮法による占例集で、得爻を裏返して出来る卦を必ず之卦として、いずれも本卦が意味するところより時間的・順序的に後の状態と捉えている。浩瀚だがその検証材料として読んでみた。
ただ、加藤 氏の言う通り、三変筮法とは三遍筮であって、本筮法・中筮法を簡略にした略筮法ではない。得爻を裏返して出来る卦が之卦となる構造にはなっていない。 占例集というものは、例えばスポーツの試合や選挙など、後で結果の白黒の決着が明瞭につく占をランダムに採録してその人の腕の確かさや程度を裏付けるものでないなら、価値が薄い。それから、誰でも(的占と同様の扱いで)誤占については書かないもので、的占・当占とするものも、幾つか思い付いた内の一つが当たったか、後解釈をやったような“お化粧”があるものだ。なぜその解釈でなければいけないか、が占例集には最も重要だが、ほとんどはそれが欠けている。 この筆者は占筮自体をそう能くする人ではないようにお見かけするが、ただ占考にあたって、卦名や辞の字源について古漢語の辞典を使って考え、あるいは十翼の文言をしっかりなぞっている。この姿勢は是とすべし。 前半の「実占の案内」には、占筮の初歩から、筮法、占筮の基本事項が占例入りで纏められている。 後半が占例集の占考で、時候の占は 1970 年代のもの。 巻末には、文中の占例の得卦・爻およびその爻・「象傳」の辞が一覧になっている。 |
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■「易占例集」日本易学振興協会・宇沢 周峰 著、虹有社 刊、初版 2004/12 ■「小玉呑象易断録」平館 幹象 編、呑象会本部 刊、初版 1960/ 2 |
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